表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第3章 ──ノアの秘密

 夜の店内は静かだった。

 父と母の寝息だけが、二階からかすかに聞こえる。

 わたしは厨房の片隅で、冷めた紅茶を見つめていた。


 昼間、ノアが残していった言葉が頭の中で何度も響く。


 あの人は、いったい何を知っているの?

 どうして、“あれ”を知っていたの?


 わたしがまだ答えを探しているうちに、

 店の外から足音が聞こえた。


「……また来たの?」

 扉を開けると、ノアが立っていた。

 手には古いノートと、包まれた紙袋。


「夜分にすみません。これ、差し入れです」

「なにこれ……?」

「パン。昔、修行してた店の味なんです」


 包みの中から、温かい香りが漂う。

 焼きたてのような、小麦とバターの匂い。

 思わず胸がきゅっとした。


「……優しい匂い」

「でしょう? この香りが、僕の原点なんです」


「カレンさん」

 ノアは少し間をおいて、静かに言った。

「僕、昔……妹を病で亡くしました」


「……妹さんを?」


「はい。まだ十歳で。

 僕はどうしても助けたくて、薬でも何でも試しました。

 でも、全部ダメで。

 最後に聞いたんです。

 “魂を癒やす炎 ”があるって」


 胸の奥が熱くなる。

 わたしの知らないところで、

 “レクイエム・ブリュレ”の名前が、そんな風に伝わっていたなんて。


「それが“レクイエム・ブリュレ”だった」

「……」


「妹を焼いた炎が、もし苦しみを鎮めるものだったのなら、

 僕はそれを見たかった。

 だから、旅をして、探して、

 そして──この店にたどり着いたんです」


 ノアの声は淡々としていた。

 けれど、その手が震えているのを見逃さなかった。


「……じゃあ、あのノートは」

「妹が残したものです。

 “いつか、お兄ちゃんと食べたい”って書いてあって……」


 ノアは、少し笑った。

 でもその笑顔は、どこか泣き出しそうだった。


「だから、作ってもらおうと思ったんです」


「……わたしにはできない」

 わたしの声は、かすれていた。

「“あの炎”は……誰かを救うなんて、できない」


「カレンさん」

 ノアはわたしの方に一歩近づいた。

 その瞳には、迷いがなかった。


「それでも、僕は信じてます」


 わたしは、何も言えなかった。

 でも、その言葉が胸の奥で静かに響いていた。


 もし──

 もしこの手で救えるなら。


 そんな思いが、一瞬でもよぎった自分が怖かった。


 ノアが帰ったあと、

 わたしは一人、厨房の窓から夜空を見上げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ