転校偏 第04章 第05話 クラウ・ソラス
先ほどまであふれていた光の奔流が、今は嘘のように治まっている。
今は、澪が生み出して未だ燃え続ける炎が生み出す光が主な光源だ。
「さあてト、先ズハ、俺ニ支配さレタ女達にオ前を殺サせテヤろうかナ?俺ッテ優しいねぇ。最期ハ、女ニ殺サセてやるンだかラヨ?感謝してくレヨ?女どモも、出来損ナいモなァ。
――殺レ!」
王を選定する剣を片手に、久城研璽が命令を下す。
彼女達を縛っていた蛇も、今は無く遮るものはない。
ひとり。
またひとりと、ゆっくりと立ち上がる。
そして、幽鬼のようにゆっくりとした手つきで、各々体の無事を確認する。
それで終。
それだけだ。それ以外何も起こらない。
彼らは、身を起こし、体の無事を確認しただけだ。
「何ダ?《支配》ガ効かねーノか?」
もう一度王を選定する剣が光を放つ。
しかし、結果は変わらない。
もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。
やはり結果は変わらない。
「ナんダ……?ナぜ《支配》が発動しなイ?ばぐっテんノか?」
先ほどまでの狂笑が嘘のような狼狽。
その中で、何度も《支配》を繰り返すが、一度として意味のある結果をなさない。
兄妹の仇敵であるはずの男だが、あまりの矮小さにだんだんと興味が薄れていくのを、文弥は感じていた。
文弥からは伺うことは出来ないが、文寧は相変わらずの無表情をたたえている。
自分たちの人生をめちゃくちゃにした男が、ここまでの小物であったことに、憤りを感じているのだろうか、それともむなしさを感じているのだろうか。
それは恐らく彼女自身にも分からないだろう。
「研究者なのに、んなことも知らねぇのか?それより、上位の専用器で押さえつけてるからだろうが」
そう言って、文弥はクラウ・ソラスを軽く叩いた。
「王を選定する剣ハ、神器級だゾ?扱エる人間ガほボ存在シなイ、専用器のクラすの中デ、最高ラんクの専用器ダ。コレヲ上回ルなド……」
専用器のクラスは、金鵄教導と円卓の騎士の上層部のみで語られる、専用器の強さをはかる基準なのだ。
クラス自体が、一般に浸透していないのは、専用器を使用する《能力保持者》がそもそもにおいて希少なことや、扱えても、強力な専用器は素養が無いと使えない。故に、大量の専用器を扱う、円卓の騎士の上層と、同じく大量の専用器と、それを使用する《能力保持者》を保有していた金鵄教導でのみ、使用されている基準だ。
その中にあって、神器級は最高クラス。
他に類を見ない強力な能力を持ち、それ単体で強力な破壊力を持つが、素養があり、専用器自体に認められないと、まともに使用し運用することも出来ない。
文弥は、不敵に笑う。
「王を選定する剣?エクスカリバー?そいつらはな、カラドボルグに似せて、剣の形をした依晶石から作り出した偽物なんだよ。そして、カラドボルグすらも、この光の剣。クラウ・ソラスを参考に作られたに過ぎない。
―――知らなかったのか?神器クラスの中にも順位付けはあるんだぜ?
下位の、王を選定する剣では、すでにかけられたクラウ・ソラスの《幻想》は解けない」
それこそが、文弥がかけた保険だった。
王を選定する剣によって、《支配》を受ける前に、クラウ・ソラスがもつ力の一つである、《幻想》を使い、あらかじめ彼女達の精神をクラウ・ソラスの影響化に置いたのだ。
《幻想》は、王を選定する剣の《支配》の原型となった能力で、完全上位互換の能力だ。
現在クラウ・ソラスの影響化に置かれている彼女達は、文弥からたった一つの暗示を与えられていた。
―――王を選定する剣の支配を無効化しろ
と。
それ以外は何もしていない。逆に言えば、ただそれだけのことで、王を選定する剣を無効化したのだ。もちろん、事前に彼女達にはクラウ・ソラスの《幻想》の能力については説明を行い、許可を得て暗示をかけてある。
そもそもにおいて、王を選定する剣の《支配》は人に対して行うものではない。自然すらもその《支配》の影響化に置く。それこそが、王を選定する剣の真骨頂だ。それなのにもかかわらず、人間しか操ることが出来ないのは……
「おっさんよぉ。いいこと教えてやるぜ。お前は、王を選定する剣に選ばれたわけでも何でもねぇ。王を選定する剣の能力をほとんど使えてねーんだからよ」
その剣が強い拒否反応(無理矢理使おうとした人間に害をなすような拒否反応)を示さないのと、剣自体の能力が高すぎて、剣に拒否されて能力が抑えられた状態で、漏れ出す力のみで人や人造忌形種を操っていただけなのだ。
研究者を名乗りながら、そんなことも分からない。理解しようとしない。
文寧はともかく、復讐に執着するような粘度の低い性格をしている文弥には、もともと、道に転がる石を取り除きに行く程度の興味しか無かった。
その興味すら、今は消え失せてきた。
丁寧に取り除くのではなく、適当に砕いて地ならしをして終りにしよう。
そう決意した文弥は、その場で軽く剣を振るった。素振りほども気合いのない、切り払い程度の斬撃。
しかしそれは、久城研璽の右腕を易々と切り飛ばした。クラウ・ソラスの持つ、因果律を逆転させるその力によって。
腕ごとはじき飛ばされた王を選定する剣が、カラカラと音を立てながら、すっかり足場の悪くなったコンクリートの地面を転がった
切られると同時に、クラウ・ソラスが放つ光によって傷口が焼かれ、血が飛び散るような凄惨さはない。
逆に、肉が焼けるような異臭が久城研璽を中心に漂う。。
「グううウウう。因果律の逆転ダト?ソノ剣、一体いくつノ能力ヲ持っテヤガる……?それほド強力ナ、神器クラすの専用器ガ矮小な人間ノ器デ扱えルハズがナい。タダノ人間ニ、扱えルはズガナい……」
「知らなかったのか?この、剴園高校の生徒達には、『ただの人間』なんて一人も居ないんだぜ?それが、金鵄教導出身ならなおさらだ」
存外に自分まで人外扱いされた澪は、苦笑しながら、
「兄様。彼には聞きたいことがございますので、まだ殺さないでおいて下さい」
そう言って、炎の蛇で縛り上げてしまった。
「まぁいい。おっさんには、これで借りは全部返したと伝えてくれ」
「くすくす。はい。承知しました。
――ああ、そろそろ《再成》が終わりますよ?兄様」
澪がそう言った瞬間、未だ《青》と《赤》を燃やし続けていた炎が、一際激しく燃え上がった。そしてその炎に目が慣れた後、よくよく観察してみると、その炎の中には燃え尽きたはずの彼女達が唐突に現れていた。
「燃え尽きたはずじゃ…?」
伊織が愕然とした表情で、それを見つめる。先ほどまでよりも、なお激しい炎に包まれているのにも拘わらず、《青》と《赤》は燃え尽きる気配はなく、逆に人としての姿を再形成されているようだ。
「だから、誤解だと言ったんだ。アレは、澪が持つ炎の概念具現化能力の一つでな、炎がもつ再成の概念だけを具現化させて、一度その炎で灰にしたものを、その灰の中から蘇らせる力なんだよ」
文弥はあえて説明しなかったが、金鵄教導の事件に巻き込まれたのにも拘わらず、澪が無事なのもこの《再成》のおかげだ。
体の一部分だけを《再成》するのではなく、自分自身を一から《再成》するには週単位で時間がかかる。
澪が自分自身に完全な《再成》を行使したなら、二週間はその場から火が消えることはない。
そして、澪は文弥の手によって、何らかの理由で体に大きな損傷が与えられたとき、死が体に定着する前に、自動で完全な《再成》を行うように暗示をかけられている。
それは、澪の意識で制御できるものではなく、すでに澪の性質として昇華されてしまっている。
「でもなんで、わざわざそんなことを……?」
同じく、驚愕に表情をこわばらせながら優羽が訊ねる。
「それは、あいつらが王を選定する剣の支配下にあったからだな。王を選定する剣に支配されるって事は、一度精神的に死ぬって事だ。肉体的には死んでないから、一度、《再成》を使えば肉体と共に精神も蘇る。つまり、王を選定する剣の《支配》がとけるって事だ」
「そんなの、兄さんの剣で簡単に戻せるのでは?とアヤさんは思うのですが」
「クラウ・ソラスでは、元の状態が分からないと戻せないんだよ。王を選定する剣の干渉を受ける前の、元の彼女達の精神状態がどうだったか?それが分からないと、どういう風にクラウ・ソラスで干渉していいのか分からないからな。彼女達の中ではすでに、王を選定する剣の影響など無い事になっているから、王を選定する剣の《支配》から逃れろといった、暗示は無効なんだよ」
文弥は、血のつながったもう一人の妹の疑問に答えた。
再びクラウ・ソラスをしまうと、地面を軽く蹴る。すると、ガツンという音が聞こえ、久城研璽は白目をむいて気を失った。
「暴れられると面倒だからな」
「お手を煩わせて、申し訳ありません」
「いや、こっちもこいつらが迷惑をかけたからな」
そう言って、文弥は後ろで呆然と突っ立っていた彼女達を見る。
伊織は、ばつが悪そうにほおを搔き、優羽は、目をそらし、文寧は表情こそ変わらないものの、怒られる前の神妙な雰囲気でこちらを見返していた。
別段彼女達に何か言うわけでもなく、文弥は澪に視線を移した。
「いえ、彼女達のおかげで久しぶりに兄様と遊べて楽しかったので、問題ありませんよ。こうして、誤解も解けて、事件も解決したんですから、終わりよければ……というやつです」
澪の言葉に、文弥は「そうだな」と頷いて、
「じゃあ、そろそろ撤収だな。そのおっさんは、ぞろぞろ集まってきてる円卓の騎士が回収していくんだろ?俺たちは先に引き上げさせてもらうぜ?」
そう言って、撤収することにした。
「はい。後始末は、私にお任せ下さい」
澪のセリフに文弥は満足そうに頷いて、きびすを返した。
他の面々も、文弥に続いて戦場から一人また一人と、立ち去る。
一人残された、澪の相貌には、寂しそうな色が浮かんでいたのだった。
そして、それに気づかない文弥でもないのだった。




