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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
その後のできごと

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雨の日の思い出

結婚してすぐ、まだシャルロッテから敬語がぬけていない頃です。

 なにかが違っていれば、異なる結果になったかもしれないことと、わかっていてもどうにもできなかったこと。

 どちらが後悔となるのだろう。


 内陸にあるアンスリーでは、雨の日が続くことはあまりない。

 めずらしく湿っぽい雨が降っては止み、降っては止みを繰り返して五日目ともなると、さすがに気分も鬱鬱としてくる。


 雨が嫌いなわけではない。でも、このようなときには、雨に絡まる記憶が浮かび上がってきて、心を逆撫でにする。


 ゲルトの葬礼の日、埋葬が終わるまで雲は待ってくれなかった。


「お邸のお嬢様」がいらしたことに、ゲルトの家族は恐縮しつつも礼を言って何度も頭を下げていた。

「ありがたいことです、親父もさぞ喜んでいることでしょう」


 息子の言葉に、泣きながらうなずいていたゲルトの妻は、最後に顔を上げて言った。

「お嬢様が見送ってくださるなんて、きっと素晴らしい旅路になるでしょう。雨が降ってまいりましたので、どうぞここまでで。ありがとうございました」


 墓地へ向かう葬列をながめながら、シャルロッテは少しばかり後ろめたさを感じていた。

 いつもおだやかなゲルトが大好きだった。悲しい気持ちに嘘はない。

 それでも、葬礼(ここ)に参加した理由は、確かめたかったからだった。


 精霊殿の入り口には(ひさし)があったが、小さなシャルロッテを雨から守るには足りなかった。侍女に促されて馬車に乗ると、屋根を叩く雨音に誘われてすぐに眠ってしまった。


 雨は、そのあと災害を導くまでやまなかった。



 ベーヴェルン侯爵家の祖父は、父には厳しかったが初孫のシャルロッテには、周囲が諌めるほど甘かった。


 絵本の仔馬が可愛い、と言えばすぐに同じ色の仔馬を用意させるくらいに。

 幸い誕生日が近かったので、祖母や家令は「この仔馬はお誕生日の贈り物ですよ」と念押しして、シャルロッテの馬とすることを許してくれた。


 事あるごとに甘やかしてくれる、優しいお祖父様が大好きだった。


 そのお祖父様が、日課としている庭の散歩中に倒れ、そのまま意識を失った。

 その日、散歩に同行していたシャルロッテは「お祖父様を助けて!」と泣きわめき、祖父が亡くなるまでの一週間、枕元から離れなかった。


「お祖父様、お祖父様」と呼びかけるシャルロッテを、家族や使用人は涙目で見守っていたが、今思えばルドヴィカだけは、眉根を寄せていたかもしれない。


 祖父が亡くなった日にも、雨が降った。


「……殿下、妃殿下」

 侍女に呼びかけられて、記憶の淵から引き戻される。

 湯を使い、寝衣に着替えて、自室のソファに掛けて窓枠に溜まっていく雨水を見てぼんやりしていた。


「なあに?」

「王太子殿下がお帰りになったそうです」

「え、もう?」


 夫である王太子フェルディナントは、結婚してからずっと忙しくしている。それ以前も決して余裕があったわけではない。つまりは、より多忙になっていた。


 シャルロッテにも王太子妃としての公務はあるが、ゆっくりと婚約者期間を過ごしたにもかかわらず、「無理せずともよい」との国王の一言により、最低限の仕事しか与えられていない。


 その結果、夫婦の時間はすれ違い、朝食をともにできればよいほうで、夜はシャルロッテが眠るまでに顔を見られない日も少なくない。

 それが今夜は、寝室に移動する前に帰ってきたというのだ。


 シャルロッテが急いで寝室の扉を開けると、フェルディナントはすでに寝台に横になって本を読んでいた。


「お帰りなさいませ。お待たせして申し訳ありません」

 慌てる妻に微笑むと、フェルディナントは本を閉じた。

「謝ることはない、私の予定が変わっただけだから。雨で視察がひとつながれた。おかげで今夜はシャルロッテの声が聞ける」


 喜色のあらわれた声にシャルロッテも笑む。

「でもよかったですわ。ずっとお忙しくて、心配しておりましたから」


 フェルディナントは近づく妻に、少し低い声で語りかけた。


「私よりもシャルロッテは?」

「え、ええ。わたくしはゆるやかに過ごせていますもの。王宮にきてからは規則正しく過ごして、健康になったと思いますわ」


 寝台の側に立ち止まったシャルロッテに、長い手が伸びる。

「おいで」


 心地よい腕に手を預けるが、フェルディナントの言葉が気にかかって、シャルロッテはゆるく身をひねって背をゆだねた。

「元気がないように見える」


 腰に腕をまわされて、耳元に声が響く。気持ちが沈んでいたのは確かで、でも、疲れている夫に気づかれてしまうほど顔に出ていたのだろうか。ただの妻ではなく、王太子の妃であるというのに。


「ああ、私のことで落ち込まなくていい。王宮の誰ひとり気がつかなかったとしても、私はシャルロッテの不調を見逃さない自信があるからね」

「えっと、それはちょっと……」

「言いたいことはわかるが、諦めろ」


 夫の開き直りに、自然と頬がゆるみ、降参した。どうしてこれほど自信家なのか。その上、妻に対する愛情表現を誤っている気もする。だが、それでいい。彼はほかの場所では、常に間違わぬよう努力しているのだから。


「体調が悪いとかではないのですけれど」

「うん」

「雨続きでしょう? それで昔の記憶に心が乱されてしまったといいますか。少し憂鬱になってはいました」


 耳元から下がった唇が首筋に落ちる。

「長雨は気鬱のもとになるともいうからな。しかし、昔を思い出してそう感じるのなら、今は不安に思うものはない、ということでいいかな」


「……ふふ。もう!」

 体を包む腕を掴んで力を入れても、動かせない。

「ここの居心地は悪くないか?」


 身じろぎすると、抜け出せない甘い檻が少しだけゆるむ。檻の中で身を返して、腕を伸ばす。

 秀麗な美貌を支える頸部は、シャルロッテの細腕がかかったくらいでゆらぐこともない。

 安心して身を預けて、大きな胸に顔を埋める。


「ほかの場所では、もう眠れないと思いますわ」


 返事のかわりに、大きな手が背中を滑る。逆立っていた棘のようなものが、柔らかく潤っていく。


 まだ雨は降っているだろう。王太子夫妻の寝室には細かな雨音は届かない。

 しかし、シャルロッテの耳の奥では小さく水音が跳ねた。


 次の長雨のときには、きっと面映く笑うことができる。今夜を思い出しているだろうから。

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