月が知る寂しい夜②
修正しました。中華風なので太陰太陽暦となります。
新月は太陽と共に昼間に動きます。夜空を見たとき、月に気持ちを例えるのはおかしいのではないかと思案中です。
「一緒に夜を過ごすのに、全く何も起こらないというのは、とても寂しいことでした。いっそのこと、他の妻と同じように顔も忘れるほど会わないでいられたらと、自分が正室だったことを呪いました。温もりと香りがあるのに、背を向けられているのです。ひとりベッドを抜け出して、窓から空を見ていました。毎月1日。新月は空という水に隠れた薄氷のよう。心の中でぱりんと氷の月が割れるのです。それは砕けていく自尊心でした」
「自尊心……」
菊蘭様は、遠い目をして昔を語る。
「辛くて、苦しくて。東宮の心に想う方がいるのなら納得できるかもしれないと思ったり、自分は一族の期待を一身に背負った正室なのだと思ったり。恋をしているはずなのに、東宮が憎くて憎くて、刺し殺しそうかと本気で考えました。私が夜空を見た数だけ剣で刺したら、きっと東宮の体の皮膚は見えなくなってしまうでしょう」
「そこまで思い詰められたのですね」
「なので珊瑚が婚儀の日、東宮と夜を共にしなかったと聞き、貴方が救われてよかったと思いました。何もされない屈辱など味わわなくてよいのです」
「……」
「東宮が珊瑚のところへ足繁く通うようになっても、私の心はもう無になっていて、何も思いませんでした。第4側室にはあれほど嫉妬したというのに」
それは、単に、役不足だったからなのでは……。
「あるとき突然、東宮に謀反の疑いがかけられました。珊瑚、貴方まで捕えられました。東宮不在となった東宮殿は取り調べを受けました。ありとあらゆるところをチェックされました。それは私達の部屋も例外ではありませんでした」
「そんなっ」
「貴方がいないときに、部屋は隈なく調べられています。安心してください。星のおもちゃくらいしか変わった物はありませんでしたから」
「他も大丈夫だったのですか?」
「ええ。何もありませんでした。かなり長い間探していました。第1側室が何か情報を持っていたのかもしれません。第1側室の度は、皇帝側の人間なので」
「皇帝側の……」
私軍の武器を隠し通せた。よかった。
「私は正室として、皇帝から直々に取り調べを受けました。気丈に振る舞っていたつもりだったのです。けれど、なぜ女としての喜びも与えられぬ正室なのに、問題だけが降ってくるのかと思うと、理不尽さに涙が込み上げました」
「……」
「皇帝は女性の扱いを心得た方、泣いている私をそっと抱きしめてくださいました。そのとき閃いたのです。自分を苦しめてきた男の心に打撃を与える方法を」
私は、ごくりと唾を飲み込む。
「見つめ合い、ベッドに運ばれ、私は初めて殿方というものを知りました」
げぇぇぇぇ。ちょっと、菊蘭様、急展開過ぎ。
「東宮を裏切った行為は当然内密なまま。これでは東宮の心は痛くも痒くもありません。ですが、神は私に味方しました。お腹の中に証拠が残ったのです。これで東宮が私を憎むと思うと、ゾクゾクしました。負の感情であっても、自分のことで東宮の心を満たし、自分を東宮の心に刻みたかったのです」
「……」
「私が懐妊したことは、医師から東宮に告げられました。とても喜ばしいこととして。当然です。ベッドルームでのことなど、医師が知る由もないのですから。東宮は『本当に子がいるのか?』と私に尋ねました。私はやっと言葉の剣で東宮を刺すチャンスを与えられたのです。『お腹の子は皇帝の子です』と。東宮は、無理強いされたと勘違いしました。私は2度目の剣を振り下ろしました。『私から誘いました』と」
「……」
「後悔はしていません。望み通り、東宮の心に打撃を与えられたのですから。計算違いだったのは、東宮が私を廃妃にしたこと。正室でなくなるだろうとは思っていましたが。東宮の傍で子を育て、東宮がその子を見るたびに心を蝕まれてくれればいいと考えていました。けれど、東宮は優しかった。残酷なほど」
「噂ですか?」
EDの。
「ええ。東宮は自分が泥を被ったのです。1週間後には、私は後宮にいました」
「……」
迅速。
「顔の傷は、皇后様に短剣を突きつけられたときのものです」
菊蘭様は、自分の左耳に近い頬の下の辺りから首にかけての傷をそっと撫でる。
「酷い」と見つめる私に、菊蘭様は首を横に振った。
「当然です。私が皇后様の立場だったら、短剣で首を落としていました。昔から可愛がり、信じていた人間が、息子を裏切って夫と寝たのですから。それどころか子まで。『恥を知りなさい』と言われました。皇后様は私に傷をつけるつもりなどなかったのです。驚いた周りの者達が止めに入って短剣が落ち、私に当たっただけです。報いなのでしょう」
「美しいお顔に……」
「私のお腹に子がいることをご存知だったのは、後宮では皇后様だけ。けれど、東宮が子を成せないという噂と共に後宮入りした私に、後宮の妃達は冷たいものでした。追い討ちをかけるように、皇帝は私に執心なさいました。私は、皇帝が、疎ましく思っていた東宮から巻き上げたもの。毎晩私のもとへお通いになられました。お優しい方なのです。東宮の冷たい優しさとは違い、じんわりとオンドル(床暖房)のような優しさです。どう接していいのかわからない東宮とは違って、皇帝とは他愛ない時間を過ごすことができます。年齢や外見を取り払えば、とても平凡で朗らかで可愛らしい人なのですよ」
「……」
取り払えんっちゅーねん。
「私のお腹の子は、後宮入りした日から数えると問題があります。なので、後宮ではなく、皇帝の住まいの一角に私の部屋が設けられました。そこまでしてくださる優しい方なのです」
菊蘭様、それは、恐らく、自己防衛のためです。
「子を産みました」
「おめでとうございます!」
「男の子でした」
「まあ!」
「日にちが合わないので、2ヶ月、生まれた日をずらして内々に発表されました。皇帝は毎日のように子をあやしておいでです。とても子煩悩な方です。産後の私にも優しくて」
「お幸せそうでなによりです」
キモいけど。だって、あの皇帝。
「今回、湯治場に一緒に来ていたのです。子は乳母に預けて。恋人気分を味わいました」
げぇぇぇぇ。
「そ、そうなのですね」
「ご公務があって先に帰られました。今は、私だけ残っています。安心してください。珊瑚がこちらにいることは、皇帝はご存知ありません。東宮から聞きました。『正室を勧めてくる』とカコつけて。一緒に来た共の者達には、遠縁の娘と言ってあります。皆信じています。日焼けしてすっかり逞しくなった貴方を、誰も窮屈な東宮殿の側室とは思いません」
日焼け止め塗ろ。
「今後はどうなさるのですか?」
「子の大きさを誤魔化せるようになったら、後宮に戻るつもりでいます」
「他の妃達が冷たいのでは……」
「大丈夫です。後宮は不思議な場所。私は男の子を産みました。帝国随一の経済力を持つ一族の出身、皇帝の寵妃。それだけで多くの者が従うのです。従わせます」
「頑張ってください」
「頑張ります。珊瑚、貴方には信じられないかもしれませんが、こんなにも心穏やかで幸せを感じるのは、17歳で東宮に嫁いでから初めてなのです。私は息子を守るために後宮で闘います。貴方こそ頑張って。東宮が嫌なら逃げればいい。東宮から私を得た皇帝は、もう、貴方に固執することはないでしょう。それを言いに来ました。東宮殿での生活を望むのであれば、いつでも帰れますよ。正室の座は空いています」
「まだよく分かっていないのかもしれませんが、私は結婚生活とか出世とか、興味がないのです」
「そう。きっと、それが貴方なのでしょう。元気な姿を見られてよかった。目の前で連れ去られた貴方の身をずっと案じていました」
最後に色香漂う笑顔を見せて、菊蘭様は去って行った。




