男は女<立場でしょ
「珊瑚、座りなさい」
そう言われても、自分の身勝手を思うと、ひれ伏したまま首を横に振ることしかできなかった。東宮の手に身を起こされた。見れば、東宮は私の隣、床に座っている。
「東宮」
「珊瑚がそのままなら、私もこのまま話す」
「……」
「提案だ。一緒にイスに座ろう」
高貴で優しい人柄は、以前と変わない。
東宮を冷たい床の上に座らせるわけにはいかず、長イスに戻った。
「……なぜいなくなったのだ」
「自分にかけられた呪いを解いてもらおうと、この地へ来ました」
「誰からも好かれるという呪いか?」
「はい」
「解けておらぬぞ。私の気持ちは真ということか」
「そのような呪いはなかったのです」
「呪いはないと?」
「はい。私が長い間信じていたことは、まったくの霞でした。その方は、術師ですらありませんでした」
「そうか。私は、自分の気持ちが呪いせいでないことぐらい、分かっていた」
「お茶を淹れてまいります。お口に合うかは分かりませんが、栗もあります。お時間はございますか?」
「ああ」
竈に火を起こし、お湯を沸かす。安い茶葉でお茶を淹れ、栗と共に出した。
栗の皮など剥いたことがなさそうな東宮のために、栗は半分に切っておいた。それでも戸惑っていたので、私が剥いた。水仕事で荒れた手。私の暮らしは、もう、東宮とは違う世界。
「……あの、先程、皇室別邸で聞いたのですが、東宮の船に入港許可が出ず、船から降りられないと」
「そうだ。早朝、私だけ、こっそり抜け出したのだ。先程の者は、こちらに常駐している情報屋。一刻も早く、珊瑚に会いたくて案内させた」
え、ちょっと。何それ。No.15を救う方が先でしょ。もう逃げちゃってたからよかったけど。本来の目的はそっち。現にNo.15は刺客に狙われた。
東宮自ら上陸したのなら、皇室別邸で状況把握するのが筋。それをせず、女追いかけてるの? 私の夫って、そんな人だったの?! ショック。
「お一人でですか?」
「他の者などに知られたら、止められる」
「……」
当然。
「船の漕ぎ方は、塩商達に連れて行かれた小島から脱出するときに覚えたぞ」
東宮は少し自慢げ。栗も剥けないのに。
「入港できない船はどうなっているのですか?」
「影武者を置いてきた」
「今後はどうなさるおつもりですか」
「船に戻り、叔父と交渉する」
「第15皇子はもう無事なのにですか?」
「それは、発表されていないはず。発表されていなければ、話し合うしかない。ここまで出向いて、何もせず帰るわけにはいかない」
「船に戻る前に、皇室別邸へ行ってください」
第15皇子が、船に物資を運ぶため、公に姿を現した後。向こうからのアクションが変わるかもしれない。
東宮は無言で頷いた。沈黙が流れ、囲炉裏の中から火がぱちりぱちりと立てる音を聞く。
「珊瑚。もう、東宮殿は嫌か?」
ようやく東宮が口を開いた。
「お捨て置きください。ひっそりと暮らしたいのです。ご迷惑はおかけしません」
「私の側では幸せになれぬのか? 私は、国よりも珊瑚、お前が大事だ」
「……」
「この場で珊瑚の全てを奪って、東宮殿に連れて行くこともできる」
「……」
「だが、それをすれば、地下牢に閉じ込めた父と同じだ」
「……」
「正室の座は開けておく。それが私の気持ちだ。どんな形であれ、珊瑚と繋がっていたい」
「お捨て置きを」
「私の気持ちを軽く見るな!」
穏やかな東宮の突然の強い語気に体がびくっと震える。
「……」
「数えるほどの日数しか一緒にいなかった。それでも、共に弓の稽古をし、馬に乗り、添い寝したことが、心の支えだった。何度も何度も思い出す。どれも色鮮やかで。あの日々があったから、政治抗争も世継ぎ問題も乗り越えられた」
「……」
「何年経っても、どこへ行っても、珊瑚、お前は私の妻だ」
「……」
「他の男との結婚など許さない!」
ばさっ
東宮は、紙袋を床に投げつけた。
それは私が宝石店の店主から預かった薬。男の人だから知っている。そうじゃなくても、東宮はEDの噂のとき、国中から精力剤が届いた。
「これは、麗の勤め先でいただいた、麗への薬です。麗は私の兄だと思われているので」
説明すると、東宮はカッと顔を真っ赤にした。
「そ、そうか。私は、カレシができたのかと。珊瑚にそれを買わせるほど魅力的な男なのかと。そうか。……失礼した」
「……ぃぇ」
私、カレシに一服盛るような女だと思われたの?! しかも精力剤。
「ここでの生活に不自由はないか?」
「はい。以前いただいた分で十分すぎるほどの暮らしができます」
「そうは見えないが」
「華やかな暮らしをして目立つわけには参りません」
「困っていないのならよい」
気まずくなった空気を払拭するために、話題変更。
「お世継ぎが生まれたと聞きました。おめでとうございます」
「ああ。子は可愛い。私は、自分の存在が嫌だった。だから、子を作らないと決めていた」
「ご自分の存在が?」
「血を存続させるためだけのもの」
「皇帝の血脈なのですよ」
「王朝の初代は、時代の中で相応しい者が皇帝になる。しかし、世襲で民が幸せなのだろうかと思うのだ。歴史の中、2代目以降に賢帝は少ない。なんの巡り合わせか、たかが生まれた順序で自分が東宮になってしまった。せめて自分で終わりにしよう、子供にまで同じ思いをさせたくないと思っていた」
「……」
それが子作りをしないかった理由。
「だが、その程度の我儘すら、自分には許されないと分かった。私が世継ぎを作らねば死体が増えてしまう。それは、皇族に及ぶ前に民が犠牲になった」
「……」
No.3とNo.5の諍いのことだろう。
「子ができてよかった。第3側室も第4側室も聡明な女性、あの2人なら、素晴らしい人間に育ててくれるだろう」
「私もそう思います」
「珊瑚はまだまだ子供なのだな」
「え?」
まあ、第3側室ピンク芍薬と第4側室紫陽花に比べれば。
「男心を分かっていない。男は、二人きりのときに、他の女の話などしたくない」
「……」
「私は、もう帰ろう。皇室別邸に行かねば」
「お願いします」
「珊瑚、美しい娘になった。私の正室は、珊瑚しかいない。そのことだけは心得ていておくれ。星、珊瑚を頼むぞ」
「わん」
東宮は星のアゴを撫で、残りの栗を持って立ち上がる。
そんな東宮に、私は身を隠すための蓑を着せた。
山道。馬で駆けていく後ろ姿が木立に隠れるまで見送った。
最初は知らないおっさんとのセックスが恐怖だった。おっさんは、外見も中身もいい人だと分かった。それでも好きでもない人との行為は嫌悪でしかない。
自由を知った今、東宮殿を窮屈だと思う。けれど、中にいたときは、これまで通り友達と会えないこと以外、それほど窮屈とは思わなかった。武術の稽古も杏とのお喋りも楽しかったし、ピンク芍薬や紫陽花に憧れた。
結局、私が東宮殿に戻りたくない理由は、おっさんの妻になりたくないだけ。
自分は、この上なく贅沢で我儘極まりない、身勝手なことをしている。
南自治区から東宮殿に帰るのが、正解ルートだったと今分かる。
あのときも分かっていた。それでも呪いを解きたかった。
形は違えど東宮や皇帝の執拗さが気持ち悪かった。
呪いで成り立つ自分に、自信を失っていた。
もう間違いルートの上を歩いている。
塵になりたいと過去を顧みる。
歩むべき道を考える暇がない日々に突入した。きっかけは、1発の砲弾だった。
なぜそこに大砲があったのかも、誰も説明できない不可解な罠だった。




