世界が本当に綺麗ならいいね
思えば惨めな人生だ。二百年くらい前に生まれていればこんな思いはせずに済んだだろうに。人類は幾多の困難を乗り越え、ここまできた。そのためにデザイニー達が必要だったのは確かだ。でもデザイニーがいるからこそ、僕は最初から落伍者として人生を生きなければならなかった。
デザイニー、遺伝子操作によって極度に能力を上昇させた人間達。デザイニーとは「指名された人」という意味の古語だ。出産を希望する夫婦がどのような子どもが良いか要望し、遺伝子操作によってそれに沿った子どもを誕生させる。いわば現代は、子どもを指名できる時代なのだ。
これにより、人類は新しいステージに突入した。遺伝により変えられるところは金さえ積めばいくらでも変更できた。百年ほど前、デザイニー出現当初、自分の子どもを高IQにすることや体格や体力に関する変更もさかんに行われた。結果として頭が良く体力のある人間が大量に生まれた。IQは統計で決まるのでデザイニーでない人達は知的障害者という扱いになった。そもそも、IQが二十違えば会話に支障をきたす。そのため自然に生まれてくる子どもはデザイニーにとって当たり前に劣等者だっただろう。体力面においても同じようなものだった。
デザイニーという言葉は今はほぼ使われない。デザイニーが過半数を占めるからだ。自然に生まれてくる人達を旧人類と呼ぶようになり、デザイニーというのも、旧人類との比較のために使われる程度の言葉だ。
そして僕は旧人類として生まれた。両親はデザイニーだが僕を自然に授かることにしたという。どういう理由でなのか何度説明されてもわからなかった。両親は「わからなくてもいい」と言った。
出来損ないとしての人生は惨めだ。
僕は学校に行ったことがない。両親が作った教育プログラムは難解で、ついぞ正解に辿りつけなかった。親戚に会えば、皆優しく僕を扱った。腫れ物に触れるような優しさに思えた。
僕は凶暴性と衝動性から投薬を受けている。イライラした時に少し大きな声で抗議したこと、適切な時間に遊ぶのをやめられなかったことで食卓につくのが五分ほど遅れたことなどが理由である。
僕は常に出来損ないであり、僕に何かを望む人はいなかった。
父がニュースを眺める。静止画が三十秒ほどの間に幾つも流れるものである。静止画を記憶しておいて反芻してニュースを確かめるらしい。
「たろう、我々は多様性を克服したそうだ」
父が僕に言う。母が悲しそうに僕を見る。
「分かるか?」
「それ、僕に何か関係があるの?」
父がさらに噛み砕いて言ったことによると、
多様性が求められたのは環境がいかに変化してもいずれかの個体が生き残るためだった。しかし現在、人類は環境の変化を完全に科学によってコントロールできるようになった。そのため、多様である必要はなくなり、あらゆるものを画一化していくことが決定したのだ。
そして、ここは何故なのか理解できなかったけれど、早急に画一化は実行され、まあ、つまり、僕みたいなのは安楽死させられるらしい。
今日は投薬の時間になっても薬は出てこない。そのかわり、僕らは何処かに向かっている。
こんな惨めな人生なら、と、死ぬことをずっと望んでいたはずなのに、僕は今、憤っている。
多分本当は、僕は僕のままで生きていたかった。そして僕が僕であっても惨めな思いをせずにいたかったのだ。




