3.王妃の茶会
「まあ、本当に可愛らしいこと! 春の夜会の主役は決まりねえ」
「デビューを遅らせようとしている娘もいると聞きましたけれど、その気持ちもわかりますわね」
王妃カタリーナ・エリーザベトと、クヴァンツ侯爵夫人フリーデリケ・ヴィルヘルミーネの姉妹の顔は、それほど似ていない。しかし、話し方やちょっとした仕草などに血のつながりが感じられる。
ごく淡いパステルピンクのドレスを身につけたシャルロッテは、最上級の優雅さを装って礼の姿勢をとる。細身のスカートのドレープが作る光沢が、白い肌に輝きを添える。精霊を見た人はいないとされているが、今日のシャルロッテは絵画に描かれた精霊の姿などには劣らない。
「シャルロッテ・ウルリーケ・ベーヴェルンでございます。本日はお招きありがとうございます。お目通りが叶いまして、とても嬉しく思います」
明るい栗色の髪を結い上げている王妃は、秋の夕陽のように紅い瞳を細めた。細い首に輝く、金の台に紅玉と金剛石を散りばめたネックレスは年代物のように見えるが、カタリーナのために誂えられたかのように似合っている。
「かたくるしくしなくていいのよ、会えて嬉しいわ。よく来てくれたわね。さあ、掛けてお茶をどうぞ」
少しくすんだ銀髪に金色の瞳という、厳かな色をまとうフリーデリケはふんわりと微笑む。こちらも名門貴族の奥方として、優雅な物腰の中にも凛とした気品がある。
「わたくしはおまけですもの、緊張しなくてよろしいのよ。今年話題の『精霊姫』に会えるなんて役得だわ」
その言葉にひくっと、シャルロッテの頬が動く。
「……おそれ入ります」
顔を見合わせた高貴な姉妹は、ふふっと同時に笑う。シャルロッテは、ソファに座ると応接室の調度品に目を向けながら、視界の端で王妃の姿を観察した。
フェルディナントは母親に似ている。シャルロッテが出会ったときの彼は焦茶色の髪に紅い瞳、とカタリーナと近い色をまとっていたから、よりそう思えるのかもしれない。
「『精霊姫』の名に相応しいたたずまいね。本当に今日は楽しみしていたのよ」
王妃の威厳をたたえた笑みの方が、よほど人ならざるものに思える。言葉選びを間違わないように、慎重にシャルロッテは口を開く。
「……そのように大層な呼び方をされているとは、存じませんでした」
「去年から評判で、楽しみにしている人はたくさんいたのよ。デビューが延びて、より噂が広まっているようね」
フリーデリケが、白磁のカップを細い指先で優雅に持ち上げながらこたえる。
「でも貴女に直接会ったことがある人は、ほとんどいないから不思議なのよね」
含みのある様子で王妃が続ける。シャルロッテは、籠に捕えられた兎のようにびくびくしている。
「まあまあ、そんなにおびえないで? お姉様、からかってはいけませんわ」
急に王妃の紅玉の瞳にいたずらな色が浮かんで、シャルロッテを困惑させる。
「そうね、ごめんなさいね。実は少し心配していたのよ。貴女を知る人はほとんどいないのに、噂だけが一人歩きしている。理由は想像できるけれど、去年はデビューしなかったでしょう? 今年はどうするのかしらと思って」
王妃は、いや王家はおそらくベーヴェルン侯爵家の現状を正確に把握している。その上で「少し心配していた」という言葉は嘘ではないようだ。
「ご心配をいただきありがとうございます。昨年はお恥ずかしいことですが、準備が間に合いませんでした。今年は参加できるようにと考えております」
「それはよかったわ。楽しみが増えましたわね、お姉様」
「本当ね。デビュタントはどの娘も耀いて見えるものだけれど、貴女は格別でしょうね」
ふたりの視線にどこか愛憐のようなものを感じつつ、シャルロッテは頭を下げる。アントンの言動は耳に入っているのだろう。
夜会でのシャルロッテの装いや、姉妹のデビュタントのときの話などで、場が穏やかな雰囲気に落ち着いたころ。
王妃が、彼女の本題を切り出した。
「ところで、フェルディナントはどちらで貴女に出会ったのかしら?」
やっと心の平静を取り戻しつつあったシャルロッテは、思わずカップをソーサーにぶつけて、その場に不似合いな音を立てた。
「あ、申し訳ありません」
「大丈夫よ、気にしないで。それよりわたくしも聞きたいわ。殿下から今日のお知らせをいただいて、ずうっと楽しみにしていたのよ」
姉妹の異なる色の瞳が同じ形になって、シャルロッテに向けられる。
「あー、えーっと。その、殿下はどのように?」
「なにも説明されていないわ。シャルロッテ嬢を私の名前で呼び出してくれ、とそれだけ。聞いても教えてくれないのだもの。だから、本当にお茶会に招くのならいいわ、と言ったのよ」
「殿下は噂だけで会ってみたい、と仰るような方ではありませんものね」
社交界の頂点に並び立つ姉妹の本気の笑みは美しく、それだけに迫力もある。経験不足のシャルロッテにかわすことなどできるはずもなく、さりとてどうこたえたものか。
悩んだ末に仕方なくへらっと口もとをゆがめる。そのような情けない表情ですら、可愛らしく見えてしまう顔がはじめて役に立ったと思う。しかし、その程度の計算はふたりにはお見通しに違いない。
王妃がくすくす笑い、フリーデリケも口に手をあてた。
そこへ扉を叩く音が響いて、王妃がほんの少し顔をしかめた。そのまま控えていた侍女に目配せをする。
侍女が扉を開けると、フェルディナントが入ってきた。父親譲りの金髪は短く整えられているが華やかさは損なわれていない。王族のみが持つ虹色の瞳の中には、母譲りと思える紅玉の耀きが目立つ。
立ち上がるフリーデリケにならって、シャルロッテも礼をとる。ほっとした表情を隠すためにも、深々と頭を下げた。フェルディナントはシャルロッテに目を向けてうなずくと、こちらへと近づいてくる。
「時間になりましたので、客人を迎えに参りましたよ」
「少し早くないかしら? まだ話が終わっていないわ」
不機嫌、というよりも拗ねたように王妃がため息を吐いたが、フェルディナントは首を振る。
「約束通りのお時間ですよ、母上。また機会はあるでしょう」
「そうね、縁はできたことだし、今日は貴方の用件ですものね。わかったわ」
王妃の言葉に満足したらしいフェルディナントは、フリーデリケに声をかけて着席を促した。ちらりと視線を向けられたシャルロッテもそうっと腰を下ろす。
「叔母上、お久しぶりですね」
「フェルディナント殿下、ご無沙汰しております。今日は楽しいお呼び出しをいただいて、ありがとうございます」
「楽しまれたのなら、なによりです。そういえば先日、ラルフに会いましたよ」
「まあ、殿下にもご迷惑をおかけしましたの? まったく。こちらにはなにも連絡してこないのですから。困ったものですわ。申し訳ありません」
ラルフとは、例のクヴァンツ侯爵家の三男である。フェルディナントは声をあげて笑った。
「父上が近衛に入るようにお命じになられた場に、私も居合わせたのですよ。かなり不服そうにしていましたが」
「本当に勝手ばかりいたしまして、申し訳ないやら、お恥ずかしいやら。方々にお詫びをしないとならなくて、大変ですわ」
どうやら、クヴァンツ家の三男は近衛騎士団に入るらしい。アントンが知ったら、ますます乗り気になってしまうかもしれない。シャルロッテはぐっとため息を呑み込んだ。
「それほど怒ってはいないでしょう? 末っ子は得ですね」
母の顔になったフリーデリケは、頬をゆるめる。
「一番最後まで子どもでいてくれましたからね。かわいいのは確かですけれど。もう成人ですから、そうも言ってはおれませんわ。陛下のお計らいをありがたく思っております」
「レオポルトもそう言っていましたよ」
フェルディナントが控えている護衛のひとりに視線を向けると、彼は少し笑みを見せてうなずいた。濃い茶色の柔らかな髪に、精悍な顔立ちをした青年の瞳は、フリーデリケと同じ金色である。しかし、シャルロッテがその騎士の外見に既視感を覚えた理由はそれではなかった。
いつだったのかは覚えていないが、重厚な扉の隣に立つ彼の姿を見たことがある。このようなことが、ままある。はじめて会う見覚えのある人に、そうと知られる態度を取るわけにはいかない。しかし、嘘をついているような、なんとも言えない居心地の悪さを感じる。
「さて、それではシャルロッテ嬢を連れていってもよろしいですね?」
「あら、まだどちらで殿下のお目にとまったのか、聞き出していませんのに」
「敵いませんね、その辺りは秘密にさせてくださいよ」
フェルディナントは肩をすくめてみせたが、瞳の光は鋭い。フリーデリケもそれ以上はなにも言わなかった。
「残念ね。今後の楽しみにとっておくわ。またいらっしゃいね。もっとゆっくりお話ししたいわ」
王妃は面白そうに息子の表情を観察すると、シャルロッテに優しく微笑んだ。
応接室を出て、護衛に先導されながら中庭に面した回廊を歩く。春の花が柔らかな風に舞い散る中、シャルロッテの表情は硬く、先を歩くフェルディナントの背中をじっと見つめている。
応接室の対面に植えられた大きな木の下に、テーブルとお茶が用意されていた。フェルディナントに促されて、向かいに座ったシャルロッテの前に、先ほどとは異なる香りのお茶が注がれた。
侍女が下がり、護衛騎士が少し離れた場所に陣取ると、フェルディナントは右の掌を上に向けて、魔力を集めた。彼の瞳と同じ紅玉を閉じ込めた蛋白石のような光の球ができる。球の上に左手をのせると、そのまま魔力を押しつぶす。重なった手の間から魔力の霧がこぼれ、テーブルの周りに広がって半球を形作ると、ゆっくり消えた。
美しい魔力に見惚れて、シャルロッテはほうっと小さく息を吐いた。
「防諜の結界を張った。ここでの会話はもうレオポルトにも聞こえない。視界は遮断していないから、身振りで助けを求めれば、母上がすぐに来てくださるだろうけれどね」
フェルディナントの背後の大木の傍には護衛騎士、レオポルト・カジミール・クヴァンツが控える。
シャルロッテの左側には、先ほどまでいた応接室の窓が見える。離れてはいるが、王妃と侯爵夫人にはこちらの様子はよく見えているだろう。
「レオポルトを知っているかな? クヴァンツ侯爵の次男、叔母上の息子だから、私にとっては従兄弟にあたる。今は私の護衛をしているが、いずれはクヴァンツ騎士団を率いる予定だ。私よりひとつ歳上に生まれてしまったために、ずっとお守り役をさせられている」
シャルロッテの表情が固まっていると気づいているのに、あえて返答を待たずにフェルディナントは続けた。
「ベーヴェルン侯爵が目をつけているのは、弟のほうかな?」
シャルロッテの肩がびくっと動いたのを見て、フェルディナントはくっくっと喉の奥を震わせる。
「それほど驚くことはないだろう。消去法だ。ベーヴェルン領の現状を鑑みれば、君の相手には相応の器が必要だろう。その上で、実家を離れても構わない高位の独身貴族となると、それほど多くない。侯は格下の婿は望まないだろうしな」
シャルロッテはあんぐりと開けてしまった口を、手で慌てて押さえる。
「……ご明察おそれ入ります。ただ、父はあれで単純なところもありまして、クヴァンツ侯爵家のご三男のお名前をあげたのは、本日のお招きがあってからですわ」
「なるほど、だから去年は逃げ切れたのかな?」
「そこまでお気づきなら、殿下は全てご存じなのではありませんか?」
「知り得たことからの推測に過ぎない。それだけでなにもかも理解できているとは思わないよ。私は間違えることが許されない立場だからね」
フェルディナントの虹色の瞳から放たれる光が、シャルロッテに突き刺さる。シャルロッテが逃れようとしているものよりも、もっと強大な責務を彼は負っている。逃れるという選択肢ははじめから存在しない。
思わずうつむいたシャルロッテに、フェルディナントは間を与えなかった。
「では、本題に入ろうか。あのとき、どうして私の正体に気づいたのか」