実は嘘八百かもです
噂は文より早かった。
「お可哀想に。男として同情するね」
季節は冬。言葉と一緒に白い息を吐きながら、書店の主人は腕組みをして首を横に振る。
書物がたくさんあるせいで火気厳禁のバイト先。納品のチェックを受けながら、私は指先に息を吹きかける。
「何かあったのですか?」
「いやいやいや。レディには聞かせられないな」
「レディあるまじき書物を書き写しておりますが」
「それもそうだな。いや、これはここだけの話で、知り合いが友達の兄さんから聞いた話なんだが。他の誰にも喋っちゃいけない。……東宮がEDらしい」
「ED?」
「おーっと。しーっ。若い女の子が口にする言葉じゃない」
「それは、何ですか?」
「そのー、えーっと。そんな澄んだ無垢な目で見つめられると話せない」
「では、書店の辞書で調べます」
「載ってない」
「ED?」
「しーっ。子づくりができない病気だ」
「まあ。それでは世継ぎが。大変ではありませんか!?」
「珊瑚、声が大きい」
「すみません」
「誰にも言っちゃダメだから」
書店を出て、向いの茶屋で待つ麗様のところに行くと、2人で同時に口を開いた。
「「東宮がED」」
「え、麗も知ってるの?」
「今、お茶のおかわりのとき聞いた。茶屋のおかみさんが友達の妹の知り合いから聞いたって。ここだけの話だから絶対誰にも喋るなと」
「EDって?」
「エラー・ダイナマイトらしい」
(注:違います)
「エラー・ダイナマイト?」
「爆発しないってことなのかな?」
「え、爆発するものなの?」
「さあ」
「書店の主人はね、子作りできない病気だって教えてくれた」
「エラーだったらできないよな」
正室のおめでたの話ではなく、ED話が噂になるなんて。そういえば、おめでたのことはどうなったの?
そんなことを思っていたとき、東宮から銀子と文が届いた。銀子はいらないと断ったのだけれど、届けた人から「自分が罰を受けてしまう」と言われ、しぶしぶ受け取った。
文には、正室が廃妃になり、東宮殿から尼寺へ移った後、皇帝の妃となったと記されていた。
「マジで?」
「どしたの珊瑚」
「正室が皇帝の妃になったんだって」
「うっわー。それ、つまり、そーゆーこと?」
お腹の子の父親が皇帝ってことだよね?
麗様は、地下牢で私が皇帝に襲われそうになったとき、恐らく話を聞いていた。だから「独寝の寂しさに迫られた」と皇帝が言ったのを知っている。
文を読み進めると、いろいろと複雑な問題が解決したら、私を正室にしたいって。ちょっと、嫌なんだけど。
ん?
私からの文に涙が滲んでいた? 辛い思いをさせて申し訳ない、自分の力不足に……って、なんか、勘違いされちゃってる。よれよれの紙に文を書いたもんね。
長っ。まだ続いてる。会いたくてたまらないとか、弓の稽古を思い出しているとか、なんかもー。おっさん、どんな顔で書いたんだろ。寒っ。
文を運んできた人は、まだ玄関先でお茶を飲んでいる。もう、仕事は終わったのに。
あ、目ぇ合っちゃった。
「返事を運ぶように言われております。すぐにお書きにならないのであれば、明日こちらに伺います」
「いえ。お待ちください」
担々麺でおもてなし。その間に返事を書いた。
好奇心旺盛な麗様は、質問している。
「噂はご存知ですか?」
「それは、どのような」
「東宮がED」
麗様ったら。誰にも喋るなって言われたのに。
「……はぃ。東宮殿は大騒ぎです」
「お察しします」
私は、差し障りのない文を書きながら、耳を会話に向けていた。
「詳しいことは聞かされていませんが、側室方に『それでも東宮の妻でいいのか』と選択権が与えられたそうです。それぞれ、ご実家や親族の権力者が集まって会議が開かれたとか」
「どうなったんですか?」
「すべての側室が東宮殿に残られます。まあ、東宮が次期皇帝であることに変わりはありませんし、子が生まれないのであれば、今の序列がそのまま持ち越される。さらに空席になった正室になろチャンスもあるわけですから」
「序列が固定ならば、正室は第1側室ですよね?」
「そこが、分からないのです。第1側室は、皇帝の推薦で東宮殿に入られたので。ここだけの話、東宮と皇帝は険悪なのです」
ここだけの話、多い。
「そうなんですか。では第2側室が正室に?」
「それが、第2側室は辞退するおつもりだと聞きました。他の妻達との交流はほとんどなく、お菓子作りが趣味という内気な方だそうで。今のままならいいけれど、ゆくゆく東宮が皇帝になられた場合、妃の数は桁が違います。更にそれに仕える者達を後宮で束ねなければなりません」
第2側室とは、挨拶くらいしか交わしていない。ぽっちゃり色白、こぼれ落ちそうな大きな瞳の愛らしい方。第3側室ピンク芍薬と第4側室紫陽花によれば、南部の広大なサトウキビ王国のお姫様とのこと。
「いろいろあるんですね」
「東宮は、どの側室のご両親よりも先に、珊瑚様の父君を東宮殿にお呼びになりました。それほど、ご寵愛が深いのです」
父君が?
「ほぅ」
「そして、正室のご実家と夜を徹して話し合いをなさいました。正室は国の経済を左右するほどの名家。国母になる道が閉ざされるのならば、皇帝の妃になるという道をお選びになったのでしょう。珊瑚様以外の側室のご実家や一族の権力者の来訪は、その後です」
シナリオを考えてみた。正室のお腹の子を皇帝の子にする方法。
1. 東宮が子を成せない。
2. 妻達に離縁の権利を与える。
3. 正室は離縁を選択。
4. 正室は名家なので、皇帝に嫁いだ。
5. 子が生まれる。皇帝の子供となる。
通常、皇室の婚姻は内々の話し合いが1ヶ月から数年かけて行われる。正室が皇帝に嫁いだのが早過ぎる。それはきっと、お腹の子のため。世間的には「皇帝に嫁いでからできた子」にしなければならないから。
それでも、お腹の中にいた日数が短い子になってしまう。早産として扱うのかも。……緘口令しかないよね。
だったら、私の父が、東宮殿にいち早く呼ばれた理由は1つ。父が外聞屋の仕事を請け負った。東宮がEDであるという噂を広めるために。
EDはただの噂? 嘘ってこと?
「他に、何かありましたか?」
「東宮殿ではないのですが、第15皇子が戦に行かれました」
「また?」
「皇帝の命です。今度は北の国境です」
カタン
思わず筆を落とす。突然の音に、文を待つ人がこっちを向き、麗様が取り繕う。
「珊瑚様は第15皇子と、武術の稽古などで面識があるので。そうですか。北の国境に」
北の民は残虐。家々に火を点けながら、逃げ惑う民を、子供女老人であっても手当たり次第に殺していく。彼らが通った後は、血の沼ができる。そんな恐ろしいところへ。しかも冬。北の国境付近は氷点下。あまりの辛さに、塩商達は誰も兵糧を収めない場所。
「第15皇子も難儀なお方です。酷い戦場ばかりに送られる。まるで死んでこいとでもいうように。それを跳ね返すように強くおなりなので、頼もしいかぎりです」
麗様が尋ねた。
「他の皇子も戦に行くのですか?」
「戦場に送られて戻られたのは、第15皇子だけです。恐らく、味方にも命を狙われているのですよ」
酷い。
話を聞いて、怒りに文字が震えてしまう。
目の前に敵がいるという状況で、味方すら信用できないなんて。
強い目が脳裏に浮かぶ。真っ直ぐで。民を思い、国を思い、異母兄を慕う人。誰よりも純粋な。
ぽたぽたと涙が落ちて、墨が滲む。
「珊瑚様……やはり、明日参ります」
文を待つ人が帰ろうとする。
「お待ちください。文を綴っていて、つい都を思い出しただけです。もう、書きましたから。宛名だけです」
No.15、生きて帰って。
ダイナマイトの発明は1867年で中世ではありません。言葉に関しては、1話から「シェア」などを遣っています。広い心で読んでいただければ幸いです。




