第一話:俺の「本物」が終わった日
学校の教室。
前の席の男子は、最新型のスマートグラス越しにAIと空中でチェスを打っている。斜め前の女子は、スマートウォッチからホログラムのイケメンAIを投影して真剣に恋愛相談中だ。窓際では、フィジカルAIの犬を本物のペットのように撫で回しているやつもいる。
それが、この時代の普通だ。
そして俺——鉄誠、高校二年生。
まわりがみんなAIやらロボットやらとやり取りする中、俺は教室の片隅で、ひたすらアナログな紙の小説をめくって休み時間を過ごしている。
ざらりとした紙の感触。微かに香るインクの匂い。
飛び交う電子音やホログラムの光をシャットアウトして、俺は完全に物語の世界に入り込んでいた。
メインキャラたちが絶体絶命のピンチ。だが、ここで俺の推しキャラが必ず逆転の一手を打つはずだ。
期待に胸を膨らませて、指先でページをめくる。
一行目を読み、二行目を読み——俺は息を止めた。
「うわあああっ……! 嘘だろ!?!? めちゃくちゃ推してた主人公が死んだっ……まじかあああああ……」
「まーこーとっ!」
頭を抱えた俺の背中越しに、陽気な声が降ってきた。
振り向かなくてもわかる。幼馴染で同じクラスの、花音紬だ。
「また紙で読んでるのー? 普通にデジタルとかオーディオで読めばいいのに」
「オーディオって……俺は紙の匂いと、自分でページをめくる感覚が好きなんだよ。ほっといてくれ、今俺の推しが生き返るかどうかがかかってるんだ」
「生き返るって……あははっ、なにそれ!」
紬が笑っていると、別のクラスメイト、大樹がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「まことは本当にテクノロジー嫌いだよなあ。まあ、5年以上推してた国民的アイドルが、実はホログラムのAIで実在しませんでしたーってなったら、そらトラウマにもなるか」
「あれは俺だけじゃなくて全世界が衝撃を受けた事件だろ!! 俺みたいに落ち込んだ人たちがどれだけいると思ってるんだ!」
「架空のキャラならまあ、突然消えたりしないもんな。紙の小説がお似合いだよ」
からかう大樹を適当にあしらいながら、俺は鼻を鳴らした。
そう、俺はAIが大っ嫌いだ。プログラムされた感情なんて信用しない。完全にアナログ、ガラパゴス状態で生きている。
「あ、そうだ。まこと、今日ルナの新しい服買いにいくから付き合ってよ」
紬が指差した先。彼女の肩のあたりに、ふわふわと浮いている丸い物体——紬の相棒AI『ルナ』だ。
「新しい服、楽しみ!」
「可愛いの買いにいこうね〜、ルナ」
「そんなプログラミングコードの塊に服を着せて、何の意味があるんだか……」
「ひどーい! ルナは私の大切な相棒なのに! ほら、放課後駅前集合だからね、逃げんなよ!」
文句を言いつつも、俺は結局、その誘いを断らなかった。
◇◇◇
放課後。駅前の大型ショッピングモール。
「あ、これ可愛い! ルナ、こっちのピンクのケープなんてどう?」
「本当だ、可愛い〜! 私のカラーにもぴったり合ってるよ!」
滑らかな人間の音声で喜ぶ丸い球体に、紬が小さな布製のケープを着せ回っている。
空間の微粒子を凝集させて質量を持たせるマテリアル技術によって実体化しているため、服を着せればちゃんと物理的なシワが寄る。
AI用の服飾専門店なんてものが流行る時代だ。店内には同じように自分のAIを着せ替えては、まるで人間同士のように会話してはしゃぐ人たちで溢れかえっていた。
俺は店の隅で壁に寄りかかりながら、紙袋を片手にその様子を眺めていた。
「まことー、どっちがいいと思う?」
「どっちも丸い球体に布が張り付いてるようにしか見えねえよ」
「もー! デリカシーないなあ。じゃあこっちにする!」
ぷくっと頬を膨らませたあと、すぐに満面の笑みでルナを撫でる紬。
AIのことは心底どうでもいいが、こうして紬を見ている時間は、嫌いじゃなかった。
完璧に計算されたデジタルの世界の中で、感情の赴くままに一喜一憂するこいつだけが、俺にとって唯一の本物だったからだ。
◇◇◇
買い物を終え、オレンジ色に染まった帰り道。
「あーあ、買いすぎちゃったかも。でもルナ可愛くなったし、いっか!」
「お前、小遣い全部溶かしただろ。帰り道、買い食いできねえぞ」
「むっ、まことが奢ってくれればいいんじゃないでしょうか!」
「なんでそうなるんだよ」
くだらない言い合いをしながら、駅前の大きな交差点に差し掛かる。
信号は赤。車の波が目の前を通り過ぎていく。
「ねえ、まこと」
ふいに、制服の袖をちょんと引かれた。
振り返ると、紬がルナをデータ領域に戻すところだった。ふわりと光の粒子が散って、着せていたピンクのケープだけが紬の腕の中に落ちる。
「ん? どうした」
「明日はさ……ルナ、置いていくから」
夕陽のせいか、少しだけ頬を染めた紬が、上目遣いに俺の顔を覗き込んでくる。
「二人きりで、AIなしの場所に行こうよ。まことが好きな、あの古書店とか」
心臓が、大きく跳ねた。
いつもルナにべったりな紬が、わざわざAIをしまって『二人きり』を強調している。
それに、その……距離が、いつもより近い。
俺は急に気恥ずかしくなって、慌てて視線を逸らした。
「……別に、お前が退屈じゃなきゃ、いいけど」
「ふふっ、やった!」
弾むような声。それから、聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、
「……まことと二人、楽しみだな」
と、紬がはにかんだ。
信号から「カッコー」と青を知らせる電子音が鳴る。
紬が一歩、横断歩道へ足を踏み出した。
「じゃあ明日、約束ね——」
その時だった。
——キキィィィィィッ!!!
耳をつんざくような、異常なタイヤの摩擦音。
振り返った俺の目に飛び込んできたのは、制御を失い、赤信号を無視して猛スピードで突っ込んでくる自動運転の大型トラックだった。
「紬——っ!!」
俺の叫び声は、鈍い衝突音に完全に掻き消された。
宙を舞う、今日買ったばかりの小さなピンクのケープ。
アスファルトに赤く広がる、取り返しのつかない絶望。
それが、俺の本物の世界が終わった瞬間だった。




