第九話 菫
やっぱり、そうだったんだ。
――月曜の活気と、休み明けの少し気だるい雰囲気がたちこめる頃。
あたしは運動場の端に居た。
「……はぁ……」
ため息が出た。
この前の土曜。せっかく塚松君が会わないかと言ってくれたのに、嫌がって断ってしまった。
失礼だったよね……。
塚松君に会うのが、嫌だったわけじゃないの。
ただ……
「つーかーまーツぅぅあにーっ!!!」
ばこーん
えぇ!? びっくりした!! 凄い声!! 凄い音!! 痛そっ!!
っていうか……『つかまつあに』って……え、もしかして、塚松君の事……?
声がした方を見てみると、そこにはやっぱり塚松君の姿があった。
うわっ!! 何で居るの!? 学校で初めて見た!! 目開けてるのも初めて見た!!
うわぁぁ〜なんか恥ずかし〜……
っていうか何できょろきょろしてるのぉ〜!? 誰か探してるのかな?
嫌ー!! こっちは見ないで!!
はっ!! まさか探してるのって、あたし!? 違う違う!! 勘違いもいいかげんにしろっ!!
あーあ……それにしてもやっぱり……
「おはよ、菫!」
「あっ、おはよう」
自分の思考の波に乗りまくっていたら、数少ない友人の一人が話しかけてきた。
彼女の綺麗に整えてある髪は少し茶色に染まっていて、胸のあたりまで伸びている。
今時の娘って感じで凄く可愛い。
「菫さー、」
あぁ〜っあんまり大きい声であたしの名前呼ばないでーっ……なんてこんなあたしだけに都合のいいお願いしちゃだめだよね……っていうか、塚松君はあたしの本名知らないから関係無いか……でもバイオレットの和訳だし……すぐバレそう……。
「? 何やってんの? さっきからおろおろしちゃって……そう、私が話しかける前もなんか様子がおかしかった……っていうか、怪しかったよ?」
「嘘っ!!? え、態度に出てた? えぇー!?」
「ホント。気を付けなよ?」
「うん……。教えてくれて、ありがとう……」
はぁ……だからあたしは駄目なんだ……。
不器用で、無配慮で……気を付けなきゃ。
「てかさ、菫、さっきあのセンパイの事見てたでしょ?」
「え?」
「だからー、塚松センパイっ!」
……っ!
「うわぁぁっ!!」
そんな大きい声で言わないでー!! ……これも言えないや……。
「……っていうか、何で知ってるの!?」
「何でって、めっちゃ見てたじゃん」
「そうじゃなくて! あ、いや、それもそうなんだけどね、つかま、あ、あの先輩の事……!」
「はぁ? 知らないわけ無いじゃん! 有名だよー? あのセンパイ」
「えぇ!? 何で!?」
「やっぱり知らないんだー……ホンットあんたはそういう話に疎いねー。見てたんでしょ? あの容姿だよ!? モテないわけないじゃん!!」
「ああ、そっかぁ……そうなんだ……あはは、そりゃそうだよね……。……ホント、格好良いよねー……」
塚松君は本当に格好良かった。
顔は同じ世界の住人じゃないんじゃないかと思うほど整っていて、足が長くて背はそこそこあるし、何より清潔感がある。
彼が『バイオレット』にキスをする時、間近で見てしまった自分が犯罪者みたいに思えるくらい素敵な人で。
「……あたしなんかには、全然釣り合わないよね……」
「菫?」
「あはは、ごめん……」
会えない。
ただでさえあたしは不細工で。眼鏡で黒髪で。あたしの顔を見たら、きっと彼は……。
あたしの部屋には、小窓がある。
隣の病院の庭に面していて、日当たりはそんなに悪くない方角だけど、下の方にあるから草に遮られてあんまり光は入ってこない。
普段はベットの影に隠れて、全く窓としての機能を果たしていない、小さなスペース。
でもそこは、あたしにとっては小さな劇場で……。
ただ、昔なんとか会のビンゴか何かで当てただけの、可愛らしい茶色い髪の操り人形。
バレエの習い事がどうしても上手く出来なくて、とうとうやめた時にやっぱり名残惜しくてこの子を躍らせてみた。
やっぱりこれも上手く出来なかったけど、時々生きてるみたいに動くのが嬉しくて頑張って練習した。
親に見られると『もう受験生でしょう? 勉強しなさい!』と怒られるので、ある時からベットと窓の間で密かにやることにした。
あんまり人も来ないみたいだし、大丈夫だよね……。
ベットの上に座って、手を動かして人形を舞わせる。
♪
『なにしてんの?』
あー……人の声がする……。
でもこんなのに気が付くわけないよね。違う違う。
『なぁ、なにしてんの?』
♪ ♪……あぁ、っと、よかったひっかかんなかった……
『おーい』
……
『え、あたし!?』
初めてだった。初めて人形の踊りを褒めてくれて。もっと人に見てもらった方が良いと言ってくれた。
窓の外に座った彼。ベットの上からは、顔が見えないや……
『そっちの名前は?』
『名前、ですか……名前は……』
そっちの……って言うんだから、人形の名前でもいいよね……
『バイオレットです……』
バイオレット。
あれから塚松君は、『可愛い』って言ってくれたり、『また会いに来る』って言ってくれたりした。
だから、あたしの事を嫌いじゃ、ないと……思う。
でも、彼はあたしの顔を見ていないわけで。
一度『バイオレット』にキスをしてくれた時に窓を越えて来て見えた彼の顔は、恐ろしいほど整っていて。
彼はこの前あたしの顔が見えていると言ったけど、嘘だ。ベットの上のあたしの顔が見えるはずない。現にさっきから何度もあたしの方を見てるけど、何の反応も起こさない。
やっぱり……会えないよ……
「菫! 話はまだ終わってないんだけど?」
「……え? あ、ああ、ごめん……」
「もー……まあいいわ、あんた最近は減ってきたもんね」
「え?」
「で。あのね、あのセンパイが有名なのにはね、もう1つ理由があるの」
「……え……?」
「塚松兄弟って言って、あのセンパイ、双子だったんだよね」
「双子!?」
弟さんが入院してるとは聞いてたけど、双子だったの!? えぇ〜……双子……あぁだから『塚松兄』って呼ばれてたんだ! へぇ〜……
「そうなのよ。あの顔が二人よ? 物凄いよね」
「う、うん……」
物凄い。
「でもさ……、弟さんの方は、病気で……」
「あ、入院してるんだよね……?」
「はぁ? 違うよ! 何言ってんの?」
「え……、……違うの……?」
「だから、最後まで聞きなさいって……弟さんはね、……、春に……」
「……え……?」
「あそこに居る塚松センパイ……お兄さんの方は毎週お見舞いに行ってたらしいよ。そういうのもあってさ、なんかさらに有名になっちゃったみたいで……」
「嘘、でしょ……?」
「可愛そうな話だけど、嘘じゃ……ないよ。」
嘘……うそ……!
だって、塚松君、いつもお見舞いのついでにあたしの所に来るって……
「……塚松君……!」
「ちょっと! 菫!?」
行かなきゃ……塚松君の所へ。
でも、あれれ……ふらふらして、上手く、歩けな、い……
「ちょっと、菫! どうしたの、大丈夫!?」
あ――……こっちに向かって来る……?
「はぁ〜あ、結局見付かんなかったなぁ〜。つーかさ、お前クラスくらい聞いとけよ! 1年の茶髪ロングだけじゃ情報少なすぎ!」
え?
そこから先の会話は、もうあたしの耳には入ってこなくて。
ドンッ
「……っと、ごめんね。」
――あ――
「お前ぶつかりすぎ。何人目だよー?」
「……五人目? ……やっぱさ、……」
「菫……? 顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あ……う……うん……」
なぜか、あたしは思ってしまった。分かってしまった。
塚松君が探していたのは、『バイオレット』なんじゃないか、って。
彼の精神は、もしかしたら崩壊しているのかも知れない……って。
やっぱり。
彼の心は崩れていた。
ずっとずっと、弟さんが生きていると勘違いしていて。
塚松君が探していたのは、可愛いと、会いたいと言ったのは、『バイオレット』……人形の事だった。
声を聞いても分からないなんて、相当、重症。
泣いてる彼を見た。
泣いてる自分が居た。
……どうしたら、彼を助けられるのか。考えなきゃ。