プロローグ ──焦がす音
とろりとしたクリーム生地を混ぜる音が、静かな夜の台所に響いていた。
わたしは窓の外に広がる夜の景色を眺めながら、その音を心地よく聞いていた。
ふと、音が止まる。
「カレン、もう少しよ」
優しい声に呼ばれて、わたしは外から視線を戻す。
祖母がココットに生地を流し込み、ひとつひとつを丁寧に並べていく。
「さあ、カレン。ここに火を灯して」
「……ここに?」
首をかしげながら、祖母の指先の先を見つめる。
「そう。ゆっくり、優しくね」
「うん、わかった!」
わたしは息を整え、小さく指をかざした。
──ぱちり。
夜の台所に、小さな光がともる。
炎が、指先でゆらめいている。
その光が、まるでわたしを見つめ返しているようで、胸の奥がざわついた。
「大丈夫。カレンならできるわ」
祖母の声は優しくて、でもどこか遠かった。
母や父がいない間、こっそりと教えてくれた“特別なレシピ”。
それが、あの日のすべての始まりだった。
「ほら、もっと火を近づけて。光がきらめいた瞬間が合図なの」
「うん……!」
ぱち、ぱち。
だんだん炎が強くなる。
まるで心臓の鼓動と同じリズムで、わたしの中の何かが熱を帯びていく。
液体が弾け、瞬間、空気が震えた。
「──あ、あれ……?」
視界が白く染まる。
炎が、広がっていく。
天井へ、壁へ、外へ……止まらない。
「おばあちゃんっ!? おばあちゃ──!」
叫びも、光に飲まれた。
世界が、ひとつの火の粒になって、弾けた。
気づけば、風の音だけが残っていた。
焦げた匂いと、焼けた土の感触。
村は、どこにもなかった。
その真ん中で、わたしは両手を見つめていた。
指先がまだ、あつい。
それが、何より怖かった。
「……わたしが、やったの?」
声にならない声が、煙に溶けた。
遠くから駆け寄る足音。母と父の姿が見えたとき、
わたしはその場に崩れ落ちた。
「カレン!」
母がわたしを抱きしめる。
その腕のぬくもりの中で、初めて涙がこぼれた。
「ごめんなさい……っ、わたし……!」
「いいの、もういいの……」
母の手が、震えていた。
泣き声と、風の音と、
燃え尽きたブリュレの甘い匂い。
そのすべてが、あの夜の記憶になった。




