転校偏 第02章 第04話 絶刀剣舞
伊織は、石化した生徒たちを空気で包み、軽く浮かせた状態で待機していた。
文弥から伝えられた、作戦はこうだ。
文寧が渾身の電撃をあの土竜のような忌形種に叩きこみ、意識を石化した生徒たちから逸らす。
意識を逸らしたら、今浮かせている彼らをそのまま外の安全な場所まで運搬する。
砕かれでもした場合、いくら《能力保持者》でも致命傷だ。絶命してしまう。
優羽は、伊織と石化している生徒たちを守りながら一緒に後退戦線を離脱する。
これは、あの粘性のある液体を再度飛ばされた時に、水の概念操作で完全防御できそうだからである。
電撃で気がそれた、土竜を文弥が叩く。文弥と土竜の戦闘が始まり次第、文寧も退却。
残った文弥は、教師陣の準備が整うまでの間、つまり、十五分間足止めを行い教師陣に討伐を任せるか、土竜を行動不能にするかして離脱。
という流れだった。作戦というほどの作戦ではない。不確定要素が多すぎるし、何よりも文弥の負担が大きすぎる。
三人で文弥と一緒に戦う旨を強く主張したが、却下されてしまった。
自分たちでは足手まといだと。そう言われてしまった。
直接そう言われたわけではなかったが、彼の表情が……彼の態度がそう語っていた。
突き放されたことよりも、頼ってくれなかったことよりも、それが事実だと認識できてしまう自分たちの実力が悔しかった。
武田が、
「十五分で準備を完了させて救援にくるから、それまで頼む」
と言うまでは、あの土竜を倒しきると言った体で話していたように見えたが……
いや、いつもの何処か不敵な彼の姿からそう見えた勘違いに違いない。彼は自分の実力と相手の実力を測れない愚か者ではない。
だか――A級十人分のあの忌形種を倒しきる戦闘能力が彼にあるとしたら、すでに彼はSランクの《能力保持者》ということになるのではないか?
そんなことを考え、伊織は身震いをした。
改めて周りを確認すると、すでに他の生徒は脱出を済ませている。
さあ、作戦実行だ。
土竜も何故かすぐに暴れだすようなこともなく、じっとしているが、いつまでこれが続くかわからない。
《能力》のコントロールに問題がないことを確認すると、伊織は他のメンバーに合図を送った。
直後。
――雷鳴。
恐ろしく暴力的な電流と電圧の槍が、土竜を貫いた。
ゅぐぅぅおおワおォおおお
と、人には発音できなさそうな叫び声が上がると、手を振り上げ、勢い良く振り下ろした。
――こちらに向かって。
ぎょっとした次の瞬間、土竜の手の前に分厚い氷で出来た壁が何枚も構築される。
金剛石と同等の硬度を誇る氷の壁が、構築されたすぐ傍からに砕かれていく。
土竜の手は氷の壁に阻まれることはなかったが、それでも速度を弱めることには成功し、伊織は土竜の爪が当たらない距離まで移動する。
だが、大きく空振った土竜の爪はそのままの勢いで、優羽に突き刺さろうとしていた。先ほどの氷の壁も、この爪の前では然程の遮蔽にもならないだろう。
伊織の叫び声が上がり、優羽に爪が突き刺さる瞬間、土竜の爪ごと手が切り落とされていた。
生物の欄外の存在たる忌形種からは、血しぶきなどは上がらない。切り落とされた手は、塵となって消え失せる。
土竜を挟んで反対側。五十メートルほど離れた位置に立っている文弥が剣を振りぬいたような姿で立っていた。
ただ、手には何も握られていないように見える。武器化した鏡のような輝きを持つ彼の剣は握られていない。
まるで、目に見えない剣を持っているかのようだ。
文弥の、
「いいから走れ!」
という声に、我を取り戻すと、優羽は伊織たちの方に向かった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
文弥は、雷撃を与えたのにもかかわらず、石化した生徒の破壊を優先するとは、思っていなかった。この点は、歳相応に読みが甘かったといえよう。
優羽が防御しきれなかったのもまた読みが甘かった。
結局文弥は手札を一枚切ることにした。そうせざるを得なかったとも言うべきだが。
光の剣。クラウ・ソラス。
それが、彼が今手にしている専用型《補助器》の名前だ。
クラウ・ソラスを展開した瞬間、透明化したままのそれを一気に振りぬいた。ただ何もない空中を切っただけだが、五十メートル先では、優羽を貫こうとしていた凶爪がその手ごと叩き切られていた。
因果律を逆転させ、斬るという結果が先にあり、それに合わせて剣を振る。
たとえ、距離が離れており絶対に当たらない斬撃でも、相手に剣自体が受け止められたのだとしても、剣を振るえる状態にあるのなら絶対不可避の一撃を与える、クラウ・ソラスの能力の一つ《運命の一撃》だ。
《運命の一撃》を放った後剣を振るうまでは、その剣で何かを切ったり、何かを弾いたりすることは出来ないなど、デメリットも大きい。
さらに切り裂いてから剣を振るう動作を行うため、一撃で絶命させることができる相手とは違い、一撃で倒すことが不可能な相手の場合、隙が大きすぎて多用できない。
「アヤも逃げろ」
そう短く言うと、アヤの姿が消え去った。そこから、居なくなったわけではない。
光を操り、幻を見せたり、こうやって何かを透明化する能力《幻惑》だ。
今は、クラウ・ソラス本体も《幻惑》を使用して透明化を行っている。
他者からはその姿を見ることが出来ないが、文弥の心眼にはその美しい刃の刀身が見えていた。自らの片翼たる聖剣だ。たとえ刀身が目に見えずとも、その剣の手足のように扱う事ができる。
通常、忌形種は恐ろしい再生力を持ち、手を切り落とした程度では直ぐに新しい腕が生える。
だが、目の前の忌形種は腕を再生することもなく、文寧の雷撃に打たれ焦げ付いた体毛や皮膚も回復の兆しが見られない。
文弥はおかしな事だと思いながらも、目に見えぬ剣を正中線に構えた。
「近付いて、一気に勝負をつける!
―――ここからは、一方的な蹂躙の時間だ」
言いながら、一気に肉薄する。絶対的に安全な位置から《運命の一撃》を連続で放ち倒しきるという選択もあるにはあったが、《運命の一撃》は、自分が狙った場所を因果律を逆転させ切り裂く能力だ。必ずしも目に頼る必要はないが、基本的には目で見て目標を定める。対してあの忌形種は、土竜のような姿をしている。
地中に潜られるようなことがあれば、どんな事故が起こるかわからない。
土竜が後ろを向いてくれているうちに接近を終えると、そのまま高く飛び上がった。
「絶刀剣舞 肆の型。《双龍牙》っ!」
四連撃ずつ、二箇所。計八連撃。
目に見えぬ剣閃がひらめき、左右の腕を肩から先を同時に吹き飛んだ。いや、刀身が隠されていなかったとして、目に止まらなっただろう。
金剛石すら砕く強度も、竜の牙の如く穿たれた突きになす術もなく砕かれる。
普通の土竜と同じなら、鉤爪のように長い爪で地面を移動するのだろう。それさえ奪ってしまえば、穴を掘ることも、穴の中を進むこともできなくなる。
突きを放ったような体制のまま、自らの技の勢いにわざと飛ばされて、少しだけ距離をとる。先ほど、手を切り落とした時のようなきれいな切り口ではなく、肩口はズタズタに引き裂かれており、切り落とされた腕だけではなく本体も肩口から徐々に塵へと変わっていく。
しかしそれは、非常にゆっくりとした変化。完全に滅するほどのダメージは与えられていない。
塵化は唐突に停止した。
よく見ると、先ほど生徒たちを石化させた粘液のようなものが土竜の体全体から滲み出し、切り落とした傷口だけが石化している。
体半分を地中に埋め、底から出ることもなかに逃げることもかなわず、攻撃手段である腕すらも奪われ、怒り狂ったように身体を捩って暴れるが、粘性の高い体液が辺りに飛び散ることはない。体を守るように、ただ包み込んでいるだけだ。
突如、土竜は文弥に向かって勢い良く倒れこんだ。脅威である爪と腕を奪ったところで、上半身だけで五メートルもある巨体だ。ただ、倒れこまれるだけでも脅威である。しかも、今は体表面を粘液で覆われている。それに触れて石化し、あの巨体にのし掛かられたなら、それだけで砕け散ってしまうだろう。
「絶刀剣舞 漆の型。《無拍》!」
文弥の姿が掻き消えたかと思うと、瞬時に土竜の反対側二百メートルほど離れた位置へ移動し、剣を振りぬいた姿で動きを止めていた。居着きを無くし、剣速を上げる絶刀剣舞において、居着きを許された技。一刀のもとにすべてを切り裂き離脱する、高速居合いの奥義。
土竜の躰が、唐竹割りに真っ二つに両断される。
最初に生徒たちを石化させた粘液。それを、剣で受けたなら専用器・汎用器を問わず、通常の《補助器》で触れればそれごと石化するか、粘液自体がそのまま石化し切れ味を鈍らせるだろう。
事実、石化させられた生徒たちは、汎用器ごと石化させられていた。
しかし、あの粘性に触れたクラウ・ソラスは、なんの変調もきたしていない。
クラウ・ソラスには、所有者以外が触れることが出来ない。
クラウ・ソラスの特性の一つであるそれは、物理的に触れることが出来ないのではなく、剣自体がコレを拒否する。故に、粘性が付くことはなく、生物を切った時も血糊や脂が付くこともない。たとえ剣を奪われても、握ることすら出来ない。
次の瞬間。文弥の真後ろから巨大な蚯蚓が出現し、その牙が文弥へ襲いかかった。
地中に隠れ続けていた、それはすべてを地上に出し姿を表していた。
結果から言えば、今すべてを塵芥へと化しているあの土竜部分こそが尻尾であり、この蚯蚓こそがこの忌形種の本体だった。
《無拍》は威力こそは高いが、その分隙も多い。
背中は無防備にさらされ、剣を振りきった体制では、回避も難しい。
だが、蚯蚓の牙が文弥に届くことはなかった。
尻尾であった土竜と同じ運命をたどったからだ。
すなわち、唐竹割りに真っ二つに断ち切られていた。
文弥の体制は、無拍を放った体制のままだ。
今度こそ、全てを塵芥へと変え忌形種の脅威は去った。
だが、やるべきことがもうひとつ残っている。
「絶刀剣舞 漆の型。《無拍》」
何もない空間に対して、《無拍》を放つ。
そして、やはりそれはただの空振りに終わった。
《運命の一撃》を放ったのなら、その後必ず剣を振らなければならない。
そのルールをただ実行しただけにすぎない。
文弥は、自分の仕事が終わったことを確認すると、演習場を後にするのだった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
演習場を出ると、そこには文寧が立っていた。
伊織達と合流せず、ここで様子を伺っていたのだろう。
約束の十五分が過ぎたらすぐさま飛び込めるように。
そうでなくても、文弥がピンチになれば、文弥の叱責を恐れず直ぐにでも飛び込めるように。
現に、文弥が背後から蚯蚓に襲われたときは、飛び出して行きそうになったものだった。
すぐさま、剣閃が奔ったのを確認できなければ飛び出していただろう。
「兄さん。ご無事で何よりです。アヤさんはとても心配でした。しかし、まさか倒してしまうとは……」
電磁波を演習場に投射することで、戦闘の状況を監視していたのには文弥も気がついていたので、何も言わずに笑顔を見せた。
「ああ。大丈夫だといっただろ?俺は、あの頃より強くなった。今度こそお前を完璧に守ってやれる。……それに、あの忌形種は妙だったからな」
「はい。兄さん。兄さんはたしかに強くなりました。アヤさんの心配は、取り越し苦労だったと。そう思わざるを得ません。ですが……強くなりましたが、それを得るまでにどれほどの……いえ、今はそんな話はどうでもいいですね。伊織たちの元へ向かいましょう。あちらに居るはずです」
先ほど石化させられた生徒たちの元へと足を向けた。文弥は、何も言わずに文寧の横に並んで歩いた。
文寧は早歩きで歩いているが、文弥にとっては普通の歩調だ。普段は文弥が合わせているに過ぎない。
「文弥くん!」
近づくと、石化した生徒たちを心配そうに見守っていた優羽が、文弥たちに気が付いて声をあげた。
石化した生徒以外にも怪我を負った生徒が居たらしく、あちらこちらで手当を受けている。
人数は多いが、幸い軽傷者ばかりなので、医療具をここに運んで手当を行っているのだろう。
文弥を認識した瞬間、優羽の思いつめたような表情が安堵の表情に塗り替えられ、いそいそと文弥の元へと駆け寄ってくる。
それと入れ替わるように、文寧が地面に横たわる生徒たちの元へと移動した。
伊織は、十人以上の生徒をゆっくりと、しかも絶対に落とさないよう《能力》で運ぶという重責をまっとうし、疲労したのであろう。地面にへたり込んでいた。
文弥は、優羽からのねぎらいも、伊織への心配もそこそこに、
「石化は?」
と短く訊ねた。
「先程から、徐々に解け始めました。一番進行していた人でも、後十分ほどで完全に解けるでしょう。ただ、アヤさんは疑問があります。忌形種によってもたらされた、石化などの変化は依晶石を使用しなければ解けないと授業では習いましたが、どうして解け始めたのでしょう?」
「それが、依晶石は手に入らなかった。最終的には、穴から身体を全部出していたから、穴の中ってわけではないと思う」
「うーん。忌形種じゃなかったのかな?」
「確かに、忌形種にしては再生力が弱すぎたな。まぁ、そのおかげで何とかなったってのはあるけどな。つっても、それ以外は忌形種そのものだったが」
「新種とか?」
優羽と伊織も頭を捻るが、有意義な答えは得られそうにもない。
「とりあえず、この件は先生たちに報告して後は任せよう。今は、俺達ができることやろうぜ」
そう言って、文弥はさっさと負傷者の手当を手伝いに向かってしまった。
優羽たちも慌ててそれに続くのだった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
教師に一連の報告を終えた文弥達は、教室で生徒たちに囲まれていた。
本日の演習授業は中止となり、その後は教室での待機が命令されていたため、全員が教室に残っている。
早々に脱出した彼らは、事の顛末を知らない為、あれやこれやと質問をぶつけてくる。
まだ、文弥に対しては遠慮があるのか、主に優羽と伊織に対して。
質問の数よりも、ねぎらいの言葉や、お礼の数が勝っているのが救いといえば救いなのだろう。
二人とも褒めそやす声に照れくさそうにしているだけで、質問に対する回答は控えているようだ。
文寧は、文弥の判断を待つようにじっと文弥を見上げている。
こう言うとき、よくも悪くも空気を読まないのが、この男、杉田 一誠と言う男だ。
「文弥よー。あの忌形種を殆ど独りで倒しちまったって本当か?」
ぎょっとした空気で文弥に視線が集まる。
「ああ、アヤが一撃入れてくれたけど、その後は一人でヤった」
「それって、アレだろ。文弥の実力派Aランク上位か、Sランクって事になっちまわねーか?」
「いや、金鵄教導ではランク制は採用してなかったから、分からんけどよ。ランク云々はひとまず横に置いて、あの忌形種は、色々通常の奴らとは違ってたな。有り体に言うと、恐ろしく弱っちかったってことだ。忌形種ってのは、そいつ自身の醜悪さ凶悪さに合わせて、バカみたいな頑丈さと、バカみたいな力。そして、能力を大きく上回る特殊能力。そもそも、能力ってのは原則一人一つだが、あいつらには制限がないからな。そして、何より生命力と、回復力が段違いなんだ。腕を切り飛ばしても、物の数秒でまた生えてくるような馬鹿げた回復力。痛覚なんて存在しないかのような頑丈さと、生命力。そいつがあるから、忌形種って奴は大人数で寄ってたかって討伐される。だが、あいつにはその回復力や、生命力がなかった。電撃を浴びせた時に悲鳴をあげてたし、切り落とした腕も生えては来なかった」
「なるほど、それで独りで倒しきれたってわけか。しかしそうなってくると、アレはなんだったんだ?見た目には全くわからんかった。映像どおり。いや、映像の情報がいかに陳腐かっていうのをまざまざと見せつけられるようだったぜ」
「ああ、ソコ以外は忌形種そのものだった。それは、アイツに相対した武田も同じ意見だったな」
「シーセンは、未だに前線で戦うこともあるらしいからな。現役がそういうんなら、間違いねーんだろうな。他には、変わったことなかったのか?」
「依晶石を落とさなかったな。コレは俺が見過ごしている可能性があるがな。弱い忌形種ほど依晶石のサイズは小さくなるからな。見つけられないほど小さかった……という可能性は大いにあるけど、おそらくは本当に落とさなかったと見て間違いないと思う。コレに関しては、今調査中ってかんじだな。何にせよ、アレコレ調査するのは、ようやくたどり着いてきた軍と学校がやるって話で、話を聞くだけ聞いたら早々に追い出されちまった」
もたらされた情報が、意外感に満ちていたせいか、それでも、忌形種を単独で葬り去った事実には変わりはなく、その実力は高ランクであることに変わりはない事に誰も気がついていないようだった。
文弥達への質問や興味は段々と、奇っ怪な忌形種に対する推理へと変わり、教室のあちこちで推理ショーが繰り広げられたのだった。




