第十話 哀嬉回想
「来て……」
夕空がまだ明るい頃。
俺は菫を連れて、再び家へと歩き出していた。
菫は「はい……」と一言だけ言って、俺の後をしっかりと着いて来てくれている。
バイオレットの持ち主。バイオレットを操っていた人。それが菫だと言う事は、この時の俺はもう理解できていた。
でも、彼女にはなんの感情も湧かなかった。
腕の中にはバイオレット。
現実を見に行くために、俺は歩く。また零れ落ちそうな涙を抑えて、前を見て。
一人は怖い……だから、菫に着いて来てもらった。
バイオレットは動かない。
「菫、少し……話していい……?」
「……はい……」
家まで、もうすぐ。
苦しい。
「浩介はさ……本当に駄目な奴で……双子なのに俺よりずっと繊細で、すぐにへこんで、部屋は汚くて……でも、……俺なんかよりずっと良い奴で……器用で、気遣いもちゃんとできてて……憧れ、だったんだ」
「……はい……」
「あいつが入院したのは、去年の冬だったかな……。メールしてると思ったら、突然、息苦しいとか言い出して……」
「……」
「入院したばっかりの時は凄くてさ、毎日毎日、なん人の女子が見舞いに来た事か……。あいつ、人が来るたびに疲れてたのに、ちゃんと全員に『ありがとう』って言ってさ……。偉いなぁって……思ったんだ」
「はい……」
家の門が見えた。
吐き気が酷かった。嘔吐感の変わりに、言葉が出てくる。
止められない。言い続けないと、叫んでしまいそうで。
「でも、あいつ、日に日に発作の回数が多くなってって……医者には、ストレスだ……って、言われたらしいんだ。だから、俺、皆にもうあんまり来るなって言ったんだ。やっぱり、人が来るとストレスも溜まると思って……。俺も週に1回だけ、行くことにしたんだ。皆よく分かってくれて、それから来る人も大分減って、発作の回数もだんだん減ってったんだ」
「はい……」
「でも、誕生日、……沢山の女子があいつにプレゼントを渡したがって……だから、あいつ……みんなを呼んでって言ったんだ。だから、皆を、あいつの所に連れてって……」
「はい……」
「あいつは、凄く喜んで……また、皆や、俺に、『ありがとな』って。それから、……それから…………、……」
きぃ……っ
「……菫……来てくれる……?」
「はい……」
ありがとうと笑って言って、ポケットの中から鍵を出す。
家の扉が、開かれた。
「……」
玄関を抜けて、真直ぐ2階に上がる。
短い廊下の突き当たり。右は俺の部屋。左は、……あいつの部屋。
ドアノブを握る手が、熱くて震える。
「それから……その、次の日……」
「……あ……」
「あの日……あいつは……また、発作を起こして……」
手に力が入らない。どっちに引けばいいのかわからない。
「その日が……『バイオレット』に会った日、ですか……?」
「…………うん…………」
バイオレットを抱いている事をしっかり心において、
俺はドアを開けた。
なんの変哲も無い、普通の部屋だった。窓があって、机があって、ベットがあって。
でも、やっぱり違った。
あいつの部屋が、こんなに片付いてたこと、あったか?
整然と並べられた教科書、ノート。いつもは床に散らばっていて。
かばんは1つも落ちていない。いつもはそこらじゅうにほかりっぱなしで。
プリントで生め尽くされていたはずの机には、小さな花が飾ってあった。
「塚松君……っ」
声が聞こえた時には、俺はバイオレットを抱いたままで床に崩れ落ちていた。
世話の焼ける奴が居ない。
憧れが居ない。
片割れは居ない。
やっぱり、死んだんだ。浩介は、あの日。
あの日を思い出していた。
病院に着いた時、あいつはもう動いてなくて。
触れてみると、人形みたいにつめたくて。
死んだ浩介を見て、哀しかったんだ。
生きてる人形を見付けて、嬉しかったんだ。
「バイオレット……踊ってくれる……?」