10倍だったのですね
東宮が半年間の視察に行く前日、杏から聞かされた。
それは、朝、弓の稽古が終わって自分の部屋へ戻る途中でのこと。
「昨日、東宮がいらっしゃいました」
来た。夕食前に。前日と同じように、夕食を一緒に食べた後、帰った。
「うん。いらしてたね」
「珊瑚様が眠った後に」
「え?」
「子犬を見に来たとおっしゃられました」
「あ、そーなの?」
「恐らく、添い寝されました」
「は?」
「朝、珊瑚様の寝室から出ていかれた後、布団を確かめると、珊瑚様から少し離れた部分に体温が残っておりました」
「ええええ?!」
「子犬も一緒に眠っていたようです」
話を聞くや否や猛ダッシュ。寝室へ。ばっと掛け布団をめくって確かめる。淑女教育のときに習ったから。初めて男の人と子供を作るときは血が出ると。
ない。
昨晩身につけていたものは洗い物として片付けられてしまっていた。着替えたとき、血はついていなかったはず。
服を脱いで自分の体の無事を確かめようとしていると、止められた。
「珊瑚様、落ち着いてください」
「だって、杏。私」
犯られちゃったかもしれないんだよ!
「恐らく、何もなかったと思います。起きたとき、珊瑚様の服も布団も乱れてはおりませんでした。それに、子犬がいたのですよ」
おっさん、キモすぎる。じゃ、添い寝だけ? そんなの、何が楽しいんだろ。エロいことしないのに一緒に寝る意味あるのかしら。
「私がいけないんだよね。誰からも好かれるって呪いのせいだよね。もう嫌」
「どうかなされたのですか? 珊瑚様」
別の侍女が1人、寝室に入ってきた。杏がごまかす。
「虫刺されです。もう、珊瑚様は虫にまで好かれるのですから」
ちょっとチャドクガを彷彿させるごまかし方が嫌。
「杏、どーしよ、私」
「大丈夫ですよ。いくら爆睡珊瑚様でも、何かされたのなら、さすがに起きますよ」
爆睡するから心配なんだってば。
「そーかなぁ」
「私は経験がないので分かりませんが、痛いはずですし」
「痛くない」
「いえ、今ではなく。」
「そっか」
未経験者2人で喋っていても不毛な気がする。
「なんだか、切ないですね」
「え?」
杏は私の耳元で囁いた。
「今夜、東宮は、好きな妻と過ごせないのですよ。だから、昨晩は、どうしても珊瑚様のお傍にいたかったのでしょう」
長期不在となる前の夜、東宮は正室と過ごすことになっている。
私が東宮をきっしょって思うのは複数の女の人がいるから。それは、東宮が望んだのではなく、政治的な絡みがあって避けられない。
そんなことは分かってる。でも、生理的に受け入れられない。
例えば東宮が庶民みたいに、私1人を妻として迎えたのだったら、私は東宮を好きになれたのかな。気色悪い、気苦労の多そうな、気の毒なおっさんじゃなくて、ステキな夫だと思えるのかな。
東宮が出立するとき、ハグはなかった。
不自然なほど視線が合わなかった。
それは私への気遣いだと思う。
他の妻の嫉妬から守る為。
星の寝床にあった文。
皇帝には会うな。
文を燃やす。
「東宮から、弓も教えるように言われました」
麗様から弓も習うことになった。時間帯は変わらないまま。
せっかくプレゼントされた馬に、私はほとんど乗っていない。それでも毎日、馬と喋りに行く。星を連れて。
武術は、少しずつ見られるフォームになってきた。筋肉痛が治り、代わりに手に豆ができた。
習い始めて1ヶ月がすぎるころには、少しずつ兵士達の顔や名前を覚え、言葉を交わすようになった。
気づいたことがある。軍は小規模じゃない。
日々鍛錬をしている人数は同じ。けれど、メンバーが変わる。約300人だと思っていた兵士は、実際には約3000人?
100人が警備の仕事をし、200人が武術の腕を磨いている。兵士は警備の仕事と鍛錬をローテーション。表向きはそうなっていた。
しかし、実際には、兵士の顔を覚えようとしても次々と人が変わる。最初は、自分の記憶力が悪いのだと思っていた。
そして、1つの仮説に辿り着く。
その鍵は星輝だった。
なぜ、星輝が東宮殿に出入りしているのか。武器を売るため。
概ね平和な世。都にある東宮殿での警備に、武器商人が出入りするほどの需要はない。
仮説。東宮は、私軍を持っている。
300人なら、良家の出身の品のある人間ばかりを集めることは可能。けれど、3000人ならそうはいかない。麗様に下品なヤジを飛ばすような輩も混じる。
麗様が、兵士と初めて手合わせした日、対峙した者達は麗様の強さを知らなかった。それは捕物劇が繰り広げられた日に不在だったことを意味する。
「ね、ホントは何人いるの? 10倍くらい多くない?」
No.15に尋ねると「気づいた?」という薄い反応だった。
仮説通り、東宮は極秘に私軍を持っていた。やっぱり。
「女の人らには言うな」
「分かった」
辺りを見回す。いるのは、麗様だけ。
朝の弓の稽古のとき同様、最初は、共の者は多かった。
「若い殿方を間近に見る機会などないのです」
「私は麗様を見たいわ」
「躍動する筋肉。飛び散る汗」
「出会い!」
「武官の名家の殿方に身染められるかもしれません」
下心だらけ。
けれど、地味な稽古、長時間、日焼け、のマイナス要因にリタイヤ続出。今では杏を含めて3人ほど。しかも、離れた所、木陰かパラソルの下でイスに座って観覧している。
侍女達は、イケメン兵士をチェックしていても、人数まで興味がなさそう。たぶん、気づいていない。
「皇帝は知ってるの?」
「まさか」
「資金は?」
「え?」
「協力者がいるの? ひょっとして、私の父?」
「協力者? 考えたことなかった」
これだからぼんぼんは。
「届出は300人、実際には3000人だとすると、2700人を雇うには、予算外の費用がかかるし、武器にも費用がかかるはず」
「そっか。それでか」
「何かあるの?」
「何年も前、異母兄は塩の利権を手に入れたがってた」
「手に入れたの?」
「さあ。その後は聞いてない」
きっと父の方が詳しい。けれど、もう連絡を取れない。文の内容までチェックされるから。
それに、知っても何も変わらない。
「何のための軍?」
「言えない」
父は、皇帝の話を私にするとき、東宮には話してもいいと言った。ならば東宮は、皇帝が自分を排除しようとしていると知っている。
まさか、この東宮の私軍は、皇帝の禁軍(皇帝の軍)と戦うためのもの?! 東宮は謀反を企てている?!
落ち着いて。冷静に。
No.15は「世が変わればいい」と口にした。それは、異母兄と常日頃から話題にしているからという可能性がある。
今の私にできることは、知らないふり。それが賢明。
「ね、皇子って、15番目の息子なんでしょ? 弟何人いるの?」
末子は何歳なんだろ。
「15番目の息子だけど、生きてるのでは5番目。下は3人生きてる」
生存率低っ。後宮怖っ。
「へー。1番下っていくつ?」
「3歳。鼻垂らしてて、かわいーの」
3歳。
25歳の東宮は目の上のたんこぶでも、3歳の末っ子は目の中に入れても痛くないくらい可愛いかもしれない。
25歳の東宮とは、国のリーダーという点で比較される。けれど、3歳と比較されるのは少なくとも15年後。実質的にはもっと先。




