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自殺を止める者

作者: 通りすがり
掲載日:2025/06/15

夜になっても昼間の熱気の余熱のせいか、一向に気温が下がらない。

風もなく体に纏わりつく生温い空気に、全身にじっとりと汗がにじみ出てくる。

額を濡らした汗で前髪が張り付いるが、梨花はそんなことは気にならない様子で、スマホの画面をじっと見つめていた。

その目は真っ赤で瞼も腫れぼったく、目の下には涙の後が幾重にも重なってみえる。

「亮二、なんで電話に出てくれないの。出てくれないと私、、、死んじゃうよ」

そう行って梨花は再び涙を流すのだった。


梨花は今、自宅のあるマンションの屋上から飛び降りて自殺をしようとしていた。

理由は彼氏にフラれたから......それだけだった。

しかり梨花にはそれだけでも死ぬ理由には十分に思えた。

亮二は梨花が人生で初めてできた恋人だ。社会人になるまで男性と付き合ったことのなかった梨花にとっては、亮二が最高の男性で、これから先の人生もずっと一緒に過ごす伴侶となるべき存在であると信じていた。

だが、付き合い始めてから半年ほど経った昨夜、亮二から電話で突然の別れを告げられたのだった。

理由をいくら聞いても「ごめん」としか言わないので、なぜ別れなければならないのか分からないし、とても納得はできなかった。

梨花はしつこく別れたくないと亮二に伝えたが、亮二はただ「ごめん」を繰り返すだけだった。最後は亮二から一方的に電話を切られてしまい、そのあとはいくら電話をしても呼び出し音が鳴るだけで電話が繋がることはなかった。

その晩は一睡もせずに泣きはらした梨花は、どうしても別れを受け入れることができなかった。

誰かに相談したかったが、このような話ができるような友人は梨花にはおらず、また家族にもとても相談できる話ではなかった。

その日は土曜日で仕事も休みだったので、考えて悩んでは亮二に電話をして繋がらないということを何度も繰り返し、気がつくとあたりはすでに暗くなり始めていた。

梨花はこのときになって、亮二との別れは避けられない事実として受け入れるしかないと思うようになっていた。そして別れるのであればもう自分は生きてはいけないとも思うにいたっていた。

梨花の住むマンションは、屋上の出入り口は中からならば鍵を開けて簡単に出れるようになっていて、梨花はそれを他の住人から聞いて知っていた。

屋上に実際に来るのは初めてだったが、聞いていたとおり、簡単に屋上に出ることはできた。

屋上は平坦で広々としたイメージだったが、実際には貯水タンクやエレベーターの機関部が収まるスペースなどがあちらこちらにあり、思ったよりも狭かった。

屋上の入口の扉を閉めて、梨花はまっすぐに柵のほうに向かって歩き出した。

柵の高さは梨花の首くらいの高さがあるが、よじ登ればなんとか乗り越えられそうだった。そして柵の向こうには1メートルほどの屋上の縁の部分がある。

梨花は柵を越えて屋上の端へと立った。

マンションは6階建てなので、屋上はかなりの高さがある。実際下を見ると想像以上に高い。

梨花はいったん柵の所まで戻り、柵に寄りかかってスマホを取り出した。


何度も亮二に電話をかけてもやはり繋がらない。梨花は最後の望みをかけてもう一度電話の発信ボタンを押す。

聞きなれた呼び出し音がスマホから聞こえてくるが、その呼び出し音が途切れることはいつまでもなかった。

もう諦めよう......、梨花は電話を切ると、そのままスマホを操作してメッセージアプリを開き、亮二に『亮二と別れるのならば生きていてもしょうがないよ さようなら』と書いたメッセージを送り、スマホを屋上の床にそっと置いた。

そして、再度屋上の端へ行くと下を覗く。今の梨花には絶望があるだけで恐怖は微塵もなかった。心の中で家族に「ごめんね、さようなら」と伝え、そして今まさに飛び降りようとした瞬間、どこからか男の声が聞こえてきた。

「やめたほうがいいよ」

梨花は驚いて辺りを見回す。すると梨花がいる位置から3メートルほど後ろのところにある貯水タンクの横にこちらを向いて立っている人影が見える。

その男と思われる人影は、再び梨花に向かって言った。

「やめたほうがいい、とくに飛び降りはおすすめしないよ」

梨花は普段は人見知りの性格のため、知らない人に話しかけられても答えられないことが多いのだが、この時は状況が異常だったこともあり、咄嗟にその声に答えてしまった。

「あなたは誰。どうして止めるの」

そう言ってから、普通の人だったら自殺をしようとした人がいたら止めようとするのは当然で、当たり前のことを聞いているな、と梨花は不思議と冷静にそう思った。

男は梨花の質問には答えなかった。

「あれを見てごらん」

男はその場から動かず、手だけを動かして数棟先にあるビルの屋上を指さした。

梨花は男に言われるがままに指をさしたあたりを見るがなにも見えない。

「えっ、なに?」

だが男は姿勢を変えることもなく「よく見て」と梨花に言う。

梨花は再度、男が指をさすビルの屋上を見た。すると先ほどまでは見えなかったが、なにやら白い影のようなものが動いているのがわかる。

その白い影はビルの端に行くと、そのままビルから落下して、ビルの下のアスファルトに激突した。

「なにあれ......」

最初、梨花にはそれがなんなのかわからなかった。その白い影は下に落下するとしばらくしてから消えてなくなり、そして再度ビルの屋上に現れるということを繰り返していた。やがて梨花にはその白い影がなんなのかわかってきた。

「人だ......それも女の人......」

その女性はビルの屋上から落下することを何度も何度も繰り返している。

女性が生きている人間ではないことは梨花にもなんとなく理解はできていたが、目の前で繰り返される惨劇が何なのかは理解できなかった。

「あれは...いったい...どういうことなの」梨花を男に訊いた。

「あの女性は、あのビルの屋上から飛び降りて自殺したんだ、今の君がしようとしていたみたいに。そして彼女は落下してアスファルトに叩きつけられて死んだんだ。だけど彼女は即死ではなかった。落下した直後にはまだ意識があり、体を襲う激痛の中で死ねなかったという思いの中で死んでいったんだ。そのため彼女は今でも自殺に失敗したと思い込んでいて、繰り返し繰り返しビルから飛び降りているんだ」

梨花はそれを聞いて絶句していた。まさかそんなことがあるのだろうか。でも実際に目の前でそれは繰り返している。

男は突然体の向きを変えて、別の方向を指さした。男が指をさした方向にはマンションの横を通っている電車の線路があった。

「あれを見て」

梨花が男が指をさしたほうを見ると、線路上を人が一人、フラフラとしながら歩いているのが見える。その人はどうやら男性のようだ。だがどうも様子がおかしい。さらによく見ようと目を凝らすと、なにがおかしいのかがわかった。

「手が......片方の手がない......」

その男の右腕が、肩の下あたりから無くなっているのだ。それも今しがた千切れたかのように断面が黒々とした血の塊に覆われているように見える。

「あの男は、あの辺りで走る電車に飛び込んで轢かれたんだ。彼は即死だったが轢かれた拍子に腕が千切れ飛んでしまった。だから彼は死んだ後も千切れて無くなってしまった腕を探して、ああして彷徨っているんだよ。絶対に見つかることはないのに」

梨花はもはや言葉が出てこなかった。自分はいったい何を見せられているのだろうか、それだけで頭がパニックになっていた。

そんな様子の梨花を知ってか知らずか、男は淡々とした口調を変えずに梨花に向かって言った。

「うまく死ねなければ死んだ後も苦しみが永遠に続くんだ。しっかり考えたほうがいい」


その時、床に置かれたスマホの画面が急に光り、それに続いてスマホから機械的な音が聞こえてきた。

それに気づいた梨花は我に返ってスマホが置かれているほうを見る。

なにかメッセージが届いたようだ。もしかしたら亮二からかもしれない。

そう思った梨花は慌ててスマホが置かれてところへ移動して、スマホを手に取った。

メッセージアプリを開くと、それはやはり亮二からのメッセージで、明日にでも会ってちゃんと話をしよう、という内容だった。

とりあえず亮二と会って話ができる。梨花は気が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。

しばらくそうしていたが、梨花はさきほどの男のことを急に思い出し周囲を探したが、屋上のどこにも男はいなかった。


梨花は翌日、喫茶店で待ち合わせて亮二と話をした。そしてその結果、二人はやはり別れることになった。

ただ、昨日までとは違うことが一つだけあった。梨花の亮二に対する気持ちが完全に冷めてしまったことだった。

このような状況になって話をしてみると、亮二の人間性が透けて見えてきた。

亮二は会うなり、付き合い始めてからずっと梨花の自分に対する愛情が重くて仕方がなかったと言った。そして如何に自分が梨花のために努力して、梨花のために我慢して、どれほど辛かったかを延々と一方的に捲し立てた。さらに、死ぬなどと言って別れないようにするのは卑怯だとついには怒り出した。

亮二の自分勝手な主張を梨花は黙って聞いていた。亮二の怒りのボルテージがあがっていくのと反比例して、梨花の気持ちはだんだんと冷静になっていった。そして亮二の話が途切れたタイミングで梨花は一言だけ「わかった」と言った。

亮二はそれを聞いて「えっ、じゃあ別れてくれるのか」と少しホッとしたような顔をした。

梨花は「ええ」とだけ答え、机に置かれた亮二の飲みかけのアイスコーヒーが入ったグラスを手に取ると、亮二の顔に目掛けて中のアイスコーヒーを勢いよくぶちまけた。そして梨花はそのまま店を出るために立ち上がり歩き始めた。亮二が大声で何か叫んでいるようだったが、梨花は後ろを振り返ることはなかった。

店を出て歩きながら梨花は、あんな男のために死のうとしていたことを心底から馬鹿馬鹿しく思っていた。そして昨夜、マンションの屋上から飛び降りて死ななくて良かったと思い、あの男に感謝するのだった。


それから一週間後、梨花の住むマンションの最上階の一室で若い男が首吊り自殺をしているのが発見された。

その部屋の隣の住人から異臭がすると通報があり、それが発見のキッカケとなった。

死後10日以上は経過していたようだった。

梨花が屋上で出会った男が立っていた場所の真下の部屋が、自殺体が発見された部屋だった。梨花はもしかしたらあの時の男は、その自殺した男性で、霊となって梨花の自殺を止めてくれたではないかと思った。

梨花はその夜に屋上に出ると、あの男が立っていた場所に買ってきた花を添えた。

おそらく男は死んだあとで自殺をしたことを後悔したに違いない。そして今から自殺しようとしていた梨花を見て、自殺を思いとどまらせようとしたのだろうと思った。

「自殺を止めてくれてありがとう」

梨花はしゃがんで花に向けて手を合わた。

そのとき、梨花は自分以外に屋上に誰かがいる気配を感じた。すると梨花に向けて話しかけてくる男の声が聞こえてきた。

「違うよ」

梨花は立ち上がってあたりを見回す。すると梨花の少し後ろに立つ人影があった。ただ梨花の位置からだと逆光となってその姿は良く見えない。

梨花は男が死んだ人間だと認識はしていたが、不思議と恐怖はない。それは自分を救ってくれたとの思いがあるためなのかもしれない。

「何が違うの」

梨花がそう答えると、その人影はゆっくりと梨花のほうに近づいてくる。

「僕は飛び降りはやめた方がいいと言っただけだよ」

男がさらに梨花に近づいてくる。

「しっかり考えたかな、死んだあとも苦しまないで済む自殺の方法を」

男の姿がはっきり見える距離まできたときに、梨花は声にならない悲鳴をあげた。

そこには全身がグズグズに腐った異様に首が長い男が立っていた。

「残念ながら僕も失敗してしまったよ」

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