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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
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4.予見の魔法

 シャルロッテはぎゅと目を閉じてから、まぶたを開くと同時に顔を上げた。目の前の蛋白石(オパール)の瞳は、自信に満ちている。言い逃れはできそうにない。


 瞳に現れる不思議な虹色の光は、シャルロッテを魅了する。紅色の中に煌めく遊色に目を奪われて、はじめて会ったときの彼の色を思い出す。

 確かに同じ人なのだ、とあらためて理解した。


「……殿下、わたくしはこれまで、誰にもこの話をしたことがないのです」

 はじめて秘密を口にする、どう話せばよいのかわからない、しかも相手は王太子。

 緊張の中、不安をあらわにするシャルロッテに、フェルディナントは少し表情を和らげてうなずいた。


「あのとき、なにかを()()いたな?」

「……いずれ見る未来の景色が、頭の中に突然浮かぶことがあるのです。意図してではなく、それもごくまれにです」

 虹色の瞳が見開かれると、眉間にしわが刻まれ、表情が険しくなる。

「私と会ったときには、なにが浮かんだ?」


 シャルロッテは大きく息を吸って吐き出すと、虹色の瞳を真っすぐに見つめた。

「……殿下が、王冠を戴くお姿です」

「それは君の視点でということか?」

「え?」

「いずれ見る景色、と言ったな。私の戴冠をその目で見るときがくるということか?」


 フェルディナントが聞き直した言葉の意味を、よく考えてからこたえる。

「そう、です。あのとき、少しぼんやりしていたものですから、殿下のその、未来と現在のお姿が重なって見えて、目の前の方が殿下ご本人でいらっしゃると気づいてしまったのです。それで、あのようなことを口走ったのです」


「なるほど、そういうことか。髪と瞳の色を変えただけだが、側近や私を直接知るもの以外に気づかれたことはない。顔があまり知られていないこともあるが、虹色をまとわない見知らぬ人間を、王族扱いする人はいない。だが、君は確かに『殿下』と言った」


 アンティリアの王族の瞳が特別な色を持つことは、誰もが知っている。特別な瞳を持たなければ、どれほど大きな器の持ち主であろうと、少なくとも直系の王族ではない。


 それが常識であることを逆手にとって、フェルディナントはこれまでも、色を変えて王都や国内の各地を巡っていた。整った顔立ちが人目を集めることはあっても、焦茶色の髪に紅い瞳の彼が、王太子だと見破られたことはなかった。


「……『予見の魔法』だな」

「『予見の魔法』?」

「古い書物で読んだことはあったが、実際に使える人間に会ったことはなかった。()()()()()()()()()()未来を知る魔法、と書かれていたかな」

「なんらかの形で魔力が作用しているのだろう、と思ってはいました。ですが、わたくしには魔法を使っている自覚はありません。いつも突然見えるのです。眠っている間の夢に見ることもあります」


 フェルディナントは椅子の背にもたれて、腕を組む。考え込んでいるように見えるが、口の端はほんの少し上がっている。視線の先には細かく震えるシャルロッテの手がある。

「君の『大地の精霊』の加護の器はかなり大きいな。『大地の精霊』は『時の守護』とも呼ばれる。大きな加護の力が、無意識に働いているのかもしれない」


 大陸に存在するとされる精霊の中でも、『大地の精霊』は特別な力を司るといわれている。大地は全ての生き物の()って立つところ。緑を守り、生き物を育み、その恵みが人びとを生かす。土には歴史が記憶され、新たな時が刻まれていく。『大地』は時を司る。


 シャルロッテがこの力を自覚したのは、六歳のときであった。

 誕生日にベーヴェルン領の本邸で、祖父から仔馬が贈られた。シャルロッテは乗馬の練習をはじめて、毎日厩舎を訪れるようになった。

 厩番は長年仕える老爺で、名をゲルトといった。ゲルトはシャルロッテが自分で馬の世話をする、と言い張るのに根気よくつき合ってくれた。小さな手で自分の馬にブラシをかけるお嬢様に目を細め、シャルロッテもよく懐いていた。


 ある日、シャルロッテが厩舎に行くとゲルトの姿はなく、彼の息子が代わりに仕事をしていた。ゲルトは風邪をひいて寝込んでいると聞かされた瞬間、シャルロッテの頭の中にはっきりとした白昼夢が浮かび上がった。


 重苦しい曇天の下で、ゲルトの息子が頭を下げている。隣にはゲルトの妻と思われる女性が顔を両手で覆って立っている。場所はシャルロッテも訪れたことのある領内の精霊殿で、沈痛な面持ちをした大人たちが集まっている。

 帽子を持った手を胸にあてる男、両手を握りしめて下を向く若い女、聖句の書かれた書を手になにかを話している精霊術士。


 その光景がなにを意味するのか、シャルロッテには理解できなかった。しかし、尋常ではない雰囲気を感じて、その日は逃げるように部屋へ戻った。


 翌日からシャルロッテは、毎朝部屋に入ってきたエルケに確認した。

「ゲルトは? 今日は来てるの?」

「まだよくならないようですよ」


 同じやり取りが繰り返されて一週間が経った日、エルケは困り顔で眉をゆがめた。

「……いいえ、お嬢様。今日もお休みですよ」


 エルケが言い淀んだことに気がついたシャルロッテは、部屋を飛び出してルドヴィカに同じことをきいた。

「お母様、ゲルトはどうして来ないの? そんなに具合が悪いの?」


 ルドヴィカはエルケと同じように困惑していたが、身を(かが)めてシャルロッテに目線をあわせると静かに言った。

「ゲルトはね、先週から具合が悪かったのだけれど、今朝亡くなったそうよ。だからもう、こちらへは来られないのよ」


 シャルロッテは押し黙ったが、ルドヴィカやエルケは懐いていたゲルトが亡くなり、動揺したからだと思っていた。

 もちろん、ゲルトが亡くなったことはとても悲しかった。だが、それだけではなく先日の白昼夢が示していたことに気づいて、茫然としていたのである。

 そして、アントンに泣きついてゲルトの葬式に参列したシャルロッテは、現実として繰り返される夢の光景を目にしたのだ。



「誰かに話そうと思わなかったのか?」

 テーブルに片肘をついて顎を手に置きながら、フェルディナントが口を開いた。

「子ども心にも信じられなかったのです。まさかと。それに、身近な人が亡くなるのもはじめてで、悲しさや不安な気持ちもありました。わたくしが落ち込んでいるのは、懐いていた厩番が亡くなってしまったからだ、と周りの者たちもそっとしておいてくれたのです。そうしているうちに、次は邸に水害の知らせが届く夢を見たのです」


 フェルディナントは、厳しい表情で耳をかたむけていたが、シャルロッテが口にした言葉が記憶に引っかかった。

「……ノルトシュヴァルツの落盤事故か!」


 ノルトシュヴァルツ鉱山の北側の湖からは、鉱山の裾野(すその)を縁取るように川が流れている。

 ゲルトの葬式から数日後、鉱山がある地域一帯に過去に例のないほどの大雨が降った。


 一気に増水した湖から流れ込んだ水は、普段は穏やかな川の堤防を打ち崩した。あふれ出た濁流が勢いそのままに坑道へ押し寄せ、硬い岩盤の一部を穿つと、岩盤に包まれた空の石の層が砂礫のように次々と崩れ落ちた。


 幸い、豪雨の気配から鉱夫は予め避難しており、人的被害はなかった。しかし、埋まった坑道の復旧のためにアントンは奔走することになった。


 事故前の状態を取り戻すには、一年近くを要した。その間の鉱夫たちや領民の生活補償、不足する空の石の補填のために、アントンは王都と領地を何度も往復した。

 空の石が足りなくなれば、国民生活だけでなく様々な産業に影響する。他国から買い入れることも検討されたが、幸い王家の備蓄を放出して難局を乗り切った。


 シャルロッテが見た夢は、事故を知らせる作業員が邸に到着し、アントンが血相を変えて出かけて行く光景であった。


「中には誰も残っていなかったよな?」

「坑道が塞がって……」

「……採掘できなくなると……」

 知らせに来た鉱夫たちがびしょ濡れのまま、青い顔をして話す内容はよくわからなかった。しかし、ただごとではない様子に恐ろしくなって、シャルロッテは夜中に目を覚ました。

 騒がしい音が聞こえて玄関ホールに降りると、たった今見たばかりの夢が、目の前で再現されはじめたのである。


 半月ほどの間に二度も未来視を体験し、そのどちらもがよくない出来事であったために、シャルロッテは己の力を不吉なものと考えた。そして、誰にも話せなくなってしまった。



 テーブルに置かれたカップに目をやる。風に遊ばれた白い花びらが舞い落ちて、お茶の上に輪を描いた。フェルディナントの結界は、春の力には及ばないらしい。


「十年前か、辛かったな」

「……えっ?」

 フェルディナントが硬い表情でかけた言葉は、意外なほど情け深いものだった。


「五、六歳の子どもが抱えるには重すぎる。だからこそ話せなかったのだろう? 君が抱える必要はなかったのにな」

 優しい口調に、緊張が解ける。十年前、どうすればよいのかわからなかった。そのまま、口を閉ざして過ごしてきた。はじめて、抱えてきた重みが少しだけ軽くなったような気がした。


「おっと、泣くのはやめてくれ。母上に叱られるのは面倒だ」

 フェルディナントが小さく指先を動かすと、暖かい風がふわりとシャルロッテのまなじりをぬぐった。

「あ、はい。申し訳ありません」


 優しい魔法に驚いて涙を引っこめると、はたと今いる場所を思い出す。

「王妃様方は、こちらをご覧になっておられますよね」

「君が帰ったら、私は間違いなく呼び出される。まあ、それは織り込み済みだからかまわない」


 はあ、と気の抜けた返事をしたシャルロッテに、フェルディナントは笑顔を見せた。

「質問をしても?」

 シャルロッテは顔が左に向かないように意識して、うなずいた。


「最初の厩番の話、いくら懐いていたとはいえ侯爵令嬢が使用人の葬式に参列するなど、普通はないだろう。『予見』の真偽を確かめたくて、あえて連れて行ってもらった、そうだな?」

「仰る通りです」


「予見がなければ悲しみはしても、葬列を見ることはなかったはずだ。その時点で少なくとも、君の行動は変わっている。あるいは、それも含めての予見なのかもしれないが……。三つ気になることがある」

 フェルディナントは右手の薬指と小指を折り曲げて見せると、残った指も順に折りたたんでいく。


「ひとつ、予見を得たことで行動した。どのような形であったにせよ、未来は変わっている。もうひとつ、君が単なる夢だと思っていたものの中にも、予見があったかもしれない」

「え?」


 未来が変わっている、確かにあの白昼夢がなかったなら、ゲルトの葬式には行かなかっただろう。シャルロッテが見たものは、変わった後の未来なのか。もしそうなら、なんのための予見なのか。


 そして、現実で目にしなかったために、予見だと気づかなかったことがあるかもしれない。

 シャルロッテはその可能性を、まったく想像していなかった。


「そうですね……。考えてもみませんでしたが、ないとは言い切れません」

「私が読んだ書物に書かれていたのは、術者が直接経験する未来に限られた話ではなかったと思う……。最後に、予見をもとに積極的に行動したら、未来は変えられるのか?」

 言いながら手を下ろしたフェルディナントは、肩越しにレオポルトを見た。青年は微動だにせず主君の視線を受け止めると、小さくうなずいて持ち場を離れた。

 フェルディナントが向き直ると、シャルロッテは考え込んでいる。


「落盤事故の後には予見はなかったのか?」

 びくっと肩を震わせたシャルロッテは、深呼吸をする。王太子に相対している、という緊張とは別の恐ろしさが押し寄せてきていた。

 これまでに見た夢の中にも予見があったかもしれない。記憶をたどっていくが、自分の目で見ることのなかった出来事が、どこかで起こっていたかなど、わかるはずもない。


「祖父が、倒れたときはその一週間ほど前に見ました……。あとは細かな、日常に起こることの中に、既視感を覚えることは幾度もあります。わたくしがその、予見であると自覚した出来事の中に、あの事故のような重大なものはなかったと思います。ですが、直接目にしていないものについては、わかりませんので」

「まあ、そうだろうな……」


 フェルディナントは少し考えていたが、シャルロッテの背後に視線を送るとうなずいた。

「このことは侯爵家にも知る者はいないのだな?」

「はい、両親にも話したことはありません」

「なら、今後もそのように。この件は私が預かる。この能力がどういうものなのか詳しく知りたいところだが……。次に予見と思えるものを見たら、必ず私に知らせること。いいね?」


 シャルロッテはぱちぱちと瞬きをすると、困り顔で眉根を寄せた。

「……現実に起こる前にそれと気づくことは少ないのです。殿下が仰ったように、夢だと思っているものであれば気づきようもありません」

「それでも、気になる夢を見たら知らせるように」


 虹色の鋭い眼差しに、シャルロッテは目を伏せて応じた。

「仰せのままに」


 フェルディナントは、おもむろに右手を動かすと指を鳴らす。ぱちんという音が妙にゆっくりと耳の中に響き、目に見えなくなっていた結界の半球が光の粉となって(ほど)けて消えた。


 いつの間にか戻っていたレオポルトがすっと、黒いトレイを差し出す。テーブルに置かれたトレイの上には濃紺のベロアに包まれたアクセサリーケースと、白い封筒が数枚のっている。


 促されたシャルロッテが、ベロアの箱を手に取って開けると、金色の雫形の大きめのトップに鎖が通されたペンダントが入っていた。

「その飾り(トップ)は開く。右側からだ」

 シャルロッテがペンダントトップを手に取って右側を見ると、同じプレートが二枚あわさっている。その隙間に少し力を入れると、カチッと音がして開いた。


 ケースと同じ雫形で、表面に幾何学模様のカットが施された石。石の中で虹色の光が渦巻き、時折強く紅い光を放つ。驚いて顔を上げた先にある瞳と同じ輝きである。

「……殿下、これは」

「私の精霊石だ。常に身につけておくように。普段は閉じておけば、魔力は漏れないようになっている。封筒は王家専用のものだ。それで王宮に送れば、最短で私のもとに届く。精霊石(それ)があれば私宛の魔力封はできるな?」


「ですが、殿下。これは『王家の精霊石』ですよね? このようなものをお預かりできません」

「ただ大きいだけでほかの精霊石(いし)となにも変わらない。まあ、人には見せないように」


 一般的な(から)の石は、成人女性の小指の先ほどの大きさである。採掘される石はほとんどが同じ大きさで、加工されることなくそのまま流通する。

 しかし、まれに大きな形を保ったまま出てくるものがあり、それらは全て王家に献上される。それは珍しいからというだけではなく、大きな空の石を精霊石に変えられるのは、王族の虹色の魔力だけであるからだ。

 したがって、大きな精霊石はすべて虹色の魔力が込められており、『王家の精霊石』と呼ばれる。その魔力は一般の精霊石の数倍とも数百倍ともいわれ、よほどのことがなければ下賜されない。


 そのようなものを、シャルロッテが持っていいはずがない。持っていたくない、が、受け取るしかないようだ。

「お預かりいたします」

 フェルディナントはうなずくと、ふと思い出したようにつけ加える。


「あと、春の夜会には出席しろ。その代わり、ほかの貴族の夜会には出なくてすむようにしてやるから」

「え! 本当ですか?」

「侯が納得すればよいのだろう? そのくらいはどうとでもなる。だから、最初の夜会だけは出なさい。今年もデビューしないとなったら、『精霊姫』を見られないと嘆くものも多いだろうしね」

「本当にそのように呼ばれているのですか? まったく存じませんでしたけれど……」


「去年デビューしなかったことで、より広まったようだな。母上がご存知なのだから、社交界で知らぬものはいないだろう。侯が君の耳に入らないようにしていたのか。もしくは侯自身が広めたのかな。自分の評判はもう少し気にかけたほうがいい。どこぞの御曹司に密かに見初められて、知らぬ間に縁談がまとまってしまうかもしれないよ?」


 フェルディナントが微かに喉を震わせて笑う。シャルロッテは父に対する恥ずかしさか、己に対する情けなさか、よくわからない感情の扱いに困って、ただうつむくしかなかった。

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