2.始動
暗澹たる気持ちのまま、私はベッドの上に横になった。
「私、もう、誰にも愛されることはないのかな……」
ポツリと口からそんな言葉が零れる。
誰にも愛されないのに、生きてる意味があるのかな。
いっそ服毒自殺でもしようか……。
そんな考えが頭をもたげたが、首をぶんぶんと振ってその考えを振り払う。
ここで私が死んでも誰も悲しまない。
ただ、誰の記憶にも残らないまま、ひとりでこの世を去るだけだ。
それじゃ悔しいじゃない。
せめて何か、私が生きていたという爪痕を残したい。
死ぬのはそれからでも遅くない。
そう決意したら、少しだけ全身に力が入った気がする。
ゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。
よし、何か行動しよう。
新郎であるアレクシスからは、ロシュフォード公爵家としての品格を損ねない限りは何をしてもいいと言われている。
だから私が何をしようが、基本的にお咎めはないはずだ。
幸い公爵夫人という地位のお陰で生活には困らないし、公務なんてほとんどないから時間だけはたっぷりある。
とはいうものの、この広い宮廷に知り合いなんていないし、することなんて何もない。
でもとにかく、今は動いてないと気が滅入ってくる。
それからというもの、私は自分にできることを探して宮廷内をぶらつくようになった。
夫であるアレクシスの部屋にも毎日通っていたが、あの日以来一度も会えていない。
宮廷は広く、彼がどこで何をしているのかすらろくにつかめない状態だ。
時々廊下ですれ違う貴婦人たちが、アレクシスに声をかけられたと話しているのを耳にするくらいだ。
やはり女遊びに夢中なのだろうか。
そうこうしているうちに一週間経った。
宮廷の廊下で、姉のエリーゼと遭遇した。
「久しぶりね、ユノ」
姉様とは一週間前の結婚式の時以来の顔合わせだ。
「ごきげんよう、姉様。いかがお過ごしですか」
「相変わらずよ。それよりあなた、アレクシス殿とは上手くやれているの?」
「そ、それは……」
答えに窮する。
結婚式以来一度も顔を会わせていないなんて恥ずかしくて言えたものでは……。
「ふーん、その様子だと上手くいっていないようね」
「……お恥ずかしながら」
やはり姉様の観察眼を誤魔化すことはできない。
「私も噂には聞いているわ。相当な遊び人のようね。でもね、ユノ。夫の不貞をいさめるのも公爵夫人の務め、そうではなくて?」
「姉様のおっしゃる通りです……」
「だいたいアレクシス殿が浮気性なのも、あなたに魅力がないからではないのかしら。あなたのその召し物、帝都の社交界の流行とは少しずれていると思うわ。化粧の仕方もなってないわね」
社交界の流行の移り変わりは激しく、一月前の最先端が今はもう古臭いと言われることもザラだ。
常に宮廷内の令嬢方の様子に眼を光らせないと、あっという間に流行に乗り遅れてしまう。
ここ一か月、結婚式の準備で忙しかったから、流行を追い切れていなかった。
「まったく……先が思いやられるわね。まあ、あなたには誰も期待していないから、もしあなたが粗相をしてアレクシス殿と破局したところで、お父様はそれも想定済みなのよ」
「えっ」
「お父様はただ、宰相のヨーゼフ殿に接近する機会が欲しかっただけなのよ。つまり結婚式を挙げた時点であなたの役目はほぼ終わったのよ」
そんな……。
私にとってこの結婚は、人生を賭けた一大行事のつもりだった。
ルシエール侯爵家のために自分に出来ることはこれしかない、と。
そう思っての断腸の決心だったのに。
お父様にとっては、私の人生そのものが使い捨てなのだ。
「でもさすがに結婚して一週間で破局するのは外聞が悪いわ。せめて私が嫁ぐまでは粘って頂戴ね」
姉様の婚約者はダグザーク王国という国の王太子だ。
私たちが住んでいるこのヴェルセリア帝国は連邦制で、ダグザーク王国はヴェルセリア帝国連邦を構成する国の一つである。
形の上ではダグザーク王国はヴェルセリア帝国の属国ということになってはいるが、近年飛ぶ鳥を落とす勢いで発展しているダグザーク王国の国力は、本国であるヴェルセリア帝国と並ぶ勢いだ。
1年前に勃発したダグザーク王国と隣国との戦争の後始末が終わるまでは、姉様の輿入れは延期となっている。
だからそれまでは、こうやって姉様の小言を聞かされる羽目になるというわけだ。
「ご忠告感謝申し上げます。姉様……」
「ふん、じゃあ、私は次の予定があるからこれで」
そう言い残してエリーゼは行ってしまった。
両親から期待され、未来の王妃として前途洋々な姉エリーゼの背中が遠のいていくのを眺めながら、私は絶望的なまでの差に打ちひしがれる思いで立ち尽くしていた。
だけど、ここで負けたくない。
アレクシス様に関心を持ってもらうため、私は私にできる努力をしてみよう。
そう決意するのだった。