間一髪
じりじりと焦げ付くような太陽の日が続く。
皇太后様が去り、笑い声がなくなった武術の鍛錬の場には、代わりに野太い声が響いていた。皇太后様もさることながら、第4側室紫陽花の存在は大きくて、兵士達が意気消沈。その様子に上官が檄を飛ばす。
東宮が不在となって4ヶ月。庭には梨の実が生る。
皇太后様おもてなしへの感謝を込めて、本日、麗様に休暇を出した。師がいないので、私も武術の稽古はお休み。たまにはね。
「珊瑚様、執務室へお越しください」
呼ばれた。いつものように、侍女2人を伴って行こうとすると「珊瑚様お一人の方がよろしいかと……」と言われた。別に、内密な話であっても、侍女と共に行き、部屋の外で待たせるのが通常。けれど、わざわざ言われたら、従うしかない。
何か事務的な手続きだろうと執務室へ向かう。その途中、呼びにきた人は誰なのだろうと疑問に思った。50代の家臣。東宮殿には、老いた家臣が少ない。新しい人だろうか。それもおかしい。東宮が不在なのに。
首を傾げながら歩いていると、執務室のある建物に入って即、腕を引っ張られた。
!
振り払おうとすると、No.15。
No.15は口の前で『しっ』と人差し指を立てる。そして、書庫に私を押し込んだ。扉を閉めるときに『出るな』と口を動かす。
書庫の中から聞き耳を立てた。
どこかの扉を開け放った音の後、No.15の大きな声が聞こえた。
「父君。いらしていたのですね」
父君。皇帝?
「ど、どうしたのだ」
「執務長はお留守ですか?」
「用があるのか?」
「はい。こちらで待たせていただきます」
「いや。夕方まで帰ってこないはずだ。武術の鍛錬に行きなさい」
皇帝が人払いをして私を呼んだ?
じゃ、私を呼びにきたのは、皇帝の家臣?
「父君、若葉宮に移してくださったこと、感謝いたします」
「よいよい。早く行きなさい」
心の中でまた、低い鐘の音が響く。
カーン カーン カーン カーン
「とても有意義な時を過ごしております。先日は、若葉宮の異母兄弟揃って、蹴球を楽しみました。後宮ではできぬこと。これも、父君のおかげです。血の繋がりがあるからなのか、なかなか息の合った連携プレーができるのですよ。学問の面でも読みきれないほどの書物を用意してくださり、まことに感謝しております」
「行きなさい。部屋を出なさい。出ろと言っているのが分からぬか」
「東宮が不在、執務室の主も不在の今、どのよ、」
ばしっ
ガタン
扇子で何かを叩いた音、何かが落ちた音が聞こえた。
「息子面をするな。子など多すぎて、誰が誰だか分からぬ。お前が擦り寄ってこようが、取り立てるつもりはない。出ていけ」
「……」
「そうだ、呼んできてくれ。珊瑚を。仲がいいと聞いている。同じ歳だとか」
「……」
「もしや、珊瑚をどこかに隠したのか? ん? ん? 書庫か。はっはっは。お前の視線は正直だ」
! こっちに来る。
「いえ、会っていません。父君っ」
入り口からそっと離れた。
「珊瑚はまだ毛も生えておらぬらしい。はっはっは。子を孕めるのか確かめなくてはな」
走った。入り口とは反対側へ。
バタン
開いたのは別の扉だった。執務室からも入れたなんて。
トスッ
開いた扉に矢。前方で皇帝が身を屈める。
「父君、大丈夫ですか! 誰か、曲者だ!」
No.15は皇帝に覆い被さって、次の矢から守る。
私は書棚の影に隠れた。
蹄の音が近づく。止まった。
「何者だ!」
響いたのは東宮の声だった。
窓から入ったらしき東宮は、走ってきてNo.15を立たせた。
「異母兄上?!」
東宮は、床に蹲る皇帝を見下ろす。
「……もしや、父君ですか?」
「無礼者! 余に矢を放つとは」
「申し訳ありません。遠くて誰なのか分かりませんでした。執務長の姿を外で見かけたのに部屋に人がいたので、怪しい者だと。どうぞ私に、罰をお与えくださいっ」
東宮が皇帝の前で膝をついた。
そこへ、兵士達が雪崩れ込む。窓の外、執務室、書庫の通路が兵士で溢れる。
「曲者はどちらにっ」
武官の声の後、場は静まり返った。
尻餅をついたままの皇帝と床に膝をつく東宮を囲む兵士達。
私は、異様な光景を書棚の間から見守る。
皇帝が、No.15の手を借りながら立ち上がった。
「勘違いだ。よい」
短く言った皇帝に、武官はびしっと挨拶をした。
「ご来訪に気づかず、まことに失礼致しました。皇帝にご挨拶申し上げます」
それに続き、その場にいる全ての兵士が同様に頭を下げた。
「うむ。東宮、立ちなさい。もう、気にするな」
「感謝致します」
東宮は立ち上がってから続けた。兵士達に聞こえる不自然に大きな声で。
「父君、何用でこちらにおいでになったのでしょうか」
「暑い中、皆が励んでおろうと参っただけだ」
「お心遣い、痛み入ります」
兵士達がぞろぞろと武術の鍛錬に戻っていく。
私はぺたんと書棚の前に座り込んでいた。そして、悍ましい言葉を思い出す。ーーー珊瑚はまだ毛も生えておらぬらしい。子を孕めるのか確かめなくてはなーーー
慰み者にされるところだった。
下劣な。
そんな男を呼び寄せてしまうなんて。
自分が惨めでたまらない。
… …呪いのせいだ。
執務室から皇帝と東宮のやりとりが聞こえてくる。
「東宮、まだ視察中のはずでは」
「こちらに急用ができ、急ぎ、帰って参りました。父君、氷菓子をお召し上がりになりませんか? あちらに参りましょう」
皇帝と東宮の声が遠ざかると、No.15が私の目の前にしゃがんだ。優しい声がすぐそばから聞こえる。
「怖かったな」
「……ぁ、ぁりがとぅ」
「今、杏を呼びに行かせた。こんなに震えて」
No.15が、そっと肩に手を添える。壊れ物を扱うかのように。
あの矢がなかったら、終わってた。
東宮が急遽帰ってきたのは、No.15が知らせたからだった。
皇帝は、皇太后様が東宮殿を去るのを待っていたらしい。東宮殿の外に見張りを置いていた。毎日東宮殿に通うNo.15は、いつも見かける数人の男を不審に思った。最初は、東宮の私軍を探っていると疑った。けれど、その者達は、皇太后様が温泉に行ったときに姿がなかった。
No.15は使いをやって、温泉付近にその者達がいることを確認。そして、東宮への言伝てを星輝に託した。
「星輝に?」
「事が事だけに、文字にできなくて」
文の場合、東宮が探られていること、皇帝が東宮の側室を狙っていることを記すことになる。万が一のとき、見られたのが東宮側の場合、皇帝の所業が漏れる。皇帝側の場合、東宮が探られては困る状況にあることがバレる。信用できる者に口頭で頼むしかなかった。
「今日、変な場所に皇帝の馬車が停まってたんだ」
No.15は警戒していた。案の定、皇帝がやってきた。家臣に表門から入らせ、脇にある通用口を開けさせた。護衛は「見なかったことにしろ」と命じられたのだろう。皇帝は執務室へ入って行った。すぐ後、部屋から執務長が出てきた。そして、しばらくすると、私が現れた。
何日もかけて星輝が東宮のところへ行き、また何日もかけて東宮が都に戻る。間に合ったのは奇跡。
「すまない。父君が。血のつながった、オレの父親が」
No.15は左手で自分の口を覆い、ぐっと目を瞑った。
「私のせいかもしれない」
「何言ってんだよ。違う」
「私には、呪いがかけられてるの」
「呪い?」
そのとき、どたどたと足音がして、息を切らした侍女達が現れた。
「「「「珊瑚様っ」」」」
「流れ矢が飛んできたんだ。珊瑚を休ませてやって」
「「「「はい」」」」
「怖かったのですね。こんなに泣いて。もう大丈夫ですよ」
杏の優しい手が私の涙を拭ってくれる。
No.15は、立ち上がって、扉のところまで大股で歩き、刺さっていた矢を抜いた。
バキッ
矢を折る音の後、床に投げ捨てる音が小さく響いた。




