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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
9/26

9.『アルブレヒト』

「書簡を読んだ。よく知らせてくれたな」

「……お約束しましたから。まさか、殿下がおでましくださるとは、思いませんでしたけれど」

「あのような内容だったからな」


 王族は、転移の魔法を用いて望む場所に移動できるが、決して容易ではない。多くの魔力を必要とする転移の魔法は、よほどのことがなければ使わない、とシャルロッテも知っている。


「ありがとうございます」

「具体的な時期はわからないのだな? 犯人の顔は見たのだろう?」

「これまでの経験から考えると、長くても半年以内かと。ただお伝えしましたように夏の装いでしたので、近いうちのことだと思います」

「話せるか?」


 細かく震える手を、フェルディナントが包み込む。大きな手は少し冷たいのに、力強く握られているシャルロッテの手は暖かくなる。


「主犯、かどうかはわかりませんが、一番高慢な態度だった男は、わたくしの父くらいの歳に見えました。太っていて、口髭が特徴的で……、顔はどこかで見たような気がするのですが、思い出せなくて。申し訳ありません」

「侯爵家以上の当主ではないのだな? ほかにはなにか見ていないか?」


 シャルロッテは自信なくうなずいた。社交のための勉強を、おろそかにしていたことは否めない。少なくとも見覚えのある人物はいなかった。


「貴族らしく見えた人はあと三人いました。やはり中年の歳に見えましたが、知った顔はありませんでした。ほかに粗暴な印象の男が五人。彼らがわたくしを売り払えばいい、というようなこと話しているのを、主犯らしい男が身柄の引き渡しが今回の依頼で、それで報酬が支払われる、と制していました。ですが言い争いがはじまって……。そこで目を覚ましました」

 声が震える。フェルディナントは顔をしかめて、思案している。


「侯爵令嬢の拉致を実行できる家は、そうはあるまい。とはいえ少なくもないな。伯爵家、子爵家、男爵家、中でもそれなりに力のある者か。なるべくはやく可能性のある人物の姿絵を用意させる。確認してくれるか」

「はい、申し訳ありません。わたくしが誰なのかわかりさえすれば」

 シャルロッテは己の不甲斐なさを嘆いたが、フェルディナントは首を横に振った。


「いや、わかったとしても、『予見』を理由に拘束することはできないからな。起こってもいない犯罪を裁くなど、あってはならない」

 固い声音に顔を上げると、紅い蛋白石(オパール)の瞳がすぐ目の前にあって、慌てて視線を逸らす。だが向けられた視線は動かないまま、シャルロッテに注がれている。


「実は、シャルロッテが狙われている、という情報は少し前に私のほうにも上がっていた。だから、護衛を増やした」

「えっ?」

「国内外の情報収集は私の仕事のひとつだ。その網に引っかかった。だが、首謀者や目的はまだわからない」

「でも、どうして。貴族を狙った誘拐ならまだわかりますが、貴族にさらわれる理由に心あたりがありません」


 侯爵令嬢であるシャルロッテを、身代金目的の犯罪組織が拉致することは考えられる。だからこそ、普段は侯爵家の護衛がつけられている。

 しかし、貴族がそれを主導する意味がわからない。露見すればその地位を確実に失う犯罪に、手を染めるだけの価値があるというのか。

 しかも()()()は別にいる。


「いくつか想定していることはあるが、それは犯人を絞り込むために考えているだけで、明らかな証拠があるわけではない。実行犯を特定して首謀者を吐かせようと思っていたのだが、さらに依頼主がいるか……」


 シャルロッテの白い手が持ち上げられ、大きな手によって、形のよい唇のもとへと導かれる。

「……殿下!」

 振り払うこともできずに、そのまま指先に口づけられるにまかせる。


「私は、シャルロッテを気に入っている」

「……それは」

 お戯れでしょう、と抗議しようとした言葉は虹色の瞳に押しとどめられた。

「本気だ。だからシャルロッテが害されるなどあってはならないと思っているし、そうさせないために動いている」


 ひんやりとした唇から発せられる言葉は暖かい。その熱を指先に感じる。フェルディナントがなにを考えているのか、シャルロッテにも予想できた。


「……実際にわたくしがさらわれたら、実行犯とわたくしが()()貴族たちを捕えることはできますね?」


 実行犯を未然に捕らえたとしても、首謀者に罪を問うことはできない。依頼主までとなると、さらに難しいだろう。

 しかし、現実に計画が実行されたら、それは裁かれるべき犯罪となる。


 フェルディナントの視線が手もとから、シャルロッテの顔へと移る。眉をゆがめて怒っているように見えるが、その怒りはシャルロッテに向けられているのではない。


「それをしたくはない」

「でも、そうなったときの準備もなさっているのでしょう?」


 握られた手を強く引き寄せられて、再び力強い腕に抱き込まれる。肩の上にフェルディナントの頭がのせられて、耳もとに微かに震える声が響いた。

「怖い思いをさせたくない」

「殿下が守ってくださるでしょう? それなら怖くありません。守って、くださいますよね?」

「必ず、必ず守る」


 フェルディナントはうなずくと、体を起こしてシャルロッテのあごに手をかける。顔を近づけて白い頬に唇を落とした。真っ赤になったシャルロッテを腕に閉じ込めて、柔らかく髪をなでた。


「ありがとう。……力が足りず、すまない」

「わたくしが抱えていた重荷を、殿下はわかってくださいました。嬉しかったのです。お役に立てるのなら、わたくしは殿下を信じます」


 首筋に吐息を感じる。抱きしめられて恥ずかしくてたまらないのに、肩口にかかる重みがなぜか心地よい。不意に肩をつかまれて身体が離れると、虹色の瞳に魅せられる。


「なにも知らないうちに、全て片づけて迎えに来るつもりだったのにな。『予見』とは恐ろしい魔法だな」


「……『予見』のことが知られてしまったのでしょうか」

「いや、実行犯は知らないだろう。()()()は知っている可能性はあるが。もし、それが狙いなら依頼主のもとへ連れて行かれるまでは、危険は少ないだろう」


「でも、わたくしは殿下にしかお話しておりません」

「過去に使えた者がいたことは確かだ。それを知る者もいる。だが、可能性のひとつだ。別の理由も考えられる。シャルロッテの容姿と器を欲しがっている貴族は少なくない。本当に自分の価値をわかっていないな」


 フェルディナントは、呆れたような表情を見せたが心配は隠せない。


「私がつけた護衛には気づいたか?」

 シャルロッテはふるふると首を横に振る。領内を見回っている際に、注意していたがそれらしい人物には気づかなかった。

 鉱山労働者や商人の出入りが多い土地柄であるから、見かけない顔があっても違和感がないせいもある。


「気をつけてはいたのですが、まったくわかりませんでした。近衛騎士の方ですか?」

「それはよかった。シャルロッテに気づかれているようならクビだ。さすがに、手抜かりはないようだな。これまでのように、普段領内で過ごすようにしていてくれ。私の精霊石(いし)を身に着けて、本当に危険を感じたら今日のように蓋を開けろ。シャルロッテの身の安全が最優先だ。必ず助けに行く」


 大きな手が、ペンダントトップをシャルロッテに握らせる。

 あの暖かい魔力に触れたい、と蓋を開けてしまったことに気づかれてしまっただろうか。


「申し訳ありません、大切にお預かりすべきものですのに。こ、心細くなって」

「預かりものではない、これはシャルロッテのものだ。開いてくれて助かったよ。基点が定まって楽に転移できた。私が転移できる範囲にいれば、感知できる。覚えておいてくれ」

「はい」


 感知できる範囲がどれほどのものかわからないが、王都から馬車で五日はかかるベーヴェルン領まで()()転移してきたのだ。相当の距離があったとしても感知できるのだろう。

 転移の魔法自体は距離に影響されないから、必ず助けに行くという言葉は、この場の気休めではない。シャルロッテは金の雫を握りしめた。


「ああ、そうだ今後は私もベーヴェルンに出入りする。最初に会ったときの色をしているから、もし見かけたら、そうだな、王都で知りあった騎士として接してくれ。アル、と呼べ。アルブレヒトのアル。敬語も禁止だ」


 アンティリアの貴族は、家名の前にふたつの名前をつける。ひとつ目は個人の名前であり、こちらが呼び名となる。ふたつ目の名前は、その家系に連なる人物の名を受け継ぐ。


 これを祖名という。先祖にあやかり、家の一員としての証とされるが、多くの貴族は由緒ある家だと示すために、より古い時代の名をつける。中には実在していたのかどうか怪しい、伝説の人物の名をつけるような家もある。


 祖名は、自らが名乗るとき以外に使うことはほとんどない。親しい間柄で用いる場合はあるが、目上に対して、祖名のみで呼びかけることは非礼とされる。


 シャルロッテ・ウルリーケの「ウルリーケ」はアントンの曾祖母の名である。

 フェルディナント・アルブレヒトの「アルブレヒト」は、数代前の国王の名であり、現王太子をこの祖名で呼べば不敬罪に問われる。


 シャルロッテは黄玉(トパーズ)の瞳をまるく広げて、大きく首を振った。

「できません! 殿下を祖名でお呼びするなど。無理です」

 その反応を予想していたフェルディナントは、喉を震わせて笑う。


「アルブレヒトと呼べと言っているわけではない。アルなら、アルベルトでもアルフォンスでも同じだろう?」

「……それでも、わたくしは殿下を存じ上げているのですから」

「ベーヴェルンで、シャルロッテが敬語で話すのは両親くらいだろう? 君が敬語で話す相手の名が、フェルディナントでは困る。ほら、アルと呼んでみて?」


 引き結んだ口から、できません、とこぼすシャルロッテの首筋にフェルディナントの手が伸びてくる。

「それとも、アルブレヒトと呼べる関係になればいいのか?」


 近づく形のよい唇がシャルロッテのそれに重なる直前、両手を盾にして防いで、声を上げた。

「わかりました! アル! アルと呼びますから!」

「敬語」

「わ、わかった。アルは王都で顔見知りになった、騎士。わたくしは領主の娘。これでいいでしょう?」


 手を離したフェルディナントが口の端を上げて、にんまりと邪な笑みを浮かべた。

「まあいいだろう」

「からかわないでください!」


 フェルディナントの表情が和らぐ。美しい蛋白石の輝きに絆されてしまう。

「こちらへ寄越した護衛は信頼できる者たちだ。決して目を離すなと命じてある。不安だろうが、落ち着いて過ごしてほしい」

「……はい」

 大きな手が小さな子どもにするように、頭をなでる。その心地よさに身を委ねて、シャルロッテは覚悟を決めた。


「今日は引き上げる。大丈夫だな?」

「はい」


 シャルロッテの頬に指を滑らせると、フェルディナントは立ち上がった。静穏な面差しで、右の掌に魔力を集める。

 虹色の球が一際強い光を放つ瞬間、シャルロッテにうなずいて見せると光の球に包み込まれて、その姿は消え失せた。


 あとに残った美しい魔力の残滓が、ふんわりと部屋に広がる。次第に消えるその光が常夜灯に吸い込まれていくのをながめながら、シャルロッテはほっと息を吐き出した。


「あ、マント」

 残された黒い大きなマントの端をきゅっと握りしめて、その夜は夢を見ることなく、深く眠った。

祖名については、アンティリアではそうなのねー、くらいに思っていただけるとありがたいです。

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