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エリスの母は、物心つく前に亡くなった。
魔法の才がない自分にさほど興味がないのか、父は仕事にかまけてばかりだし、珍しくやって来た時も、むすっとした表情で睨みながら菓子を渡すだけだ。
別に家族に大事にされなくとも、エリスには錬金術がある。
家にも帰らず、エリスは研究所で充実した日々を送っていた。
ある日、父が左目を眼帯で覆った少年を研究所に連れて来た。
父が組織を壊滅させたやら、非道な実験が行われていたやらという話は聞き流し、エリスは眼帯に隠されたモノに興味を惹かれた。
ディンの瞳。
その昔、伝説の錬金術師によって作られた、過去や未来、世界の理すらも見通す魔眼が悠久の時を経て、今は少年...クロノに移植されていた。
残念ながら、眼帯をいじることは禁止されていたため、せめて誰にも渡すまいと、自分の下僕にした。
下僕なら、他の研究員と違って、自分の研究を盗んだりしないと思った。
...父と違って、ずっといっしょにいてくれると思った。
思った通り、クロノはエリスに従順だった。
あれこれ世話を焼いてくれるし、クロノの菓子はけっこうおいしい。
時々研究を中断させられるのがたまにキズだが、基本的にイエスマンだ。
クロノが来て一ケ月が経ったある日、調子にのったエリスは一つの命令を出した。
「クロノ、私に魔眼の力を見せてみろ」
「わかった」
魔眼を使うと命が削られる。だからこそ眼帯で封印されていた。
エリスはそのことをすっかり忘れていた。
クロノは知っていて、躊躇しなかった。
暴走した魔眼により、クロノは三日間寝込んだ。
その間、エリスはずっと布団に包まっていた。
「ふうん...じゃあ、俺に三日間休みをくれよ」
目を覚ましたクロノは、大変な目に遭ったというのに、エリスを責めるどころかケロッとしていた。
「ああ、そう! 勝手にしろ!」
そんなクロノに、エリスは謝り方がわからず、悪態をつくことしかできなかった。
もう、このまま自分のもとに戻って来ないと覚悟していた。なのに三日後...。
「お前、なんで戻って来た!?」
「なんでって...俺はあんたのモノだろ?」
自分勝手に生きてきたエリスにとって、クロノの行動と言葉は衝撃的だった。
クロノは自分自身以上にエリスを大事にしてくれる。
それが嬉しくて...なぜか悲しかった。
そして、エリスは魔眼への未練を断ち切り、クロノに今後の使用を禁じた。
それからも、クロノはエリスのモノであり続けた。
食事を一緒に取るようになった。
苦手な人付き合いも、クロノが代わりにやってくれた。
焼きたてのクロノ特製シュトーレンの端っこを切ろうとした時は、珍しく怒られた(ついでに、正しい食べ方を懇々と教え込まれた)。
気づけば三年が経っていた。
相変わらず、エリスは引きこもってばかりで、クロノはぼんやりとしていた。
猫のルーちゃんが遊びに来るようになったこと以外は、特になにも変わっていなかった。
そんなある日、クロノが倒れた。
長期にわたる、魔眼の使用が原因だった。
「クロノ、私は命令したよな? もう魔眼は使うなって」
「...まあ、そうだな」
「答えろ。どれだけ削った?」
「...十年ぐらい」
「...そうか」
わかっていたはずだ。
クロノが自分自身のことに、あまり関心がないことを。
わかっていて、そばに置いていた。
わかっていて、ずっと甘えていた。
「お前はいつもそうだ! もういい、二度と私に顔を見せるな!」
他に言いようがあったはずなのに、結局エリスは突き放すことしかできなかった。
それからも、エリスは研究部屋に引きこもった。
クロノのおかげで、最近は野菜を食べられるようになった。
簡単な料理ぐらいなら、エリスにだってできる。
片付けだってできる。
こんな時に限って、ルーちゃんは来てくれない。
一人ぼっちの食事は、なんだか寒い。
泣きたくなるのは、きっと気のせいだ。
ようやく目的の品が完成して、ひさしぶりに外へ出ようとしたエリスだったが...。
「ん?」
なぜか扉が開かない。
おかしいと思って、エリスは眼鏡を鑑定モードにした。
どうやら、扉は魔法でロックされているようだ。
嫌な予感がして、今度は透視モードに切り替える。
「な...!?」
エリスがいる部屋は、今や結界により宙に浮いていた。
二十人くらいの魔術師が取り囲む中...クロノがそれらから結界を守るように戦っていた。