いつか笑うはずの夜
「いつか笑うはずの夜」新たに挿入しました。
ヤバい。
テーブルを挟んで正面に座るのは、都からはるばるやってきたED、じゃなくて、東宮だった。
幻ではないかとか、一日千秋の思いだったとか、あれこれ言いながら涙を拭う。
「珊瑚、本当に会いたかった」
「東宮、お元気で何よりです」
「辛く寂しい思いをさせて悪かった」
いえ、めっちゃ充実した日々を送っております。毎日楽しくてたまりません。
「そんなことは……」
「先日の文にも、涙が滲んでいた。文を運んだ者が『都を思い出して泣いておられた』と。幼い珊瑚にこのような不便なところで」
よよよ、と東宮は、再会の嬉し涙を私を憐れむ涙に移行させる。
「ここでは何のおもてなしもできかねます。申し訳ありません」
=高貴な方がいる場所ではありませんので、早く帰ってください。
「姿を見ただけで十分。どうしても我慢できず、出張の合間に寄ったのだ」
「どちらへの出張なのですか?」
「沿岸部だ」
全く方向が違う。沿岸部は都から東へずーっと進んだ場所。南自治区は都の南南西に位置する。距離はとんでもなく離れている。
「塩の商いはいかがですか? 塩チケットで塩が値崩れしていると聞きました」
「大丈夫。塩の儲けは、そんなこと蚊が止まった程度。それより珊瑚、今夜はここに泊まってもよいか?」
は?
「東宮がお泊まりになるような場所ではありません」
「では、私の船に来るか? 一緒に夕食をし、一晩ゆっくり過ごそう」
へー。船で来てるんだ、、、
「一晩ですか?」
NO!
「もしも警戒しているのなら、そんなことは不要。噂がここに届いていないか? 私は」
そこで東宮はテーブルに身を乗り出し、扇子の影で「ED」と呟いた。
「はぁ」
「だから安心しなさい。珊瑚。何もしない。そうだ! 珊瑚が眠るまで、書を朗読しよう。船に行こう」
「ひっそりと暮らしている身。目立った行動はできません」
「では、ここで。珊瑚が眠るまで」
はああああ?!
おっさん、しっつこ。
どうにも引いてくれなさそう。根負けした。さっさと寝たふりをして帰ってもらおう。
夕食は、東宮の共の人たちが手配した。ムチャぶりされて気の毒でならない。
慣れない現地で食材を調達し、船にいた料理人を狭いキッチンに呼んだ。港から家までは離れている。馬車までレンタル。
No.15のお付きの人も大変だけど、東宮の周りの人もかなり大変そう。皇子というものは、我儘気ままが標準装備されているのだろうか。
久しぶりに何品もの、毒味後の冷めた料理を食べた。どの皿も少しずつ。
さすがプロ。安定の美味しさ。
食後、料理人達は船へ帰された。まだ、護衛や東宮の身の回りの世話をする人達がいっぱい残っている。この人達は、私が眠らなければ帰れない。なんて気の毒な。家には寛ぐための十分なスペースもない。一応、客間に通してはあるけれど、使わない客間にはイスすらない。
夜。
ベッドに入るときは、武術の稽古の服に着替えた。男物。ガードばっちり。
「珊瑚はいつも、そのような服で眠るのか? 疲れが取れなくないか?」
「女2人暮らしの山の中。何かあったとき、すぐに戦えるよう備えています」
ウソばっかり。いつもは、楽な服だよー。
「眠るときも気が抜けないなんて」
東宮は小さくため息を吐いた。
手に蝋燭の灯りを持ち、東宮を案内する。
「私はこちらの部屋です」
「おおー。珊瑚の匂いがする」
東宮はすーはーと深呼吸。ちょっと危ないおっさんになっている。
「そうか。都からいろいろと送ったが、ここでは使えないのだな。すまなかった」
部屋の片隅に積まれた箱を見る東宮。
「とんでもない。お心遣い、とても嬉しく思いました」
「ん? これは……」
マズい。バイトの書き写した紙が文机の上に何枚も重ねてある。一番上には、布と文鎮が置いてある。けれど、興味を示した東宮は、文鎮を下ろし、布を捲ってしまった。
「あ、あの、それは。隙間時間にバイトをしておりまして……」
東宮は蝋燭の灯りを近づけて上の方3枚ほどに目を通す。
「珊瑚。なんと……」
紙を持つ東宮の手がわなわなと震える。
「はっ、はしたないものを、申し訳ありませんっ。世に需要があるのは、この手なのです」
言い訳すると、東宮は眦を下げた。
「嬉しい。待っていたのだ。珊瑚が大人になるのを」
いえ、なってませんから。キモいキモい、顔がキモい。皇帝と東宮は間違いなく親子。年齢と外見が違うだけ。
東宮は静かに紙、布、文鎮を元に戻すと、そっと掛け布団を捲り上げた。
どうか、バイトの書で変なスイッチが入っていませんように。
「東宮の前で寝るなど、申し訳ない限りです」
「では、一緒に寝るか?」
「……」
思わず眉間にシワを寄せてしまった。
「じょ、冗談だ」
「……」
「しかし、私は安全だぞ。なんといってもED。隣に寝転ぶだけだ」
「このように狭いベッドでは、2人はムリです」
「大丈夫。書の朗読をするだけなのだから。軍記物でなく、珊瑚のバイトの書を読み聞かせようか?」
「ダメです」
絶っっっ対ダメ。
狭いベッド。私がいくら壁際に寄っても、東宮に触れてしまう。東宮は横向きに寝転び、手で頭を支えた姿勢で私の方を向いている。私は壁の方を向く。何か言われたら「こっち向きじゃないと寝られない」と言うつもりだった。そのまま、朗読が始まった。
しまった! 顔を壁に向けていたら、眠ったことをアピールできない。急遽寝返り。
ばちっと東宮と目が合う。気まずい。ぎゅっと目を瞑った。
そっか。目を閉じたら、今寝ましたってことが伝わらない。目を開けた。何やってんだろ、私。
だんだん、眠そうに瞼を閉じて、開けて、閉じてー開けて、閉じてーー開けて、閉じる。これは、星を観察して分かった眠りの就き方。我ながら、上手くできたと思う。
しばらくすると、東宮の声が止まった。
目を閉じていても視線を感じる。気のせい。自意識過剰、と自分を戒めていたら、髪にそっと触れられているのが分かった。それは本当にそっと。次はまつ毛。服の襟、唇。そのうち、ベッドが軋んで、掛け布団が静かに捲られていくのが分かった。服を着ていても、布団の重みくらい分かる。
ごくっと唾を飲む音まで聞こえるほど、東宮が近くにいる。
お願いだからもう帰って。心の中で祈る。
隣の部屋には麗様がいる。家の外、庭には護衛。部屋の外に東宮の身の回りの世話をする人。これほどの衆人環視の中であっても、東宮は私を好きにできる存在。例えば私が拒んでも、夫婦愛とやらで片付けられてしまうのだろう。
星輝がいなくて、よかった。
始まってしまうかもしれない無慈悲に、心臓をばっこんばっこんさせていると、優しい声が聞こえた。
「何もしないと言ったではないか。そんなに心臓を鳴らすな」
思わず目を開けると、東宮は、自分の腕を枕に、私を見つめていた。
「……」
恥ずかしさと怖さで涙が出そう。
「お前に嫌われるのは怖い」
「そんなことは……」
「だから何もしない」
あれ? EDだからじゃなかったっけ。
「……」
「少し、クールダウンさせてくれ」
「クールダウン?」
「いつか珊瑚が大人になって、笑い話になるころ話そう」
それからしばらく、東宮は私の方を向いたまま。仕方がないので、私が書を朗読した。
数ページ読んだところで、東宮は「疲れただろう」とストップをかけた。
「もういいのですか?」
「ああ。もう帰る。おやすみ、珊瑚」
「いい」と言われたけれど、玄関でお見送りした。
「いつか笑うはずの夜」は東宮ターン。この後にNo.15ターンも挿入する予定です。




