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第一章 人工の大地


(もう朝か……)


 ベッドの上で猫のように体を丸めてくるまる風見涼(かざみりょうは窓に掛かるカーテンの隙間から太陽の光が漏れだしているのを見てそう思った。


(でもまだ大丈夫か……)


 しかしまだ寝足りない涼はそのまままどろみの中へと意識を戻そうとする。


(……ん?)


 しかし部屋の中に誰かの気配を察すると、ごろりと体を反転させ、部屋の様子を覗おうとした。


「涼! さっさと起きなさいよ!」


 その瞬間、いきなりの怒号と共に脇腹に蹴りをクリティカルヒットさせられた涼は、うめき声と共に、痛みに耐えきれずにベッドの上でのたうち回った。


「いきなり蹴りはないんじゃないのか凛!」


 涼は痛みから復活すると、攻撃を仕掛けてきた相手に向けて声を張り上げた。かぶっていた毛布をベッドの脇に放り投げ、ベッドの上に立ち上がると、すぐ横で両腕を組んで仁王立ちしている如月凛(きさらぎりん)と、真っ向から対峙した。


「あんたがさっさと起きないからでしょ! もう時間よ!」凛の方も壁に掛かっている時計を指し示しながら、涼に負けないくらいの大声で怒鳴る。


 凛は涼の幼なじみで会社の同僚。年齢は涼と同じ十七歳。さらりとした腰まで伸びる長い黒髪に切れ長の黒い瞳、そしてきめ細やかな白い肌をしていおり、これでおしとやかな性格なら大和撫子そのものなのだが、口を開けばごらんの通りやかましい女でもある。今日はいつもかぶっているふわふわの白いロシア帽に、おなじく白のロングコートという出で立ちだ。


「時間だからっていきなり……時間?」


 涼は寝癖全快のぼさぼさの髪をかきながら、凛の指さす壁掛け時計を見る。


「……へ?」


 時計の針が示していたのは八時五十分。出社時間は九時なのであと十分しか余裕がない。


「やべえ!」涼の双眸が、朝の寝ぼけ眼から瞬時に全開になった。「もうこんな時間かよ! なんで早く起こさないんだ!」


 涼は慌ててベッドから降りようとして転げ落ちそうになる。それを見て凜はわざとらしく大きなため息をついた。


「あんたが起きないからでしょ! 社会人の自覚があるの!?」

「わかってる! わかってる!」


 凛のダメだしを聞き流しながら涼は、急いでパジャマを着替えようとする。しかし凛が未だに自分の部屋に居座っている。


「凛は出てってくれ。着替えるから」流石に女性が居る前で着替えるほどデリカシーの無い涼では無い。


「あれえ? 今更気にすることでもないでしょうに? 昔は同じ部屋どうしだったのに」

「いいから出て行け!」

「はいはい」


 凛はにやにやといやらしい顔をしながらおとなしく部屋を出て行く。デリカシーが無いのは凜の方だった。


 確かに凛とは昔、孤児院で同じ部屋で寝食を共にしていた。だがあのときはそんな男女の関係を気にする年齢では無く、他の子供も一緒に寝食を共にしていた。


「全く……そんな昔の話を今更言われてもな」


 涼はとりあえず締め切った窓を開けようと窓際に移動する。まだカーテンを開けていない。


「よいしょと!」


 カーテンを脇によけると、多少は雲があるがいい天気だった。


「うん」


 涼は大きく頷いた。やはり天気がいいと気分も乗ってくる。涼はそのまま窓を一気に全開にした。すると心地よい風が部屋に一気に入り込み、潮の香りが漂ってきた。太陽の光が朝の固まった体をほぐすように暖めてくれる。


「ん~」涼は思いっきり背伸びをする。体中の筋肉がゆっくりとほぐれ始め、今日も一日がんばるかという気分にさせてくれる。


 涼が住んでいるのは十階建てのマンションの最上階だ。窓からは広大な太平洋が一望できるので涼はこの部屋が気に入っていた。今日のように天気がいい日は地平線までくっきり見える。涼が視線を横に向けると隣の商業区のメガフロートが見え、色鮮やかな商業施設の建物や看板が見えた。


 メガフロートとは海に浮かぶ巨大な人工の浮島だ。現在人類の約八十パーセントがメガフロートに住んでいる。


 このような事態になったのは三十年前の地球への隕石落下事件が発端だ。後に《アースレクイエム》と呼ばれるこの事件は北半球を主に地球に大量の隕石群が衝突した事が発端だった。隕石は人類を含む多数の生命の命を奪っただけではなく、地球の環境を一変させた。地上の八割は氷の大地とかし、大昔の氷河期へと地球を戻した。生き残った人々は比較的温暖な赤道上に次々と逃れていった。当然、地上に住めるスペースには限りがある。そのため人類はメガフロートを建設し、その上に住み始めた。世界の海にはメガフロートが赤道沿いに帯状に連なっている状態だ。


 涼が住んでいるのは日本国に所属する第六メガフロート《水無月》。比較的新しく作られた居住用メガフロートだ。


「涼! まだなの?」


 涼はマンションから閉め出した凛の声に押されて、すがすがしい朝の風景に名残を惜しみつつも、急いで会社に行く準備を始める。忙しい一日の始まりだ。


 涼は出勤用の上下一揃えの黒色のジャージに着替え、社員証などが入っているメッセンジャーバッグを肩に掛ける。そして朝食のゼリー飲料を冷蔵庫から取り出して自分の部屋を出た。


 外で待ちぼうけを食らっている凛はマンションの廊下からの風景を眺めている。こちらの風景は窓側とは違って、高層マンションが整然と並ぶ殺風景なものだ。居住空間が限られているメガフロートなのでこうなるのは必然だった。


「またせたな」


 涼の声に反応して凛が振り向く。


「相変わらず服装にこだわらないわね」

「どうせすぐに仕事着に着替えるんだ。別に何でもいいじゃねえかよ」


 凛の小言を相手にしつつ涼はエレベーターで地上に降り、ゼリー飲料を飲みつつ凜が乗ってきた電気自動車に乗り込んだ。そして発進する前に急いでシートベルトを締める。


「それじゃかっ飛ばすわよ!」


 凜はフルアクセルで電気自動車をかっ飛ばした。涼の身体がシートに押しつけられる。この後も無茶な運転が続くので死にたくなければシートベルトは必須だ。


 二人を乗せた電気自動車は隣のメガフロートへと向かった。




 涼と凛が所属する会社は一般的には寒冷地調査会社と呼ばれている。基本的な業務は氷河に閉ざされた地域のを調査することなのだが、大きな目標として隕石の調査がある。


 地上に墜ちてきた隕石は人類にとって忌々しい物だったが、十五年前に隕石内から非常にエネルギー資源として有効な物質が発見された。それからというもの人類は隕石の発掘をはじめる。


 しかし隕石がエネルギー資源とわかると同時にもう一つ問題が発生した。


 それはそのエネルギーが生物に甚大な影響を与えるということだ。人類が見捨てた氷河の大地には十五年の歳月をかけて全く別の生態系が生まれていたのだ。俗に変異体と呼ばれるそれらは元々は地球上の生物だったのだろうが、一様に大型化し凶暴化している。隕石発掘へと向かった人々はこれらの変異体に次々に襲われていった。 


 これらの被害を押さえるために大部隊での遠征が行われたのだがそれでは広大な土地を調査するのには効率が悪い。そこで最初に少数での偵察及び隕石調査を行い、大きな隕石を発見した後に大規模な発掘隊を送るという流れができた。そしてその隕石調査を代行する会社が各国で作られた。それが寒冷地調査会社だ。給料は抜群によく、もし大型の隕石を発見できればボーナスも出る。もちろん変異体との戦闘もあるので危険度は高いがそれでも魅力ある仕事だ。


 ちなみに隕石が持つエネルギー資源は第一発見者の風見良介(かざみりょうすけ)の名を取ってカザミエネルギーと呼ばれている。良介はエネルギー資源発見後も隕石調査を引き続き進めていたが、十年前に調査隊ごと行方不明になっている。


 そして風見良介は涼の父親でもある。




 涼たちは五分ほどで勤務先イノウエフロンティアに到着した。凜は駐車場に電気自動車をタイヤを軋ませスライドさせつつ駐車する。今日もぴったし枠線内に収まっている。


「ギリギリセーフね」凛が何事も無かったかのように腕時計を見ながら言った。


「……」一方の涼は凜の暴走に近い運転でへろへろになっていた。だが彼女の運転が無ければ遅刻は確実だったので文句は言わない。喉まで逆流してきたゼリー飲料を飲み込み直す。今度からはきちんと早起きをしておこうと涼は心の中で決心しておく。


「……行こうか」


 涼はすぐに車を降りて受付を兼ねている警備員室で社員証を確認してもらう。


「あれ? 社員証が無い!」


 ところがいきなり凛がありえないことを言う。ロングコートのポケットからいつも持っているポシェットを念入りに探しているようだが見つからないようだ。まあ警備員とは顔見知りなので社員証が無いところで入らせてもらえるだろう。


 だが涼はここぞとばかりににやりと口元を歪めた。


「社員証を忘れるなんて社会人の自覚があるんですかね~?」

「なんかむかつくわね。腹を一発殴らせてもらえるかしら」


 それをされるとゼリー飲料が逆流するどころか噴き出してしまう。慌てて涼が一歩下がると、遠くの道路からベルを鳴らしながら自転車が走ってきた。ポニーテールの快活そうな女の子だ。凜が居る孤児院の子で名前は残念ながらど忘れした。


「凛姉ちゃん! これ社員証。忘れてたでしょ」


 女の子は涼たちの前まで来ると、社員証を凛に手渡す。


「ありがとう。助かるわ」

「でも凛姉ちゃんが物を忘れるなんて珍しいわね。じゃあ気をつけてね! 涼さんも姉さんをよろしくお願いします」

「あ、ああ」


 涼は急に名前を呼ばれてびくりとする。女の子はきちんと涼のことを覚えているようだが。覚えていない自分がなんとも情けなくなる。


「レナも気をつけて帰るのよ」


 レナは手を思いっきり振ると来た道を戻っていく。孤児院にはレナのような幼い孤児たくさんいる。そして凛は孤児院の稼ぎ頭だ。調査会社の高い給料は孤児院の経営に大いに役立っているだろう。涼も凛同様に孤児院に給料の一部を渡している。昔の恩は決して忘れない。


「さあ。急ぐわよ」


 凛は社員証を手に受付へと向かった。


 会社の敷地内には大小二つの建物がある。管理棟と呼ばれる事務員が居る小さな建物と、メインの大きな格納庫。管理棟に用はないので、二人はそのまま格納庫に向かう。


 格納庫内には寒冷地調査に使う三五式雪上調査車と呼ばれる真っ白い装甲雪上車が三台並んでいる。ベースは三五式装輪戦闘車であり、通常は四十ミリ機関砲が搭載されている砲塔部分がまるまる調査用の各種レーダーユニットに換装されており、氷原・雪原を走るために八輪のタイヤは全てスパイクタイヤが装着されている。砲塔がついていれば何とも勇ましい姿をしているのだが、丸くてぺったんこなシールドに覆われたレーダーユニットだと逆にかわいく見える。しかし軍用車両譲りの高い耐久性と信頼性で寒冷地調査の頼もしい相棒となっている。


 涼と凛は一番奥に止めてある車両に近づく。車両の近くで積み込み作業をしている壮年の男性が二人に気づいて振り向く。彫りの深い顔にスキンヘッド。黒いサングラスとかなりいかつい容貌をしている。サングラスの奥の鋭い眼光が涼を捉える。


「やっときたかねぼすけが。もっと早く来い」

「おはようございます健吾さん。でも一応ぎりぎりで間に合ってますよ?」


 男性の名前は大鷲健吾(おおわしけんご)。涼の所属する調査チーム《ラタトスク》の隊長である。ラタトスクとは北欧神話に出てくるリスの名前で、イノウエフロンティアに所属するチームの名前は全て北欧神話から名前を取っている。雪上車にもリスをモチーフにしたエンブレムが描かれている。


 健吾は良介が行方不明になった襲撃事件の数少ない生き残りの一人である。その負い目からか涼のことをいつも気に掛けてくれた。イノウエフロンティアの仕事を半場強引であるが紹介してくれたのも彼である。見た目とは裏腹に優しい人物である。


「五分前集合が基本だ」


 健吾は涼に近づくと頭を軽くこづいた。しかし本人は軽くやってつもりなのだろうが実際の所は非常に痛い一撃だ。


「さっさと着替えて積み込みを手伝え」


 そう言うと健吾は雪上車に戻る。


「了解っす」


 健吾は既に、白色を基調とした耐寒スーツに着替えていた。このスーツは寒冷地調査用に作られた体調管理機能付きの最新の物で、特殊繊維により外の寒さをかなり軽減させる上に、生地が薄いため行動の邪魔にもならないという優れものである。


「おはようございま~す」


 快活なあいさつと共に雪上車の裏側から一人の少女――伊勢麻美(いせあさみ)が現れる。


 麻美一週間前に部隊に配属されたばかりの新人で、年齢は部隊最年少の十六歳。髪はショートカットで目がくりんとしていて実勢の年齢よりも幼く見える。しかし見た目とは裏腹に能力は高く、高度な知識を必要とする調査用のレーダー操作員をしている。この仕事は元々隊長の健吾がしていた物だが、隊長職との兼任が負担になっていたため新たに人員が追加されたのだった。


「おはよう麻美」

「おはよう麻美ちゃん」


 二人が返事をすると麻美は天使のような笑顔でにっこり笑う。この笑顔をみればどんなに憂鬱な気分でもすっかり心が晴れる。まさにラタトスク隊の天使だ。


「そういえばグレッグは? もうついているんじゃないの?」


 凛はラタトスク隊の最後のメンバーの姿を探す。


「グレッグさんならもう来てますよ。更衣室で着替えて……あ、来ましたね」


 格納庫の奥の階段からこちらに小走りで来る背の高い金髪の男が見える。


「よお、ねぼすけさん。いつも重役出勤で偉いですなあ」グレッグは開口一番に皮肉を涼に放った。


「うるせえよ」


 彼のフルネームはグレッグ・藤原。日本人とアメリカ人のハーフで二十二歳。ハーフらしく顔立ちがよく会社の女子社員にもよくもてる。何人も股にかけている女たらしでもある。ラタトスク隊では雪上車の操縦手を担当している。


「また凛に起こされたんだろう? そうしなきゃおまえのような不精者がこんな時間にいるはずねえや」

「グレッグに言われたくはないね。噂では三股がばれたそうで?」涼も負けじとグレッグの痛いところを突く。

「そうそう。あれは参ったよ」その言葉の割にはあまり参ってなさそうにグレッグは言う。「まあ実際はもっといるんだけどねえ」


 グレッグは涼の精一杯の反撃を物ともせずに、涼の隣にいる凛に視線を移す。グレッグの対象には凛ももちろん含まれている。


(相変わらずしつこい男だな)


 涼はグレッグが凛に振られる場面を何度も見たことがある。そのたびにがくりと肩を落とす姿を見るのだが、次の日には別の女にアプローチしているという有様だ。たぶんこの男は毎日女性にアタックしなければ気が済まない性分なんだろう。


「おはよう凛。今日もまた一段ときれいだねえ」

「おはようグレッグ。でも口説くなら女関係をきれいさっぱりにしてからね」どうやら先ほどの会話を聞かれていたらしい。


「まあどのみちあなたと付き合う気は無いから」

「むぅ……」


 凛に速攻で撃沈されたグレッグは、それでも気にしていない様子で「いやあ怒ってる凛も一段とかわいいよ」と言って雪上車に三つある上部ハッチの内の一つ。運転室のハッチから入っていった。代わりに健吾が別のハッチから顔を出す。


「もう就業時間は始まってるぞ! さっさと着替えんか!」

「へ~い」

「了解です」


 二人は着替えるために、格納庫の奥にある更衣室に向かっていった。


 涼と凛は二階にある更衣室に行くために階段を上る。階段の先には小さな待合室があり、奥に男女別の更衣室がある。二人は待合室まで来るとそこでいったん分れる。


「それじゃまた後でね。待っててよね」


 そういって凛は女子用更衣室に入っていく。なにげに待っといてくれと言ってくるのが、いつも強気な彼女の女の子らしい部分が表われていて、涼は凛があまり人に見せない部分がみられて少し心嬉しい気分になる。こんなところが見られるのも幼なじみの特権と言うべきであろうか。三百六十五日ハーレム状態を満喫しているグレッグを、いつも歯がゆく思っている涼だが、この凛のさりげない信頼感を見せられると逆に優越感に浸れる。


「おっと。いかなきゃ」


 涼はいつまでも感傷にふけっていてはまた凛に怒られるので、さっさと男子用の更衣室に入ることにする。しかしながら顔はにやけたままだ。


 涼は更衣室の一番奥にある自分用のロッカーの前まで小さく口笛を吹きながら歩いていく。カギを開けると、中に入っている耐寒スーツに着替え、手にも同じ素材でできた手袋をはめる。ここでやることはそれだけで、涼はさっさと着替えを終えて待合室に出る。


「まだ……いないか」


 涼は凛がまだいないのを確認すると更衣室の前にある待合室の窓から外を見た。会社の正門がここからだとよく見える。


「ん?」


 正門の前に一台の白いバンが急停車した。バンの車体にはかつての地球をモチーフとした青い球体のエンブレムが施され、ELFと書かれている。


「またか……」


 涼が呟くと、バンの天井に四方八方につけられた拡声器から応接室の窓がビリビリと震動するほどの大音声が垂れ流され始めた。


『我々は地上解放戦線ELFである! 我々はネクストの危険性を広めると共に、ネクストを融和する政府及び企業に警告をする者である! カザミエネルギーの邪悪な影響を受けたネクストは我々人類にとって大きな脅威となる! これを阻止するために政府は一刻も早くネクストの徹底管理。願わくば排除を求めるものである! またネクストと共謀する企業は一刻も早くこの地から立ち去れ!』


 そこまで言ったところで会社の警備員が近づいてきてバンはタイヤを鳴らしながら猛スピードで逃げ出していった。


「暇人だねえ。他にやることあるだろうに」


 涼はふうとため息をついた。


 先ほどのELFの連中が言っていたネクストとはカザミエネルギーによって身体に影響を受けている人間を指す。変異体同様にネクストには好戦的な性格を持つ人間が多い。それを危惧する一部の人々が先ほどのELFと呼ばれる反ネクスト組織を立ち上げたのだ。実際のところは好戦的と言っても性格の問題でそこまでネクストが危険なものではない。さきほどのELFの連中の方がよっぽど危険だ。


「またうるさいのが来てたみたいね」


 凛の声が待合室に響く。着替えが終了したようだ。


「まったくだ」


 涼が相槌を打ちながら振り向くと凛の姿がそこにあった。女性が薄手である耐寒スーツを着ると少し色っぽい感じになるが、残念ながらか彼女の胸は標準以下であり、色っぽさが大きく損なわれていた。全体的なプロポーションはいいのにそこだけが残念だ。


 そしていつもかぶっているロシア帽を取り払った彼女の頭には通常の人間にはみられない特徴があった。


 獣耳である。


 その名の通り獣の耳がそのまま頭から生えており、凛のは狐に近い耳をしている。そして獣耳はネクストが持つ外見的特徴の一である。凛がいつもロシア帽をかぶっているのはこの耳を隠す意味合いが大きい。なぜなら先ほどのELFは過激派のテロ組織として有名であり、ネクストの襲撃を裏で行っているという噂があるからだ。もちろんイノウエフロンティア内にそのような危険な思想をした人間はいない。それどころかむしろ重宝されている。ネクストは身体能力が普通の人間よりも遙かに優れており、その獣耳には第六感的能力つまり予知能力が備わっているからだ。危険な寒冷地調査ではその能力で命拾いすることが良くある。


「いつも大演説してるけど自分たちだってカザミエネルギーの恩恵を受けているくせにな。ネクストが危険だなんだというが、おまえらのほうがよっぽど危ないっつうの」


 涼の意見に、凛が「そうよねえ」と同調する。


「もっと勉強してから出直してこいってのよ」


 カザミエネルギーのおかげで地球のエネルギー問題はかなり改善したと言っていい。なにせ小さなひとかけらが同じ量の核燃料の数倍のエネルギーを持っているのだ。危険性も核燃料を扱うよりも遥かに低い。


 だがその反面、各国政府が血眼になってさがし、新たな戦争の火種になっているのも事実だった。


「さて。さっさと行きましょ」


 凛は本当に気にしてなさそうな顔で、さっさと一階に下りる階段に向かっていく。


「だな」


 凛に続いて涼も階段を降りていった。


 二人が雪上車に戻るとグレッグはエンジンルームを開けて最後の点検をしていた。麻美と健吾の姿が見えない。


「隊長と麻美は?」


 エンジンルームに顔を突っ込むグレッグに尋ねる。


「隊長は事務室。麻美はレーダーの最終調整」


 グレッグはこちらを見もせずに言った。


「なるほど」

「もうすぐ物資搬入係の人間が来るからそれの搬入を手伝ってくれ」


 涼が振り返ると格納庫の奥から、段ボール箱を大量に乗せた台車を押す搬入係の男が見えた。


「了解」


 涼と凛は雪上車の後ろに回り、物資を中に入れるために後部大型ハッチを開ける。ハッチが降りると同時に搬入係の男がやってきた。


「ほら。お前らの飯だ。大切に食えよ」


 搬入係の男がそういいながら箱を涼に手渡す。中には軍用の携帯食料。通称レーションが入っている。イノウエフロンティアで購入しているのは耐久性の高い缶詰タイプの物だ。


「あれ? 今回から種類変えたのか?」


 箱のパッケージがいつものと違うのを見て涼は尋ねた。


「なんかこっちのほうが安くて栄養価も高いんだとさ」

「味は?」涼は気になる部分を聞いてみた。予想はもうついているが。


「さあな。まあ安いからな……察する通りだと思うぜ」


「マジかよ」涼は苦い顔をした。


 レーションは基本的に栄養重視のため、味は二の次になっている。中には人のゲロですかこれは、というのもあるらしいから困ったものだ。


「前のも不味かったのに……もっと不味いのかよ」

「あら私は結構よかったと思うけど」


 凛がレーションの箱を二つ軽々と持って言った。


「まあ……凛の意見は聞いてない」

「なによそれ」凛が頬をふくらませる。

「まあ……な」


 涼は苦笑いをするとさっさと雪上車にレーションを運ぶ。凛の味音痴はかなりひどく、全く当てにならないのは孤児院時代から知っている。一度でも彼女の手料理を食べたたら納得できるはずだ。あれは人知を越えた料理に似た何かと言っていい。ちなみにラタトスク隊のメンバーは麻美以外は凛の料理の餌食になっている。彼女がクッキーを焼いてきたときはぞっとした。孤児院では有名な天国クッキー。もちろん食べれば即昇天できるという意味で付けられた名前だ。あれを食べた時のメンバーの顔を涼はいまだ忘れられない。麻美もあれの餌食になる日は近いだろう。


「まあもっと稼いで会社に貢献しろ。そうすればいいものに変えてくれるさ」


 物資搬入係の男は他人事のように笑いながら言う。


「くっ!」


 涼は悪態をつきながらも、もくもくとレーションの箱を雪上車内に持ち運んだ。


 雪上車への食料等の物資搬入を終えると、涼たちは個人装備の受け取りに向かうことにした。個人装備とはつまり個人で扱う銃器類だ。


 銃器類はここが日本のメガフロートだけあって管理が厳しい。アースレクイエム以前よりは法律は緩くはなっているがそれでも幾重にも渡る管理基準を満たさなければならない。涼たちは格納庫の地下に作られた銃器類管理室に向かう。ここの管理人は退役した米軍の海兵隊員でかなりの高齢だが銃器類にはかなり詳しく、頼めば銃器の改造も行ってくれる。


 管理人は涼たちの社員証とIDを確認すると武器管理室の扉を開く。ぶ厚い金属の扉がゆっくりと開いていく。


 武器管理室内はこれまた更衣室のようなロッカーがずらりと並んでいる。ただし鍵穴はなく代わりに指紋認識をするための小さなパネルが付いている。もちろんんそのロッカーの持ち主と管理人しか開けることはできない。


 涼は自分のロッカーの前まで来ると小さな指紋認証のパネルに親指を当てる。ピッという電子音と共に、内部のロックがガチャリと重厚な音を立ててはずれた。


 まずは中に入っている耐寒スーツと同系色の白色のタクティカルベストを着て、たくさん付いてあるポーチに予備のマガジンやライト等の装備品を入れていく。そして仕事をするなかで一番重要であり、命を預けることになる銃を取り出す。


「今回もよろしく頼むぜ」


 涼がロッカーから取り出したのはAKと呼ばれる軍用アサルトライフルだ。基本設計は何十年も前の銃ながら頑丈で信頼性が高く、寒冷地での使用に適している。イノウエフロンティアで正式採用されているのは大口径の7.62ミリ弾を使用するAK103と呼ばれるモデル。これよりも小さい口径の弾を使用するモデルもあるが、大柄で凶暴な変異体を相手にするこの仕事では被弾した生物を行動不能させる力――いわゆるストッピングパワーが高い大口径の銃の方が好まれる。涼は火力アップの為に、銃身の下に付けるタイプのグレネ―ドランチャーを取り付けている。40ミリグレネ―ド弾を射出可能で、いわば最後の切り札というわけだ。


 涼はAKをスリングベルトを使って肩にかけると、予備の拳銃のコルトガバメントを取り出す。こちらも基本設計が古いがその分信頼性の高い自動拳銃だ。


「これでよしと」


 涼は一通りの装備品を取り出すと、次に管理室から直通の地下射撃場に向かう。管理人がトラブルがないように丹念に整備していてくれているので問題はないはずだが、それでも確認はしておく。なにせ銃の不備はこの仕事では即、死に繋がる。仕事道具は使えるときに使えなければ意味が無い。


 射撃場に入るとまだ誰もいないようで一発の銃声も聞こえない。涼としては試射は静かな雰囲気で行いたいので好都合だ。


 涼は試射用のマガジンを管理人から受け取ると、一番奥のガンレンジに行き射撃準備をする。耳を保護するための耳当てを付け、AKに黒色の特殊プラスチックでできたマガジンを装着する。カチリと音がしてマガジンがきちんと銃におさまると、銃の横に付いているコッキングレバーを手前一杯まで引く。これで初弾が装填される。そしてAK特有の銃の右側面にある大型のセレクターレバーを一番下までおろしてセミオートに合わせる。射撃準備完了だ。


 涼はAKを両手で構えると、百メートルの位置にセットされた円形のターゲットに照準を合わせ意識を集中させ、そして引き金を引く。


 乾いた銃声がAKから発せられ、小さな光と煙が銃口から放たれる。そして発射された弾丸は見事にターゲットのど真ん中に穴を開けた。床に落ちる薬莢の金属音が静かな射撃場に響く。涼は続けてセレクターレバーを真ん中の位置にあるフルオートに合わせ、引き金を短く区切りながら引くバースト射撃を行う。バースト射撃は三、四発を一セットにして撃つので、命中精度も上がり無駄弾も出にくい撃ち方だ。AKから発射された弾丸は吸い込まれるようにしてターゲットへと命中していく。


「こんなものかな」涼は試射に満足するとAKを降ろした。

「いい感じだな」管理人の満足げな声が返る。「俺の整備は完璧だろ?」

「ええ。完璧です」


 涼はそのままマガジン二つ分。計六十発を撃った。全部撃ち終わると、マガジンを引き抜いてセレクターはセーフの位置にする。続けてコルトガバメントの試し撃ちに入る。こちらも調子は上々だった。管理人の仕事はいつもながら文句のつけようがない。


 コルトガバメントを打ち終えると涼は背後に人の気配を感じて振り向く。そこには凛が立っていた。


「今日も調子は良さそうね」

「凛は撃たないのか?」


 涼は凛の担ぐゴルフバッグのような大型のライフルケースをあごで指した。


「私の銃じゃここは狭すぎるわよ。まだ寝ぼけてるの?」凛は怪訝な顔をして言った。

「そうだった。そうだった」


 涼は笑いながらコルトガバメントを腰のホルスターにしまう。


 凛の背負っているケース内にはM82対物ライフルが入っている。12.7ミリという巨大な弾丸を使用し、装甲車の撃破を可能とするその威力は申し分ない。凛が使用しているのはM82A2と呼ばれる肩に背負って撃てるタイプのため即応性も高い。有効射程が二キロもあるので百メートルほどしかないこの射撃場では試射などできるはずがなかった。


「昨日のうちに調整は済ませたわ。予備のAKもついでにね。涼と違って私はきちんとしてますから」


 凛は鼻をふんとならしながら答える。イノウエフロンティアはここより広大な海上射撃場も持っているのでそこで調整したのだろう。


「はいはい凛はえらいね~。いい子いい子」涼は凛の頭を撫でるふりをしながらからかう。

「……一発かまされたい?」


 そう言いながら凛の拳が硬く握られる。あれを食らったらひとたまりもない。


 涼は凛から距離をとりながら、ほかのメンバーが試射を終えるのを待つ。健吾は涼と同じAK103のグレネ―ドランチャー付き。基本的に戦闘をしないグレッグと麻美は自衛用のMP5Kサブマシンガンを撃っている。MP5kが使用する9ミリ弾は威力こそ物足りないが、護身用火器として開発された銃なので、取り回し易く反動も少ない。しかしグレッグはまだしも、体格の小さな麻美にとってMP5Kでもコントロールは容易ではないはずだ。


「けっこううまいわね麻美ちゃん」


 凛が麻美の射撃を見て感嘆したように言う。涼も麻美の撃っているターゲットを見てみる。たしかに中央部分にみごとに集弾している。


「なかなかだな」


 麻美がマガジン一つを撃ち終えたところで、涼は話しかけてみた。


「すごいね。これほどまで銃をうまく扱えるなんてすごいよ」

「結構訓練しましたからね。皆さんの足手まといにはなりたくないですからね」


 よくみると彼女の手には射撃タコがたくさんついており、訓練を積み重ねたのが良くわかる。涼たち戦闘要員と遜色が無い。


「うひょ。これ得点負けてんじゃね?」


 横のレンジからグレッグが現れる。たしかに彼の撃ったターゲットを見ると弾がばらけていて、麻美のよりも見栄えが悪い。きちんと計算すれば倍ぐらいの差が付いてそうだ。


「グレッグはもっと努力が必要ね。これならド素人もいいとこね」


 凛が容赦ない言葉をはっきり言うと、グレッグががくりとうなだれた。


「たしかにだ。今度の作戦が終わったらみっちり特訓してやる」


 とどめを刺すかのように健吾が言った。健吾が特訓というとそれは本当の地獄を見ることになるのを涼は知っている。グレッグが「え~まじっすか?」と萎えた声を出す。


(そんなに落ち込むなら日頃から訓練しとけよ)


 自業自得だと涼はグレッグを冷ややかに見下ろした。




 メンバー全員が試射を終えところで雪上車に戻る。いよいよ出撃のときが来た。


『全員乗ったな。それじゃいきまっせ』


 操縦手であるグレッグの車内放送と共に雪上車はゆっくりと進み始めた。そしてそのまま格納庫を出ると、隣接する民間の海上飛行場へと向かう。


 ラタトスク隊はそれぞれの配置場所で離陸の準備をする。グレッグは当たり前ながら運転室。今回からレーダー担当を外れる健吾はグレッグと同じく運転室にいる。運転室に隊長席があるからだ。麻美はレーダー担当なので雪上車中央に位置するレーダー室だ。


 そして涼と凛は兵員室にいる。


 涼たちの兵員室はその名の通り雪上車の人員用の部屋で、中央のテーブルを挟んで両側に隊員たちが座ることができる椅子やガンラックが並んでいる。この座席は折りたたみ式で簡易ベッドにすることも可能だ。


 涼と凛は兵員室の荷物がきちんと固定されているのを確認する。離陸時の衝撃で荷物が崩れたら大変だ。特に火器類は危険なので念入りにチェックする。ついでに忘れ物がないかの最終チェックも兼ねる。


「これで全部チェックできた?」

「ああ。できたよ」


 涼は手に持っている装備品リスト一覧にすべてチェックが入っているのを確認すると、一覧の確認欄にサインをした。


「隊長。全てチェックできました」


 涼は開け放たれた運転室へと向かい健吾にチェックリストを渡す。健吾はそれを確認するとシートの確認欄にサインをした。


「これ、棚に入れとけよ」

「了解」


 涼は兵員室に戻るとチェックシートを壁際にある棚のファイルに収納する。こういうものはきちんと管理しとかないと政府の抜き打ち監査の時に面倒だ。


 ガコンと雪上車が揺れる。輸送機に雪上車が乗ったのだろう。ほどなくして雪上車が停車する。足元から車体を止める拘束具の油圧音が聞こえる。


「すぐに離陸する。シートベルト閉めとけよ」


 健吾はそう言うと運転室の扉を閉めた。

 涼と凛はお互いに向かい合わせの位置に座る。この方がお互いに話しやすい。


「そういえば今日の任務地ってどこだっけ?」


 涼は凛に尋ねた。最近どうも忘れっぽい。


「覚えてないの?」凛が驚いたふうに言う。

「悪かったな」

「まったく……JG20地区よ」凛は少し躊躇しながら答えた。


 涼はその地区名を聞いて少しぴくりと眉を動かす。JG20地区は良介が同行した発掘隊が変異体に襲われた場所だ。今となっては変異体の掃討作戦が幾度か行われており、比較的安全な区域となっている。だが涼にとっては因縁深い場所であり、自然と強ばった表情になり、足が震えた。


「……涼にとってはあまり行きたくない所よね」


 凛が涼のそんな様子を見て気を遣ってくれる。


「ずっと昔のことだ。今更気にすることじゃないよ」


 凛が心配そうにしているので涼は明るく言った。実際、良介が行方不明になってから十二年も経っている。もう良介が帰ってくることは無いと涼は認識している。だがその地区名を聞いて反応するあたり、心の奥底では意識しているようだ。


「今回はがっぽりもうけようぜ。前回は一つも収穫が無かったからな」涼はそんな気持ちを吹き飛ばすべく明るく振る舞う。


「そうね。期待しましょ」


 凛がにっこり笑う。やはり笑顔が一番だ。


『こちら機長の西崎だ』


 唐突に機内放送が流れた。いつもの機長の声が流れる。元航空自衛隊の輸送機パイロットで、一線を退いた後はイノウエフロンティア専属の輸送機パイロットをしている。


『もうすぐ離陸になる。シートベルトの着用を今一度確認してくれ』


 そう言うと機長の声がプツリと途切れた。涼は言われたとおりにシートベルトを再確認した。


 管制塔から離陸許可が出た大型輸送機は、両翼に付けられた合計四機のカザミエンジンを全快にする。機体はゆっくりと加速してゆく。そして一定の速度まで上がると機首を持ち上げ、滑走路を飛び立つ。そして大海原の上空を遙か彼方の地平線に向けて飛んでいった。



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