1本の矢が持つ意味
東宮と一緒だったはずの護衛達の到着は、遅れること半日。夜だった。
護衛、置き去りにしたんだ。東宮が1番いい馬に乗るもんね。
「今、東宮の護衛で視察に行った人らに会いました」
と麗様。休みだったからか、酒を飲み、酔っ払って帰ってきた。袋の中がいっぱい。ショッピングを楽しんだんだなって分かる。
東宮はこっそり帰ってきたから、ちょっとドキッとしたけれど、侍女達は言葉の内容を気にすることなく、麗様の上気した顔に喜んでいる。
「麗様、麗さま。何買ったの?」
「顔、赤いよ」
「よっぱらっちゃったー」
「きゃ、かわよ」
「てえてえ」
「買ったのはねー。見せちゃおっかな。白粉とアイライナー」
「麗様、これ以上ステキにならないで。きゃ♡」
「刹那落とし、やってぇ」
侍女達が楽しそうで何より。
東宮は、執務室に泊まった。
「なぜ執務室なんだろ?」
自分の部屋で寝ればいいのに。私は杏に尋ねた。
杏は紙に筆を走らせる。
『戻られたことが内密だからでしょう。東宮の部屋に灯りが灯れば、ご在宅なのが他の者達に分かってしまいます』
「ふーん」
『私達が駆けつけたときは、第15皇子だけでした。あの流れ矢は東宮が放ったのですか?』
後から来た侍女達は、何も知らされていない。杏が「東宮がいる」とを察したのは、執務長が私の様子を見に来たとき、こっそり東宮から私への文を渡されたから。遠方からの書簡ではなく、小さく4つに折っただけのメモ。
そのときまで杏は、他の侍女達同様、皇帝と東宮が来たことを知らなかった。
『うん』
私も筆談。皇帝が来ていたこと、No.15に助けられたことを。皇帝の目的は記さなかった。それでも杏は全てが分かったようで、筆談の紙を燃やすと、私を抱きしめた。
「無理にでもついていくべきでした」
私は黙って首を横に振った。私達は外から来た下位の者。ここで誰かに逆らうなどできない。
翌日、No.15が庭に来た。
「昨日はありがとう。感謝しきれないよ」
「もう大丈夫?」
「うん。私は。皇子は?」
父親から酷いこと言われてた。
ーーー息子面をするな。子など多すぎて、誰が誰だか分からぬ。お前が擦り寄ってこようが、取り立てるつもりはないーーー
「ああ、そんなことは分かってたし。今更」
「皇子ぃ」
許されるなら、思い切りハグしたい。
No.15は、梨を1個もぎ取って食べ始める。
「異母兄は、さすがだな。オレにはできない。そんな力ないけどさ」
「矢? 遠いとこから、すごいよね」
弓の腕前はかなりのもの。
「異母兄にしかできない。もし、本当に当たったら、とんでもないことになる」
その言葉で、昨日の事件の重大さを知る。
皇帝が死んだらどうなるのか。東宮が皇帝になる。
東宮が皇帝を殺したらどうなるのか。東宮が皇帝になる。但し、周りからの信用を失う。
皇帝を殺したのがNo.15や他の人だったら。東宮が皇帝になる。殺した人は首が飛ぶ。
「ホントだ。とんでもない」
「昨日は2人ともここにはいなかったことになってるじゃん。もし当たってたら、隠蔽できる。たださ、あの場で弓を引く瞬間、そこまで考えて決断できるっけ。オレだったらムリ」
「……」
「昨日のとこ、行ってみる? 弓引いたとこ」
No.15は梨の芯を陶器のテーブルの上に置いた。食べるの、早っ。
No.15に連れられ、昨日、東宮が弓を引いた場所に立ってみた。執務室の窓まで30丈(約90m)ほど。執務室の窓は開け放たれ、書庫への扉が見えた。矢が飛んできたのは、皇帝が扉を開けたとき。矢は扉の上の方に刺さっていた。両開きの扉の皇帝が開けた側に。
扉1枚が、ここからだと小指の爪ほどにしか見えない。
ほんの少しずれるだけで、皇帝の命はなかった。
もし、執務室にいたのが不審者だったら、東宮は矢を射ることはなかったと思う。
東宮は、皇帝だったから矢を放った。そこにあったのは殺意。
「遠いね」
「だろ? もう二度と、ここへ来ないかもな。皇帝」
殺されるから。
「……」
「あの後、異母兄に会った?」
「ううん」
「戻る前に会ってやれよ。何日も馬飛ばして来たんだから」
「お礼、言わなきゃ」
「執務室横の書庫にいる」
「ありがと」
侍女達に気づかれてはいけない。だから、武術の稽古のとき、こっそり抜け出した。
「失礼します」
書庫の扉を開けると、むあっとした汗の臭い。そして、いびき。
いびきの主は東宮だった。ついでに臭いの主も。
広い書庫の片隅、昨日は見なかった長椅子が運び込まれている。東宮は、その下の床に転がっていた。
ころりん
あ、動いた。
仰向けで寝ていた東宮は寝返りをしてうつ伏せに。床に頬をくっつける。ひんやりして気持ちいいのかな。いびき、止まってる。
中途半端に髭が伸び、少しずつ束になって固まった髪が異臭を放ちながら床に散らばる。
あまりによく寝ているから、起こすのが申し訳ない。お疲れだよね。
窓が開いていたから、執務室に執務長がいると思う。紙と筆を借りよう。
そう思って、執務室の方へ2歩歩いたときだった。
「……ん……」
東宮が目を覚ました。
「おはようございます」
挨拶すると、東宮は慌てて体を起こす。自分が床に寝ていたことに今気づいた様子で、急いで長椅子に腰掛けた。
「あ、ああ」
自分の頭に手をやり、ぐしゃぐしゃになっていた髪を気まずそうに整える。
「昨日は、助けていただき、ありがとうございました」
「無事でよかった」
言葉を発したとき、東宮は両目をまん丸にし、即、自分の口を手で覆った。そして、自分の息の臭いをこそこそと確認している。
「遠くから、さぞお疲れでしょう」
「いや。大丈夫だ。……。珊瑚。何日も風呂に入っていないし、歯を磨いていない。その、こんな姿は。えっと」
「お休みのところ、お邪魔しました。一言、お礼を申し上げたかったのです。失礼します」
「珊瑚。……。
会えてよかった。
……会いたかった。昨日はすまなかった。怖い思いをさせて」
「とんでもありません。またすぐ、あちらに行かれるのですか?」
「ああ」
「お仕事、がんばってください」
退場。
建物を出ると、No.15がいた。
「会ってきたよ」
「ん」
「ね」
「ん?」
「星輝に連絡、できるんだね」
「……」
「星輝にもお礼を言いたい」
「今はいない」
「どこにいるか知ってるの?」
「知らんし」
「うそ」
「視察地から都までのどっか」
「じゃ、こっちに帰ってくる?」
「馬返しに来ると思う。たぶん」
「いつ?」
「分かんね」
「星輝、1人で大丈夫かな。何日もかかるとこなんでしょ?」
「大丈夫に決まってるだろ。ガキじゃねーんだから」
「子供だよ」
まだ13歳。食事も宿に泊まるのも困りそう、
「アホか。世間じゃ大人。13歳なら貴族以外は仕事してる」
「そーなの?」
「でかい図体で、カブトムシやセミ取りして遊んでられるわけねーじゃん」
「学校は?」
「貴族だけ。金持ちの商人の息子とか」
「星輝は金持ちの商人の息子じゃん?」
「あんだけ旅してたら、学校行けないって」
「そっか」
「必要ねーじゃん」
「それ、庶民をバカにしてる?」
「ちげーし。外国に行くから、何ヶ国語も喋れる。危険な仕事だから武術は身につけてる。商人だから、読み書き計算はばっちり。洋書を読めるから、進んだ西洋の知識を持ってる。学校で習うより、ぜんぜんだろ」
「そっか」
「会いたいの?」
「……ぅん」
「じゃ、馬返しに来たとき、呼ぶ」
「ありがと」




