第1章 異世界への出立 -3-
「向こうの世界と繋がる為には、色々と条件があるのよ」
香耶が座りなおすのを見届け、美佐子は缶ジュースを一口ゴクリと飲んで口を開いた。
「条件?」
「そ。まずは時間のズレから教えとく」
「時間のズレ?」
「うん。私がほら、ロナルドに出会ったのは1年前ぐらいだって言ったでしょ?」
「あ、うん…」
確かに、以前居酒屋に行った時、美佐子がそんな話をしていた記憶がある。
そんなに前から自分の親友だと思っていた人に好きな人がいたこと、結婚する程愛する人がいたことを全く知らなかったことに大打撃を受けたものだ。まあもちろん、その後の美佐子の発言でそのショックは綺麗さっぱり消えてしまっていたが。
「それなんだけどさー…実は向こうの時間で、ってことなのよ」
「?向こうの時間?」
「そう。だからもしそれをこっちの時間に換算したら…知り合って2、3日で結婚ってことになるの」
香耶は飲んでいたジュースを思わずぶっと噴き出しそうになった。それに堪えられた自分をとても褒めてあげたい。もし噴き出していたら、恋人に会う為に一生懸命化粧した美佐子の顔に直撃するところであった。話が終わるまでコレを飲むのは危険だと、香耶は缶を少々自分から離れたところに置いた。
「ちょっとよくわからないんだけど…時空の歪みってやつかな?」
「なんか小説とか映画でよく見かけるやつね」
「そうそれ!だからほら、この前の3連休、あったでしょう?あの時向こうの世界に行ってたってわけ」
「あー!!だから私が携帯メールしても電話しても返事も何もなかったの?」
「こっちに置いて行ってたから…というか、むしろ私も向こうに行くとは思ってなかったからさあ」
「すっごい心配したんだけど」
「うん、わかってる。だから帰ってきてすぐに連絡したでしょう?話があるって」
「え…あ、うん…」
「だからさ、本当は好きな人ができて付き合うことになって…すぐに連絡したも同然なのよ」
ただ、言う機会と時間がトロイメルに行ってた為になかっただけで、と美佐子は香耶のモヤモヤした気持ちを知っていたのか、話せなかった原因について語ってくれた。
「でもさ…ってことはトロイメルに戻ったらかなりの時が経ってるんじゃないの?」
とりあえずどこか話の綻びを探すように、香耶は質問した。この前の3連休から既に1週間経っている。3日で1年というなら、1週間経った今、既に向こうでは2年以上の時を経過しているということになるはずだ。しかし、「そうそれなんだけど」と待っていましたとばかりに、美佐子は近くのダンボールに手を伸ばし、その上にあった綺麗な箱を二人の間に置いた。
見覚えがある箱。香耶がアンティーク好きな美佐子の為に社会人になって初めて買った、ちょっと高価な誕生日プレゼントのアクセサリーケースだ。
美佐子はその箱を大事そうに一撫でした後、蓋を開けた。中には、高級そうな宝石のついたペンダントが一つ、入っている。その宝石が本物かどうかは、庶民な香耶には残念ながらわからなかった。
「これが、前話したペンダント…香耶の為に無理言って借りてきた」
「へえ…これで、わかるの?言葉が…」
「うん。そして、これ…」
そう言いながら、美佐子は自分の首元に手をやり、ネックレスを引っ張り出す。
指輪だった。
きっと、ロナルドとやらがくれたと言うのだろうとわかっていたから香耶はあえてそれには触れなかった。
「もちろん私も馬鹿じゃないからね!時間の経過具合とか向こうではわからなかったから、別れた3日後に戻ってこれるようにってロナルドとこの指輪に誓ったの」
「………ダメだったらどうするの?」
「大丈夫!ちゃんとゾラ王国の図書館で必死に調べたから」
「ふーん…」
「まあ、色々説明したら長くなっちゃうし…ねえ、とりあえず着いてから話さない?向こうの話ばっかりしてたら早くロナルドに会いたくなっちゃった」
「別にかまわないけど」
準備するから待っててと立ちあがった美佐子の後ろ姿を、香耶はぼんやりと眺める。見た限り全くもって普通なのに。これでトロイメルとやらに行けなかったら美佐子はどうするんだろう。傷心の余り病んだりしないことを期待するばかりだ。
そんなことを考えていると、美佐子が香耶の前に戻ってきた。手には頑丈そうなロープがある。何に使うんだろうと思っていたら、美佐子はそのロープを香耶の腰にまわし、いきなりギュっと締めあげた。
「ぐえっ!!何!?」
「あ、ごめん…ほら、世界を渡る時にはぐれないように…」
そう言いながら、美佐子は香耶に結びつけた方と反対側のロープを自分の腰にしっかりとまわす。そして、先程の箱からペンダントを取り出し、香耶の首にかけた。
「さ、香耶立って立って」
「はいはい」
こうなったら美佐子の気が済むまで付き合ってあげようと香耶は言われたとおりに立ちあがる。そして、二人で先程の鏡の前にやってきた。
本当に世界を渡るわけでもないのに。
緊張で香耶の胸がドクリと大きく鳴った。
「今から呪文を唱えるから。香耶はしっかり私に捕まってて」
「…うん」
美佐子は鏡の前で大きく息を吐く。美佐子の身体にぴったりとくっついたまま、香耶も鏡を見た。
「カトーブ・オ・アーカ」
何それ、と突っ込もうとしたが、できなかった。
眩しいくらいの光が鏡から溢れだし、香耶は目を開けているのも困難で、反射的に目を瞑った。
美佐子の身体にしがみつく腕に無意識のうちにぎゅっと力が籠った。
やっと旅立ちました。