ラブ史劇ならばOK
朝、弓の稽古で麗様と密談。
的までの距離は長い。弓を射る場所から杏のいる距離までも、かなりある。
弓が危ないと分かっているのか、星は杏の近くで遊んでいる。
「宴をしていたとき、大勢の男達が現れ、東宮が拐われたようです。第15皇子と星輝もその場にいました。東宮は2人の男に両脇を抱えられて引きずられるように連れて行かれました。そのとき『絶対に戻る。出張を延期したと都に伝えろ』とおっしゃったそうです」
「もちろん、探しに行くんでしょ?」
「みなさん、それを悩んでました」
「は?」
なんのための軍。
「普通の軍というのは、主君に忠誠を誓った兵士でできているんです。ここの兵士は違うみたいなんです。ビジネスだと」
「なんか、よく分かんないんだけど」
「私もよく分かりません。けれど、私の雇われ方に似ているのかなと思います」
「麗の?」
麗様は、銀子分は働くと言った。
「はい。統括している武官が、権限を与えられていないと言っていました。どうも、軍の指揮官というよりは、武術の指導者として雇われているみたいです。それに、業務を遂行しなければならないとも」
「業務?」
「推測ですが、兵士達の普段の仕事のことじゃないですか?」
「ふーん」
「結局、都を離れても支障のない数名を調査に行かせるってとこまで決まりました」
「誰?」
「それはこれから。星輝は、東宮が拐われて、それを追いかけた第15皇子が朝になっても帰らなかったので、即、都に報告に来たようです」
「星輝が迅速に動いてくれたというのに」
おじさん達は何やってんだか。
「一緒に視察に行った者達は、夜通し東宮を探したそうです」
「その場にいたなら、星輝に聞こう」
昨晩、星輝は兵士の宿泊所に泊まった。
今日はどうするんだろう。また、どこかへ行っちゃうのかな。その前に直で話を聞きたい。
「逃げるなら」って、星輝は私に言った。それは、東宮を拉致したのが皇帝の手の者という意味にとれる。
私は皇帝に狙われた。東宮の庇護のもと、私の安全がある。だから、東宮がいない今、身の安全のためにここから逃げた方がいい?
杏に告げた。
「星輝もここで、弓の練習を一緒にしょうと思うの。呼んでいい?」
当然OKを貰えると思っていた。ら、
「なりません」
へ?
「どうして? そっか。まだ朝早いかな」
そう思った。
杏は続ける。
「珊瑚様が星輝を気に入っておられるのは分かります。イケメン、身分違い、エキゾチック、敬語萌、世間ズレして、ちょっと大人でダークな雰囲気。星輝は、良家の箱入娘が一度は憧れる、通過儀礼点的存在なのです」
「?」
「星輝はダメです。ただの平民ならまだしも、マフィアに繋がっている男。踏みとどまらねば、ぬかるみが底なし沼になるのですよ」
「……」
東宮は、塩マフィアの可能性があるのに。
「珊瑚様を守るためです。もしも星輝といるところを他の者に見られたらどうするのですか」
「杏も麗もいるじゃん」
「それでも人は、好き勝手に噂をするものなのです。東宮がお留守のときに他の男の影などもってのほか。男癖が悪い、男出入りが激しいなどと不名誉なことを言われたらたまりません」
「え。だったら、第15皇子もときどき庭に遊びに来るよね」
マズかった?
「第15皇子はいーんです。皇族の親兄弟の間で女子がよろめくのは、ラブ史劇あるある。かの則天武后は皇帝の妃として皇子に会い、一目惚れされ、皇帝の死後、皇子の妃になって上り詰めました。私達侍女は、ラブ史劇を特等席で観覧する特権を与えられているのです。なんなら、棚ぼた参戦も可能。いえ。こほっ。なんでもありません」
ちょっと、何言ってんのか分かんないんだけど。
諦めて弓を射る場所へ戻った。
「あの」
と麗様。
「はい?」
「杏様から聞いたんですが、珊瑚様は、東宮との結婚をそれほど望んでいなかったとか」
「それほどどころか。嫌」
「だったら、東宮がお帰りにならない方が嬉しいのでは?」
「うん。でも、一応心配。自分がどうなっちゃうか分かんないから。それに、第15皇子」
「皇子なら、強いですよ。心配ないかと」
武術ができても、なんでもありの状況で勝てるとは思えない。
「まだ子供なのに」
「子供だから、捕まっても殺されることはありません。東宮も殺されはしないと思います」
「なぜ?」
「殺すつもりなら、拐いません。その場で殺す方が簡単です」
「そっか」
「気になるのは、星輝が東宮から『もし自分に何かあったら』と珊瑚様のことを事前に託されていたことです。東宮は自分が狙われていることをご存知だったことになります」
「……」
東宮は、皇帝に命を狙われているかもしれない。東宮は皇帝に矢を放ったから。麗様はその一件を知らない。
「珊瑚様、杏様に怪しまれないよう、ときどき矢を飛ばしてください」
「了解」
シュッ
外れ。掠りもしなかった。
その日から、全く変わり映えのしない日常があった。
誰かが調査に行ったことは知らされていない。
東宮の出張延期が東宮殿に通達された。
犯人が誰なのか分からないまま。
星輝が来て2日後、都の塩の値段が1割上がった。
それを聞かされたのは6日後で、また1割上がったときだった。
「とうとう都の塩も値上がりだよ」
厩でお馬番が教えてくれた。1週間で約2割も値上がりしたと。
馬は塩の塊を舐める。人間も含め、動物には塩が必要不可欠。
「大変ですね」
と答えたけど、私って、関係ないんだよね。それはお馬番も同じはず。東宮殿にいれば、必要な分のお金は手を出せば貰える。
「酒が飲めなくなっちまいます。こいつの干し芋も減る」
お馬番は、星とプロレスごっこをして遊ぶ犬に視線をやった。
???
なんで塩が値上がりすると、お酒が飲めなくなるの?
厩を離れてから杏が教えてくれた。
「お馬番は、どうも塩の値段をちょろまかして、お酒やおつまみを買っていたようですね」
「そーゆーことだったの」
「急に塩の値段が上がったら、塩の値段をチェックされます。塩の値段が落ち着くまで、お酒もおつまみも買えませんね」
「かわいそう」
「珊瑚様、お馬番は十分な給金を貰っているはずです。塩の代金で私物を買う方がおかしいのです」
「あ、そーなの?」
でもまあ、いつも星と遊んでくれるわんこのために、干し芋や干し肉を渡しておいてもらった。お酒は自分で買ってね。
「珊瑚様」
厩には、星輝の馬もいる。馬の様子を見に来たふりをして、星輝は私に声をかけた。
あれから星輝は、兵士の宿泊所に寝泊まりしている。
「逃げないんですね」
星輝は主語や目的語を遣わず、視線を合わさずに小声で喋った。
「うん」
「あそこ、見てください」
言いながら、星輝は馬のたてがみを撫でた。
「ああ。うん」
交わされた会話はそれだけ。
私は部屋に戻ると、書物を持って庭に出た。陶器のイスをテーブルに近づけるふりをしながら、探る。あった。通路に1番近い陶器のイスの下に、ゴミにしか見えない親指ほどの小さな紙が、くしゃくしゃに丸めてあった。
宛名なし。差出人なし。やっと読めるほどの小さな文字。
『皇帝は無関係 今のところ安全
東宮不在が明るみになったら
即逃げましょう、ご案内します』
皇帝は無関係?
それでも、東宮がいなければ、私の身は危険。
星輝に手を引かれて逃げる想像をした。走って上がる息。目の前で髪が揺れる後頭部や、振り向いて私を心配する黒い瞳が浮かんだ。緊迫感に速まる心臓の音。それは少し甘美だった。




