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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
その後のできごと

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魔女と精霊姫 4

「王家の馬車って本当に揺れないわね。ありがたいけれど、贅沢すぎる気がするわ」


 ふたりきりの客車の中は、滑らかな革張りのソファに、絹のクッションが置かれ、足もとには靴が沈み込むほど毛足の長い絨毯が敷かれている。


 広さを考えなければ、普段過ごしている王太子宮の調度と変わらない、快適な空間である。王太子夫妻が乗っていると知られないために、華美な装飾を排した外観からは想像もできないだろう。


 整備された街道を進んでいるとはいえ、馬の足並みによって揺れているはずの車内は、結界が振動を阻んでいるために、微かな揺れも感じない。


「『王家の精霊石』を使っているのだから、かまわないだろう。あり余っているものだ」

「王宮ではね?」


 アンティリアの王族の『精霊の加護』の器に注がれる魔力は、大陸の民の数百倍とも数千倍ともいわれ、高位貴族の器も凌駕する。

 しかしその実態を知る者は少なく、ただ美しい虹色の瞳の存在だけが、声高に喧伝されている。


 一方で、民の生活の中には、魔力はほとんど存在しない。魔法を使えるほどの器をもつ者はなく、それを補う精霊石も、個人の生活に行き届くほどの数は流通していない。

 あり余る魔力を贅沢に使えるのも、王族の特権である。


「シャルロッテは理想的な王太子妃だな。民の暮らしに目を向け、憂う心がある」

「その民の中で暮らしていくつもりでしたから。世間知らずには無理だ、と母には言われましたけれど!」


 ぷいっと顔を窓の外に向けたシャルロッテは、王都の周辺とは異なる植生の樹々に気がついて、うれしそうに目を細めた。それを見つめるフェルディナントもまた目尻を下げる。


「懐かしい?」


 王太子夫妻を乗せた馬車は、アンティリア王国の南の端、ヴィルトグラーフ伯爵領へ入った。

 王都の冬はそれほど厳しくはないが、街が白く覆われるほどに雪が降ることもある。


 一年を通して温暖なヴィルトグラーフ領では、雪が降ることはほとんどない。冬でも硬葉樹の緑が広がっている。


 シャルロッテは、母ルドヴィカの故郷であるこの地を、子どもの頃に幾度か訪れたことがある。景色を覚えるほど頻繁に遊びに来たわけではないが、それでも感じる親しみの気持ちは、懐かしい、という感情だろう。


「そうね、久しぶりに伯父様に会えるのはうれしいわ。ありがとう」


 フェルディナントは愛妻の美しい笑みに目を細めると、腕を伸ばして上質な生糸のような髪をなでた。



 眠るシャルロッテの涙の理由を知ったフェルディナントは、なにを思ったのか、休暇を取ると言いだした。

 婚姻後の王太子妃が里帰りもせず、公務をこなしていることは周知の事実であったから、シャルロッテの休暇はすぐに認められた。


 そして、彼女に心置きなく休暇を取らせるために、王太子の休暇もやむなく許可されたのであった。


 旅の目的地はヴィルトグラーフ伯爵領内にある、王家の直轄領である。


 伯爵領の南にある森の一部は王家の直轄であり、その入り口には精霊殿が設けられている。この精霊殿も王都の大精霊殿の直下にあり、ヴィルトグラーフ伯爵家の精霊殿とは別に置かれている。


「よくお越しくださいました。妃殿下もお久しぶりでございます」


 伯爵邸の門で出迎えてくれたのは、ヴィルトグラーフ伯ニコラウス・フロレンティン、シャルロッテの母方の伯父である。

 赤みを帯びた栗色の髪に金の瞳は、妹であるルドヴィカとは異なる色合いだが、ヴィルトグラーフ伯爵家の血族には多く現れる色彩だ。


 伯爵家本邸の貴賓室に通された王太子夫妻は、ニコラウスとともにお茶を囲んだ。


「世話になる、急にすまなかったな」

「とんでもないことです。我が領地へご夫妻をお迎えできることを、光栄に思います。領内の者たちも喜んでおります。明日にも歓迎の茶会と宴を……」


 ニコラウスの言葉に、シャルロッテの表情がみるみる引きつっていく。それを確かめた伯爵は、まなじりにしわを刻んで喉を震わせる。


「と、申し上げたいところですが、準備が間に合いませんでしたので、おふたりの滞在は限られた者にしか知らせておりません。どうぞごゆっくりお過ごしください」

「伯父様、おどかさないでくださいませ」


 シャルロッテは、うんざりしたようすで少しだけ首をそらした。ニコラウスはおだやかな笑みから、にやりと口の端をあげた。


「失礼しました。ですが、ベーヴェルン侯ならひと月足らずでも準備するでしょうな」


 シャルロッテは、恨めしそうににらみつけると軽く息を吐く。


「それがわかっているから、里帰りをしていなかっただけですのに、公務を疎かにしない真面目な王太子妃だ、ということになってしまいましたわ。たいして忙しくしているわけでもありませんのに」


 隣に座るフェルディナントは、伯父と姪のやりとりに頬をゆるめる。王太子としての顔しか見たことのなかったニコラウスは、思いがけない表情に少し驚いた。


「私の妃は未来の王妃として充分な働きをしている、と評判でね」

「それはなによりでございますな」

「彼女との縁については、伯にも礼を言わねばと思っていた。遅くなったな」


「もったいないお言葉を。我が家にとっても、妃殿下にとっても、最もよい選択であったと信じております」

 ニコラウスは金の瞳にさまざまな思いを納めて、頭を下げた。



「え、本当に王家の森へ行くの?」


 伯爵夫妻との気の置けない晩餐を終えて、寝支度を整えたシャルロッテは翌日の予定を告げられて、驚いた。


「それが目的だと言っただろう。もともと折を見て連れて行こうとは思っていたのだけれどね。先日の夢が現実になるなら、しばらく遠出はできなくなるだろう? 今のうちに見せておきたい」


 王太子夫妻のはじめての私的な旅先が、ヴィルトグラーフ伯爵領となると、シャルロッテの父であるベーヴェルン侯爵を筆頭に、不平を騒ぎ立てる輩が出てくる。


 それらを黙らせるために、表向きは王領に向かう途中に伯爵家を訪れる、ということにしたのだろうとシャルロッテは思っていた。しかし、今回の旅は単なる休暇ではなかったらしい。


「ただの夢だと言ったでしょう?」

「まあ、いい機会だから。どちらにしろ社交シーズンに入ったら、また身動きが取れなくなる。今のうちに羽を伸ばすついでだ」


「なにがあるの?」

 シャルロッテの素直な問いに、フェルディナントは一瞬躊躇したが、口を開く。


「王領といっても領民がいる土地ではなく、すべて森林だ。森の入り口に小さな精霊殿があるが、その奥に精霊の泉がある」

「『王家の泉』?」

「いや、『大地の精霊』の泉だ」

「ヴィルトグラーフでは聞いたことがないわ」


 王都の外れにある『王家の泉』には、王族の瞳と同じ虹色の魔力が湧く。大陸中でも唯一のその泉は、アンティリア王家の管理下にあり、泉の入り口は厳重に封印されている。それでも、湧き出す魔力は流れ出て、付近の湖には虹色の霧が常に揺蕩っている。


 虹色の魔力が湧く泉は、『王家の泉』ただひとつであるが、各々の『精霊の加護』の力が湧く泉は国内に点在している。(から)の石を湧き出す魔力の中に置いておけば、精霊石を生成することもある。しかし、それらはわずかな魔力が湧き出るだけで、人知れず消えてしまうことが多い。

 『加護の泉』として珍重されてはいるが、頼りない存在である。


「……『大地の精霊』の泉。ただの加護の泉ではないの?」

 怪訝な顔になったシャルロッテに、フェルディナントはしれっと言い放つ。


「違うな。だからこそ直轄地になっている」

 シャルロッテの目が細められる。それは笑みではなく、胡乱な表情をつくっている。


「国内に六か所、精霊の守護が冠された泉がある。その内の半分は王家の信任厚い重臣の領内にあり、残りは直轄地だ」


「……ヴィルトグラーフ家は重臣とは言えないわね」

 シャルロッテは大きく息を吐き出して、首を振った。それを見たフェルディナントは肩をすくめる。


「伯爵領は国境に近い割に、武力が期待できないからな」

「さらっと国家機密を口にするのは、やめてほしいわ」


「これはそれほどの機密ではないよ。王家の管理下にいくつか強い魔力の湧く加護の泉がある、という話だ」

「それだけではないのでしょう?」

「さあ? どうだろうね」


 王太子の婚約者となってから、片手に余る年を経ても、まだ王家の歴史のすべてを知ったわけではない。

 どちらかといえば、知ることにまだ抵抗する気持ちのほうが強い。だからこそ、フェルディナントは今日のようにふいに、会話の中へしのばせてくる。


「まあ、シャルロッテが見ておくべきもの、かな。ここからそれほど距離はないから、騎馬で行くがかまわないか?」

「もちろんよ。久しぶりに馬に乗れるのね」


 シャルロッテは己の身分をあらためて思い起こすと、少し顔を引き締めて夫の瞳を見つめた。

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