商店街にて
「密室の謎なんですけどね」
長沼さんが遺体で見つかった翌々日の午前十時頃、翠は智樹と、商店街の一番奥に一軒だけ残った喫茶店「ポアロ」に来ていた。窓際の席に陣取って二人でこそこそ話をする。ポアロのマスターは増田裕太さんと言って、五十を少し過ぎたくらいだろうか。細身で背が高く、白髪混じりの長髪を後ろで結わいている。眼鏡をかけシャキッとしているところと温厚で丁寧な物腰を別にすれば、少し智樹にたたずまいが似ている。智樹もぶらぶらしているくらいならマスターに弟子入りしたらいいのに、と翠は思っている。マスターは店の奥の方にあるカウンターでサイフォンを手入れしているので、こちらの話が聞こえていないはずだ。
肉屋、パソコン教室、八百屋、中華屋、喫茶店。商店会に加入しているのはこの五軒。五軒で祭りをやったり商店街の旗を立てたり花を植えたりしている。翠も祭りは手伝うし、智樹も無理矢理駆り出されていた。
「ドライアイスを使ったんじゃないかと思うんですよ」と翠は言う。
「はい?」
「ほら、長沼さんを睡眠薬か何かで眠らせて、ドライアイスで長沼さんの体を浮かせておいて、時間差で首が絞まるように細工をして、その間に逃げて、その後私が鍵を閉めた・・・あれ?」
「じゃあお前が犯行を見てたってことだな、バカバカしい。死ぬ前後にあれだけ爺さんは目撃されてるのに、犯行時刻を偽装してどうするんだ。・・・どうせドラマか何かのトリックの受け売りだろ」
智樹は心底馬鹿にしたように、フンと鼻を鳴らした。仮にも翠は四歳ほど年上なのだから、敬語とはいかなくてももう少し丁寧な言葉遣いができないものか。
「司法解剖の結果、爺さんの体から睡眠薬やなんかは検出されなかった。あの刑事の見立て通り、絞殺されてからロープで自殺に偽装されたらしい。」
智樹はあれから本当に刑事さん達にまとわりつき、色々捜査状況を聞いているらしい。その話を、私にも聞かせてくれるということで、私は今日1日ぶりに商店街へやってきた。
「あの日私が長沼さんと一緒にお昼を食べていれば・・・」
「お前も殺られてたかもな」
翠は智樹をキッと睨みつけた。
「私はこう見えても鬱持ちなもんで。病状が悪化しないように、なるべく外に出るように気をつけてたんです。だから一緒に食べるとすれば、長沼さんを外に誘っていたんですよ。ここ一年、毎日お昼は外で食べてたんです。」
「毎日外食かよ、金持ちだな」
「龍神亭に行く日が多かったんですけど、流石にお金がかかるので、駅前のコンビニでサンドイッチやおにぎりを買ってくることも多かったです。ここからは木の向こう側なので見えませんが、龍神亭の前の道の真ん中のプラタナスの木のところにベンチがあるでしょう?そこで食べてました」
それを聞いた智樹は顔色を変えた。
「本当か」
「え?」
「それを誰かに話したりはしてないか」
「それって?」
「毎日お前が外で昼飯食ってるってことだよ」
智樹はダンディーメガネマスターの増田さんにご馳走様と声を掛け、カウンターのレジ脇の釣り銭トレイにコーヒー代を置いて外へ出て行ってしまった。私も支払いをして後から慌てて追いかける。
「そんなこと、話すような関係の人はいませんけど・・・生徒さんとのおしゃべりでもそんな話しなかったし」
「お前ここに座っとけ」
龍神亭の前には、商店街のシンボルツリープラタナスの木が植えられている。丁度道の真ん中に、なぜ植木を植えたのか、邪魔じゃないのかと思うけれど、木の根元が草花で覆われていて、翠にとってはなかなかの癒しスポットだ。
翠はベンチに座らされて、龍神亭のなかのおばちゃんと手を振り合う。今日も暇らしい。
智樹は、というと、商店街の端まで走って行って、左に折れたかと思うと、裏から肉屋の中に入れてもらったらしく、肉屋のショーケースの上に身を乗り出して手を大きく振った。中では藤原タネさんと旦那さんの源一さんが、智樹を引き摺り下ろそうとしているに違いない。
智樹に手を振りかえすと、青柳青果店の青柳哲さんが声をかけてきた。
「翠ちゃん、何してるの」
「テツさん・・・」
テツさんはお母さんの青柳佐和さんと二人で青果店を営んでいる。180センチを超える大男で、野菜の運搬で鍛えられた腕や背中の筋肉が眩しい。太い首にタオルを掛け、軍手をはめている。いつもなら店先で「はい、らっしゃーい!安いよ安いよ!」という掛け声で、商店街に活気を与えてくれている。翠にもよく声をかけてくれた。でも今は、KEEP OUTと書かれた黄色いテープと捜査員に気圧され、掛け声を控えて静かに開店中だ。
「翠ちゃん智樹と仲良かったの、知らなかった」
「いいえ、違うんです。長沼さんのことがお互いまだ信じられなくて・・・何でこんなことになったのか話し合っているというか。智樹さんとちゃんとお話しをしたのも今回が初めてみたいなものです」
言い訳がましく言って、翠は続けた。
「テツさんの声が響いてないと、商店街もすごく寂しいです。早く犯人が捕まって、元に戻ると良いですね」
「そうだなぁ」
寂しそうに、困ったようにテツさんは微笑んだ。
「元に戻るかなぁ。そうなるといいな」
翠は気付かされた。長沼さんはもう居ない。あの笑顔も、彼の地域貢献の思いも、戻ることはない。元通りにはならない。「すみれ」が存続できるかどうかもわからない。
目の前が暗く感じられ、それはいつの間にか目を閉じていたせいなのだが、また涙がこぼれそうになる。
「それで、何か分かったの」
テツさんが聞く。とそこへ、智樹が戻ってきた。
「ようお二人さん」と冷やかすように言う。
「智樹。爺さんの通夜はどうするんだ」
「テッつぁん、うちの父さんが帰国したら決めることになってる。決まったら連絡するよ」
「そうか、分かった。あんま気を落とすなよ」
テツさんは店に戻って貴重な通行人に「いかがですか」と小さく声をかけ始めた。母のサワさんは、流石に長沼さんの不幸に落ち込んでいるのか、店の奥で座ってじっとしていた。いつも小さな体で店の前をちょこちょこ動き回り、テツさんと一緒に通行人に声を掛けて商店街を明るくしてくれているのに。翠は犯人への怒りが湧き出し、心が真っ黒になって息苦しくなるのを感じた。