第1章 ある朝の
「また断ったそうですね」
シャっという音と同時に、真っ暗だった部屋に明りが入る。締め切ったカーテンが左右に開かれ、窓から入るその光の眩しさに、そう言い放った男は少しだけ目を細めた。
「……朝の挨拶がいきなりそれか…ヴァイス…」
「おはようございますの方がよろしかったですか?しかし、もう昼に近いですよ」
「…誰も起こしにこなかった…」
「あなたがまさか自分の寝室で寝ているとは思いませんでしたからね」
「そうだと思ってこっちにきたんだ」
「…全く。普段はどこで眠っていらっしゃることやら…」
ヴァイスと呼ばれた男が、はあと大きくため息をつく。そんな姿に、大きな天蓋付きのベッドに寝ころんでいた男は軽く口の端を上げた。自分の身分を知りつつ物怖じしないで話し掛けてくる人間は相当少ない。まして、ヴァイスのように嫌みを言ってくる者なんて尚更のこと。
「で?今度はまた隣国の姫とのお見合いを断ったそうで?」
「馬鹿げているよな。私に申し込むなんて」
「まあ…あなたが結婚する気がない、ということは大半の者が知っているでしょうが」
「だろう?」
「それでも諦められないのが人間の性というものでしょう…?」
「現に」と言いながら、ヴァイスはベッドの中の男に、ポンとファイルを投げつけた。男はそのファイルにチラリと目をやって、苦虫を噛み潰したような顔をした。手を伸ばして開いてみようというそぶりは一切見られない。
「……見ないんですか?」
「見なくてもわかる。義母上からのものだとね」
うんざりした様子で男は起き上がり、そのファイルを無視したまま、大きく伸びをした。
「では、このファイルはいつものように焼却しても?」
「ああ」
「……結婚、してみればいいじゃないですか。案外良いかもしれませんよ」
「独身のお前がそれを言うのか、ヴァイス」
「私は一生独身で結構ですが…あなたは今はその気がなくてもいつかは結婚しなければなりませんので」
「別にいいだろう?私も一生1人でも」
「ですが、世継ぎの問題がありますので」
そうヴァイスが言った瞬間、男は自分の近くにあったファイルをヴァイスの方へと投げつけた。しかしそれはヴァイスに直撃するのではなく、ヴァイスの横を通り抜けて壁にバシンと音を立ててぶつかり、そのまま下に落ちた。
そんな状況にも、ヴァイスは眉一つ動かさない。
男が例えキレても簡単に人間、基、生き物を痛めつけるようなことはしないこと、そして何より、自分の先程の発言を男が何よりも嫌っていて、言ったら怒るであろうことを知っているからである。
男はそんなヴァイスを見つめ、はあと小さく息を吐いた。
「……私に世継ぎはいらない」
「そうは言っても周りがそれを許してくれないのでは?」
「……兄上がいるではないか」
「その兄上も結婚しないから問題になるんですよ」
「………見合いの話を全部兄上に持っていったらいいではないか」
「あなたに申し込みがあったものをですか?それは大変な嫌みになるでしょうね」
ヴァイスはそう言い放ち、にこりと男に向けて笑う。顔が笑っていても目は笑っていない。わかりきったことを言うのではないと、そう目が訴えている。そんなヴァイスの様子を見て、男は一瞬悲しそうな表情を浮かべた。
兄ではなく自分にばかり婚約や見合いの話がくるのは、男のせいではない。もちろんヴァイスのせいでもない。
理由がわかっているからこそ、男は更に結婚する気がなくなるのだ。
もう1度だけ大きくため息をついて、男はベッドから立ち上がった。それを見てヴァイスはベッドの横にかけてあったガウンを男の背にかける。もう何度も繰り返された自然な光景だ。
「…侍女をお呼びしますか?」
「いやいい。今日は予定があって…すぐ出かける」
「……本当に寝る為だけに帰ってきたんですね」
「ああ…また一時ここには帰ってこないだろうから…連絡がある場合はいつもの方法で頼むな」
「……今度は何日程で戻って来られないのでしょうか?」
「……気が向けば帰ってくる…まあ、もしかしたら明日いるかも知れない」
そう言いながら男はクスクス笑う。ヴァイスは呆れた顔でそんな男を見つめた。
「全く…していることを知っている手前、止められないのが残念です」
「はは、お前には苦労かけるな」
「わかっているなら…もう少し自分の身体を大事にしてください………王子」
今日会って初めて見せるヴァイスの本当の表情。その心配そうな顔に、王子と呼ばれた男はありがとうとだけ言うと湯浴みをする為に風呂場へと向かった。
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