夢を奪う笛吹きと、三人の魔法少女
弟のユウトがいなくなった夜、ヒナは、前の日に交わした最後の言葉を何度も思い出していた。
「もう、お姉ちゃんなんか嫌いだ!」
あのとき、どうして追いかけて謝らなかったのだろう。
一日前の夕方、ヒナは玄関で弟を叱っていた。
十二歳のヒナは、肩にかかる栗色の髪を赤いリボンで結び、クリーム色のブラウスに紺色のプリーツスカートを合わせていた。学校から帰ってきたばかりで、足元には茶色の革靴が脱ぎ散らかされている。
その目の前に立っているのは、八歳の弟、ユウトだった。
柔らかな黒髪は寝癖のように跳ね、青い半袖シャツには泥がついている。膝を擦りむいたらしく、短いズボンの裾から赤くなった肌が見えていた。
そして何より、両手には壊れた木製の汽車を抱えていた。
「だから、あの坂には行っちゃ駄目って言ったでしょう!」
ヒナは救急箱を開けながら、思わず声を荒らげた。
ユウトは唇を尖らせた。
「汽車が転がっていったんだもん」
「だったら大人を呼べばよかったじゃない!」
「自分で取れると思ったんだよ!」
「怪我してるでしょう!」
ヒナが消毒液を手に取ると、ユウトは膝を引っ込めた。
「自分でできる!」
「動かないで。ちゃんと消毒しないと――」
「だから、自分でできるってば!」
弟の声が玄関に響いた。
ヒナは手を止めた。
ユウトは泣きそうな顔をしていたが、必死に涙をこらえている。
「お姉ちゃんは、いつも僕のこと子供扱いする」
「だって、まだ子供でしょう?」
言った瞬間、ユウトの表情が変わった。
「……もういい!」
弟は汽車を抱え直し、階段を駆け上がった。
「ユウト!」
「もう、お姉ちゃんなんか嫌いだ!」
二階の扉が勢いよく閉まった。
ヒナは玄関に取り残された。
手には消毒液と綿。
目の前には、小さな血の跡が残っている。
心配だっただけなのに。
そう思いかけて、ヒナは口を閉じた。
ユウトが小さい頃は、転ぶたびに泣きながら自分のところへ走ってきた。夜中に怖い夢を見れば、毛布を引きずってヒナのベッドに潜り込んできた。
ところが最近は、一人でできることが増えた。
靴紐を結ぶのも、学校の支度も、友達と遊ぶ約束も。
それが嬉しいはずなのに、時々、置いていかれるような気持ちになる。
「……明日、ちゃんと話そう」
ヒナは小さく呟き、救急箱の蓋を閉じた。
けれど、翌日も二人は仲直りできなかった。
そして、その夜。
ユウトは姿を消した。
◇
最初に聞こえたのは、笛の音だった。
ヒナはベッドの中で目を開けた。
窓の外には満月が浮かび、薄いカーテンが夜風に揺れている。机の上には読みかけの本と、昨日ユウトのために買っておいた新しい汽車の車輪があった。
時計は午前零時を少し過ぎていた。
笛の音は、遠くの通りから聞こえてくる。
綺麗な旋律だった。子守歌のように優しく、それでいて、聞いていると胸の奥が落ち着かなくなる。
ヒナはベッドから抜け出し、窓へ近づいた。
「……何?」
通りに、子供たちがいた。
パジャマ姿の男の子。ぬいぐるみを抱えた女の子。裸足のまま歩いている小さな子供もいる。
みんな同じ方向へ進んでいた。
その先頭には、白い外套をまとった背の高い男がいる。
肩まで伸びた銀色の髪。細い指。顔の半分を覆う白い仮面。
男は透明な笛を吹きながら、街灯の下をゆっくり歩いていた。
ヒナが目を凝らした、そのときだった。
列の後ろに、見覚えのある黄色いパジャマが見えた。
「……ユウト?」
弟だった。
黒い髪を揺らし、裸足のまま歩いている。
ヒナは窓を開けた。
「ユウト!」
返事はない。
弟は前だけを見て、微笑んでいた。
ヒナは部屋を飛び出した。
階段を駆け下り、玄関で靴を履く。母親の寝室の前で立ち止まったが、呼びかけても返事がない。
扉を開けると、母親は深く眠っていた。
肩を揺すっても起きない。
ヒナの背筋に冷たいものが走った。
もう一度窓を見ると、黄色いパジャマが角を曲がろうとしている。
考えている時間はなかった。
ヒナは家を飛び出した。
冷たい石畳を走り、息を切らしながら弟の背中を追う。
「ユウト! 待って!」
交差点でようやく追いつき、弟の腕をつかんだ。
ユウトはゆっくり振り返った。
「あ、お姉ちゃん」
その声は、いつもと変わらなかった。
「何してるの! こんな時間に!」
「遊びに行くんだよ」
「どこへ?」
「ずっと遊べるところ」
ヒナは弟の手を引いた。
しかし、動かなかった。
まるで足が地面に縫いつけられているようだった。
「帰るよ。お母さんが心配するから」
「嫌だ」
「ユウト!」
弟は困ったように笑った。
「ここなら、何しても怒られないんだって」
ヒナの胸が痛んだ。
「そんなの、知らない人が言ってるだけでしょう?」
「お姉ちゃんだって、僕の話、聞いてくれないじゃん」
昨日の玄関が頭に浮かんだ。
言い返す言葉を探している間に、ユウトの手がするりと抜けた。
「待って!」
ヒナが追いかけようとした瞬間、横から鋭い声が飛んだ。
「ちょっと、そこの白い服の人!」
長い紺青色の髪をなびかせ、一人の少女が走ってきた。
ヒナより少し背が高く、切れ長の青い瞳が印象的だった。白いシャツの上に短い黒のジャケットを羽織り、青いチェック柄のスカートと膝丈の編み上げブーツを合わせている。髪の片側には銀色の星形の留め具が光っていた。
少女は笛吹き男の前に立ちはだかった。
「子供たちをどこへ連れていくつもり!?」
男は足を止めなかった。
少女がその肩をつかもうとすると、手が身体をすり抜けた。
「……は?」
彼女は自分の指先を見つめた。
その背後から、もう一人の少女が近づいてきた。
肩の下まで伸びた蜂蜜色の髪を、深緑色のリボンでゆるくまとめている。大きな緑の瞳に、丸みのある銀縁の眼鏡。白いブラウスの上には薄緑色のカーディガンを着て、膝下まで届く茶色のスカートを穿いていた。
両手で革製の鞄を抱えている。
「普通の人間ではないようですね」
蜂蜜色の髪の少女が、男の消えかけた輪郭を見つめながら言った。
青髪の少女が振り返る。
「そんなの見れば分かるわよ!」
「ええ。ですから、無理に触れようとするより、行き先を確かめたほうがよいかと」
「最初からそう言いなさいよ!」
二人が走り出そうとしたところへ、ヒナが割り込んだ。
「あの! 弟がいるんです!」
青髪の少女がヒナを見た。
「弟?」
「あの黄色いパジャマの子です! ユウトっていうんです!」
少女の表情が引き締まった。
「……分かった。私はレイ。あなたは?」
「ヒナです!」
「私はサヤと申します」
蜂蜜色の髪の少女が短く頭を下げた。
レイは二人を見た。
「自己紹介は後! 見失うわよ!」
三人は子供たちの列を追い、町外れへ向かった。
やがて、古い鉄道トンネルが見えてきた。
入口には錆びた鉄柵があり、立入禁止の札が風に揺れている。
子供たちは足を止めることなく、その柵をすり抜けていった。
レイが鉄柵を揺らした。
「開かない……!」
サヤも手を伸ばしたが、冷たい鉄に阻まれた。
ヒナは柵の向こうを見つめた。
ユウトの背中が、暗闇へ消えようとしている。
「ユウト!」
呼びかけても、弟は振り返らなかった。
ヒナは一歩下がった。
レイが振り向く。
「ちょっと、何する気?」
「分からない」
ヒナは柵を見据えた。
「でも、あの子を一人で行かせられない!」
ヒナは走り出した。
鉄にぶつかると思った。
ところが、身体は何の抵抗もなく柵をすり抜けた。
甘い菓子の香りが鼻をくすぐる。
足元の地面が消えた。
「えっ――きゃあああっ!」
ヒナは暗闇の中へ落ちていった。
◇
目を開けたとき、ヒナは柔らかなクッションの上にいた。
最初に見えたのは、空を走る真っ赤な汽車だった。
いや、空を走っているというのは正しくない。汽車は虹色の線路の上を走っていた。ただ、その線路が雲と雲の間に架かっているのだ。
「……え?」
ヒナは何度も瞬きをした。
頬に触れる風は甘く、焼きたてのクッキーに似た香りがする。足元には桃色の石畳が続き、通りの向こうでは、蝶ネクタイをつけた熊のぬいぐるみが新聞を読んでいた。
積み木で作られた家々には、砂糖菓子のような屋根が載っている。
窓から顔を出した木馬が、ヒナに向かって軽く頭を下げた。
夢だろうか。
そう思って自分の頬をつねってみたが、ちゃんと痛かった。
「いたた……夢じゃないの?」
そのとき、頭上から悲鳴が降ってきた。
「ちょっとおおお! 下にいるなら避けなさああい!」
ヒナが顔を上げると、紺青色の長い髪を振り乱したレイが、こちらへ真っ逆さまに落ちてきていた。
「えっ、えええっ!?」
ヒナは慌てて横へ飛び退いた。
次の瞬間、レイはクッションの山に顔から突っ込み、派手な音を立てて埋もれた。
「……いたたた」
レイはゆっくり顔を上げた。
銀色の髪留めが曲がり、前髪には綿が絡まっている。
ヒナは思わず口元を押さえた。
「……ふふっ」
レイの青い瞳が細くなる。
「今、笑った?」
「わ、笑ってないよ!」
「絶対笑ったでしょ!」
そのとき、さらに上から声がした。
「お二人とも、少し離れていただけますか?」
サヤだった。
蜂蜜色の髪をなびかせ、スカートを押さえながら落ちてくる。
ヒナとレイが慌てて左右へ飛ぶと、サヤはクッションの中央に着地した。
ふわり、と綿が舞い上がる。
サヤは眼鏡を直し、スカートの裾を整えた。
「……入口としては、なかなか乱暴ですね」
レイは呆れたように彼女を見た。
「よくそんなに落ち着いていられるわね」
「叫んでも着地点は変わりませんから」
「そういう問題じゃないでしょう!」
ヒナは二人を見ながら、小さく笑った。
けれど、その笑顔はすぐに消えた。
「……ユウト」
弟はどこへ行ったのだろう。
ヒナが通りを見渡すと、遠くの広場から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
黄色いパジャマが見えた気がした。
「あっ!」
ヒナが駆け出そうとすると、レイがその腕をつかんだ。
「待って!」
「でも、ユウトが!」
レイはヒナの目を見た。
鋭い青い瞳には、怒りよりも心配の色が浮かんでいた。
「分かってる。だからこそ、今度は三人で行くの」
ヒナは少し驚いた。
レイは手を離し、前を向いた。
「……私たちも、帰る方法を探さないといけないしね」
サヤが隣へ並ぶ。
「まずは、この国の様子を調べましょう」
ヒナは二人を見た。
まだ出会って間もない少女たち。
それなのに、二人は自分と一緒に弟を探そうとしてくれている。
ヒナは小さく頷いた。
「……うん!」
三人は、甘い香りのする石畳の道を歩き始めた。
遠くでは、巨大な観覧車がゆっくり回っていた。
その中心には、黒い城がそびえている。
綺麗なお菓子の町には、ひどく似合わない城だった。
ヒナはその城を見上げた。
一瞬だけ、最上階の窓に誰かが立っているように見えた。
黒紫色の長い髪。
金色に光る瞳。
けれど、瞬きをしたときには、もう誰もいなかった。
「ヒナ?」
レイが振り返った。
「どうしたの?」
「……ううん。何でもない」
ヒナは首を振り、二人の後を追った。
そのとき、城の鐘が鳴った。
一度、二度、三度。
広場で遊んでいた子供たちが、一斉に同じ方向を向いた。
そして、まるで誰かに命じられたかのように、全員が微笑んだ。
ヒナは足を止めた。
あまりにも同じ笑顔だった。
楽しそうなはずなのに、なぜか背筋が冷たくなった。
「……ねえ、レイ」
「何?」
「この国って、本当に楽しいところなのかな」
レイは子供たちを見た。
サヤも、眼鏡の奥で目を細めている。
誰も、すぐには答えなかった。
三人の頭上を、赤い汽車が音を立てて通り過ぎていった。
その車窓には、誰も乗っていなかった。
ただ、一つだけ。
小さな木製の人形が、こちらを見下ろしていた。
その頬には、乾いた涙の跡が残っていた。
◇
広場の中央には、大きな噴水があった。
水の代わりに色とりどりの砂糖菓子が舞い上がり、地面に落ちる前に消えていく。周囲にはおもちゃの屋台が並び、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
ヒナはその中に、黄色いパジャマを見つけた。
「ユウト!」
弟は積み木を積んでいた。
ヒナが駆け寄ると、ユウトは嬉しそうに振り返った。
「お姉ちゃん! 来てくれたんだ!」
ヒナは弟を抱きしめた。
「もう! どれだけ心配したと思ってるの!」
「く、苦しいよ!」
「だったら、もう心配させないで!」
ユウトは笑いながら姉の腕を叩いた。
ヒナはようやく身体を離した。
「さあ、帰ろう。お母さんが待ってる」
すると、ユウトは不思議そうに首を傾げた。
「帰るって、どこに?」
「どこって……おうちに決まってるでしょう」
「ここがおうちだよ」
ヒナの笑顔が消えた。
「……何言ってるの?」
ユウトは積み木を一つ持ち上げた。
「ここなら、何でも作れるんだよ。ほら!」
積み木を置くと、塔が勝手に伸び始めた。
あっという間に雲へ届き、てっぺんに小さな旗が立つ。
ユウトは得意そうに胸を張った。
「すごいでしょ!」
「……うん、すごいね」
ヒナは弟の顔を見た。
「でも、お母さんが心配してるよ」
ユウトは少し考え込んだ。
「……お母さん?」
ヒナの背中が冷たくなった。
「そうだよ。毎朝、ご飯を作ってくれるでしょう?」
「……誰?」
ヒナは息を止めた。
「ユウト、冗談やめて」
「冗談じゃないよ」
弟は困ったように笑った。
「僕、そんな人知らない」
ヒナはユウトの肩をつかんだ。
「じゃあ、昨日の喧嘩は覚えてる?」
「喧嘩?」
「私が怒ったでしょう? 坂道に行ったからって……」
ユウトは首を傾げた。
「僕たち、喧嘩なんかしたっけ?」
ヒナの指から力が抜けた。
弟の記憶が、消えている。
「……そんな」
そのとき、背後から金属の足音が聞こえた。
振り返ると、大きなぜんまいを背負った木製の兵隊が立っていた。
赤い軍服に金色の肩章。顔は白く塗られ、口元には不自然な笑みが描かれている。
兵隊は槍を構えた。
「お客様は、遊び場から出てはいけません」
レイが前へ出た。
「その子を連れて帰るわ」
「幸せな子供は、この国を離れません」
「幸せかどうか、あんたが決めることじゃないでしょ!」
兵隊が槍を振り上げた。
ヒナはユウトの手を引こうとした。
その瞬間、透明な壁が現れた。
「……え?」
何度叩いても、壁はびくともしない。
向こう側でユウトは積み木を積み続けていた。
「ユウト! こっちを見て!」
弟は振り返らなかった。
レイがヒナの腕をつかんだ。
「ヒナ、下がって!」
「でも!」
「今捕まったら、助けられなくなる!」
サヤがヒナの反対側の腕を取った。
「一度、逃げましょう! 方法を探すんです!」
ヒナは壁の向こうを見た。
ユウトが笑っていた。
昨日、泣くのを我慢していた弟とは違う、何の悩みもなさそうな笑顔だった。
ヒナは、その顔が恐ろしくなった。
レイが近くのテーブルを倒し、兵隊の進路を塞いだ。
「走って!」
三人は広場を離れ、人形の家が並ぶ細い路地へ逃げ込んだ。
ヒナは何度も振り返った。
けれど、ユウトの姿はもう見えなかった。
◇
逃げ込んだ家には、誰も住んでいなかった。
台所では誰も触れていないティーポットがお茶を注ぎ、壁の時計は逆回りしている。レイは窓のカーテンを閉め、外を確認してからようやく腰を下ろした。
ヒナはベッドの端に座ったまま、何も言わなかった。
「……お母さんのこと、忘れてた」
しばらくして、ぽつりと呟いた。
「昨日の喧嘩も。私のことだって、いつまで覚えてるか分からない」
レイは答えられなかった。
サヤが隣へ座る。
「記憶が失われる仕組みを調べましょう。原因が分かれば、取り戻す方法も見つかるかもしれません」
「……本当に?」
「分かりません」
サヤは目を逸らさなかった。
「今は、できると約束できないんです」
ヒナはうつむいた。
サヤは自分の膝に置いた手を見つめる。
「でも、調べもしないで諦めるのは嫌です」
レイが立ち上がった。
「だったら、あの笛吹き男を探すしかないわね。子供たちを連れてきた張本人なんだから」
「レイ……」
「ただし、次は勝手に走り出さないで。三人で来たんだから、三人で考えるの」
ヒナは頷いた。
その夜、三人は同じ部屋で眠ることにした。
けれど、ヒナはなかなか寝つけなかった。
遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる。その中にユウトの声が混じっている気がして、何度も身体を起こした。
「……レイ?」
隣のベッドから返事があった。
「何よ」
「起きてた?」
「今、起きたわ」
ヒナは毛布を握りしめた。
「そっちに行ってもいい?」
「……は?」
「一人だと、ちょっと怖くて」
レイは長い間、黙っていた。
「私たち、同い年くらいでしょう」
「うん」
「私は、あんたのお姉ちゃんじゃないからね」
「分かってる」
また沈黙が落ちた。
やがてレイは毛布の端を少し持ち上げた。
「……早く来なさいよ」
ヒナは嬉しそうに隣へ潜り込んだ。
「ありがとう、レイお姉ちゃん」
「だから違うって!」
向かいのベッドで、サヤが小さく笑った。
「おやすみなさい、お二人とも」
「サヤまで笑わないでよ……」
レイはため息をついた。
しばらくすると、ヒナは彼女の腕にしがみついたまま眠ってしまった。
レイはその寝顔を見下ろした。
弟を追って鉄柵へ飛び込んだとき、ヒナは迷わなかった。今こうして震えているのだから、怖くなかったはずがない。
「……変な子」
レイは呟いた。
「そうですね」
サヤの声がした。
「まだ起きてたの?」
「少し、考え事を」
「どうやって帰るか?」
「それもあります。でも、どうして私たちまでここへ入れたのか、不思議で」
レイは天井を見上げた。
「ヒナは弟を助けたかった。私たちは……」
そこで言葉を止めた。
サヤが続きを待っている。
「……私は、あの男を止めたかっただけよ」
「私もです」
「そうなの?」
「子供たちを連れていく理由を、確かめたかったんです」
サヤは枕元の鞄に触れた。
「何も知らないまま、正しいことをしているつもりになるのは怖いですから」
レイは返事をしなかった。
眠っているヒナが寝返りを打ち、彼女の袖をぎゅっと握った。
レイはその手をほどこうとしたが、結局やめた。
◇
翌朝、三人の枕元には見覚えのない道具が置かれていた。
ヒナには小さな金色の鍵。
レイには赤い柄のはさみ。
サヤには緑色の糸が通された銀の針。
「……誰か、部屋に入ってきたってこと?」
レイははさみを持ち上げ、警戒するように眺めた。
サヤは鍵のかかっていない扉を調べた。
「少なくとも、私たちが眠っている間に置かれたようですね」
ヒナは鍵を光にかざした。
持ち手には小さな星が刻まれている。
「綺麗……」
「触って大丈夫なの、それ」
「もう触っちゃった」
「そういうところよ!」
ヒナは笑ったが、レイの心配が分からないわけではなかった。昨夜のことを思い出し、鍵をそっとポケットへしまった。
「使うときは、二人に相談するね」
レイは少し驚いた顔をした。
「……そうして」
三人が家を出ると、通りは静まり返っていた。
昨日まで笑い声の聞こえていた広場にも、人影はない。遠くで回転木馬がゆっくり回っているだけだった。
しばらく歩いたところで、ヒナは道端に倒れているものを見つけた。
ぜんまい仕掛けの小さな兎だった。
片足が外れかけており、立ち上がろうとしては転んでいる。
ヒナがしゃがみ込む。
「かわいそう……」
「ヒナ」
レイが呼んだ。
「時間がないのは分かってるよ」
ヒナは兎から目を離さずに言った。
「でも、この子、動けないんだ」
レイは唇を結んだ。
昨夜の兵隊たちも、おもちゃだった。これが罠ではないと、誰にも言い切れない。
「……私が周りを見てる。サヤ、直せそう?」
サヤは驚いてレイを見た。
「ええ。試してみます」
針を取り出し、兎の外れた足へ近づける。
すると、緑色の糸がひとりでに動き始めた。
「……これは」
サヤが手を止めると、糸も止まった。
もう一度針を動かす。
糸は兎の足に巻きつき、外れた部品をゆっくりつなぎ合わせた。
小さな光が弾ける。
兎はぴょんと立ち上がり、ヒナの手のひらに飛び乗った。
「治った!」
ヒナが歓声を上げる。
サヤは自分の針を見つめていた。
「……私が、直したんですね」
兎はヒナの指に頬を寄せ、背中のぜんまいを小さく鳴らした。
そのとき、時計塔から鐘が響いた。
一度、二度、三度。
通りの扉が一斉に開き、木製の兵隊たちが姿を現した。
『許可なき訪問者を発見。捕獲を開始します』
機械仕掛けの声が空から降ってくる。
「やっぱり見つかった!」
レイが叫んだ。
三人は近くの家へ駆け寄ったが、扉には鍵がかかっていた。
ヒナはポケットの金色の鍵を握った。
「これ、使ってみる!」
「待って、何が起こるか――」
レイの言葉が終わる前に、鍵が鍵穴へ吸い込まれるように収まった。
扉が金色に輝く。
開いた先には、部屋ではなく、星が瞬く暗い空間が広がっていた。
三人は立ち止まった。
「……入っても大丈夫でしょうか」
サヤが呟いた。
背後で槍が振り上げられた。
レイがヒナを突き飛ばす。
「危ない!」
槍の先が石畳へ突き刺さった。
レイは反射的にはさみを握りしめた。
その瞬間、赤い刃が光を放ち、二本の青い曲刀へと変わった。
「……え?」
驚いている暇はなかった。
兵隊が再び槍を振るう。
レイが刃を合わせると、槍の先端が真っ二つになった。
サヤの針からは緑色の糸が伸び、別の兵隊の腕を絡め取った。
ヒナは二人の手をつかんだ。
「こっち!」
金色の鍵が熱を帯びる。
三つの道具から放たれた光が重なり、足元に星形の輪が広がった。
ヒナのカーディガンとワンピースが光の粒になり、白と金の衣装へ変わっていく。胸元には大きなリボンが結ばれ、肩には小さなマントが現れた。手の中の鍵は、金色の杖へ姿を変える。
レイの服は青と銀の軽装鎧になり、サヤは白と緑の長いドレスをまとっていた。銀の針は杖へ変わり、光る糸がその周囲を漂っている。
ヒナは自分の姿を見下ろした。
「……魔法少女だ」
レイが顔をしかめる。
「何?」
「私たち、魔法少女になっちゃった!」
ヒナは思わず飛び跳ねた。
「喜んでる場合じゃないでしょう!」
レイが叫ぶ。
兵隊たちが突進してきた。
ヒナは慌てて杖を掲げる。
「えいっ!」
目の前に金色の扉が現れた。
敵へ向かって駆け出していたレイが、その中へ吸い込まれる。
「ちょっ、ヒナあああっ!」
レイは別の扉から飛び出した。
兵隊の真上だった。
そのまま相手にぶつかり、二人まとめて地面を転がる。
「何でこんなところに飛ばすのよ!」
「ご、ごめん! どこに出るか分からなくて!」
「だったら先に言いなさい!」
サヤが光る糸で兵隊を縛った。
「お二人とも、今は逃げ道を!」
ヒナは杖を握り直した。
さっきの失敗を思い出す。
扉を開くとき、行き先を何も考えていなかった。
ならば。
ヒナは噴水の裏側を思い浮かべた。
「レイ! 次は噴水の後ろに出るよ!」
「……分かった!」
金色の扉が開く。
レイは迷わず飛び込み、兵隊たちの背後へ現れた。
青い刃が閃く。
兵隊の身体につながっていた細い黒糸が切れ、木製の身体が崩れ落ちた。
サヤは別の兵隊の腕を糸で縛り、ヒナが開いた扉へ引き込んだ。兵隊は離れた噴水の中へ落ち、水しぶきを上げた。
最後の一体が動かなくなると、三人は息をついた。
「……勝った?」
ヒナが尋ねた。
レイは周囲を見回した。
「今のところはね」
サヤは倒れた兵隊の背中を調べていた。
「見てください。黒い糸がついています」
糸は石畳の上を這い、遠くの城へ伸びていた。
ヒナは城を見上げた。
「……あそこに、何かあるんだね」
レイは刃を握り直した。
「行ってみるしかないわ」
「でも、また兵隊が出てきたら?」
ヒナが尋ねる。
レイは少し考えてから答えた。
「今度は、勝手に飛び込まない」
サヤが微笑んだ。
「私も、二人の動きをよく見ます」
ヒナは頷いた。
「じゃあ、私も扉を開く前にちゃんと言う!」
三人は顔を見合わせた。
それから、城へ向かって歩き出した。
◇
城へ続く道の途中には、積み木で作られた大きな橋があった。
橋の下には底の見えない暗闇が広がり、反対側では巨大な操り人形が道を塞いでいる。
レイはすぐに剣を抜いた。
「私が引きつける。その間に二人は――」
「待って」
ヒナが袖をつかんだ。
「また一人で行くの?」
「だって、誰かが止めないと」
「三人で考えようって言ったでしょう」
レイは言い返しかけた。
だが、ヒナの顔を見て口を閉じた。
サヤが橋の継ぎ目を調べる。
「この橋、中央の積み木が一つ抜けています。人形が動くたびに揺れるのは、そのせいでしょう」
「じゃあ、直せる?」
ヒナが尋ねた。
サヤは針を持ち上げた。
「やってみます。でも、近づく時間が必要です」
レイは人形を見た。
「だったら、私が――」
「引きつけるんでしょう?」
ヒナが先に言った。
「でも、一人じゃなくて、私が扉を開く。危なくなったらすぐ戻ってきて」
レイは少しだけ笑った。
「……分かった」
作戦は最初からうまくいったわけではなかった。
ヒナが開いた扉は橋の端につながったが、人形が思ったより速く動き、レイは危うく踏みつぶされそうになった。
サヤも、揺れる橋の上で針を使うことができず、何度も手を止めた。
三人は一度、橋の手前まで退いた。
レイは息を切らしていた。
「……ごめん。私が先に飛び出したから」
ヒナは首を横に振った。
「私も、ちゃんと見てなかった」
サヤは橋を見つめていた。
「……人形を倒す必要はないかもしれません」
「どういうこと?」
「橋が直れば、渡れるんです。戦うのは、渡るために必要な間だけでいい」
レイは人形を見た。
それから、剣を鞘へ戻した。
「……そうね」
二度目は、三人とも役割を変えた。
ヒナは扉を使って人形の注意を引き、レイは刃で人形の足元の糸だけを切った。サヤは橋の継ぎ目をつなぎ直す。
人形が倒れかけた瞬間、三人は橋を渡り切った。
振り返ると、人形は橋の向こうで立ち上がり、何事もなかったように元の場所へ戻っていった。
レイはしばらくそれを眺めた。
「……倒さなくてもよかったのね」
「うん」
ヒナは笑った。
「私たち、ちょっと上手になったかも」
サヤは額の汗を拭った。
「まだまだ失敗ばかりですけどね」
「でも、前よりはましでしょう?」
レイが尋ねる。
サヤは頷いた。
「ええ。ずっと」
その言葉が嬉しくて、ヒナは二人の手を握った。
レイは何も言わなかった。
今度は、振り払わなかった。
◇
城の地下には、巨大な工房があった。
天井から無数の透明な管が伸び、中央の機械へつながっている。管の中では小さな光が流れ、そのたびに低い鐘のような音が響いていた。
ヒナが近づくと、一つの光に映像が浮かんだ。
誕生日のケーキを囲む家族。
別の光には、父親に自転車の乗り方を教わる男の子が映っていた。何度も転び、膝を擦りむきながら、最後には一人で走り出す。
サヤが息を呑んだ。
「……これ、記憶ではないでしょうか」
光は機械の中へ吸い込まれ、小さな結晶になって落ちていった。
結晶が増えるたび、天井に吊るされた大きな水晶が輝きを増していく。
奥のほうから、かすかな声が聞こえた。
「……わたしの」
ヒナが振り向く。
木製の椅子に、小さな女の子が座っていた。
黄色いワンピースを着た、ユウトと同じくらいの少女だった。
少女の前には、一つだけ残った光が浮かんでいる。
「わたしの……名前……」
ヒナは走り出した。
「待って!」
だが、間に合わなかった。
光が機械へ吸い込まれ、少女の指先が白い陶器へ変わり始めた。
「やだ……」
少女が手を伸ばす。
ヒナも必死に手を伸ばした。
けれど、触れる直前に小さな身体は動かなくなった。
椅子の上に残っていたのは、緑色のガラスの瞳を持つ人形だった。
ヒナは人形を抱き上げた。
まだ温かかった。
「……どうして」
人形の頬には、小さな涙の跡が残っていた。
レイが機械へ駆け寄り、剣を振り下ろした。
しかし、黒い障壁が現れ、刃を弾き返す。
「何よ、これ!」
「待ってください!」
サヤが叫んだ。
彼女は床に落ちていた結晶を拾い上げた。
その中には、先ほどの少女が母親に抱きしめられている光景が映っていた。
「……まだ残っています」
ヒナが顔を上げた。
「何が?」
「この子の記憶です」
「じゃあ、戻せる?」
サヤは結晶を人形へ近づけ、緑色の糸を伸ばした。
糸は人形に触れる直前、何かに引っ張られるように切れた。
もう一度試す。
結果は同じだった。
「……駄目です」
サヤは唇を噛んだ。
「機械が結晶を支配している限り、私の魔法では戻せません」
レイが剣を握り直す。
「だったら機械を壊せば――」
「中の記憶まで壊してしまうかもしれません!」
サヤの声が工房に響いた。
レイは動きを止めた。
ヒナは人形を抱きしめた。
ユウトも、このまま遊び続ければ、いつかこうなるのだろうか。
弟の笑顔が浮かんだ。
自分を見ても、母親を見ても、何も思い出せなくなる。
ヒナは人形の小さな手を握った。
「……絶対に助けるから」
誰も返事をしなかった。
けれど、レイは剣を下ろし、サヤは結晶を鞄へしまった。
三人は工房を後にした。
◇
笛吹き男は、城の奥にある劇場にいた。
赤い幕が下りた舞台の中央に座り、透明な笛を膝に置いている。三人が入ってきても、驚いた様子はなかった。
「ここまで来たのですね」
レイが剣を構える。
「あんたが子供たちを連れてきたのね」
「ええ」
「地下で何をしているか、知ってる?」
男は首を傾げた。
「子供たちは、この国で幸せに暮らしています」
ヒナは抱えていた人形を持ち上げた。
「じゃあ、この子は?」
男の表情が変わった。
「……その人形を、どこで?」
「お城の地下だよ」
サヤが静かに説明した。
「子供たちの記憶が機械で取り出されています。すべて失った子供は、おもちゃに変えられてしまうようです」
「そんなはずはありません」
男は首を横に振った。
「女王陛下は、子供たちの夢を守ると約束してくださいました」
ヒナは人形の頬を見た。
「この子、最後に自分の名前を思い出そうとしてた」
男は黙った。
「帰りたかったんだと思う。きっと、お母さんに会いたかったんだよ」
「……違う」
男は笛を握りしめた。
「ここには悲しみも苦しみもありません。子供たちは大人になって夢を失うこともない。ずっと幸せに暮らせるはずなのです」
「でも、名前も忘れちゃうんだよ?」
ヒナの声が震えた。
「お母さんの顔も、家に帰る道も、自分が誰だったかも忘れちゃう。それでも幸せだって言えるの?」
男は答えなかった。
しばらくして、笛を口元へ運んだ。
「……私には、女王陛下を信じることしかできません」
旋律が響いた。
劇場の幕が上がり、巨大な操り人形が天井から降りてきた。舞台袖から木製の兵隊たちが現れ、三人を取り囲む。
レイが前へ出る。
「話が通じないなら、仕方ないわね!」
青い刃が光る。
だが、男が笛を吹くと、天井から無数の糸が伸び、レイの腕に絡みついた。
身体が宙へ持ち上げられる。
「レイ!」
ヒナは杖を掲げた。
「右側に出るよ!」
「分かった!」
レイの足元に扉が現れた。
彼女は糸を切り、扉へ飛び込んだ。次の瞬間、サヤの隣へ飛び出してくる。
サヤはすでに杖を構えていた。
緑色の糸が男の笛に絡みつく。
「今です!」
レイが駆け出した。
青い刃が、笛から伸びる光の帯を切り裂く。
旋律が途切れた。
操り人形たちは糸を失い、舞台へ崩れ落ちた。
男は膝をついた。
ヒナが近づくと、彼は人形を見つめた。
「……女王陛下は、そんなことをする方では……」
そのとき、舞台奥の巨大な鏡が輝いた。
『そして私は、約束を守りましたよ』
女の声だった。
鏡の中に、黒紫色の長い髪をした女性が現れた。黄金の瞳に、夜空を閉じ込めたようなドレス。頭には水晶の冠が輝いている。
「よく働いてくれましたね、笛吹き」
男が立ち上がった。
「女王陛下……子供たちに、何をなさったのですか」
「彼らの大切なものを保存したのです」
「記憶を……?」
「夢を、です」
鏡の景色が変わった。
無数の結晶が巨大な装置へ運ばれていく。その上では、人間の世界へ続く扉が少しずつ開き始めていた。
「夢には現実を変える力があります。人間は素晴らしい世界を思い描きながら、目覚めればそれを捨ててしまう。私は、その力を無駄にしたくないのです」
女王が手をかざすと、鏡の中に別の光景が現れた。
戦争のない町。
飢える人のいない村。
病に苦しむ者のいない世界。
そこでは誰もが笑っていた。
ヒナは思わず見入った。
「……きれい」
「そうでしょう?」
女王は優しく微笑んだ。
「誰も傷つかず、誰も間違えない世界。人々はもう、どの道を進むべきか悩む必要さえなくなるのです」
サヤが一歩前へ出た。
「その道は、誰が決めるのですか?」
女王は不思議そうに答えた。
「私に決まっているでしょう」
レイが剣を構え直した。
「それ、助けるって言わないわよ」
「あなたはまだ若い。自由と幸福を混同しているのですね」
「勝手に人の人生を決めるなって言ってるの!」
笛吹き男は、手の中の楽器を見下ろした。
「……私は、子供たちを救っているつもりでした」
女王は彼を見た。
「救っていますよ。悲しい記憶も、つらい未来も、もう必要ありません」
「ですが、あの子たちは……」
男は人形を見つめた。
小さなガラスの瞳が、何も映さずに輝いている。
彼はゆっくりと目を閉じた。
これまで何人の子供を連れてきただろう。
笛を吹けば、子供たちは笑ってついてきた。泣く者も、嫌がる者もいなかった。
だから、正しいことをしていると思っていた。
だが、その笑顔が本物だったのか、一度も確かめようとはしなかった。
「……私は、間違っていたのですね」
男は笛を舞台の縁へ叩きつけた。
透明な楽器が二つに折れる。
女王の微笑みが消えた。
「残念です」
鏡の向こうで、人間の世界へ続く扉がさらに大きく開き始めた。
「ですが、もうあなたは必要ありません」
劇場の床に亀裂が走った。
ヒナがレイの手をつかもうとした瞬間、足元が崩れた。
「レイ!」
指先が空を切る。
闇が三人を引き離した。
◇
ヒナが目を覚ますと、自分の部屋にいた。
窓から朝日が差し込み、階下では食器の触れ合う音がしている。カーテンも机も、昨日脱ぎ捨てたカーディガンも、何一つ変わっていなかった。
身体を起こすと、いつものパジャマを着ていた。
「……夢?」
階段を下りると、ユウトが食卓に座っていた。
「お姉ちゃん! 早く食べようよ!」
母親が台所から顔を出す。
「ヒナ、今日はずいぶん寝坊したわね」
焼きたてのパンの匂いがした。
ユウトの膝には絆創膏が貼られ、椅子の横には修理された木製の汽車が置かれている。
ヒナは弟に駆け寄り、思いきり抱きしめた。
「ユウト……!」
「く、苦しいよ!」
「もう、どれだけ心配したと思ってるの!」
「何のこと?」
ユウトは不思議そうに首を傾げた。
母親が笑う。
「変な夢でも見たの?」
ヒナは答えられなかった。
弟がいる。
母親もいる。
昨日の喧嘩さえ、もう終わったことになっている。
ずっと望んでいた朝だった。
けれど、食卓に着こうとしたとき、ヒナは足を止めた。
椅子が三つしかない。
当たり前だ。ここは三人家族なのだから。
それなのに、もう二つ椅子が欲しいと思った。
「……レイとサヤは?」
母親が振り返る。
「誰のこと?」
「昨日、一緒にいた女の子たち」
「お友達?」
ヒナは頷こうとして、首を横に振った。
友達。
そう呼んでもいいのだろうか。
出会ってから、まだ一日も経っていない。住んでいる場所も、好きな食べ物も知らない。けれど、弟を失いかけたとき、二人はそばにいてくれた。
怖くて眠れない夜、レイは毛布を分けてくれた。
サヤは、助けられるか分からないと正直に言いながら、それでも諦めなかった。
ヒナは自分のポケットに手を入れた。
硬いものが指先に触れた。
金色の鍵だった。
その瞬間、台所の時計が止まった。
母親の手から落ちかけていた皿が、宙に浮いたまま動かなくなる。
窓の外がゆっくり暗くなった。
「……やっぱり」
ヒナは鍵を握りしめた。
窓ガラスに女王の姿が映った。
『どうして気づいてしまったのですか?』
ヒナは振り返らなかった。
「ここは、本当の家じゃないんだね」
『あなたが望んだ家ですよ』
女王の声は穏やかだった。
『弟さんは無事です。お母様も笑っている。もう誰とも喧嘩をしなくていいのです』
ヒナはユウトを見た。
弟はパンを手にしたまま微笑んでいる。
「……ユウト」
返事はなかった。
「私、昨日、ひどいこと言ったよね」
弟は動かない。
「本当は、あの坂が危ないから怒っただけじゃないの。最近、ユウトが一人で何でもできるようになって、ちょっと寂しかったんだ」
声が震えた。
「そんなの、私の勝手なのにね」
女王が尋ねた。
『それなら、ここにいればいいでしょう。弟さんは、もうあなたから離れませんよ』
ヒナはゆっくり首を横に振った。
「それじゃ、駄目だよ」
『なぜ?』
「ユウトが私から離れたくなる日も、きっと来るから」
ヒナは弟の頭に触れた。
温かい。
本物と何も変わらない。
だからこそ、手を離すのが怖かった。
「喧嘩もすると思う。私、また怒っちゃうかもしれない。でも、ちゃんと謝りたい。今度は、ユウトが何をしたいのか聞きたい」
女王は黙っていた。
ヒナは鍵を掲げた。
「それに、まだ迎えに行かなきゃいけない人がいるの」
『あの二人は、あなたの家族ではありませんよ』
「うん」
『昨日まで、知らない相手だったのでしょう?』
「そうだよ」
ヒナは少し笑った。
「でも、もう大切なんだ」
金色の鍵が光り始めた。
『この世界を出れば、弟さんを救える保証はありません』
「……分かってる」
ヒナは震える手で、目の前に現れた鍵穴へ鍵を差し込んだ。
「だから、ちゃんと助けに行く」
扉が開いた。
背後からユウトの声がした。
「お姉ちゃん」
ヒナは振り返りかけた。
けれど、その声が本物ではないと分かっていた。
涙を拭い、扉の向こうへ踏み出した。
◇
レイがいたのは、海辺の大きな家だった。
波の音が聞こえ、窓からは青い海がどこまでも広がっている。
そこでは誰も彼女を叱らなかった。
失敗しても責められない。頼まれごともない。誰かが突然いなくなることもない。
何も心配せず、一人で暮らせる場所だった。
レイは窓際の椅子に座り、海を眺めていた。
テーブルには温かい紅茶がある。
読みかけの本も、好きなお菓子もある。
けれど、紅茶はすっかり冷めていた。
「……つまんない」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
自分で言って、少し驚いた。
ずっと、一人でいられる場所が欲しかった。
誰にも期待されず、誰にも頼らず、誰のためにも無理をしなくていい場所。
それなのに。
ソファに置かれた毛布を見た瞬間、昨夜のことを思い出した。
怖くて眠れないと、自分のベッドに潜り込んできたヒナ。
「お姉ちゃんじゃないからね」と言っても、嬉しそうに笑った顔。
レイは毛布を手に取った。
「……あの子、ちゃんと眠れたかしら」
そのとき、背後で扉の開く音がした。
「レイ!」
振り返ると、ヒナが立っていた。
息を切らし、目元を赤くしている。
レイは椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。
「ヒナ!?」
ヒナが駆け寄り、抱きつく。
「よかった……!」
レイは一瞬、身体を固くした。
それから、ヒナの背中に腕を回した。
「……どこ行ってたのよ」
「探してた」
「勝手にいなくならないでよ」
「レイだって!」
「私は……」
言い返しかけて、レイは口を閉じた。
目の前の少女は、自分を探しに来たのだ。
何も心配しなくていいはずの家へ。
誰も来る必要のない場所へ。
「……ばっかみたい」
レイは小さく呟いた。
「こんなところまで来なくてもよかったのに」
ヒナは顔を上げた。
「でも、レイがいないと困るよ」
レイは返事ができなかった。
少ししてから、ヒナの頭を軽く小突いた。
「……次からは、ちゃんと相談しなさい」
「うん!」
「返事だけはいいんだから」
けれど、その声はもう怒っていなかった。
◇
サヤがいたのは、果てしなく続く図書館だった。
高い天井まで本棚が並び、どの本にも金色の文字が刻まれている。
そこには、あらゆる問題の答えがあった。
誰かが怪我をしたときの正しい手当て。
危険な場所から逃げるための最短経路。
相手を傷つけずに説得する方法。
失敗する前に、正しい答えを知ることができる。
サヤは一冊の本を開いていた。
そこには、ヒナが壊れた兎を抱き上げる場面が描かれていた。
『誤った判断。不要な危険を招いた』
次のページには、レイが兵隊に飛びかかる場面。
『衝動的な行動。回避すべきだった』
さらに、泣いているヒナの姿。
『非効率的な感情表現』
サヤは本を閉じた。
「……ずいぶん、つまらない分析ですね」
静かな図書館に声が響いた。
確かに、ヒナは何度も失敗した。
レイも、危険を顧みず飛び出してしまう。
自分だって、正しい判断ができなかった。
けれど、あの兎を助けなければ、三人は魔法の力に気づけなかったかもしれない。
レイが危険を冒さなければ、ヒナは兵隊に捕まっていた。
そして、自分が何もできずにいたとき、ヒナは隣に座ってくれた。
答えが分からなくても、一緒に考えようと言ってくれた。
サヤは本棚を見渡した。
「……間違えないことばかり考えていました」
そのとき、背後で扉が開いた。
「サヤ!」
ヒナが駆け込んできた。
その後ろにはレイがいる。
「ヒナさん……レイさん……」
サヤは驚いて立ち上がった。
ヒナが手を差し出す。
「一緒に帰ろう!」
サヤはその手を見つめた。
いつものように、落ち着いて返事をしようとした。
けれど、うまく言葉が出てこなかった。
目元が熱くなる。
「……はい」
サヤはヒナの手を取った。
「一緒に、帰りましょう」
レイが図書館を見回した。
「……すごい場所ね。何でも分かるの?」
サヤは少し笑った。
「ええ。でも、知りたいことが全部分かるわけではありませんでした」
「何よ、それ」
「お二人が迎えに来てくださるかどうか、どの本にも書いてありませんでしたから」
ヒナはサヤの手を強く握った。
「そんなの、決まってるよ!」
サヤは微笑んだ。
「……そうですね」
三人は並んで扉をくぐった。
◇
城へ戻ると、巨大な結晶の機械が唸りを上げていた。
人間の世界へ続く扉は、ほとんど開ききっている。
女王はその前に立ち、三人を見つめた。
「……理解できません。あなたたちには、望んだものをすべて与えたはずです」
レイが剣を構える。
「そこが間違ってるのよ」
サヤも杖を握り直した。
「私たちが何を望んでいるか知っていても、代わりに決めていい理由にはなりません」
ヒナは金色の杖を掲げた。
「子供たちのことだって、勝手に決めちゃ駄目!」
女王の表情から笑みが消えた。
天井から無数の黒い糸が降り、国中のおもちゃが機械の周囲へ集まり始める。
兵隊、人形、熊、木馬、汽車。
すべてが女王の意志で動いていた。
「それならば、力ずくで導くしかありませんね」
レイが一歩前へ出た。
「やれるものなら!」
「待ってください」
サヤが腕をつかんだ。
「何よ!」
「機械を壊してはいけません。中の結晶には子供たちの記憶が残っています」
ヒナは機械を見た。
無数の結晶が、黒い管でつながれている。
その先には、女王の冠があった。
「……あの管を切ればいいのかな」
サヤが頷いた。
「結晶を支配しているのは、あの黒い管のようです。ですが、切り離しただけでは記憶が戻りません」
「じゃあ、私がつなぎ直す」
ヒナが言った。
レイとサヤが振り返る。
「私が扉を開く。レイが管を切る。サヤが記憶をつなぐ」
レイは眉をひそめた。
「言うのは簡単だけど、あの数よ?」
ヒナは機械を見上げた。
数えきれないほどの結晶がある。
すべてを助けられるかどうか、分からなかった。
それでも、ここで諦めたら、ユウトもあの人形の少女も帰れなくなる。
「……三人なら、できるよ」
サヤは少し考えた。
「一度にすべてを戻すのは危険です。少しずつ、順番にやりましょう」
レイがため息をつく。
「分かったわよ。あんたたちがそう言うなら、付き合ってあげる」
三人は手を重ねた。
そして、走り出した。
ヒナが金色の扉を開き、レイを機械の中心へ送り込む。
レイは黒い管の間へ着地し、青い刃を振るった。
一本、二本。
管が切れるたび、結晶が支えを失って落ちてくる。
サヤが杖を掲げた。
緑色の糸が空間を駆け、結晶を一つずつ受け止める。
「ヒナさん!」
「うん!」
ヒナは国中へ扉を開いた。
記憶を取り戻すための道。
それぞれの子供へ続く道。
サヤの糸が結晶の中の記憶をつなぎ直し、ヒナの扉を通して持ち主へ送り返していく。
最初に光ったのは、黄色いワンピースの人形だった。
陶器の指が柔らかな肌へ戻り、ガラスの瞳が人間の瞳へ変わる。
少女はゆっくりと目を開けた。
「……お母さん?」
ヒナの目から涙がこぼれた。
「……よかった」
だが、女王は黙って見ていなかった。
黒い糸が三人へ襲いかかる。
レイが刃で切り裂くが、次から次へと新しい糸が現れる。
「きりがない!」
サヤは結晶を守ることに集中していた。ヒナも扉を維持するだけで精いっぱいだった。
女王が手を掲げる。
「もう終わりにしましょう」
巨大な黒い糸が、ヒナへ向かって伸びた。
「ヒナ!」
レイが駆け出す。
けれど、間に合わない。
ヒナは目を閉じた。
その瞬間、小さな影が飛び込んできた。
ぜんまい仕掛けの兎だった。
兎はヒナの前へ飛び出し、黒い糸に噛みついた。細い身体が震え、背中のぜんまいが激しく回る。
「ウサギさん!」
兎は必死に糸を引っ張った。
その隙にレイが駆けつけ、青い刃で糸を切り裂く。
兎は床へ落ちた。
ヒナが駆け寄る。
「大丈夫!?」
小さな身体は動かなかった。
サヤが近づき、針を伸ばした。しかし、緑色の糸は兎の身体に触れた途端、力なくほどけてしまった。
「……ごめんなさい」
サヤの声が震えた。
「今は、直せません」
ヒナは兎を両手で包んだ。
小さなぜんまいは、もう回っていなかった。
「……ありがとう」
ヒナは兎を胸に抱きしめた。
それから、そっと床へ置いた。
レイが女王を睨む。
「……もう、好きにはさせない」
三人は再び立ち上がった。
今度は、迷わなかった。
ヒナが扉を開き、レイが管を切り、サヤが記憶をつなぐ。
何度も繰り返した。
女王の冠へ流れる光が、少しずつ弱まっていく。
人形が子供へ戻り、兵隊が少年へ戻り、ぬいぐるみが少女へ戻った。
奪われた記憶が、次々と持ち主へ帰っていく。
「やめなさい!」
女王が叫んだ。
誰も従わなかった。
「私は、この国の女王なのですよ!」
レイが最後の管を切り裂いた。
「だったら、言うことを聞かない相手にも慣れなさいよ!」
女王の冠に大きな亀裂が走る。
人間の世界へ続く扉が、ゆっくりと閉じ始めた。
ヒナが最後の扉を開き、サヤが残った結晶を集める。
無数の光が空へ飛び立った。
機械が静かになった。
女王は膝をついた。
「……私は、完璧な世界を与えられたのに」
ヒナは女王を見つめた。
「……そうかもしれない」
女王が顔を上げる。
「では、なぜ……?」
ヒナはレイとサヤの手を握った。
「自分たちの明日くらい、自分たちで選びたいから」
最後の結晶が光を放ち、女王の冠が砕け散った。
◇
おもちゃの国が崩れ始めた。
紫色の空から星が紙吹雪のように落ち、積み木の建物が音を立てて崩れていく。回転木馬が止まり、雲の上を走っていた汽車も動かなくなった。
子供たちは何が起きたのか分からず、泣きながら周囲を見回していた。
ヒナは噴水のそばに黄色いパジャマを見つけた。
「ユウト!」
弟が振り返る。
「お姉ちゃん!」
ヒナは駆け寄り、思いきり抱きしめた。
「もう! どれだけ心配したと思ってるの!」
「く、苦しいよ!」
「だったら、もう心配させないで!」
ユウトは少し驚いた顔をしたあと、姉の背中に腕を回した。
「……ごめんね」
ヒナは泣きながら笑った。
しばらく抱きしめてから、そっと腕を緩める。
「……私も、ごめん」
「何が?」
「昨日、ちゃんと話を聞かなかったこと」
ユウトは顔を上げた。
ヒナは弟の目を見た。
「坂道は本当に危ないよ。でも、ユウトが汽車を拾いに行った理由も、聞かずに怒っちゃった」
弟は少し考えた。
「……あの汽車、お姉ちゃんがくれたやつだから」
ヒナは息を止めた。
去年の誕生日に、自分が選んだおもちゃだった。
「車輪が取れちゃったけど、捨てたくなかったんだ」
「……そっか」
ヒナは弟の髪を撫でた。
「帰ったら、一緒に直そう」
「うん!」
ユウトが笑った。
その笑顔は、魔法にかけられていたときとは違った。
泣いたあとで、少し鼻を赤くしている。
ヒナには、その顔のほうがずっと嬉しかった。
レイは少し離れたところで二人を見ていた。
サヤが隣に立つ。
「よかったですね」
「……ええ」
レイは短く答えた。
そのとき、崩れかけた劇場のほうから笛吹き男が現れた。
もう笛は持っていない。
男は子供たちを見渡し、深く頭を下げた。
「……私が、ここへ連れてきました」
レイは腕を組んだ。
「そうね」
「償えるとは思いません。ですが、できることがあれば……」
ヒナはユウトの手を握ったまま近づいた。
「帰り道、分かる?」
男は顔を上げた。
「……私に、まだ頼むのですか?」
「うん」
「私は、子供たちをここへ連れてきたのですよ」
ヒナは頷いた。
「だから、今度はおうちまで連れて帰ってあげて」
男はしばらく動かなかった。
やがて、一人の子供が近づき、その手を握った。
「……お母さんに会いたい」
男は目を閉じた。
そして、ゆっくりと開いた。
遠くに、光る道が現れた。
「……こちらです」
子供たちが歩き始めた。
今度は笛の音がなかった。
泣いている子もいた。兄弟の名前を呼ぶ子もいた。怖くて立ち止まる子もいた。
それでも、みんな自分の足で歩いていた。
ヒナはユウトの手を握り、レイとサヤの隣を歩いた。
光る道の向こうには、懐かしい町が見えていた。
◇
朝日が昇る頃、子供たちは町へ戻った。
古い鉄道トンネルの前には、警察や家族たちが集まっていた。誰かが子供たちの姿に気づくと、驚きの声が上がった。
名前を呼ぶ声。
泣きながら駆け寄る足音。
何が起きたのか理解できないまま、子供を抱きしめる親たち。
ヒナの母親も、ユウトを見つけると走ってきた。
「ユウト……!」
母親は弟を抱きしめ、その場に膝をついた。
「どこへ行ってたの……! もう、心配したんだから……!」
「……ごめんなさい」
ユウトは母親の胸に顔を埋めた。
ヒナも二人のそばにしゃがみ込んだ。
母親は何度も二人の名前を呼び、確かめるように抱きしめた。
その温かさに触れたとき、ヒナはようやく、自分も帰ってきたのだと実感した。
少し離れたところで、レイとサヤが待っていた。
ヒナは母親に事情を話してから、二人のもとへ駆け寄った。
「ねえ、これからも会えるよね?」
レイは少し驚いた顔をした。
「……何よ、急に」
「だって、せっかく友達になれたんだもん」
サヤが微笑んだ。
「もちろんです」
レイは目を逸らした。
「……まあ、暇だったらね」
ヒナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また三人で遊ぼう!」
「今度は普通の場所にしてよね」
「うん!」
サヤが小さく笑った。
「それが一番ですね」
そのとき、ヒナのポケットの中で何かが光った。
取り出すと、金色の鍵があった。
レイの腰には赤いはさみが、サヤの鞄には銀の針が残っていた。
三人はしばらく、それぞれの道具を見つめた。
「……まだ使えるのかな」
ヒナが呟く。
レイは眉をひそめた。
「試すのはやめなさいよ」
「ちょっとだけ!」
「駄目!」
サヤが笑いながら二人の間に入った。
「まずは朝ご飯を食べてからにしましょう」
ヒナは頷いた。
「そうだね!」
レイはため息をついた。
「……本当に、先が思いやられるわ」
それでも、口元には小さな笑みが浮かんでいた。
三人は並んで歩き始めた。
ヒナが小さな段差につまずき、レイが慌てて腕をつかむ。
「もう! 前を見て歩きなさいよ!」
「えへへ、ごめん!」
サヤはヒナの肩からずり落ちた鞄を直してやった。
「気をつけてくださいね」
「ありがとう、サヤお姉ちゃん!」
「だから、私たち同い年くらいでしょ!」
レイが叫ぶ。
ヒナは笑った。
サヤも笑った。
朝の町に、三人の声が響いた。
そして、遠く離れた森の奥。
誰もいないはずの古い鉄道トンネルで、小さなぜんまいの音がした。
草むらの中から、一匹の白い兎が顔を出す。
背中のぜんまいをゆっくりと回しながら、兎は町のほうを見つめた。
その首には、小さな金色の鈴が結ばれていた。
鈴が一度だけ鳴った。
兎はぴょんと跳ね、朝日の中へ消えていった。
――完――
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
もしお時間があれば、この物語についての感想やご意見をお聞かせいただけると嬉しいです。良かった点、改善点など、どんなご意見でも大歓迎です。
また、もしこの物語が評価に値すると感じていただけたら、ぜひ評価をお願いします。
私の物語を読んでくださり、心から感謝申し上げます。




