口尊
「ご清聴ありがとうございました」
夏季に恒例の怪談会を終え高座を降りる。
観客が悲鳴を上げたり、静まり返った様を観るのは怪談師冥利に尽きるというものだ。
大トリでウケた日にはお気に入りのバーで一人ウイスキーを傾けるのが何よりの楽しみだ。
『原さん、お久しぶりね。さっきの怪談良かったわよ、新ネタかしら?』
「おおっ、村田さん!久しぶりじゃないか。来るなら言ってくれれば良かったのに」
ー彼女は村田香織。同じ怪談師だが都市伝説ネタを得意としているー
『3年ぶりかしらね。ちょっと驚かそうと思ってね』
「もうそのぐらい経つのかぁ。面白いネタは仕入れたかい?』
『人前では話せないぐらいヤバいのがあるわ。あっ、私はソルティー・ドッグね』
「君がヤバいって言うなんて相当なんだろうね。俺にだけ聴かせてくれないかな?」
『あなたならそう言うと思ってたわ。宿取ってるんでしょ?そこでなら良いわ」
頼んだ酒で乾杯をし彼女は喉を潤していく。
今まではお蔵入りのネタでもバーで話してくれたものだが今回の話は相当まずいのだろう。しかし、同業者として好奇心には抗えない。
2人とも程よく酔いが回ったところで宿に向かう。
夏らしく湿気を孕んだ空気が俺は好きだった。
コンビニで酒肴を買い足して部屋に入る。俺はベッドに、彼女は鏡台前の椅子に腰掛ける。
「それで、どんな話なんだい?」
『……これはK県のある町で聞いた話でね。特に中学生の女の子の間で流行っていた噂だったの」
語り始めるとそれまで朱が差していた顔が能面のように蒼白くなったように思えた。
『"それ"はいつから流行り出したのか、誰が最初に広めたのかも分からない。放課後、自分の下駄箱に電話番号と質問を書いた紙を入れておくと"それ"から電話がかかってきて質問に答えてくれるの。そして翌朝下駄箱を開けると"それ"が対価としてほしいものが書かれた紙が入っているというわけ。質問の方は中学生らしい可愛いものばかりだったわ。「好きな人と両思いか」とか「テスト範囲」とかね。でも本当に怖いのは対価を渡さなかった時よ。最初は「飴玉」とか「孫の手」とか大した物は要求されないんだけど無視し続けるとね、血文字で「目玉」とか「手」と書かれた紙が届くようになるの。そうなったらもう手遅れで実際に失明したり、手を切断した子を知ってるっていう人もいたわ。実際にそうなった子が出てくるようになってから質問する子は減ったんだけどやっぱりいるのよね、度胸試しでやってしまう子が。そういう子達は対価に"答えを返せ"と書かれた紙が届くと言うの。例えば質問した結果、恋人が出来た子はその相手が噂に取り込まれてしまったりね」
「噂に取り込まれるってどういう意味だい?」
『その通りの意味よ。"それ"の一部となって質問に答えていく。そして対価を要求していく」
「それじゃあ何かい?その町では大多数の子が"それ"になってしまっているって事かい?」
『そういう事。自分が"それ"になっている自覚もなく卒業して大人になって社会に紛れているなんて怖くない?もしかしたら今日の会場にもいたかもしれないわよ』
「よせよ。それこそただの噂だろ?」
『……ねえ、どうして聞かないの?』
「聞くって何をだよ」
『どうして貴方だけにこの話を聞かせたのかを』
「人前で話すにはヤバすぎるって言ったのは君だろ」
どうにもおかしい。彼女はこんなに神経を逆撫でするような話し方をしただろうか。
『そうね。貴方に聞かせたのはせめてもの償い。私が呪いから逃げるためにね』
「呪いだって?君も"それ"に何かを聞いたのか?いや、そもそも"それ"の正式な名前はなんだ?」
『私が聞いたのは"それ"がいつから始まったのか、全てを知りたくなったの。その結果"それ"は私に、私は"それ"になったの。そして"それ"の名前も分かったわ。口に尊いと書いて口尊。噂をもじった駄洒落ってところね』
「君が噂の存在になっただって?何かの冗談だろう」
突拍子もない話に思わず酒を一息に呷る。
『大事な話はここからよ。私は質問をして同化する事で答えを得た。でもまだ対価を渡していないの』
「対価?俺の命でも差し出せとでも言うつもりかい?」
『いいえ、"それ"が欲しているのは第二世代を産む事。せめてもの情けで貴方を選ばせてくれたわ。でもこれで貴方を殺さなくて良くなる』
「俺だって君に好意的な感情は持っているがこんな巫山戯た理由でするつもりはないぞ」
『貴方の意思なんて関係ないわ。それに"私"ももう限界なの』
不意に彼女の様子が変わった。それまで能面のような表情だったものが媼のように変化した。身に纏った物を引き裂き肌を晒しながらこちらに向かって歩いてくる。
「『さあ、その身を捧げて』」
澄んでいる彼女の声に嗄れた声が重なって聞こえる。
逃げ出したいのに身体から力が抜けて崩れ落ちてしまう。
「『この時をずっと待っていたのよ。貴方だってそうなんでしょ?』」
彼女の身体からは今まで対価として奪ったであろう腕や目玉が飛び出している。もはや人とは呼べない肢体を晒し、身体の穴という穴から粘液を垂らしている。
無数に生えた腕が身体を押さえつけ服を引き裂いていく。
「止めるんだ、村田さん!」
「『だーめ!貴方がずっと欲しかったのよ?それがやっと叶うんだからじっとしてて、ね?』」
とても口内に収まっていたとは思えないほどに長い舌を垂らし顔を舐められる。あまりの腐臭に顔が歪む。
「『失礼ね。まあ良いわ。用があるのはこれだもの』」
男根に触れてくるがひび割れた皮膚や絡みつく粘液が只管に不快だ。それなのにこちらの意思とは関係無く屹立していく。
「『なんだ。貴方もそのつもりなんじゃないの』」
"彼女"は俺に跨り、それを自ら飲み込んでいく。
「『この感覚は久しぶりね』」
嬉しそうに腰を振りながら射精を促そうとしていく。
脱力した状態が続く身体では一切の抵抗が出来ずに強制的に射精へと導かれてしまう。そこに快楽などはなく只々気色悪い。
「『うふふふ、貴方の子種は全部貰ってあげる。そうしたら絶対子どもが産まれるわ』」
既に彼女のお腹は出産間際のように膨らんでいる。
どうやら生殖器も複数持っているようだ。
精魂尽き果てるまで交わりを強制され、数えられるだけでも10人の子が既に産声をあげている。
「『さあ、貴方と私の子よ。これで貴方も私と同じ"それ"になれたのね』」
「……どういう事だ?」
自分の身体を眺めると腕や男性器が何本も生えておりもはや人外としか言いようがない。
『うふふ、これで貴方も皆の質問に答えていかなきゃね。対価が私たちを生かすエネルギーになるんだから』
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「ねえねえ、知ってる?昔流行ってた噂」
『あー、口尊だっけ?もう時代遅れな都市伝説でしょ』
「それが最近大人の男だったり、子どもが電話をかけてくるんだって」
『じゃあ電話に誰が出るか分からないって事?』
「そうそう。でも一番悲惨なのは男の人なんだって」
『えっ、どうして?』
「質問してきた子に自分の子供を産ませるんだって」
『……そうなんだ」
「あれ?こういう話嫌いだったっけ?」
『ううん、そんな事ないよ?ただ私が口尊の子どもだったらどうする』
「えー?それだったら質問してみようかなぁ」
『良いよ、何が知りたいの?』
「貴女、本当に口尊の子?」
「『それを聞いちゃうんだ。他の質問にしておけば良かったのに』」
「えっ?なんて言ったの?」
「『イ マ カ ラ ア ナ タ モ ワ タ シ タ チ ノ カ ゾ ク 二 シ テ ア ゲ ル』」
その日1人の少女がいなくなり、無数の口尊が新たに産まれた。