第5章 ──ふたりで焼く、最後のレクイエム・ブリュレ
朝、店の窓から差し込む光が、金色に揺れていた。
雨上がりの街はしっとりと濡れ、空気が澄んでいる。
母の容体は安定していた。
まだ弱ってはいるけれど、穏やかに眠っている。
父も久しぶりに微笑んでくれた。
それだけで、胸がいっぱいだった。
厨房の奥で、ノアが焼き型を並べていた。
その手つきは、静かで丁寧で。空気まで整えていく。
「……何を作るの?」
わたしは問いかけた。
「伝説のブリュレをあなたと一緒に」
「“レクイエム・ブリュレ”を?」
「そう。いまを生きている証として」
その言葉に、胸の奥がふっとあたたかくなった。
わたしとノアは並んで、材料を並べた。
砂糖、ミルク、バニラビーンズ。
どれも、どこにでもある普通の材料。
でも、そこに少しだけ“光”が混ざるだけで、特別になる。
「……ノア。あなたの妹さんも、甘い香りが好きだったの?」
「はい。いつも甘いものを食べると笑ってくれて」
「そう……」
わたしはそっと笑った。
カスタードを注ぎ、ひとつひとつを並べていく。
微かに震える手を見つめ、躊躇いながらもゆっくりと火を灯した。
オレンジ色の光がブリュレの表面を焦がしていく。
ぱち、ぱち。
何度も繰り返し頭に響いてきた音。
けれど……今は恐怖だけではなかった。
ブリュレが焼きあがる。
表面には、黄金色の焦げ目が広がり、
光が反射してまるで星のようだった。
「これが……」
「“レクイエム・ブリュレ”。
でももう、その名は違う気がします」
「違う……?」
ノアは微笑んだ。
「“レクイエム”は鎮魂の祈り。
でも今のこれは、“リュミエール”──光の祈り、です」
わたしは息をのんだ。
──リュミエール・ブリュレ。
罪の炎が光へと変わった瞬間だった。
ふたりでテーブルに座り、
焦げた表面をスプーンで割る。
ぱり、と小さな音。
湯気が上がり、甘い香りがふわっと広がる。
その香りは、どこまでも優しくて。
「……ありがとう、ノア」
「僕のほうこそ」
外では小鳥の声がした。
窓の外の光が、少しずつ強くなる。
母の寝室から、かすかに音がした。
覗くと母が、ゆっくりと目を覚まし、
光の中で微笑んでいた。
「いい匂い……」
その声が、やさしく胸に響く。
涙がこぼれた。
この手で、もう一度“あたたかい朝”を作れた。
それだけで、十分だった。
カレンは空を見上げた。
光の粒が、ふたりの上に降り注いでいた。
罪だけの夜はもう終わった。
新しい光の中で、
彼女は初めて、穏やかに微笑んだ。
その日。
店の扉に、小さな木札を掛けた。
──「今日のおすすめ:リュミエール・ブリュレ」




