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第二話:夜間飛行Fly Me To The Moon

異世界年代記(仮)第二話をお届けします。

戦うために空を目指した男が、やがて空を嫌い、再び空へ戻るまでの物語です。

古代兵器と蝙蝠外交がきな臭く絡み合う中、彼はただ操縦桿を握り続けます。

月明かりの下の飛行が、どこへ辿り着くのか。

どうぞお付き合いください。

 月明かりの中を、双発の飛行艇が飛んでいる。

 高度一万尺。方位角三三八度。真っ黒な地上には所どころ小さな灯が見える。

 手は届かなくてもそこには確かに人の営みがある。それがたまらなく愛おしい。

 時々エンジンが息をつくが、これを修正できるものはいない。

 本来なら機長、副操縦士、機関士、電信員、航法士の五人で運用する機体だが、今は一人きり。代わりに荷物がぎっしり積まれている。

 操縦士の名はアントワーヌ。軍隊上がりで、今年三十五歳になる男だ。

 彼が所属するのは空輸会社『シャノワール』

 機体は遥か東方の『コネラモア』一族が代々製法を受け継ぐ『デュスチル』飛行艇。

 飛行艇と言いながら車輪を備えており、陸上機としても運用可能な優れもので、世界中様々な場所で使用されている。

 ただ、これほどおんぼろで酷使された機体は滅多にないだろう。

 右のエンジンが一瞬咳込んだ。アントワーヌは祈るような気持ちで手動ポンプを動かしスロットルを微調整した。

 ミーロンの飛行場まであと一時間ほど。それまで無事であってもらいたい。


 雲が右に流れて行く。

 風が強い。針路がずれているようだ。三度だけ左に変針する。


 その時月光が翼に反射した。その銀色の輝きが遠い記憶を呼び起こした。

 子どもの頃、アントワーヌは遥か頭上で行われた戦闘機同士の空中戦を目撃した。

 銀色の翼がキラリキラリと輝いて、翼端から白い雲が伸びる。微かにエンジンの爆音と機関銃の発射音が響いて来る。

 時折黒煙や炎を噴いて落ちて行く機体がある。

『手に汗を握る』とはこのことだった。


(俺もいつかあれに乗って戦いたい)


 あの紅蓮の炎の中でパイロットたちが死んで行くという現実も、憧れを消すことは出来なかった。

 彼は士官学校への入学を希望した。だが養父である伯父はそれを許さなかった。庄屋である伯父は無償の労働力が減ることを望まなかった。

 そこでアントワーヌは勝手に軍に志願し、入隊願書を提出した。

 軍からの出頭命令書が届いたとき、伯父は激怒したが軍の決定を覆すことは出来なかった。喜んで送り出さなければ非国民・売国奴の誹りを免れない。庄屋の地位も危うくなるのだ。

 こうしてアントワーヌは晴れて志願兵となり、指定の駐屯地に出頭した。

 アントワーヌ、十七歳の春だった。


 三年の訓練期間を経て、彼は実働部隊に配属された。しかしそこは憧れの戦闘機隊ではなかった。

『偵察機中隊配属を命ず』

 これが軍の決定だった。

 いくら不満を述べても現実は変わらない。地味な任務を日々熟していくより他は無かった。


 十年間で二度の戦争を経験した。

 この空のどこかに自分を殺そうとする者がいる。敵地を飛ぶことの恐ろしさを味わった。


 任務に伴う危険は物の数ではなかった。だが……。

 昨日の敵と今日は手を組み、昨日までの味方と撃ち合う。そんな国というものに嫌気が差した。三十歳を機に除隊したアントワーヌは、民間の空輸会社に就職した。

 業績好調・事業拡大につきと求人広告が掲載されていたのと、給料が軍より良かったことが理由だった。

 それが『シャノワール』ミーロン支社だった。


 五年前の入社当初、会社所有の飛行場は賑やかだった。大小取り交ぜて十機以上の機体。大勢のパイロットと、整備員他の地上勤務員。

 軍での双発機の経験を買われ、アントワーヌはコネラモア・デュスチルの機長に任命された。副操縦士のサブロー、機関士のレオナルド、電信員のアレクサンダー、航法士のマルティン……。

 搭乗割は常に同じとはいかなかったが、皆いい奴ばかりだった。多少気の合わないところはあっても、お互い仕事と割り切って力を合わせたものだ。


 一年が過ぎた頃から急に状況が変わり始めた。

 機体が減り、それに合わせて地上員も減っていった。三年目にはデュスチルが三機だけになった。

 搭乗員も減り続けた。

 五人乗りの飛行機が、四から三、三から二、そして一。搭乗員が減り、仮設トイレも取り外された分、積み荷は増えた。

 アントワーヌたちの勤務は日を追って過酷になり、給料は減り続けた。一方で役員報酬と株式配当は順調に増え続けている。株価も上がって、皆さぞかしご満足だろう。

 去年になって、ミーロン所属の機体は1機のみになった。

 機体が減って行く理由はたった一つ。路線拡大のやりすぎだ。

 今日日(きょうび)飛行機を入手するのは容易ではない。上古の時代ならともかく、今は飛行機でも自動車でも機械類は鉱山から掘り出すか、特定の一族が門外不出の伝統技術として細々と製法を受け継いでいるのみだ。

 当然お値段もそれなりに跳ね上がる。

 全社で保有する機体数を変えずに路線だけを増やす。

 当然の帰結だった。


 ミーロン支社では唯一残った機体を三人のパイロットで運用するようになった。


 〇六〇〇にミーロンを離陸。一四〇〇過ぎ、帝都至近のシャンデプリュームに着陸。

 地上に降りても全身が麻痺したようで、感覚がしばらくは戻らない。

 ダイヤに従えば四時間は休憩できるはずだが、地上員の手が足りないので整備と貨物搭載を手伝わなければならない。

 糞尿で汚れた襁褓を取り替え、身体と衣服を洗わねばならない。

 休憩時間は実質一時間あるか無いかだ。

 そして一八〇〇。襤褸切れのような体に鞭打って操縦席に乗り込み、再び離陸。夜明け頃ミーロンに帰着する。

 これを交代で繰り返す。一日勤務すれば二日休めるはずだった。

 しかし三か月前、ついにパイロットが一名削減され、二名体制になった。


(やってられるか!)


 本気で転職先を探し始めた、ある秋の朝。雲は低く垂れこめ、風は強く、嵐の接近を示している。格納庫の屋根のトタンがバタバタと音を立てていた。

「アントワーヌ、今日は離陸を二時間遅らせろ」

 珍しく業務課長が待機所に来ている。流石に天候回復を待つのか、いつもなら普通に発進だが……と思ったらそうではなかった。

「お客様がいるんだ。到着を待ってくれ」

 待ち時間の間に、航空糧食のうち朝飯分を食べてしまう。

 この航空糧食も初めは会社からの支給だった。今は自己負担、給料からの天引きだ。

 〇八三〇、ようやくお客様とやらが現れた。この支社の役員とその十代の息子だった。役員の方はアントワーヌも一度だけ会った事がある。二人とも場違いなほど上等な外套を着ていた。

 業務課長との会話から、帝都へ遊びに行く序でに息子が飛行機に乗ってみたいと言い出した結果らしいと知れた。

 暢気なものだと呆れつつ、アントワーヌは離陸準備に取り掛かった。

 整備班長から受け取ったフライトプランには『風向一三五・風速四八Kt・二番滑走路』と記入されていた。

 エンジンは既にスローで回っている。機体の周囲を歩いて外観上の異常の有無を点検。右のエンジンカウリングに油漏れの痕跡はあるが、それはいつものこと。書類上は異常なしだ。

 アントワーヌは搭乗口の前で立ち止まった。

『お客様』の搭乗を助けるためだ。

「おい操縦士」

 横柄が服を着たようなその役員は、見た目通り横柄な口調でアントワーヌに呼び掛けた。

「本当に飛ぶのか? 風が強すぎるじゃないか」

 役員の後ろでは息子が真っ青な顔をしている。

 アントワーヌは何食わぬ顔で答えた。

「無論飛びます」

「危険じゃないか。社の規定では三十ノット以上は飛行禁止のはずだ」

「その安全規定は去年大幅に緩和されましてね。五十ノットまでは離陸できることになっています」

 手振りで登場を促すアントワーヌ。

「ひッ、人殺し! 人殺しィ!」

 息子が叫び始めた。

「会社の規定は守っていますから」

 アントワーヌは片眉を上げて付け加えた。

「何か問題がありますか?」

 役員の顔が引き攣った。

「問題があるか、だと? お前は人の命を何だと思っているのだ」

「飛べと命令しているのは会社ですよ。文句は会社に行ってくれませんかね」

「操縦士風情が生意気な口を叩くなッ! 儂がその『会社』だッ!」

「そうです。貴方がその『会社』です。どんな悪天候でも構わず飛べと命令する、ね」

 役員の額に青筋が浮かんだ。息子は相変わらず人殺しと叫び続け、業務課長は既に姿を消していた。

「俺たちは普段からもっと酷い天候でも飛んでいますよ。業務命令ですから。普段と何が違うんです? 自分が乗るからですか?」

 ニヤニヤ笑いながら挑発を続けるアントワーヌに、ついに役員が激怒した。

「おのれ生意気な。貴様など首だ! 出ていけ!」

「そりゃどうも。この天気で飛ばずに済むならありがたいことです」

 唖然として立ちすくむ役員とその息子を尻目に、アントワーヌは手早く私物をまとめ飛行場を後にした。


 アントワーヌの自宅は飛行場から汽車で一時間ほど離れた街の中、四階建て集合住宅の一階にある。前回帰宅したのは何か月前だろう。

 何しろ二名体制になってからというもの、帰宅に費やす時間と体力が惜しくて待機所二階の仮眠室に寝泊まりしていたのだ。

 玄関を開けると屋内は埃っぽかった。

「ルイーズ! 帰ったよ!」

 彼には同い年の妻・ルイーズと二人の息子がいる。いるはずなのだが……。

 家の中は空疎で、妻子の名を呼ぶアントワーヌの声が空しく反響した。

 テーブルの上を見ると、これまた埃を被ったメモ用紙が置いてある。インクも陽に褪せて読み難くなっていた。

『実家に帰ります。お幸せに』

 記憶は曖昧だが、ルイーズの筆跡で間違いなかろう。


(やれやれ。これで俺は本当に自由の身か)


 こうなるともうシニカルな笑いしか浮かんで来ない。

 空腹を感じたが、家の中には食べ物が無かった。正確には『食べられる状態の食べ物』が、だ。元は食パンだったらしい黴の塊は見つけた。

 幸いにも水道とガスは生きていた。シャワーを浴び、髭を剃ってさっぱりすると市場へ出かけた。

 食堂で飯を食い、家に帰って埃っぽい毛布を被ってぐっすりと眠った。

 昔の仲間たちと一緒に飛ぶ夢を見た。みな笑顔だった。


 熟睡の果て、目を覚ました時はもう夜だった。

 雨粒が窓ガラスを叩いているが、風はそれほど強くない。


(飲みに行くか)


 実質休みなしの生活になって以来、酒を飲んでいない。飛行業務に支障を来すからだ。だが今やその心配がない。

 馴染みの酒場に入ってみた。店はそれなりに賑やかだったが、客の中に知っている顔は一つも無かった。唯一、年老いたバーテンダーだけが彼を覚えてくれていた。

「随分とご無沙汰でしたな、アントワーヌさん」

「済まない。自由な時間が無くってね」

「飛行機乗りは自由なものじゃなかったんですかい?」

「幻想だったよ。本当の自由は地上にしかないらしい」

 面白そうに、声を出さずに笑うアントワーヌに、バーテンダーは黙ってバーボンのダブルを差し出した。これがアントワーヌの『いつものやつ』だ。

 本当に懐かしい、喉を焼くような感覚。自分が生きている事を実感する。今後の生活をどうするとか、ルイーズとの関係とか、そんな問題は些末なことに思えた。

 彼の胸には純銀のペンダントが下がっている。去年の誕生日にルイーズから送られたものだ。


(どうしよう。捨てちまおうか)


 しばらく逡巡したが、いざとなれば売ってカネに出来ると思いつき、そのまま持っていることにした。


 昼間は仕事を探し歩き、時おり市場で店を手伝って小銭を稼ぎ、夜は酒場で軽く飲む。

 そんな生活が半月ほど続いた。そろそろ蓄えも底をつく。


(さて、どうしたものか)


 さほど深刻でもない顔で、アントワーヌは今夜もバーボンを飲んでいる。

 頬杖ついてグラスをもてあそぶアントワーヌ。重い軍靴の音が聞こえたと思ったら、前に立つ者がいた。その男は軍用コートを着ている。肩の階級章を一瞥し、アントワーヌはグラスの中身を飲み干した。

「少佐か。出世したな、ベルナール」

「探したぞ、アントワーヌ」


 ベルナールは勝手に席に着き、赤ワインとソーセージ二人前を注文した。

 皿と瓶が運ばれて来るまでベルナールは口を開こうとしなかった。

 アントワーヌも黙っている。用があるから来たのだろう。ならばそのうち向こうから話し始めるはずだ。

 湯気を立てるソーセージ。ベルナールはそのひと皿をこちらに寄越し、二つのグラスにワインを注いだ。

「奢りだ。遠慮なくやってくれ」

 ベルナールはソーセージにフォークを刺しながら言った。

「レツォドアヴァニムとタハウの国境がきな臭くなっている。知ってるな?」

 アントワーヌはなみなみと注がれたグラスを見つめて記憶を呼び起こした。

 彼らの住むレソレイエウの、レツォドアヴァニムは北、タハウは西の隣国だ。両国はアントワーヌが物心つく前、それこそ百年も前から小競り合いを繰り返している。

 今現在レソレイエウはどちらにも与していないはずだが、情勢が変わったのだろうか。何しろここ一年というもの、自分のこと以外に気を配る余裕がなかった。

 国際情勢などよりエンジンのオイル漏れの方が気がかりだったのだ。

「(戦争が)始まるのか?」

「まだ分からんよ。だがパイロットは必要だ。特に、即戦力がな」

 ワインを半分ほど飲み、大きく息を吐くアントワーヌ。こんな甘い酒も偶には良いものだ。脂っこいソーセージが美味く感じる。

「お前の消息を追って、ようやく勤務先を突き留めたら辞めた後だった。渡りに船とはこのことだな」

 ベルナールがビーフジャーキーとサラダを追加注文した。

「なあアントワーヌ。軍に戻れよ。今なら俺たちの力で何とかする。少なくとも待遇は今の民間よりはマシだぞ」

 アントワーヌは目を上げず、グラスの中のワインの表面に映る戦友の顔を見つめている。

「断ったらどうなる」

「どうもならんさ。ここの払いがお前持ちになる程度だ」

「それは困るな。もうすっからかんなんだ」

「明日迎えの車を回す。遅れるなよ」

「ああ」

「じゃあな、戦友」

 ベルナールは金貨の入った革袋をテーブルの上に置いて立ち去った。

 音からしてここの支払額を大きく上回っているはずだ。支度金……とでも言うつもりだろうか。


(ツケはこれで払えそうだ。後腐れを残さずに済む)


 正直なところ、ホッとするアントワーヌだった。


 三日後、アントワーヌはヌーベルクーロンの航空隊に中尉として着任していた。中尉という階級は機長をも意味する。

 除隊の時は操縦士の少尉だったから、復帰して更に昇進したことになる。


(おいおい、期待値が高過ぎんか? それとも余程の人手不足なのか?)


 真新しい飛行服と階級章に、苦笑いするしかなかった。


 搭乗機はティープ・ダノン。トリディアモン一族が製造する双発の陸上機で、高速力と長大な航続力で知られる。葉巻型の胴体下のカバーを外せば爆弾も積める。

「よろしくお願いします!」

 四人の同乗員が整列し、一斉に敬礼した。

「ああ。こちらこそよろしく頼む。見ての通りの老いぼれだ。労わってくれ」

 アントワーヌの軽口に、彼らは安心したように微笑んだ。

 みな若い。最上級者が一飛曹。恐らく二十歳を過ぎたばかりだろう。他は十代かも知れない。

 飛行時間はどれくらいだろうと不安になる。やはり人が足りないのだ。

 早速訓練飛行が始まる。軍の職制では機長は偵察員を兼ねることになっている。自分で操縦桿を握らないと、なんとなく落ち着かない。

 僚機と編隊を組ませ、技量を推し量る。

 五年前なら「どいつもこいつも使い物にならん」と言われるレベルだ。


「止むを得んさ。みな飛行学校を卒業したばかりのひよっこ達だ。本来なら実働部隊に配属は出来んよ」

 その夜、ぼやくアントワーヌにベルナールが言った台詞だ。

 何故そんな者を使うのか。十年近く戦争をしていないレソレイエウ王国にパイロットが不足する理由は何だろうか。

 ……決まっている。蝙蝠外交の破綻か、こちらから仕掛けるか、あるいはその両方だ。


 およそひと月が過ぎ、ようやくまともに編隊を組めるようになったその矢先のことだった。

「タハウが動いた。ケツェ‐ハビーツァは既に陥落したらしい。それと……」

 司令所に呼び出されたアントワーヌに、ベルナールは緊張の面持ちで切り出した。

「なんだ。悪い知らせか?」

「ああ。タハウ軍には古代兵器があるらしい」

「古代兵器?」

「三本足の、強力なやつだ。以前から噂にはなっていたが、その姿を見た者がいる」

 なるほど。どこかの遺跡から掘り出したか。それで優位に立ったと判断して攻勢に出たわけだ。

「お前さんの任務はケツェ‐ハビーツァの偵察。特に古代兵器の数だ。やってくれるか?」

「まるで選択肢があるみたいな言い方をするじゃないか(笑)」

「いや一応はその……。建前としてな?(笑)」


 待機所(ピスト)で打ち合わせを始める。若き同乗員はみな緊張の面持ちだ。


(無理もない)


 初めての実戦なのだ。アントワーヌも同情せざるを得ない。

「心配するな。俺たちはまだ戦端を開いていない。ちょっと戦場を覗いて来るだけだ、いきなり攻撃はされんよ」

 アントワーヌは軽く言ったが、まるっきりの大嘘だった。

 戦場の空を飛ぶ機体は味方でなければ敵に決まっている。問答無用で迎撃されるだろう。


(いざとなったら操縦を替わってやるか……)


 四時間後に離陸すれば、黎明には目的地上空に入れるだろう。それまでは彼らには英気を養ってもらおう。


 半分だけの月の下、アントワーヌ以下五人は粛々とティープ・ダノンに乗り込む。

 無駄口を聞くものは一人もいない。

 アントワーヌは天井の窓を跳ね上げ、そこから身を乗り出して地上員の合図を確認し、操縦員に伝える。

 地上員が灯火を振る。それに見てメインスイッチをオンにすると排気管から大量の白煙が噴き出し、二つのペラがゆっくりと回り始めた。

 このエンジンが始動するときの振動、腹に響く重低音にはいつも感動する。

 ついさっきまでただの物体だった飛行機に命が宿る瞬間だ。

 アントワーヌが両手を上げて左右に開いた。『車輪留め(チョーク)払え』の手信号。地上員が素早く三角形の車輪留めを外し、退避した。

「ヨーソロー」

 アントワーヌが叫ぶと主操縦士のレオ飛曹長がスロットルを開け、機体をそろそろと前に進めた。

 滑走路の端に止まって離陸命令を待つ。

 指揮所前のポールに発信の旗流信号が上がり、地上員が緑のランプを回転させた。

 砂塵を巻き上げてティープ・ダノンは地面を離れ、夜空の向こう目指して舞い上がった。


 高度一万二千。針路二七五。偏流を加味して、目的地までおよそ四時間。操縦は交代で出来るし(アントワーヌ自身は操縦しないが)仮設トイレもあるし、条件は悪くない。

 機長であるアントワーヌは航法士を兼ねる。星の位置から現在位置を割り出し、偏流を測定して針路を修正する。

 決して暇ではない。


 東の空が白み始めた。

「高度一万八千に上げー」

 アントワーヌの号令に従い、(その時操縦桿を担当していた)副操縦士・マエル二飛曹はスロットルを開けた。

 エンジン音が高鳴り、機首が上がって微かに体重が増えたように感じられた。

 この高度で一山越せば、ケツェ‐ハビーツァの城砦が見える。

 戦闘は行われていないようだった。

 双眼鏡を覗くと、城壁にはタハウの旗印が翻っている。

 マエルに旋回を命じ、更に観測を続けるアントワーヌ。

 南の城門付近を中心に、地面が扇型に黒ずんでいる。その外側には補給品を載せていたらしき荷車の残骸。

 旗指物もあちこちに倒れている。

 そして開け放たれた城門の中にはトゥリピーエドゥ——三本足の化け物が見えた。


(やはり……)


 アントワーヌはかつてあれを見たことがある。レソレイエウ王国軍も二体あれを保有しているのだ。いちパイロット風情がそんな軍機を知っているなんて、口が裂けても言えないけれど……。

 一番手前にいた部隊は我が身に何が起きたかを知ることも出来ずに蒸発したのだろう。

 その外側は瞬時に炭化したに違いない。その名残が、あの黒い地面だ。


(文字通りの全滅だろうな。気の毒に……)


 弔いの言葉を口にした時、焼け焦げた地面の上に何か動くものを認めた。双眼鏡の倍率を上げると三人の男が数珠つなぎになって歩いている。どうやら捕虜を連行しているようだが……。

 ならば何故城から遠ざかる?

 状況が読めない。

 その時地上から閃光が奔った。

「やべぇ、上昇!」

 アントワーヌが叫び、レオがスロットルをフルに開ける。機体がガクンと揺れた。響き渡る搭乗者たちの悲鳴。

 下を見ると城門の中から三本足がこちらに例の箱を向けている。

「貸せ!」

 マエル副操縦士を押し退けるように操縦席に座るアントワーヌ。右に左に旋回しながら高度を上げる。本当は一目散に敵から遠ざかりたい。だが相手に真後ろを見せれば直撃を喰らう。

「ビビるな! 対空砲なんか当たるもんじゃねえ!」

 部下を咤する。これもまた嘘だ。銃や砲ならその通りだが、レーザーの類なら直接照準で狙い撃ちだ。

 だがマニピュレーター越しに狙いを付けるトゥリピーエドゥだ、左右に揺れ動く的は狙い難かろう。

 とにかく今は高度と距離を取って、山の向こうに逃げ込まなくては。

 なんとか安全圏にたどり着いた、その時だ。

「七時の方向、敵機!」

 見張りに就いていた誰かが叫ぶ。

 やれやれ、ようやくトゥリピーエドゥの脅威が去ったと思ったら……。

 山を越えたのを確認し、スロットルを絞って急降下。右へ、左へ、機体を横滑りさせる。曳光弾が横を通り過ぎていく。

 尾部と上部の銃座が応戦を始めた。射撃音が耳を劈く。

 高度がぐんぐん下がっていく。

「電信員、セ連送(我レ敵機ト交戦中)!」

 アントワーヌの命令でジャン三飛曹が電鍵を叩き始めた。


・---・ ・---・ ・---・ ・---・ ・---・ ・---・ ・---・


 これを受信して救援が来てくれればいいのだが。しかし今すぐ発進し、二百ノットで駆け付けても二時間は必要だ。少なくともそれまでは逃げ切らねばならない。

 いや、先ほどちらりと見えた敵影は『稲妻』

 速力はあるが脚が短い局地戦闘機。それなら三十分粘るだけでいい。相手は燃料が尽きて勝手に引き返すだろう。

 一筋の光明が見えてきた。


 高度は五百を切った。低いところに浮かぶ断雲の下を潜り、機を絶えず横滑りさせて逃げ回る。前に回り込んで進路を塞ごうとする奴もいるが、構わず突っ切る。


(ビビったら負けだ)


 曳光弾が降り注ぐ。恐怖心を押し殺してヌーベルクーロンを目指す。


(まだか……まだか……)


 被弾のショックで機体が揺れた。胴体後部だろう。

「無事か!?」

 返事はないが、対空砲火の銃声は続いている。


(死ぬなよ、お前ら)


 歯を食いしばって飛び続けること更に十五分。

「敵、引き返しました!」

 上部銃座からマエルの声。


(振り切った!)


 アントワーヌは安堵して冷や汗を拭った。機内は歓喜の声で満たされた。


 滑走路に滑り込んだティープダノンは、しかし満身創痍だった。エンジンと燃料タンク、搭乗員に被弾しなかったのは奇跡と言っていい。

 アントワーヌは知らなかったが、迎撃の『稲妻』は五機以上いたらしい。

「中尉、ありがとうございました!」

 生還の喜びに、若い部下たちが抱き着いてくる。


 基地はもうお祭り騒ぎだ。戦闘機の追撃を振り切って生還するなんて奇跡か神業だ。若い操縦士たちは挙ってアントワーヌの話を聞きに来る。

 アントワーヌも律儀に彼らの相手をしていたが、やがて報告のために指揮所へ向かって立ち去った。

 残念がる操縦士たちに、今度はレオとマエルが講釈師となって自分たちの体験を大げさに吹聴する。

 たった一度の出撃で、アントワーヌはヌーベルクーロンの英雄になってしまった。


 指揮所へ戻ったアントワーヌは自分が見たままを報告した。

 ケツェ‐ハビーツァはタハウに占有されている。レツォドアヴァニムの歩兵部隊は全滅と思われる。城門の中にトゥリピーエドゥ一機を認めた。『稲妻』五機の追撃を受けた。

 ここからは推論ですが、と前置きしてアントワーヌは続ける。

「あのトゥリピーエドゥが最後の一機とは思えません。第二第三の機体が現れるかも知れない」

 ベルナールは葉巻をひと箱手渡し「ご苦労」とだけ言った。

 その情報がその後どのように扱われたのかはアントワーヌの関知するところではない。


 それから一週間。

 機体の修理が終わらないアントワーヌのチームには出番がなかった。地上部隊が動き始めたとの噂もあるが、ヌーベルクーロンの航空隊は訓練以上の行動は取っていない。

 そして今日。アントワーヌに新たな任務が下された。

 指揮所に呼ばれたアントワーヌを、ベルナールは第七格納庫へ連れて行った。そこに置かれていたのは……。

「これはヴォンハピドゥじゃないか」

 ヴォンハピドゥ。それはイル・ソンターラ族が製造する、単発単座・空冷エンジンの戦闘機だ。『稲妻』より五十ノット近く速く、しかも航続力もある。武装も強力だ。

「こいつで威力偵察を頼みたい」

「おいおい、俺に戦闘機に乗れっていうのか?」

「そうだよ。お前、戦闘機乗りになりたいって言ってたじゃないか」

「そうとも」

 子どもの頃に見たあの光景が脳裏に蘇る。ベルナールの制止も聞かずに座席に乗り込み、空戦ごっこを始めるアントワーヌ。

 一時間も経ってから指揮所に戻り、任務の説明を受ける。

「明日の黎明を期してイーラハヴへ飛んでくれ。そこにレツォドアヴァニムの主力が集結しつつあるらしい」

 おやおや、とアントワーヌは眉を上げた。先週はタハウにちょっかいを出しておいて、今度はレツォドアヴァニムか。相変わらずの蝙蝠っぷりだ。両方とも敵に回しても知らんぞ。

「貴官の任務はその陸上兵力と、防空戦力の把握だ。特に古代兵器の有無についてはよく観察してもらいたい」

「イーラハヴは王都のすぐ隣じゃないか。随分と難度高いなあ」

「だからお前さん以外には頼めないのさ。それに……」

 煙草を勧めるベルナール。

「機銃も撃っていいぞ。面白そうだろ?」

「違いない」

 煙を吐き出しながらアントワーヌは笑った。


 単座機での夜間飛行となると、やはり明るい月夜の方が良い。

 その夜は満月だった。

 ヌーベルクーロンから最前線のレヴォルドゥマライまで三時間。そこで燃料を満タンにして更に四時間の距離。

 イーラハヴとは、それほどの奥地なのだ。


 シャノワールでは片道八時間の飛行をやっていた。それより一時間短いし、中継地もある。


(まだマシな方だな。飯もタダだし)


 二一三〇、エプロンに引き出され、両翼に増槽をぶら下げたヴォンハピドゥにアントワーヌは颯爽と乗り込んだ。

 帽振れで見送るレオ達。上空を一度旋回し、アントワーヌは針路を三〇五に向けた。


(月が綺麗だ)


 ふとルイーズの顔が浮かぶ。二人の息子たちも、元気でやっているだろうか。


 〇〇五一、レヴォルドゥマライからアントワーヌ機到着の無電が入った。

 〇一五五、レヴォルドゥマライからアントワーヌ機発進の無電が入った。

 〇六〇三、アントワーヌからの『敵地上部隊発見』の無電をレヴォルドゥマライの通信室が受信した。

 彼の消息はこれが最後だった。


 既に日は暮れたが、レオ達は夕食も摂らず、ベルナールの説得も聞き入れず、まだ滑走路の端に立っている。


  (第二話:完)





空を愛し、空に殉じた男の短い生涯。

彼は幸せだったのでしょうか。

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