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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
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5.春の夜会

 シャルロッテが急におとなしくなったので、アントンはやっとその気になったかと喜び、ルドヴィカはなにか怪しんでいるようだった。

 シャルロッテは気にせず、淡々と夜会の準備をこなした。


 どうするのか想像もつかないが、王太子が父を黙らせてくれると言ったのである。それに期待して、無駄にあがくのをやめただけだ。ついでに、使用人たちの仕事も減るのだからいいではないか。


 結局面倒になって、いろいろ考えるのをやめてしまったのである。それが大きな間違いであったとは、まったく予見できていなかったのだが。


 王家主催の春の夜会は、王宮の大広間で開催される。社交シーズンのはじまりを告げる夜会で、伯爵家以上のデビュタントは国王と王妃に謁見し、祝いの言葉を賜る。下位の貴族家の子女はその後ろに控えて、最後に全員へ向けての国王の祝辞を拝聴する。


 侯爵令嬢であるシャルロッテは、アントンにエスコートされて、上段へと進む。真っ白な絹で織られたシャンタン生地のドレスの裾が、美しいドレープを描く。スカートには銀糸で様々な花の意匠が刺繍され、花びらには朝露を模した小さな真珠がいくつも縫いつけてある。

 胸元のレースにも同じ模様が施され、その上に大きな金剛石(ダイヤモンド)黄玉(トパーズ)を組み合わせたネックレスが輝く。揃いのイヤリングと髪飾りを身につけたシャルロッテは、文字通り会場の視線を独占した。


 生糸のように細く眩い金髪に飴色の瞳、身につけた絹よりも白く見える肌。これ以上はないと思える装いは、アントンの思惑通り完璧であった。


「あれが噂の精霊姫か」

「本当に可愛らしい精霊のようね」

「なんと美しい。やっと拝めましたな」

「ベーヴェルン侯爵のあの得意気な顔ときたら」


 あちらこちらからため息とともにこぼれる言葉が、シャルロッテの耳にも届く。逃げ出したい気持ちをこらえて足を前に進める。


「ベーヴェルン侯爵家シャルロッテ・ウルリーケ、国王陛下、王妃陛下に拝謁します」

「めでたい」

 国王からは定型句のみである。王妃は言葉を発しないが、向けられた笑みには親しみが感じられ、シャルロッテは少しだけ緊張がゆるんだ。


 豊かな金髪に、水色の輝きが目立つ虹色の瞳。国王アルトゥール・ラインハルトは、あの日に()()フェルディナントと同じ王冠とマントを身に着けている。

 やはりあれは、現実のものとして、いつかシャルロッテが見る光景なのだろう。


 緊張に震える手をアントンに押しつけてその場を乗り切ると、次のデビュタントに場所を譲った。

 だが、集まった視線は肌にまとわりついたままである。羨望、感嘆、嫉妬、諦念、さまざまな感情の入り混じった眼差しが重たい。それでも前を向いて我慢したが、式典が終わるころにはすでに疲れきっていた。

 しかし、夜会のメインイベントはこれからである。


 王立楽団による弦楽合奏の調べが流れ、ダンスがはじまる。今日の主役であるデビュタントたちが、磨き上げたダンスを披露する。

 シャルロッテもアントンをパートナーに踊りはじめる。もともと活発なシャルロッテは、ダンスは得意だ。


 しかし、品定めの場で華麗に舞って見せものになりたくはない。シャルロッテが少しぎこちなさを演出して踊る様子に、緊張しているのだと思ったアントンは、的外れな助言をして娘をがっかりさせた。


「もう少し肩の力を抜いて、笑顔を見せなさい。安売りする必要はないが、お前はこの場でもっとも輝く存在なのだから」

「……はい、お父様」

 言い返すのも面倒になり、愛想笑いを顔に張りつけて無難に一曲を終えた。次の曲からは、デビュタント以外の出席者もダンスに興じる。


 ようやく催事がいち段落し、社交の時間がはじまると、アントンは必要な相手に挨拶をするために離れていった。シャルロッテは、踊る相手はよくよく選ぶことと、広間を離れないようにと言い聞かされたが、もとより誰とも踊るつもりはなかった。


 ここでシャルロッテを連れ歩かないあたりは、領地持ちの貴族としてアントンは堅実であるようにみえる。あるいはこれも出し惜しみかもしれないが。


 ほかのデビュタントも、エスコートの父や兄弟から離れて同世代の相手と会話やダンスをはじめている。若者同士で社交の練習といったところだ。


 婚約者にエスコートされている令嬢は、その手を離すことなく、初々しい笑みを恋人に向けている。今夜の舞台を心待ちにしていた彼によって、若者らしい活気が会場に満たされる。


 その中でシャルロッテは、話しかけようと機会をうかがっている男性を何度かかわして、壁際へ避難しようとするが、真正面から邪魔が入った。


「ベーヴェルン侯爵令嬢でいらっしゃいますね。私はシュヴァインフルト伯爵家の……」

 強引に話しはじめた背の高い男は、シャルロッテが顔を引きつらせても、気にかける様子もない。己の容姿によほど自信があるらしい。

 確かにすらりとした端正な顔立ちは、多くの女性の目を集めているが、それを鼻にかけたような態度はうっとうしい。


 『精霊姫』に話しかけた勇者と、彼女が誘いを受けるかどうか、周囲の人びとが好奇の目で追っている。


 そのとき、困惑するシャルロッテの前に、すっと大きな手が差し出された。


「一曲、踊ってくれるかな」

 指の長い大きな手、それは救いの手ではなく罠に違いない。だが今はこの手を取るしかない。手から伸びる腕の先には、三日月のように美しい弧を描く虹色の瞳の美丈夫が立っていた。

 王太子フェルディナント・アルブレヒトの手を払える人は、ここにはいない。


『精霊姫』を自信満々に口説き落とそうとしていた男も、割り込んできた相手が誰であるかを認めると、慌てて口を閉じて引き下がった。


 シャルロッテは、ドレスとそろいの真っ白な手袋をまとった手を、恐る恐るフェルディナントに預けた。

「……喜んで。……王太子殿下」


 広間の中心へ連れ戻される途中、強く握ってくる手の主がつぶやいた声は、ひとり言にしては少々大きかった。


「誰とも踊らないように、と先に伝えておくべきだったかな」


 それを聞いた者たちは目をまるくして驚き、次々と周囲に耳打ちしていく。あっという間に広間にいる全ての人が、王太子と『精霊姫』が踊る姿にを視線を注いだ。


「……殿下」

 シャルロッテは踊りながら、小さく抗議の声をあげたが、すでに遅い。


 ――王太子殿下は『精霊姫』を気に入ったらしい――


 今夜、会場にいない貴族にも明日には知れ渡ってしまうだろう。優雅にステップを踏みながら、人の悪い笑みをシャルロッテだけに見せたフェルディナントは、彼女の耳に顔を寄せた。


「私はこの後なにもしないが、君はこれからくる夜会の招待を全て断ればいい。そうすれば、誘い自体がこなくなるだろう」

「殿下はなにをお望みなのですか?」


 言われた通りに、シャルロッテが夜会の招待を断り続ければ、そこに王太子の意思が働いている、と噂になるだろう。王家の不興を買うおそれがあるとなれば、気安く招待状を送る者はいなくなるかもしれない。


 しかし、それではシャルロッテが王太子の想い人だ、ということになってしまうではないか。


 現在、王太子には婚約者がいない。候補と噂される令嬢、あるいは娘を推薦しようとする貴族は多くいるが、まだ特定の名前はあがってこない。

 今年二十一歳になる王太子のお相手が誰になるのか、社交界の大きな話題のひとつである。


 そのようなときに、突如現れた有力候補を会場の貴族は驚きを持って見つめている。美貌の王太子に憧れていたらしい令嬢たちの中には、涙を浮かべているものもいる。


「今のところ、望み通りの経過となっているよ。今夜の予見は得られなかったかな?」

 フェルディナントが口にした言葉は、シャルロッテの質問にこたえるものではなかった。こたえる気がないということだろう。


「こうなると知っておりましたら、なんとしても欠席いたしました」

「だろうね、それを最も恐れていたのだが。よかった。……なんだ、不服そうだな」

「わたくしの望みはご存知でしたでしょう?」

「社交界から遠ざかっていたかったのだろう? しばらくはそれが叶う。侯も文句は言うまい」


 シャルロッテはにらみつけたい衝動をこらえて、頬を引きつらせたまま笑みを作る。

「父が、分不相応な野心を抱いてしまいます」

「想定内だ。かまわない、放っておけばいい」


 なにがかまわないというのか。アントンが驚きながらも顔を紅潮させている姿が、シャルロッテの視界の端に入る。頭の中では今後の段取りを迅速に組み立てているに違いない。


「わたくしをどうなさるおつもりですか?」

「先日言った以上のことは今はいい。ああ、だが所在は知らせておくように。それだけ守れば好きにしていい。ペンダントは身につけているな?」

「はい。……承知しました。それでは好きにいたします」


 言葉にはトゲをつけてこたえたが、フェルディナントは嬉しそうに口角を上げた。周囲で興味深く視線を注ぐ人たちは、美貌の王太子が『精霊姫』を愛おしげに見つめている、と思ったことだろう。


「目立たないように警護はつけるから、そのつもりで」

「承知しました」

 シャルロッテは投げやりな気持ちで、返事をする。しかしそれは、恥じらっているように可愛らしく見えたらしく、広間のあちこちでほうっとため息を吐く音が聞こえた。


 夜会を終えて、アントンの質問責めをなにも知らない聞いていない、で押し通した。それでもシャルロッテが、王太子の婚約者候補となったことは間違いない。


 アントンはそうなったときの対応を、あれこれと考えはじめたようだ。しばらくは、別の相手を探してきて、見合いしろなどと言われることはないだろう。それだけは確かに望み通りとなった。


 しかし、シャルロッテを悩ませるものはなくならなかった。未来の王太子妃とお近づきになりたい、という貴族の妻や娘たちからお茶会の招待状や、ベーヴェルン侯爵邸への訪問のお伺いが山のように届きはじめたのである。


 無視するわけにもいかず、さりとて出席するのも、自邸で茶会などを開くのも願い下げである。テーブルに積まれた書簡の山に心の中で悪態をついて、上に乗っていた数枚を取り上げた。


 自慢の庭園に咲く珍しい花をお見せしたい。

 デビュタントのお話をぜひうかがいたい。

 同い年の娘がお会いしたいと申しております。


 貴族同士の交友に興味もなく、むしろ積極的に避けてきたシャルロッテに、これらを上手にさばくことなどできるはずもない。

 放り出してしまいたかったが、それが許されるのかどうかすらわからない。アントンに聞けば、全てに出席しろと言われるだろう。


「うーん」

 悩んだ末に、シャルロッテはルドヴィカに相談することにした。普段はまったく娘に干渉しない母ではあるが、先日のやり取りを思うと、助言くらいはしてもらえる気がしたのである。


 なにより、侯爵夫人として最低限の社交はこなしているはずで、断り方や相手の選び方くらいは教えてもらえるだろう。

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