転校偏 第01章 第11話 深夜の襲撃
久城文弥は夜型である。
そのことを自覚している彼は、最も元気な時間帯に、最もハードな訓練をすることにしている。
もちろん、自主的な夜間訓練だ。
夜中の個人トレーニングは、小豆島の事故や、その後の引っ越し、転校騒ぎによって、最近ご無沙汰になっていた。
ようやく学校も始まり新しい生活が始まったとあれば、夜間訓練も再開するべきだろうと、早速寮から二キロメートル程度離れた海浜公園近くの埠頭に来ていた。
久々だしみっちりトレーニングを行うつもりだ。
普段であればバスなどの交通機関で移動するのだろうが、コレはトレーニングだ。
人を跳ね飛ばさない程度の速度で走って移動する。
瞬発的に、極超音速を超えることもできるが、色々と面倒もあるし、しかも服も痛むのでいいことはない。
音速を超えないように建物の間をまさしく飛ぶように移動して、一分ほどで、海浜公園に辿り着いた。
面積は25ヘクタールほど。そこそこの広さを持つ公園だが、遊具などは存在しない。その代わり遊歩道や芝生の広場の面積が広く取られているような、自然公園だ。
昼間は、狡神市内で有名なデートスポットでもあるため、休日ともなると多くの人が訪れる。
しかし、今は人の気配はなく、街灯の光が遊歩道を照らすだけだ。
文弥は走る速度を自転車程度の速度まで落とし、公園の端へ向かう。
端まで来ると落下防止の柵がしてあり、その下は、船が停泊する前に一時的に横付けするための埠頭となっている。
躊躇なくフェンスを乗り越えると、上から見下ろしたとおり、然程の広さもない埠頭となっていた。
先述の通り一次停泊にしか使用しないため、海上からではなく陸上からここへ来る方法は公園の柵を乗り越えるほかない。
申し訳程度に、黄色と黒で海との境界線が塗られているだけで、それ以外の落下防止策は用意されていない。
船が止まっているわけでもなく、多くのコンテナが置かれているわけでもない。人と同じくらいの高さの貨物コンテナが打ち捨てられている程度で、それ以外に目立ったものは置かれていない。
ここへ来る前に予想していた通り、見渡すかぎり人っ子一人居ない。
――埠頭には。
海上に目を向けると、全身黒ずくめの人影が立っていた。ご丁寧に頭部も目出し帽をかぶっており、人相は全く伺えない。
それでも、完全に闇に紛れるには、月明かりも、都市の明かりも明るすぎた。よく見ると、小柄で胸元が膨らんでいるように見える。
男が、女を装っている可能性もあるが、ひとまず文弥は相手の性別を女性だと判断した。
どちらにせよ、やることは変わらない。
金鵄教導出身というだけでも、狙われる理由も幾つか思いつく。
(ひとり……いや、三人だな。海上にいるあいつと、遠くから監視してる奴が一人。俺をつけてきてた奴が一人。
後をつけてきてた奴は、気配を消して近くにいるな。まぁ、何もしてこない限りは無視してるか)
そう結論づけると。
「《Alter Drop Stagnate》」
と、小声で唱える。
まさしく枷から解き放たれたように、抑えつけられていた身体能力を開放する。トレーニング効率を上げるために体の動きに制限をかける力を発動していたが、戦闘になるかもしれない今は外しておいたほうが無難だ。
背後で気配を消して潜んでいる気配については無視することにした。彼自身に知覚系能力はないが、有視界範囲にいて気配を消したくらいで、見失うことはない。
能力を使用するのに声に出して何かを詠唱する必要はない。ただ思うだけで、発動する。
単純な能力の場合は簡単なイメージで発動できるが、やれることが多い高次能力は破綻が無いように正しくイメージする必要がある。
それを補助するのも、《補助器》の役割だ。
能力の操作は能力の先天的能力が高いほど、煩雑化し、複雑化するものだ。
そのおかげで、汎用性が高く強力な能力ほど、汎用器からの脱却は難しくなる。
そして、《補助器》に複雑なイメージを伝える際、イメージの補完として声に出すことがある。
本来それは、専用器を主として使用する文弥には必要としない所作だ。
だが、相手がそれを知っているとは限らない。汎用型を使用し、それにある程度依存していると見せかけたほうが、コチラが切れる手札は増える。
(能力使いましたよ。ってのは、伝わったはずだ。さて、どう動く?)
実際は、発動していた能力を一つ切ったというのが正しいのだが、違いはないだろう。《能力》の発動状態も感知できる力を持っている相手だった場合は、常時何かが発動しているように見えるはずだ。変わりはない。
このまま、何もせずに居てくれるなら、チョット場所を変えて訓練すればいい。そう決めた矢先―――
水中に立っている人影の隣に、海水で出来た巨大な腕が生えていた。
腕部分は大きな渦。指の一本一本が独立した水の渦となっている。渦は勢い良く周り、轟々と音をたてている。
ただあの手に捕まるだけでも、その水流にもみくちゃにされるだろう。非常に強力な|能力《《能力》》だ。そして、海上にいる限りあの腕をいくら潰しても意味は無いだろう。
「なんだ、挨拶もなしにいきなりかよ?」
相手から見えるかどうかは分からないが、皮肉げに肩をすくめてつぶやく。
そして次の瞬間、巨大な腕は拳を握り文弥に襲いかかってきた。
それを難なく右に躱すと、海の上を走って黒い人影に向かって水上を走りながら一気に突っ込む。
水流の腕の数はあっという間に増え、現在では六本になっていた。水流や、水流に巻き込まれた海水が、ごうごうざあざあと音をたてている。うるさい事この上ない。
ひったくりを止めた際は、目にも留まらぬ速度で移動してみせた文弥だったが、水上で、しかも海面が荒れて不安定であるために、持ち前のスピードは殺されていた。それでも、右から左から、上から下から、襲いかかる複数の拳、その全てを危なげなく躱す。
そうして、文弥は五十メートルほどの距離に近づくと、
「誰だかしらねーけど、人違いってわけでもなさそうだな。演習の時から、ずっと視線感じてたしな。おとなしく逃げ帰るなら、俺からはなにもしねーけどよ」
聞こえるように大きな声で忠告をする。
それに対する解答は、一際大き作られた二本の海水の腕だった。残りの四本の腕は消えているが、その巨大さとは裏腹に、今まで以上の速度を以って挟みこむように文弥に襲いかかった。
「――《Alter Add Double Accel》」
声を発した瞬間、受ける海面を物ともしない速度でそれをすばやく余裕を持って躱す。そのままの勢いで、黒尽くめを追い越し背後から殴りかかった。
結果から言うと、拳は当たっていない。寸止めだ。それでも――
ドパァン
という音が鳴り響き、水しぶきが上がり、そして、水上で拳を操っていた人影は十メートル程吹き飛んだ後、海に沈んだ。
拳が音速の壁を破って、衝撃波を生み出したのだ。
(ひったくり退治の時に、身体能力をチョット見せちまってる可能性があるからな。うまくごまかせるといいが……)
衝撃波に弾き飛ばされた海水でびしょ濡れになりながら、自分でやったことながら後悔を始めた。五月初旬の海水は、まだ冷たい。だが、監視者はともかく、追跡者がまだ存在している以上、気は抜けない。
自業自得ながらふっとばされた、不幸な黒ずくめを助けて去るならよし。
そうでないなら、今度はまとめて地面にたたきつけられてもらうだけだ。
この距離で衝撃波を受けると、コンクリートにたたきつけられる程度の衝撃は負っているはずだ。能力保持者は、身体能力や自己治癒力がダントツに上がっているとは言え、気を失っている可能性もある。放置しておくと、生死に関わるだろう。
だが、襲ってきたのは相手のほうなのだ。しかも、仲間もいる。わざわざ助けてやるお人好しでもない。
文弥は、海上をゆっくりと追跡者に向かって歩き始めた。じっと追跡者を見据えながら。
気配はきちんと消しているが、《能力》によるものでもなく単なる身体的能力だろう。そこにいるものを、完全に消しされるようなものではない。
「もう一度う言うぞ。おとなしく逃げ帰るなら、俺からは何もしない」
打ち捨てられているのであろうコンテナの影から、逡巡する人影が現れ、素早く海に飛び込んだ。
文弥はそれを確認すると、そっと埠頭を後にした。監視者の視線もいつの間にか感じなくなっていた。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
文弥が久しぶりのトレーニングを、乱入者によって邪魔されている頃。
埠頭から、三キロメートルほど離れた場所。
学研都市リーガカールトンホテルにその様子を観測する姿があった。
部屋の電気は付いておらず、カーテンも閉めきっている為部屋は真っ暗だ。
夕食をとった後、急いでチェックインしその後ずっと部屋で待機していたかいがあって、一部始終そのすべてを見ることが出来た。
遠視能力を持っているわけではない。遠くにあっても距離を感じず光学的にものを見ることが出来る遠視能力。それだけが遠くのものを知覚する能力ではない。
例えば、電磁力や電波を操れる人間は磁界の照射や、電磁波の照射によって遠距離の状況を知覚することができるし、通信端末機器の電波パターンを記憶し、それを元に現在位置を調べることも可能だ。
監視をしながら、考える。
どうやら彼は自分力を隠しているようだ。と。
やはり、隠蔽体質の金鵄教導出身だけあって、新天地でいきなりその《能力》のすべてをさらけ出すのには抵抗があるのだろう。
そう。たとえ、誰かに襲撃されたからといって。
今回は、隠蔽ではなく偽装を選んだらしいと言うのは見て分かった。ただ、現場に居た彼女たちは騙されただろう。
――彼女たちは彼の能力を知らないのだから。
知らないからこそ、夜討ちを仕掛け能力を暴こうとした。
だが、彼の実力と能力は、彼の妹である自分がよく知っている。ほんの少し離れて暮らしたからといって、それがくつがえるわけもない。
――実は血が繋がっていないのもそれほど問題ではない。
『義理の妹なんざ――萌えるだけだろうがあ!』
と昔の娯楽作品でも語られていた。問題はない。
それはいいとして。
能力の系統は、体系的に七系統に分かれている。
・強化
・操作
・具現化
・構築・生産
・知覚
・空間系
・特殊系
その中で最も数が多い、強化系統。それも、単純な強化系等の中で最も多い肉体強化に偽装しようとしていた。
強化系等。力と量の増減を、正の強化、負の強化という概念で扱う能力である。
操作系等とは違い干渉力さえ上回っていれば、基本的に強化できる現象は問われない。能力使用者のコントロールによって選定されるのみだ。
基本的な強化系は現象そのものを操るのではなく、分子強度や、エントロピーそのものを操作するためだ。
ただ、自分自身とそれ以外とでは必要となる干渉力が段違いとなるため、干渉力の弱い能力者は自分自身しか強化できない。
《補助器》の普及で干渉力自体が、《補助器》によって強化される現代でも、強化されてなお、自分自身しか強化できない能力保有者も存在する。
強化系の能力者は数も多く、その多くが干渉力も強化率も低い。その圧倒的多数の《能力保持者》のお陰で、強化系統は弱い能力であるというイメージが植え付けられている。実際、平均で見れば七系統中最も弱いだろう。
だが、同レベル帯で比較した場合、最も戦闘に向いている能力は強化系統だ。
ちょっとした程度の火花が強化によって灼熱の炎となったり、ちょっと押した程度の力でも、運動量の強化によって致命的な衝撃へと変わる。方向を操作する力はないが、自分自身とそのまわりの分子間力を強化しておけば無差別破壊を行っても自分自身が傷つくことはない。
実際使用したのは、トレーニング効率を上げる為に身体に負荷をかける力と、(実際に確認できたのは、それを解除するところだったが)速度を倍にして、その速度に耐えられるよう、血管や筋肉などを補強する技のようだった。
通常の強化系能力であれば基本の、自分自身に対する運動量の強化と分子間力の強化だ。
もちろん、文弥が使用したのは別系統の能力であるが、わかっているからこそ、見事な偽装だと思う。
強力な強化系統能力だと思わせることで、それ以外の可能性を無意識に排除させるように仕向けられていた。そして、単純な戦闘では圧倒的に不利であると思わせ、この場は引かせる。全く見事だ。
文弥が埠頭から立ち去り、彼女たちが無事海から上がり逃走を始めたのを確認して、監視をやめた。
今回の監視によってわかったのは、戦闘が一瞬で終了し過ぎて実力がわからないということだけだった。
「なるほど。とりあえず、しばらくは監視が必要ですね。面倒ですが」
彼女の独り言は、誰に聞かれるでもなく宵闇に吸い込まれていった。




