早く帰ってください
圧倒的な運動不足。淑女の教育に足腰を鍛えるものなどない。自分の脚は、家の中を歩いていた程度だと思い知った。
「珊瑚様、お座りください」
「杏はいつも立っているじゃない」
「私は座ることなど許されませんので」
「絶対に私より、脚が強い。私も鍛えるの」
「できなくても気にすることはありませんよ」
ピキッと引っかかった。
杏は、なぜ私が脚を鍛えたいのか分かっている。しかも、武術がめっちゃくちゃ下手ってことも。
くっそう。絶対上手くなってやる。
麗様はまだ15歳。でも、ずっと年上の兵士達より圧倒的に強かった。麗様によれば、兵士達は小さなころから武術を習っている。だから年数じゃない。
しつもーん。
「ねぇ、麗はどうやって強くなったの? 動きを速くするにはどうすればいい?」
「食べるためです。旅の一座で剣舞があるんです。最初はそれで剣の扱いを覚えました」
「舞だったんだ」
「はい。そのうち、強くならないと狙われるので、強くなりました」
「狙われる?」
「旅芸人という仕事は、女も男も若いと襲われるんです。売上金を強奪する輩もいますし。強くなるしかなかったんです」
「そうだったの」
事情があったんだ。麗様は綺麗だから、格好の標的。
「それに、昔からすばしっこかったんです」
「才能なのね。」
「生きるためです。物心ついたときは、道端で暮らしていました。盗んだ物で食い繋いでいました」
「なんだか、立ち入ったことを聞いてしまって……」
「子供のころ盗みで捕まって。そのとき盗んだちまきの料金を払ってくれたのが、世話になってた一座です。結局、追い出されましたが」
「そっか」
「速くないと捕まるし、強くないと犯られる。それだけです」
こんな話聞いちゃったら、私、絶対に上手くなれっこない気がしてきた。
「少しでも上達したいなって思って」
ハードモードな人生じゃなくても、武術を上手くなりたい。
「練習です。だんだん、相手の動きを見る余裕が出てきます。相手がゆっくりに見えてくるんです」
「その域に達するのはずっと先かもだけど、頑張る」
「昨日より、動きがよくなっていましたよ。兵士達も褒めてました。練習あるのみです!」
麗様♡
夕方には、ルーティン化した東宮の訪問。
「珊瑚。今日はプレゼントがある」
「ありがとうございます」
服とか宝石かな。あんま、興味ないんだけど。
いつもは部屋まで入ってこない家臣が箱を持ってやってきた。
東宮は箱の蓋を開け、手招きする。
「あ。かわいい!」
「子犬だ」
「私にですか? ありがとうございます」
箱の中から抱き上げると、左耳に三角の切り込み。あら、この子。
「珊瑚は犬が好きだと言っていたから、探したのだ。なかなか子犬が見つからなくてな」
いえ、この子、狼です。
「……」
「私が出立する前に見つかってよかった。喜ぶ顔を見たかった」
「え?」
「可愛いなぁ」
「本当に」
「子犬も、子犬を抱く珊瑚も」
東宮はとても満足そう。
「きゅおーーーん」
! 子狼が突然の遠吠え。まだ下手くそで遠吠えっぽくないけど。狼ってバレたら連れていかれちゃう。
「きゅおーん きゃんきゃん」
自分の声を被せ、「遠吠え禁止」と念じながら見つめる。
「はあぁぁ。可愛い」
東宮は首を横に振りながら、何かを噛み締めるようにため息を吐く。子犬の育て方についてのメモまでくれた。いえ、狼なんですが。
「本当にありがとうございます」
「珊瑚、その子に東宮殿を案内してやろう」
「はい」
庭から出、子狼を抱っこしたまま、東宮殿を少しお散歩。
自分の庭まで戻ってくると、部屋からいい匂いがした。
部屋の扉の前、両側に立つ侍女が東宮に畏まったお辞儀をした。
「おかえりなさいませ。ご用意ができております」
部屋には、いつもより豪華な夕食の用意ができていた。
嫌な予感がする。
東宮は、にこにこしながら席に着いた。
「珊瑚は、牛肉が好きだと聞いた。さあ、いただこう」
ピンチ!
夜伽の流れは、
1、今夜の相手ですよーのお知らせ
2、入浴して準備
3、お迎え
4、一緒に夕食
5、夜伽
夕食と夜伽はセット。
きっと大丈夫。お知らせされていないから。
きっと大丈夫。入浴していないから。
きっと大丈夫。だって、私の気持ちを1番に考えるって言ってた。
このおっさん、どーゆーつもりなんだろ。
「ほら珊瑚、少し辛いのは好き?」
東宮は、私のお皿に美味しそうな物を取り分けてくれる。父母や祖父母がしてくれるように。
「好きです」
「っ。……。ほら、この牛肉のオイスターソース炒めは、好きか?」
「はい」
「こっちのエビチリの辛さはどうだ?」
「ちょうどいいです」
「これは?」
「好きです」
「っ。……」
東宮はときどき息を呑んで目を細める。
甲斐甲斐しく料理を取ってくれるのはありがたいのだけれど、ちまちました量じゃ味わえない。がっつりいきたい。
でも、その前に確認したいことがある。
今夜、ここに泊まるわけじゃないよね?
「いつもは1人でお食事なさっているのですか?」
「そうだな。1人が多い。大抵は、さまざまな報告を聞きながら。家臣と話をしたり。消化に良くないと分かっていても。仕事を優先してしまう」
「お忙しいのですね」
「ああ。終わりのない仕事だ」
「今日は大丈夫なのですか?」
=早く帰って。ゆっくり豪華ご馳走を味わいたい。
「珊瑚と過ごそうと思って、片付けてきた」
「……ありがとうございます」
ありがたくないよー。何時まで過ごすんだよー。怖いよー。
「なかなか一緒に過ごせないのでな」
それでいいんだってば。顔忘れる程度で。
「お忙しい中、朝、弓を教えてくださって、ありがとうございます」
その時、一緒じゃん。
「子犬に名前をつけよう」
「名前ですか」
「珊瑚がつけなさい」
「はい。星……」
うっかり「星輝が見つけた」って言いそうになっちゃった。
「よいな。星か」
決まっちゃった。
「星です」
「星」
東宮は星に呼びかける。星は寝ながら耳だけぴくっと動かした。疲れたよね。山の中で星輝に拾われて、都まで連れてこられて、No.15に飼い主が移ったのも束の間、知らない人のところで過ごして箱に入れられた。
さっき、お散歩のときも私の腕の中で寝てた。
お疲れ様。
「珊瑚は素直で弓の上達が早い。剣も槍も拳術も熱心と聞いた」
「恐れ入ります」
お皿がだんだん空に近づいていく。勿体ないけれど、食べ残すのが礼儀。これ以上食べられませんという意思表明。ちょうど食べるのを止める頃合いというのに、東宮は、、、いる。
湯浴みをしろと言われたらどうしよう。夜伽確定。
湯浴みなしでベッドに運ばれる可能性だってある。
昨日の馬上での言葉を思い出す。
『皇帝は何をしても、咎められることはない。たとえ目の前で何かあっても、誰もお前を助けない』
それは、東宮であっても同じこと。何かあったとしても、誰も助けてくれない。
ヤバい。
お腹が痛いって言う?
ダメだ。この状況だと、料理人が疑われて罰を受けてしまうかも。
どうしよう。
「さて。では私は部屋へ帰ろう。珊瑚、歯を磨いて、しっかり寝なさい。明日も早い」
よかったぁぁぁ。
「はい。おやすみなさい」
「おお。こっちにもおやすみを言わなければ」
東宮は、子狼に優しく「おやすみ」と挨拶。
ちゅ
あらら。キスまで。
退場。タスカッタ。




