秘密裏
翌日、護衛が増え、毒味役が来た。内々に銀子を受け取った。
「ヒヒ〜ン」
馬までプレゼントされた。
迅速さに引く。
昨日、東宮が私のところを訪れたのは、おやつの時刻。手配を無茶ぶりされた家臣は、大変だったことだろう。
お礼状を書いた。これだけの厚遇、直でお礼を言うべきだけれど、公務中だと思ったから。その旨も添えた。
杏に「チャドクガは梨の木につかない」ことを相談したい。けれど、いつも他の侍女が周りにいる。2人だけで話すということが、これほど困難だなんて。
「珊瑚様。採寸の者が参りました」
「採寸?」
なんだろ。服のプレゼントだろうか。東宮だもんね、そーゆーのしそう。興味はないけど、宝石とかさ。女の人が喜ぶ定番ってあるじゃない。
採寸。
「これなら、わざわざ作らなくても、すぐにご用意できます」
お針子がにこやかに告げた。なんだかよく分からず、返事。
「それはよかったです」
「武術を習得なさる時用の服を依頼されたのですが、珊瑚様の体型なら、常備してある殿方の物で問題ありません」
「……それは、よかった、です」
まだ13歳だから。豊満ボディはこれからなんだからねっ。
東宮の使いの者がやってきた。
「弓と馬は東宮が直接お教えになるそうです。剣、槍、拳術については、女性の師を探している最中です。しばしお待ちください」
えーっ。本格的な感じ? 逃げられない。
すっごくキツかったらどーしよ。
「ありがとうございます」
「できれば、腕に力をつけるなど、トレーニングをしておくようにとのことです」
「とれえにんぐ」
「失礼ながら、貴族の女性はあまり動くことがありません。剣も槍も重いのです。弓を引くには力が必要です。護身術も覚える前に体力が尽きるでしょう」
そんな大変なんだ。
「はい、分かりました」
ということで、湯浴み用などの水を桶で運ぼうとしたら……止められた。
「珊瑚様っ、お止めください。私達が罰を受けてしまいます」
あ、そーなの?
「どーせ鍛えるなら、役に立つことの方がいいと思うの」
「なりません」
そっか。
仕方なく、書物を大量に持って上げ下げした。
「東宮が参られました」
それは夕食前のこと。時間的に、夜伽とは無関係の来訪。
「馬をありがとうございます。武術の件をお取り計らいくださって、感謝しております」
何人もの妻に、同様な気配りをしているのだろう。臣下にも民にも。東宮が気苦労でハゲ散らかしちゃうんじゃないかと心配になる。気の毒な立場。私は目の前の美丈夫を見つめた。
「っ。……。武術は、自分に向かないと思ったらいつ辞めても構わない。強くなるに越したことはないが、強い者を傍に仕えさせればよいだけなのだから」
「はい」
「馬は、乗れるようにしよう。私が一緒に遠出したい」
「はい」
「馬は必ず、私がいるときに乗りなさい。落馬をする危険がある」
「分かりました」
東宮がいないと落馬する?
「手綱が切れたことがあった。そういったとき、処分されるのは、決まってお馬番だ。彼らが仕事を怠るはずなどないのに。そんなことをしたら職を失うのだから」
ぞ〜っと背筋を冷たいものが走る。落馬するように細工される危険があるということ。
「絶対に東宮がご不在のときは乗りません」
「弓は、私が得意なのだ。ちょっといいところを見せたい。ははは」
「そうなのですね」
「公務があるので、時間が朝になってしまうが。大丈夫か?」
朝なら大丈夫。夜伽、関係ないもんね。
「はい」
「夜は暗闇から狙われる危険がある」
一々物騒。
「はい」
「それと……」
東宮は、何かを言いかけて口を閉じた。
「?」
「まだ明るい。少しだけでも馬に乗ろう」
すたすたと早足で東宮が歩き出す。もう夕方。日は長い季節だけれど、明るい時間はあと少し。
厩に着くと、犬が尻尾を振りながら寄ってきた。
「こんにちは。覚えてくれたの?」
両手で犬の体をわしゃわしゃする。犬の毛が無数に抜けて舞うのが見える。東宮は、私の髪についたもこもこした毛の塊を笑いながら取ってくれた。
馬具を着けた馬が用意された。台の上から馬に跨る。東宮は、私の後ろに飛び乗った。馬の上は想像以上に高くて、ちょっと怖い。
私の背中にいる東宮は、私を抱くように手綱を持ち、ゆっくりと馬を歩かせた。
東宮は、私の耳元で囁く。
「部屋では会話が聞かれてしまう。話したいことがあった」
ここまでするほど内密な話とは。
「はい」
「10日後、私は、半年ほど国内の視察に出かける。留守の間に、父が来るかもしれない。絶対に会うな」
「え」
皇帝に会ってはいけない? 嫁としてご挨拶するべきなのでは。
「珊瑚は、父にとって、手に入らなかった女なのだ。父の心の中でプレミアがついてしまった」
「プレミア……」
「夜は来ない。後宮を出られないから。危険なのは昼間。周りに他の人がいるからといって安心するな。皇帝は何をしても、咎められることはない。たとえ目の前で何かあっても、誰もお前を助けることはできない」
「はい」
「今日遣わした新しい護衛は強い。だが、彼らも父には手出しできないのだ」
「……」
「一旦、珊瑚を実家に返すことも考えた。湯治場へ行かせることも。けれど、それをしたとて、父は、気まぐれにそちらへ足を運ぶだけ」
皇帝って、暇なの?
「怖いです」
ストーカーやん。
困った。もし、皇帝が来たら、どうやって避ければいいのだろう。腹痛。1回だけならそれで乗り切ろう。
留守と分かっている息子の宮殿を訪れるなんて不自然なこと、そんなに何回もしないよね。
「いっそのこと、珊瑚を連れて行けたら」
それも困る。私にとっては東宮も皇帝と同列。
「気をつけます。ご公務、がんばってください」
「半年も。はあ。一緒に来るか?」
「お仕事の邪魔はできません」
一緒に行くなんてとんでもない。
「本当は連れて行きたいのだが、他の妻の手前、それがし辛い。いっそのこと、珊瑚が強欲で強かで、私に愛されることを鼻にかけるような女だったら、それができるのに」
強かとは真逆。思ったことすら口にできないほど気が弱い。
「誰からも好かれる」という呪いがなかったら、誰からも相手にされなかったかもしれない。男からも女からも。
東宮は手綱を私に持たせてくれた。「上手上手」と煽てることも忘れない。
日が傾き始め、東宮は馬から降りた。そして、私を抱っこして下ろしてくれた。
東宮が視察のために出立するのは、10日後。とりあえず、それまで夜伽を避け続ければいい。今夜を合わせて、夜はあと10回。正室1、私以外の側室4。1人2回ずつ夜を担当してくれればいいのだけれど。どういったローテーションなんだろ?
初夜の日は、独寝だったと聞いた。それは分かる。私が突然ぶっちぎったから。
昨晩は、一人で絵を描くと言っていた。
結婚した男の人は、毎晩妻と寝るものだと思っていた。でなければ、何十人も妃を持つ皇帝は、全員と会えない。昼間は公務、妃と過ごすのは夜だけだから。
「珊瑚、今夜は……」
びくっ
思わず肩が震えた。
「……」
「……今夜は、書を読んで過ごす予定だ。久しぶりに、珊瑚が読んでいた軍記物を読みたくなった。どうだ。一緒に」
びくっ
「……」
どきどきどきどきどきどき
困る困る困る困る
嫌嫌嫌
「なんでもない」
なんか、今夜は大丈夫そう。よかった。出立まで、夜はあと9回。