呪ひ言
ーーーー誰からも好かれるという呪いをかけようーーーー
それは私にとって、呪いなんかじゃなく、特殊能力だった。
「珊瑚、今日は父君から、素晴らしいプレゼントがあるのですよ。美しい私の娘。お行儀良くするのですよ」
「はい。母君」
何人もいる側室の1人である母は、父を神のように崇拝する。
父は、高位の貴族。私にはベタベタに優しいけれど、権力と財力に物を言わせて人を支配する冷徹な男、と世間では評価されていた。
「奥様は愛されていらっしゃいますね。どの女性よりも、旦那様は足繁くここへお通いになられますもの」
侍女は、テーブルにお茶とお菓子を並べながら微笑む。
「それは、珊瑚がいるからよ。誰もが好きになると約束された子ですもの」
「奥様、ご謙遜を。珊瑚様の美しさは奥様譲り。旦那様はお二人を特別に思っていらっしゃるのですよ」
齢13の私でも、知っていることがある。
母は何人もの女と1人の男をシェアし、愛情とそれに応じて与えられる財を競っている。
そんなのは真平ごめん。
夢は、自分だけを想ってくれる人と、たった1つの恋を貫くこと。
「まあ、珊瑚様ったら。欲しいのですか?」
大好きな胡桃のお菓子をじーっと見つめていると、侍女が、くすっと笑う。
バレちゃった。
お菓子は、丸いお皿にピラミッドのように寸分違わず積まれ、1つでも欠ければ、美しい形が損なわれてしまう。
「……」
欲しいと言えず、首を横に振ろうとしたとき、侍女は天辺のお菓子を1つ取った。
「レディになったら、できませんからね」
侍女は私の掌の上にお菓子を載せると、1段低くなったピラミッドの天辺に花を飾った。
侍女はいろんなことを知っている。私に呪いのことを教えてくれたのも、彼女だった。
聞かされたとき、どこが呪いなのか、さっぱり分からなかった。
それは彼女も同じ意見で、首を傾げていた。
『術師は自分の一族を旦那様に滅ぼされた男。奥様の許嫁だった方なのです。だから、呪いのはずなのですけれどね。きっと、珊瑚様のあまりの愛らしさに、術を間違えてしまったのでしょう』
誰からも好かれるなんて、いいことじゃん。当時5歳だった私は、聞かされた祝福の魔法に満足した。
夕方、呼ばれて広間へ行くと、母が父の足元に蹲って泣いていた。
「珊瑚で……す。」
「おお、珊瑚。なんて可愛いんだ。日々美しくなる」
父は、足元の母などいないかのように、私に歩み寄った。
「ご機嫌麗しゅう……」
挨拶をしなければと思いつつ、泣いている母が気になり、横にしゃがんで肩に触れる。
「珊瑚、父君にご挨拶を」
泣きながら私を諭す母。母は娘である私に、生きる術を教えているのだった。誰によって生かされているのか、誰を優先しなければならないのかを。
「よいよい。珊瑚、驚かせてしまったな。もっと驚くプレゼントがある。お前の嫁ぎ先が決まった。東宮だ」
東宮。それは、次期皇帝。
真平ごめんの最たる場所。
「珊瑚、お礼を言うのですよ。父君のお力で、素晴らしい道が開けるのですから」
だったら、なぜ泣いてるの? そう思ってないからでしょ。
「……」
「素晴らしいだろう。大切なお前には、幸せになってもらいたい。東宮に嫁げば、国母になる可能性だってある。女として最高の誉だ」
上昇志向激しい父は、自分の価値観を押し付ける。一族繁栄のためと言ってくれた方がまだマシ。犠牲者として、母と一緒に泣ける。
「感謝致します」
能面のような顔で言葉を述べた。
「お前は美しい。私の身分では高位の妃になれないが、必ず、東宮に気に入られるだろう。一度目にしたら、お前を好きになる。それが運命なのだから。こっちへおいで、珊瑚」
「はい。父君」
床で泣く母をそのままに、父は私を優しく抱いた。
「私とて辛い。珊瑚、お前を大好きなのだから。会えなくなるのは身を切る思いだ。けれど考えた。自分が親としてしてやれることの精一杯を。特別なお前を、誰に託せば守れるのかを」
「守る?」
「珊瑚の噂が皇帝の耳に入ってしまったのだ。いくら人に好かれるお前とて、まだ13歳。権謀術数蔓延る後宮ではやっていけまい」
皇帝は、御歳50のお爺さん。13歳の娘に興味って。きっしょ。
確かに呪いだ。誰からも好かれるという呪い。
そんなこんなで、私は東宮に嫁ぐことになった。
25歳の東宮には、既に1人の正室と4人の側室がいる。
私は12歳で成人して、まだ1年しか経っていない。けれど「自分だけを想ってくれる人と、たった1つの恋を貫く」という細やかな夢は、終わってしまった。
嫁いだら、初潮もまだの未発達な体を開かれ、あんなことやこんなことをされて、いずれは子供を産むって仕事が待っている。
死んじゃおっかな。
好きでもない相手とゲロゲロなことをする前に。正室と側室にいじめられる前に。だって私、上昇志向0。戦う気力0。気が弱くて、言葉の裏を読みながらの会話なんてムリ。
恐ろしいことに、婚儀は恙なく行われてしまった。
気が弱くてビビリで、自殺が怖かった。身投げ首吊り喉を斬る……どれも気合いが要りすぎる。
初夜はお腹が痛いと言って逃げた。
東宮の顔は、まだ、まともに見ていない。怖くて。キモいおっさんに決まってるじゃん。
婚儀のとき、私はずっと赤いベールを被っていたし、頭の飾りが重くて俯いていた。本来ならば、初夜に新郎がベールを取るのだけれど、お腹が痛いってぶっちぎったから。
正室と側室のみなさんには気に入られた。笑顔全開で迎えられ、豊満な胸にぎゅうぎゅう抱かれて歓迎されたり、様々なことを褒められたり。愛を競うギスギス感がなくて意外だった。子供だから敵と見なされなかっただけかもしれない。
嫁ぐとき、侍女も一緒だった。名は杏。
杏は、庭に置かれた陶器のテーブルセットの上に、おやつを用意してくれた。
側室として与えられたスペースにはプライベートな庭がある。何もかもが大きくて広くて面食らってしまう。
「珊瑚様。みなさん、いい方々ばかりでよかったですね」
「ええ。安心しちゃった」
「なのに、仮病をお使いになって」
バレてた。20歳の杏は、私のお目付け役。母が選んだしっかり者の有能な侍女。
「だって。嫌なんだもん」
「誰もが羨むことですのに」
「私ね、夢があったの。自分だけを想ってくれる人と、たった1つの恋を貫くって。まだ、気持ちの整理がついてなくて」
「早く、東宮とそーゆーご関係になれたらいいですね」
え、何言ってんの?!
「なれるわけないじゃん。もう正室がいて側室が4人。で、私だよ」
こんっ
「皇族の結婚は、政治的なものです。ご寵愛を独り占めすればよろしいのですよ。珊瑚様だったら、もう既に、東宮のお気に入りになっているかもしれませんよ? 婚儀のときにずっと一緒だったのですから」
「妻が6人いるのに、他の5人を放って1人にかまける人間、尊敬できないよ。もう、ムリ。いろいろ終わったの。私には、気持ちの整理をする時間が必要なの。一夫多妻考えた人、死んで欲しー」
こんっ
「珊瑚様」
「……はい」
ごめんなさい。いけない言葉を遣いました。
こんっ
小さな音の後、はらりと梨の花びらが数枚、書物の上に落ちてきた。