第1章 異世界への出立 -1-
今週末に、大親友である美佐子の結婚式がある。
ということを、香耶は誰にも言えずにいた。というよりむしろ、美佐子の結婚式があるということが、余りにも非現実的で、香耶自身がまだ信用できていない。
いきなり結婚すると言いだしたかと思えば、なんと相手は異世界に住む王族直属の騎士ときたもんだ。一体どこの誰が、25歳にもなってそんなことを信じるだろう。
先日、二人で飲みに行き、始終呆けた顔をしている香耶を無視して、美佐子はうっとりと幸せそうな顔で彼について語り続けた。
美佐子が行った世界はトロイメルというらしい。いわば地球=トロイメルのようなものだそうだ。そしてその例の彼が住むのはその中でも最強とされるゾラ王国。日本ほど科学の技術は進歩していないが、その分人々が力強くて明るい国らしい。ここまで話を聞いて、香耶はもう美佐子の頭が末期なのだと悟った。
現在ゾラ王国を治めるのは、マーティスという王様で、昔は戦神と言われていたらしい。3人の奥さんと沢山の子どもに恵まれ、現在は他国と戦争をすることも滅多になくなった。その為、いつか彼の子どもたちが大きくなった時、彼らを十分に守れるようにと騎士として訓練するのが今の若者の流行らしい。美佐子は、その騎士宿舎の現在婚約者の彼の部屋に急に表れたそうだ。
この辺で香耶はカシスオレンジを一気飲みしたせいで頭が痛くなってきた。
もちろん頭痛の種はそれだけではないだろが…
「彼、ロナルドって言うんだけどね…私に一目ぼれしたんだって!」
「……そう」
キャーと黄色い声で叫ぶ美佐子に、香耶は耳を傾けるのすら億劫になっていた。
彼、こと、ロナルドは大変親切な男だそうだ。言葉もわからずにパニックに陥る美佐子を優しく慰めながら、大慌てで彼の隊長の元へ向かい、言葉が通じる魔法のかかったペンダントを借りてきてくれたらしい。それができるのも、彼が騎士の中でもかなり上層部の地位に居るから。騎士隊もいくつかの部門に分かれていて、彼が所属するのはその中でも王族直属の近衛隊。隊長程になると、警備も兼ねて王宮へ住まいが移される程らしい。私もいつか王宮に彼と住みたいわーと言いながら顔を赤く染める美佐子を、香耶は哀れな子を見るような目で見つめた。
妄想力がたくましすぎる、と。
それから3時間ほど、美佐子は延々とロナルドとやらの魅力を語り続けたのだった。
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「あんた、美佐子ちゃんの病気を悪化させちゃダメよ?」
美佐子の家に向かおうとする香耶を、玄関先で見送りながら香耶の母が言った。
母には、美佐子がたちの悪い病気にかかってるから看病してくる、と伝えてある。仲良し歴も長い為、美佐子のことをとてもよく知っている母は、必要以上に心配していた。
何故なら、美佐子には血縁者が誰も居ないからである。
小さいころに両親を亡くした美佐子は、母方の祖父母に引き取られ育てられた。そしてその祖父母も、香耶と美佐子が大学生の時に亡くなった。祖母がなくなり、それを追いかけるように祖父も。あの時の美佐子の顔は、今でも香耶の脳裏に焼き付いている。悲しいほどに。
それから一人暮らしを始めた美佐子を、香耶の母は心配して何度も家に呼んだ。今では、美佐子は香耶の姉妹のように家族に認識されている。香耶の唯一の姉弟である弟の翔太なんて、「美佐子姉ちゃんが本当の姉ちゃんだったらなー」と言うほどである。もちろん香耶はそんな弟の尻を思いっきり蹴飛ばしたりしたが。
「お薬とか大丈夫なの?なんだったら家に来てもらえばよかったのに…」
「うんでも起き上がるのもキツイみたいだからさ。まあどうしようもなくなったら連絡するかもだけど」
よっこいしょと荷物を持ちながら香耶は母に言った。
まさか今週末に美佐子が結婚式を挙げる為今から美佐子の家に行くなんて、美佐子の部屋が異世界の騎士ロナルドの部屋に繋がっているなんていうことを全く信じてない香耶は、母の心配そうな顔に良心が少しばかり痛んだ。
ただ本当のことを言っても、「あんた何言ってるの?」と馬鹿にされるのがおちである。
まあ、美佐子はある意味本当に病気だし…と心の中で言い訳した。
「けどまあ、香耶ちゃんのお休みがあってよかったわねー」
「それは本当に。まさかの1週間も会社都合で休みだなんてね」
「きっと美佐子ちゃんを大事にしなさいってことよ」
母はそういうが、この休みは、香耶が有給を消化しただけである。会社が有給を使ってくれと頼むものだから、仕方なくここで1週間ほど使ったのだ。美佐子がうまく現実を見れたら一人で、見れなかったら強制的に癒しも兼ねて二人でそのまま日本ぶらり旅にでも行こうと思い準備をした為、香耶の荷物はいっぱいなのである。
ちなみに美佐子からは、向こうの世界には向こうの世界の服装があり、自分の服を貸すから何も持ってこなくていいと言われていた。そして、気に入るものがない場合は、ロナルドがお金には困っていないから、なんなら買ってもらえばいいとまで。
「ああ、でも美佐子ちゃん…大丈夫かしら?」
「……私もそう思うよ」
母の不安そうな声に、香耶も別の意味で同意したのだった。
少しばかり説明くさくなってしまった…