3.訓練場
姉のエリーゼから指摘されたことをきっかけに、私は今まで以上に宮廷の若い令嬢達の着こなしや化粧の仕方を注視するようになった。
その成果なのか、廊下ですれ違う男性文官や警備兵達の視線が集まるようになったし、サロンに出席すると他の令嬢たちから服飾のセンスを褒められたり、アドバイスを求められることが多くなった。
自分でも自信がついてきている。
今ならアレクシス様も私に関心を持ってもらえるかもしれない。
そう思って彼の部屋に行くと、ちょうどアレクシスが部屋から出てきた所だった。
「おはようございます、あなた……」
アレクシスの隣には、若くて派手な令嬢が寄り添っていた。
「お前か……気安く声をかけるな」
冷たく吐き捨てると、そのまま女性を連れて行ってしまった。
碌に私と視線を合わせることなく……。
全身の力が一気に抜けていくのを感じた。
努力しても無駄なのだろうか……。
重い足取りで宮廷を彷徨っていると、金属がぶつかり合う甲高い音が耳に入ってきた。
「ここは……訓練場?」
いつの間にか私は宮廷の1階にある警備兵達の訓練場の前まで来ていたらしい。
中では警備兵達が剣の訓練をしていた。
「剣術、か……懐かしいな」
私の実家であるルシエール侯爵家は代々帝国の騎士団長となる人材を輩出してきた、武芸を重んじる家系だ。
そんな家に病弱な身体で生まれた私は、幼い頃から両親に存在を無視されていた。
両親に認めてもらうには、ルシエール侯爵家の人間として恥ずかしくない剣術の腕を身につける必要があった。
私の身体では圧倒的に不利なのは言うまでもない。
だが、病弱な身体だからと言い訳しても現状が変わるわけじゃないので、必死に剣術の稽古に打ち込んだつもりだった。
それでも両親は認めてくれなかった。
エリーゼという、神の寵愛を受けし稀有な才能が傍にいたからだ。
私が1年かけて身につけた技術を、姉は1か月でものにする。
必死に追いかけても、姉の背中は遠のいていくだけだった。
侯爵家の令嬢たるもの剣術だけじゃなく、学術、作法、刺繡、服飾のセンスなど、身につけなければいけないことは山ほどある。
その全てにおいて、姉は完璧だった。
完璧すぎて私の必死の努力が、まるで無意味だと無言で語っているかのように思えた。
両親の関心は、ますます姉に集まっていく。
そしてアレクシスとの婚約が決まってからは、剣術の稽古に打ち込む時間は減っていった。
その代わり礼儀作法や服飾、化粧の仕方など、公爵夫人として求められる技能の練磨に時間をかけるようになった。
もはや私に出来ることは、それしかないと思い知らされたからだ。
だけど剣術の稽古自体は嫌いではなかった。
姉にはかなわなくても、努力すればするだけ上達を感じられたから。
訓練場の警備兵達の稽古を眺めているうちに、身体がうずいていくのを感じる。
久しぶりに剣を振ってみたい。
剣術の稽古を辞めてから大分経つから、腕は落ちてるかもしれないけど。
それでも目の前にいる警備兵達の剣筋は、私の目から見てもやや甘い気がする……。
違う違う! そうじゃない。もっとこう……。
思わず声が漏れそうになって慌てて手のひらで口を塞ぐ。
「あれっ? あそこにおられるのはアレクシス様の奥方様では?」
いつの間にか周囲の視線を集めてしまっていた。
公爵夫人がこんな無骨な場所にいては目立ってしまう。
私はいそいそとその場を後にした。
次の日、私は下級貴族の格好をして訓練場にやって来た。
スカートではなくズボンを履き、ふくらはぎまで届く長い髪は頭の上でまとめて、キャスケット帽をかぶって隠している。
化粧や香水は控えめで。
この姿なら目立つこともないだろう。
案の定、誰も私のことを気にしていない。
これで心おぎなく見学できる。
警備兵達は熱心に素振りをしていた。
その様子をしばらくぼんやりと見学していると、モクモク頭に湧いてくるあの感情。
剣を振ってみたい。
でも今の私には公爵夫人という立場が。
「何だ? 入隊希望の者か?」
突然横から声をかけられたので驚いて声のした方を振り向くと、中年の男性兵士が立っていた。
厳つい顔で不審そうにこちらを見おろしている。
「あ、いえ……あの」
とっさのことでうまく言葉が出てこなかった。
「何だ違うのか? だったら訓練の邪魔になるからあっちに行きな」
踵を返して向こうへ歩いて行く男性兵士。
ほっと一息ついたものの、すぐに脳内で自問する。
このままでいいのだろうか?
牢獄のようなこの宮廷で、誰にも求められず朽ちていく人生で。
心臓が一つ、ドクンと跳ねた。
今が自分の好きなことを始めるチャンスだ。
そう思ったら自然と言葉が口から出た。
「あの……違わないです! 入隊希望です!」