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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
7/26

7.王宮のひとびと

 ――――

 社交界から離れるために、ベーヴェルン領へ帰ります。

 護衛の手配など、ご迷惑をおかけすることと存じますが、申し訳ありません。

 ――――


 シャルロッテが王都を出立したその日のうちに、王太子宮に宛名も差出人も書かれていない書簡が届いた。

 王太子専用の封筒に施された封蝋にフェルディナントが手をかけると、魔力封はふんわりと美しい飴色に輝いて、開封をためらわせた。

 柔らかそうに見えるチョコレート色の封蝋をそっと崩して出てきたカードは、予想以上に素っ気なかった。


「はははは!」

 主の笑い声に振り返ったレオポルトはぎょっとして、赤い瞳を丸くした。フェルディナントはレオポルトの表情に、さらに笑みを深めて肩を震わせている。


「どうかなさいましたか?」

「愛しの精霊姫のご機嫌が悪い。まだ婚約もしていないのに、実家に帰ってしまうそうだ」


「シャルロッテ嬢ですか。随分お気に召されたのですね」

 フェルディナントは無言で意味あり気に笑う。

「殿下がこれほどひとりの女性を気にかけることは、今までありませんでしたからね。王宮内であれほどの結界を張り、『王家の精霊石』までお渡しになった理由もまだお聞きしておりませんし」

「うん、まだ話せないかな。まあ追々わかるだろう」


 カードを見るフェルディナントは、驚くほど(やに)下がっていた。少しくらい説明しろ、との嫌味も軽く聞き流される。これはひょっとして本気かな、と長いつき合いのレオポルトは無遠慮な視線を送った。

 腹心のもの言いたげな様子を、あえて無視したフェルディナントは、表情を取りつくろってから口を開く。


「そういえば、ラルフはもう近衛に入ったのか?」

「ああ、はい。所属の辞令はまだおりていないようですが」

「叔父上の護衛に就くことになっているはずだ。新たに小隊を組織して、前任を異動させるらしい。その辺りの調整に手間取っているのかな。まあ、急だったからな」

「大公殿下の護衛ですか?」


 国王アルトゥール・ラインハルトの弟、クラウス・ヴィルフリートは兄の戴冠にともなって、王家の直轄地であったリューレ領を治める大公の地位を賜った。


 リューレ大公は所領だけでなく、王都とリューレ領の境にある魔力が湧く『王家の泉』と、泉に併設された精霊殿を統括する役目も担っている。


 『王家の泉』には水ではなく、アンティリア王家の加護と同じ、虹色の魔力が湧き出す。泉の本体は通常は封印されているが、湧き出した魔力は虹色の霧のように周囲に広がって、精霊殿の側にある湖は常にその霧に覆われている。


 リューレ大公は、人嫌いの変わり者として有名な人物である。アルトゥール王の即位後は自領を離れることはなく、社交界にもまったく顔を出さない。それでもフェルディナントが独身である現在、王位継承権を持つ近衞騎士団の警護対象者だ。


「叔父上の魔力と剣の腕に適う者など、アンティリア国内どころか、大陸中探してもいないだろうが。まあ、護衛はこれまでと同じく名目だけだ」

「それは存じておりますが、どうしてラルフに?」

「あれほどの力を持っていて、野心にかられないはずがない、と信じている愚か者が減らないからな。今、リューレにいる近衛は皆、それらの息がかかっている。以前から叔父上には苦情を言われていてね、うっとうしいからどうにかしろと」


 リューレ大公の精霊の加護の器は、兄王のそれよりも大きいらしい、とはアンティリア貴族の間でまことしやかに語られて久しい噂である。

 王太子時代のアルトゥールが、その身を守るために実戦の場に出ることがほとんどなかった代わりに、クラウスは実力を充分に発揮する機会を得て、多くの者がそれを認めていた。


 アルトゥール王子の力は、クラウス王子の実力に及ばないのではないか。力が上位であるならば、地位も上であるべきではないか?


 クラウスは、そうした不穏な思想にからめ取られることを避けて、王都には近づかなくなった。

 しかし、不穏分子を警戒する親国王派の一部は、クラウスの引きこもりも造反者との連絡を取りやすくするためではないか、と警戒しているのであった。


「ああ、それでラルフがちょうどいいわけですか」

「王妃の甥で兄は王太子の側近、魔力もそれなりにある。騎士としての技量も不足はないし、あれらも文句はつけられまい。なにより、実際には叔父上のお気に入り、ということは知られていないからな。適任だろう」


 人嫌いといわれているリューレ大公だが、義理の甥にあたるクヴァンツ侯爵家の三兄弟の末っ子のことはかわいがっている。成人してもふらふらと国内の各地を巡っているラルフは、実家よりもリューレ領に立ち寄るほうが多い。

 しかしながら、精霊の加護の器が大きく、剣の腕も立つクヴァンツ侯爵家の放蕩息子が、リューレ大公の居城に出入りしていると知るものは少ない。


「よし、叔父上にはもうしばらく我慢していただいて、先にラルフはこちらに貸してもらおう」

 カードを封筒に戻すと、デスクの引き出しに放り込む。フェルディナントの頬がわずかに紅潮しているのを見て、レオポルトの眉根が寄る。


「なにをなさるおつもりですか?」

「とりあえずラルフは王太子宮(こちら)の預かりにする。何人かつけてシャルロッテの護衛と交代させろ。人員の選定はお前に任せる」

 レオポルトの眉間のしわがさらに深くなった。それすらも愉快に思っているらしい主は、足を組んで背を反らした。


「目的を教えていただけませんか」

「追々わかる、と言っただろう」

 最優先で、とつけ足してフェルディナントは立ち上がる。そのま執務室を出ていこうとする背中に、レオポルトはため息混じりにぼやいた。


「私は慣れていますからいいですが、ラルフにはそれなりに説明をしてやってくださいよ。ご存知でしょうが、あれは臍を曲げると動きませんよ」


 首だけを動かしてレオポルトに視線を向けたフェルディナントは、笑みを収めてうなずいた。

「わかった。その前にひと仕事終わらせてからだな。母上に呼ばれているから行ってくる。今の件、父上に連絡を。許可が下りたらそのまま動いてくれ」



 王妃の個人的な居室の扉を叩く。この扉を叩くのは、おおむね母に叱られるときだ。今回もそれに類する心あたりが大いにある。お入りなさい、と中から聞こえた声に、フェルディナントは少しだけ背筋を伸ばして扉を開けた。


「お待たせ致しました。母上」

「貴方も忙しいでしょうからね、かまいませんよ。呼ばれた理由はわかっているわね?」

 わざとらしく首をかしげながら、母の向かいのソファに腰をおろす。カタリーナは息子の態度に眉をひそめたが、口に出したのは別のことであった。


「書簡が届いたでしょう?」

「どうして母上がご存知なのでしょうか」

「同じものを貴方にも送ったと書いてありましたからね」

 舌打ちをしたい気持ちを抑えて、納得がいかないという態度だけに留めたが、カタリーナには過不足なく伝わっている。


「貴方まさか、ひとりで動くつもりなの?」

「父上にはご報告しましたよ。その上で、私の裁量にお任せくださるようお願いしました」


 カタリーナの紅玉(ルビー)の瞳の輝きが増して、鋭くなる。

「そう、ならいいわ。なにごとも陛下のご指示を仰ぎなさい。くれぐれも慎重にね」

「わかっています」

 言いながら立ち上がる。これ以上話すことはないはずだ。扉に向かおうとするフェルディナントに、カタリーナは少し柔らかい声をかけた。


「お返事は送ったのでしょうね?」

「……必要でしょうか?」

「まあ! そんな不義理を働く人が将来の国王だなんて、アンティリアの行末が危ぶまれるわね。わたくしを暗愚な王を産んだ妃にしたいのかしら。子の幸せを祈るのと同じだけ、その身を案じているのが親というものですよ」

「……承知しました」


 王妃のもとを辞したフェルディナントは、時間を確認すると、側仕えの者に国王への面会の伺いをたてるよう命じた。通常であれば執務を行っており、少しの時間を割くことはそれほど難しくないはずだ。


 予想通り面会に応じた国王から、遅滞なく報告することを条件に、ベーヴェルン領にかかわる事案の裁量権を正式に得た。

 レオポルトに指示したラルフの処遇についても、すでに裁可が下りたことを確認する。

 王妃から釘を刺されたことは想定外だったが、ほぼフェルディナントの望み通りの経過であった。


 王太子宮の執務室へと戻ったフェルディナントを待っていたのは、不承面の従兄弟であった。ただし、側近の兄ではなく放浪癖のある弟のほうだ。

「ああ、呼び出す手間が省けたな」

「ご説明いただけますか」


 ソファから立ち上がって、苛立ちをあらわにするラルフ・ジークハルト・クヴァンツは二十歳。兄と同じ近衛の騎士服に身を包んでいるが、所属を表す襟章はない。


 幼い頃から王太子に仕えてきた二歳上の次兄とは違い、末っ子特有の人見知りのなさを武器に、王族に対しても気安く接する青年である。

 とはいえ、褒められた態度ではないので常識人の兄は、苦笑しながらたしなめる。


「ラルフ、気持ちはわかるが殿下にそのような口をきくのはやめなさい」

「兄上も大変ですね。これだから近衛は嫌だとあれほど申し上げたのに……」


 姉がひとりだけのフェルディナントにとって、ラルフはかわいい弟分である。王太子に媚びる同年代の貴族が多い中、ときに我を通して自由に振舞うラルフは面白い存在でもあった。


「そうはいっても、騎士団持ちの侯爵家の息子が、修練目的以外で他家の騎士になるなどあり得ない。お前が入れるのは最初から、クヴァンツ騎士団か近衛の二択だ。クヴァンツはレオポルトのものだからな、駄々をこねても手に入らないぞ」


 珍しく王都に現れたラルフが、西の国境を守るバレンシュテット辺境伯家の騎士団に入る、と報告してきたのは先週のことであった。


 辺境伯の許可はもらったと食い下がったが、バレンシュテット騎士団もクヴァンツ騎士団も国軍の一角であり、どちらも主戦力となる騎士団だ。高位貴族の子弟が入団するためには国王の裁可が必要である。

 裁可は下りなかった。


「三男に生まれた時点で、侯爵家に残る気はありませんよ」

「なら、近衛が順当だろう。そして私は王太子で、すでにお前の上司だ。命令をききなさい」


 ラルフに座るよう促して、フェルディナントは執務机の椅子に掛けた。不機嫌に顔をゆがませたラルフも、どさっとソファに腰を下ろす。レオポルトは眉を下げたまま、ラルフの向かいに座った。


「リューレ大公の護衛は現担当の任を延長する。ラルフ・ジークハルト・クヴァンツは王太子宮に所属し、レオポルト・カジミール・クヴァンツの指揮下に入ること」


 すでに同じ内容を兄から聞かされているラルフは、首をひねってフェルディナントに顔を向けると、無言で不満をあらわす。

「まあ、そのような顔をするな。お前が適任の案件だ」

「叔父上の護衛についてもそう仰ってましたよ」

「そうだな。有能な人材が近衛に入ってくれて助かるよ」

「便利使いしているだけでしょうに」


「そういう言葉は、役に立ってから口にするものだ」

 身勝手な主と、弟の不遜な態度にうんざりしたレオポルトが再びたしなめるが、あらためる様子はどちらにもない。

「私の機嫌を損ねても、近衛をクビになることはないぞ。いい加減にあきらめろ。納得したはずだろう?」


 フェルディナントがからかうように言うと、図星であったらしいラルフは、器用に右の眉だけを動かした。

「納得しようと努力しているところだったのですよ」

「レオポルトも大変だな、こうも頑固な弟を持つと」

 従兄と兄に笑われて、さらに機嫌を悪くしたラルフはもう一言も口をきくまいと口を引き結んだ。


「可及的速やかにベーヴェルン領へ赴き、ベーヴェルン侯爵令嬢シャルロッテ・ウルリーケの警護に就け。ただし、警護対象には気取られぬように。騎士服ではなく旅装で動け」


 レオポルトとラルフの眉間にしわが刻まれる。あまり容姿は似ていない兄弟だが、同じ表情になると、それなりに血のつながりが感じられるものだ。


「追って指示する、これを持っていけ」

 フェルディナントが投げてよこしたものを、ラルフが片手で受け止める。握った手を開くと、整った台形の真っ黒なプレートがある。思わず左手で眉間を押さえて、頭痛をこらえるような仕草をして見せた。

「ありがたく拝領します、と言うところだぞ?」


 フェルディナントは、同じ形のプレートの角を親指と人差し指で持ってくるくると回している。ふたつの石の底辺をあわせて向かい合わせにすれば、ちょうど六角形になる。

 魔力を通すと対になる石に繋がる、通信石という特殊な精霊石である。相当の魔力を持つ者同士でなければ使えないが、王太子と有力侯爵家の子息なら問題ない。


 フェルディナントが一方的に、あれこれと連絡をよこす未来を予想して、ラルフはがっくりと肩を落とした。

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