夏の他愛もない日々
武術の稽古のとき、最初私は、広場の隅、麗様からマンツーマンで習っていた。今は、ときどき、他の兵士達に加わる。剣、槍、拳術。相手がいた方が稽古しやすい場合がある。
手合わせはなし。相手が手加減しなければならないし、万が一私が転んだり、怪我をしたら、兵士が罰を受ける恐れがあるから。なんだろね、これ。
兵士達と言葉を交わすことが多くなった。
誰もが私に対しては勤めて丁寧に接している。それでも、言葉遣いや仲間とのやりとりで、兵士達の身分がうっすらと分かる。恐らく平民だろうグループがフレンドリーだった。街へ出かけたとき、屋台で話しかけられる雰囲気に似ていた。彼らは私のことを「姫さん」と呼ぶ。
「姫さん、よう続くな」
「ははは。最初は、壊れた人形みたいな動きだったのに、今じゃ、いっぱし」
「上達、早いぞ、姫さん」
「ホントですか? 嬉しいです」
誰が言い始めたのか、呼び方は「姫さん」に定着。ちなみに、麗様は「麗」。
市井の様々な話を聞いた。それでも彼らは注意深く、日頃は何をしているのか、他の仕事はあるのかを語ってはくれなかった。
「物価が上がってよう」
「大変だぜ」
「乞食が増えたな」
「空が怪しくなってきた」
今にも雨が降りそうな黒い雲の下、星輝が馬を返しに来た。
遠くから、その姿を見た兵士が言った。
「塩田から戻ったのか?」
塩田?
「商人のぼんか。この間来たばっかだから違うだろ」
「オレ、来月からあっちに異動だよ」
誰かが目配せして、会話を止める。
この帝国の塩は、政府に管理されている。海水から塩を作る場所は塩田と呼ばれる。海沿いに多い。ちょうど今、東宮が視察している場所。No.15は、東宮が以前、塩の利権を欲しがっていたと話していた。
それは、実現してるっぽい。
たださー、だったらどーなのか、よく分かんない。
みんなの会話の邪魔をしないよう、「星輝に挨拶して来ます」とその場を立った。
「星輝。皇子から聞いたよ。ありがとう。ホントに感謝」
「珊瑚様。途中、東宮とすれ違いました。ご無事でなによりです」
全部、聞いたんだ。なんか嫌だな。自分をそんな汚らしい目で見ている人がいるって知られるなんて。
「よ。星輝、おかえり」
No.15が来た。
「おう。ちゃんと仕事したし」
「サンキュ」
「できるだけ、ぶっ通しで走った。途中で馬変えて」
「マジか」
「帰り、馬宿寄ったら、東宮の護衛も同じことしてた」
「はは」
話が見えない。「なになに?」と質問すると教えてくれた。
馬は、速く走るほど、走り続けられる時間が減り、休憩が必要になる。なので、急いでいるときは馬を変える。星輝は馬を変えながら目的地へ向かった。
そうすると、馬を返しながら帰ることになる。そのときに東宮の護衛と会った。
隠密でなければ、皇帝、東宮、政府の許可証を持った者は、検問所や役所で自由にそれができるとのこと。今回は隠密。
「いろいろあるんだね。ずるいなー。そーゆーのいっぱい知ってて」
思わずポロリと出てしまった。
「は? なんでずるいわけ?」
とNo.15。
「いっぱい知ってる方がいーじゃん」
「珊瑚様、私達は女性の間の細やかなことは知りません。ファッションや刺繍、複雑なしきたりなど」
「そんなの、それほど面白くないよ」
「我々にとっても、馬のことなど面白い話ではないのですが」
楽しそうに話してたじゃん。
私が下唇を突き出すと、星輝は困った顔をする。
No.15は笑い出した。
「珊瑚はさ、男だったらよかったな。そしたら、星輝だって敬語遣わないだろーし、な」
「ホント、それな」
「そう言われましても」
もし私が男だったら、塩田の話もしてくれた?
それはムリかな。だって、No.15はたぶん、塩のことを知らない。私に喋っちゃったくらいだから。知っていたら、内密にすると思う。
「うわっ」
いきなり星が星輝に飛びついた。星輝はしゃがんで、星をモフモフ。
「お前、またでかくなったな。すげー。がっしりしてきたじゃん。いいもん食ってるだろ」
星は星輝に体を擦りつけて、ぐーぐーぐーぐー甘える。
毎日お世話してる私にだって、ここまで甘えるのは時々なのに。
「星は恩人のこと、覚えてるんだね」
私に撫でられても、気にも止めず、星は星輝に甘え続ける。
「珊瑚様、本当にありがとうございます。星の面倒を見てくれて」
「こっちこそありがとうだよ。こんなに可愛い子見つけてくれて」
「言えてる。コイツ、だんだん、可愛いってゆーより、凛々しくなってきてるけどな」
「ヤバいね。狼ってバレちゃうね」
「バレでも、珊瑚様が言えば、飼えますよ」
ずきっ
星輝の何気ない言葉で、心に痛みが走る。「東宮お気に入りの」とか「東宮に」とかが隠れているから。
分かってる。星輝が馬で知らせてくれたのは、私を案じてじゃないって。No.15に従っただけ。星輝は、私を、ただの東宮の側室の1人として見ている。
「大人の狼になったら人を襲うってことはあるの?」
星輝に聞いてみた。
「狼は普通は人間を避けます。なので、どうなんでしょう。ここで育ったら、狩りをできないまま育つんじゃないですか?」
「そっか。じゃ、今のまま過保護に育てればいいんだね」
私の意見にNo.15が反対した。
「星の希望の聞いてやれよ。仲間んとこに帰りたいかもしれないのに」
手放すなんてとんでもない。こんなに可愛がってるのに。朝から晩まで夜中まで一緒。
「星はお母さんとずっと一緒がいいよね?」
「はっ。自分のことお母さんとか言ってるし」
「私が育ててるもん」
「肉用意するのは、料理人だろ。糞の始末もしないだろ」
やらせてもらえないの。
「ふーんだ」
星輝が星を抱き上げる。
「お前、でかいな。もっとでかくなるぞ。山帰りたくなったら、自分で行くよな。それまでは、ここにいろ」
星輝の腕の中、星は大きなあくびを1つ。
「いーなー星」
「何が?」
No.15に訊かれて、自分の心の声が漏れていたことに気づく。
「気持ちよさそう」
星輝の腕の中で。
「コイツ、暑い」
そう言いながらも、星輝は星を抱っこし続けた。
会話には、不自然なほど「皇帝」というワードが出なかった。
塩。
開国。
こーゆーのって、淑女教育では習わない。
1番聞きやすいのは、第3側室ピンク芍薬と第4側室紫陽花。問題は、質問をしたことが、侍女から正室や側室に報告されること。2人にも変に思われる。
No.15に尋ねてみた。学問がハードと言っていたけれど、政治の授業はあるのかと。
「ある。歴史に入ってくる。今の政治がどーゆー成り立ちかってこと」
「参考にする資料とかはある?」
「あるけど。どーした?」
「ファッションや刺繍や複雑なしきたりよりも、楽しそうなことするの」
「星輝に言われたことじゃん。気にしてんの?」
「勉強したいってわけじゃなくてね」
「うん?」
「知りたいだけ」
「あそ。持ってこよっか? 使ったのでよければ」
「いーの?」
「今使ってるのは持ってこれ……異母兄弟のがあるかも」
「ありがと!」
めっちゃ嬉しい。
「珊瑚、どこ目指してんの?」
「は?」
「まさか、則天武后?」
そんな、歴史上唯一の女皇帝、ありえない。ついでに悪女として名高い。
「ご冗談を」
「武術だけでも大変なのに。頑張りすぎるなよ」
次の日、No.15は、使わなくなった資料を持って来てくれた。そこら中の挿絵に落書きがあって、笑えた。




