留守を狙う不届き者
後宮の話題だったからか、No.15は思い出したように告げた。
「オレ、若葉宮に移ることんなった」
No.15が言葉を発すると、子狼の星はいつものように首を傾げる。1ヶ月しか経っていないのに、星はもう豆柴サイズ。
「若葉宮って、独身皇子ばっかりの?」
「そ」
後宮で育った皇子は、大きくなると若葉宮へ引っ越す。後宮は女の園だから。はっきり年齢は決まっていないけれど、後宮を出るのは、だいたい12〜15歳ころらしい。結婚すると屋敷を与えられるので、若葉宮はそれまでの住処。
「じゃあ、もう会えなくなるの?」
「今まで通り」
「あ、そーなの?」
「近いじゃん」
徒歩30分弱。
「だね」
「ちょっとわくわく」
「なんで」
「大人扱いしてもらえるらしー」
「どんな?」
「たぶん、酒と女」
「やだー」
こいつも男だったのね。1ヶ月前は「夜伽」って発音するだけで真っ赤んなってたのに。
「自分の好きなことできるのがいーかも」
「好きなこと?」
No.15によれば、音楽が好きならば自分で師を選び、鷹狩りが好きならば鷹匠を住まわせ、美食家ならば特産物を好きなだけ取り寄せ、といったことができるらしい。
「その代わり、学問はキツイけど」
飴とムチ。
「皇子は何がしたいの?」
「軍師を招いて戦術を学びたい」
「へ?」
「なんだよ」
「思いもよらない答えだった」
「珊瑚はオレのこと、なんだと思ってんの?」
「さっき、酒と女って言ってたじゃん。あはは」
「はははははは」
よかった。引っ越しても今まで通り、ここに来るんだ。
話していると、東宮殿の正門の方がなんだか騒がしいくなった。護衛がこちらに駆けてくる。
「皇帝がお越しになられました」
武術を教えている上位の武官への伝令が聞こえた。
軍の者達は持っていた武具を片付け始める。No.15は父親に挨拶するため、正門の方へ歩いて行った。
来た。
どうすればいい。東宮から絶対に会うなと言われている。
言いつけを守るほど従順じゃない。純粋に会いたくない。
侍女が私を呼ぶ。気づかないふりを続けて槍を突く。麗様が私を呼びに来た。
「珊瑚様、着替えて皇帝をお迎えするそうです」
どうしよう。
「麗。私、皇帝に会いたくない」
「顔色が悪いですよ、珊瑚様」
自分でも分かった。額の辺りから血の気が引いた。手が冷たくて震えてる。
「こっちへ」
麗様は私を、様々な剣が並べてある衝立の後ろに座らせた。それから、走って侍女に何かを伝えに行き、私のところへ戻ってきた。
「体調が悪くて厠へ行ったと言ってきました」
「ありがとう、麗」
兵士達は、整列しながらチラチラとこちらを見ている。それに気づいた麗が、私を立たせて歩き出す。
「厩、行きましょう」
「そーだね」
厩へ行くのは、星と私の日課。馬に会えば元気が出るかも。
しばらく馬や星と遊んでいると、ざわざわと人の声と足音が近づいてきた。心の中で低い低い音の鐘が鳴る。
カーン カーン カーン カーン
重苦しく心に響く鐘の音に周りの空気が薄くなる。
「こちらの方へ珊瑚様はいらしたか?」
皇帝の家臣の声がする。聞かれた誰かが答える。
「はい。厩にいらっしゃいます」
万事休す。ええい!
ばさっ
馬の足元にある藁にダイブした。体中藁まみれ。ぷっと口の中に入ってきた藁を飛ばす。藁にまぶされていた馬糞までくっついて何とも言えない香りに包まれる。仕上げに、両手いっぱいの藁を掬って自分の頭からかけた。
「皇帝にご挨拶申し上げます」
厩の外に出て、恭しく礼をした。
「しゃ、珊瑚……」
輿に乗った皇帝も家臣達も私の姿に固まっているのが藁の間から見える。
「珊瑚。不自由はないか来てみたのだが。……。そなたの顔を、赤いベール越しにしか見たことがなかったので。うっ。風呂に入りなさい」
「お心遣い、ありがとうございます」
皇帝は鼻と口を押さえ、「戻るぞ」と家臣に声をかけた。
臭いよね。
逃げるように去って行く輿を見送る。これでしばらくは安全。きっと、かなり風変わりな女って思われたよね。馬糞つきの藁だけじゃなく、武術をする男の服装だもん。
「珊瑚様、そこまでするのですか」
麗様が私の頭にある藁を払ってくれた。
「ちょっと転んじゃっただけ」
皇帝と東宮は、私にとって同列だと思っていた。全然違う。東宮には血の気が引いたりしないし、震えない。東宮のこと、心の中でカジュアルに「きしょ」とか言ってるけど、本当に背筋が凍るほど気色悪いのは、皇帝だった。
「助けてくれてありがとう」
馬の顔に頬を寄せてお礼を言うと、馬は嬉しそうにすりすりしてくれた。
湯浴みをして着替え、ほっと一息。私の部屋に、第3側室のピンク芍薬と第4側室の紫陽花が来てくれていた。
「大丈夫でしたか?」
「皇帝が逃げるように帰って行かれたけれど」
「はい。厩でお会いして、ご挨拶しました。武術の稽古などしていたので、男の格好で、驚かれてしまいました」
妻達で皇帝を出迎えたとき、私だけがいなかった。皇帝はそわそわしていたらしい。
「ふふふふ。珊瑚が武術の稽古をしていることは、みんな知っているのに、誰も皇帝に話さなかったのですよ」
「まーね。かわいい珊瑚が舅に何か言われちゃいけないもの」
「ふふふふ。見え見えでした。皇帝が珊瑚を見に来たこと。普段は東宮殿へ足を運ばれることなどないのです」
「東宮の留守にいらっしゃるなんて。なんだか、狙っているみたいで怖いわね」
紫陽花は「気をつけなさい」という警告を視線でくれた。
「ふふふふ。珊瑚に野心があるのなら、皇帝とというのもありなのですよ?」
「滅相もございません」
心底気持ち悪いからやめてぇぇぇ。
「そっか。東宮から寵愛を得られないなら、いっそのこと、皇帝の寵愛で一族を出世させるって道もあるわけね。なるほど。盲点だったわ」
紫陽花のポジティブさに頭が下がる。そこまで割り切れるものなの? そんなに一族の出世って大事なんだっけ。
「ふふふふ。珊瑚が引いてるわよ。それに、昼間は難しいんじゃないかしら。人目もありますし」
「お酒よ! へべれけになるまで酔っていただくの。皇帝だったら人目なんて気にする必要ないわ。誰も何も言えません」
「ふふふふ。後宮の侍女達が使う手ね」
なんですと!?
「後宮の侍女達はそのようなことをするのですか?」
「ダメよ。汚れた情報は、珊瑚は聞かなくていいの」
「ふふふふ。予備知識は必要よ」
皇帝のお手つきとなると侍女は大出世。普通、夜伽をするには手順がある。けれど、お手つきの場合、もともと対象外にいきなりガルルルなことをするわけで。向上心のある侍女は、酒や色目、あらゆる手段で皇帝との夜伽を成し遂げる。
う〜ん、理解できない。
「そこまでするほど、妃になりたいのですか?」
尋ねると、紫陽花は「普通はね」と答えた。
「ふふふふ。たった1回のことで自分の人生が変わるのですよ。子ができたり、2回目以降があったりすれば、自分だけでなく一族の人生も変わります。人それぞれですけれど」
いいこと聞いた。
だったら、東宮を狙う侍女をいっぱい用意すればいい。制度が変わらなければ東宮は次期皇帝。妻達だけでなく、夜伽をしたい侍女はいると思う。若くてイケメン。恋愛すれば、ヒロイン気分間違いなし。求む、野心侍女。




