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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
その後のできごと

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魔女と精霊姫 3

 王太子フェルディナントが、怒りをあらわにすることはない。むしろ、彼にそうした感情を抱かせる人物の前では、おくびにも出さない。気を許せない相手には、徹底して怒気を見せないのだ。


 雲間から流れ落ちる陽の光を集めたような金髪に、炎を封じ込めた蛋白石(オパール)の瞳。その美貌には絶えず微笑みが浮かび、崩れることはない。

 彼の笑顔をうっかり見てしまった貴族令嬢は、皆恋に落ちた、といわれるほどの美貌の王太子。


 しかし、この王太子を不快にした者は、その笑みに(ほだ)されたまま、二度とその顔を見ることは叶わなくなる。


 家族や側近に対しては不機嫌を隠しはしないが、それでも声を荒らげたり、威圧的な態度をとったりすることはない。


 そのフェルディナントが、眉間にしわを刻み、口を引き結んで、シャルロッテに向かってくる。はじめて見る険しい表情に、シャルロッテは息を呑む。


 フェルディナントはゆっくり、しかし迷いなくシャルロッテの側にくると、大きく息を吐き出して隣に座った。


「あの、なにか怒っているの? ラウエンブルク公のことなら……」


 フェルディナントは、にっこりとわざとらしい笑みを作ると、冷たい声でシャルロッテの言葉をさえぎる。


「シャルロッテは、ラウエンブルクの件で私が怒っていると思うのかな?」

「ええと、相談しなかったから……?」

「本当にそう思うのか?」

「……違うの?」


 フェルディナントの瞳に宿る炎が鋭く光る。真に熱い炎は色を失うという。


 シャルロッテは、フェルディナントの瞳の遊色が煌めく様に、うっかり見惚れそうになるが、氷点下の声音がそれを許さない。


「ラウエンブルクのことなど、気にしていないだろう? それくらい知っている」

「そうよね。なら?」

「私に話すことがあるだろう」


 シャルロッテには、悪びれるようすがまったくない。次第にフェルディナントの怒りは薄れて、困惑に変わる。


 ラウエンブルクの要らぬ言動で、シャルロッテが不愉快な思いをしたようだ、との話はすぐに届いていた。だが、シャルロッテは気にしないとわかっている。


 それでもフェルディナントは、妻がこのところ夜に流す涙の理由を打ち明けてくれないことに、焦れていた。


 ラウエンブルクの件も、シャルロッテはきっと黙っているだろう。そう思うと、常にない苛立ちが生じた。

 理不尽な怒りを見せたのは、シャルロッテに対する甘えなのかもしれない。


 しかし日頃は怒気を完璧に制御しているからこそ、いっときの感情に任せてシャルロッテを問い詰めることができない。結局のところ、彼は妻に弱い。


 (かな)わないな、とぼそりとつぶやくとシャルロッテの頬を両手で包んだ。シャルロッテが愛する虹色の瞳は、いつも通りの煌びやかな紅色が少し揺らいでいる。


「なにか、『予見』があったのではないか?」


 シャルロッテの飴色の瞳は、真っ直ぐにフェルディナントを見上げてくる。きょとんとした彼女はまばたきをして、右手を頬に当てて夫の手を握った。


「いいえ? どうして?」

 フェルディナントはうろたえて、シャルロッテの手を強く握りしめた。


「本当に?」

「ええ、だって見たら話すと約束したでしょう。最近はなにも見ていない……」


 シャルロッテは、つかまれた手の痛みに顔をしかめていたが、ふと思い出したことに気を取られた。フェルディナントはそれを見逃しはしない。


「やはり、なにかあるのだろう? どうして話してくれなかった?」

「違う、違うの。『予見』ではないのよ」

「なら、どうして泣いていた!」


 フェルディナントの、これほど余裕のない顔を見たことがない。

 シャルロッテは驚いて目を見開くと同時に、「泣いていた」と言われたことに気がついて、じわじわと頬を赤く染めた。


「……泣いていた? わたくしが?」

 シャルロッテの思わぬ反応に、フェルディナントは当惑するが、表情を取りつくろいながらうなずいた。


「このところ、夜、寝顔に涙が残っていることがある。夢になにか見ているのではないか、と心配していた」


 シャルロッテは下を向いて、赤くなった顔を隠そうとするが、フェルディナントの手がとどめる。


「ごめんなさい。確かに夢の中で泣いてしまったけれど、現実でも涙を流しているとは思っていなかったから」

「どうして泣いたのか、話してくれないか?」


 フェルディナントは飴色の瞳をのぞき込みながら、シャルロッテの額に己のそれをこつんと合わせた。


「はじめは、『予見』かと思ったの」

「なら、どうして教えてくれなかった?」

「先月、アルは辺境に行っていたでしょう?」


 王太子の務めとして、フェルディナントは外交、国防にかかわっている。この時期は、国境の王家直轄地や、辺境の騎士団を視察してまわっている。


「見たのはその頃だったのよ。そのときは帰ってきたら話そうと思っていたの。でも、次の日にもまったく同じ夢を見たの。だから、ただの夢だと思って言わなかっただけなの。ごめんなさい……」


「そういうことか、それはわかった。で? 泣いてしまう夢とは?」


 吐息が頬にかかってくすぐったい。いまさら距離を詰められたくらいで、恥ずかしがることもない。

 しかし、耳まで真っ赤になったシャルロッテは、フェルディナントの厚い胸に手をあてて、顔を離した。


「泣いたのは、うれしかったからなの」


 久しぶりに見る照れたシャルロッテに、フェルディナントの怒りはもうおさまっていた。


「こ、子どもができたとわかったので」

「え?」


 虹色の瞳がまるく開かれ、シャルロッテを凝視する。フェルディナントの口が開く前に、シャルロッテは首を忙しく動かす。


「だから、夢よ! 夢の話なの!」

「ああ、そうか。だが、『予見』かもしれない夢だろう?」

「でも、同じ『予見』を何度も夢に見たことは、これまで一度もないわ。だから、ただの夢なのよ」


 肩を落としたシャルロッテが、心配をかけてごめんなさい、とぽつりとこぼす。フェルディナントはシャルロッテの肩を引き寄せると、背中から抱き締めた。


「うれしくて泣いた、ということはシャルロッテは子どもを望んでくれている?」

「それは、もちろん」


「王統がどうとかいう話ではないよ? 私が『知ったことか』と言ったとき、その通りだとうなずいていただろう?」


 自分が王となるのは望むところである、が、王統を繋ぐことにまで責任は負えない、と言ったフェルディナントの言葉をシャルロッテは確かに肯定した。もう、随分前のことだ。


「わたくしはそもそも、結婚するつもりもなかったのよ」

「知っているよ」


「子どもを産むなんて、もっと考えたことがなかったわ。だから、あれこれ言われても、本当になにも思っていなかったのよ」

「うん」


 シャルロッテがぽつりぽつりと話す。ちょっと拗ねて、照れているときの話し方だ。


「新年のお祝いのときに、アマーリア様がヘンリエッテ公女をお連れになったでしょう?」

「うん?」


 王族のみの祝いの席に、ヴィッテンベルク公爵夫人アマーリアは、生後六か月の長女を抱いて現れた。国王夫妻にとってはふたり目の、そしてはじめての女の子の孫である。

 あっという間に小さな公女は、その場の主役になった。


「私も抱っこさせていただいたのよ。赤ちゃんが腕の中にいて、小さな手足を動かして、あくびをしたの! ちっちゃいお口で。かわいくて、柔らかくて」


 それでね、とシャルロッテはフェルディナントを見上げてはにかんだ。フェルディナントの口の端も自然に上がる。


「貴方の赤ちゃんなら、もっと愛おしく感じるのかしらって」

 からまる視線は同じ熱をもっているが、抱えた思いは微妙に異なる。


「そんなことを考えていたのか。私はヘンリエッテを抱いたシャルロッテがあまりに美しいから、絵でも描かせようかと思っていた」

「なにそれ、おかしいでしょう」

「うん、姉上にも言われた。自分たちの子が生まれてからにしろと」


 フェルディナントは、アマーリアとカタリーナから向けられた生暖かい視線を思い出すが、すぐに頭から追いやる。

 首を振るフェルディナントを不思議に思いつつ、シャルロッテは話を続けた。


「だから、お世継ぎがどうとかではなくて、子どもができたらきっとうれしい、と自然に思えたの。でも、ふんわりと自覚しただけで、それも普段は忘れていたのよ」

「『予見』はすぐに見たわけではないな」


 フェルディナントが辺境の視察へ向かったのは、新年の祝いからひと月以上経ってからだ。

 それまで、シャルロッテは特に子どものことを意識していなかったし、夢を見て思い出したくらいだった。


「だから『予見』ではないわ。毎日ではないけれど、もう何回も見て、それほど子どもがほしくなったのかしらって、自分でも呆れていたのよ」

 顔をそむけたシャルロッテを、フェルディナントは膝の上に抱え上げる。


「『予見』を得て、意識したから繰り返し夢に見たのではないか?」


「アルも王妃(おかあ)様も陛下も、本当にあの『予見』を疑っていらっしゃらないのね。私自身が疑っているのに」

「シャルロッテも『予見』は確実に起こるもの、と信じていたのではなかったかな?」

「そうではない、と教えてくれたのは貴方でしょう」


 フェルディナントの肩に手を置いて、シャルロッテは、口を尖らせる。すっかり機嫌がよくなったフェルディナントは、柔らかく微笑む。


「……魔女の予言があるからな」

「魔女?」


「『王家の泉』の蓋が破れて、魔力が暴走した話は知っているだろう?」

「ええ、もちろん知っているけれど、わたくしが生まれる前の話でしょう?」


 二十余年前、王都の外れにある『王家の泉』から虹色の魔力があふれた。常であれば、泉の周囲に留まり、次第に大気に溶けて見えなくなっていく魔力の霧が、王都にまで流れ込んだ。


 同時に、人びとの『精霊の加護』の器に注がれる魔力は容量を超え、受け止めきれなくなった者は倒れ、起き上がれなくなった。


 その危機に現れ、泉の蓋を修復してアンティリアを救った女性が、後のリューレ大公妃である。

 リューレ大公、当時のクラウス王子は彼女の護衛として、泉へともに赴いていた。


「あのとき、大公妃を呼び寄せて蓋を継ぐことがアンティリアが残る唯一の法だ、と予言した魔女がいたそうだ」

「どういうこと?」


「私は子どもだったから、そのとき魔女には会っていない。父上から聞いた話だ。まあ、その時点で『アンティリアが残る』と言われた通りに、あの危機を回避できた。ということは、まだしばらくアンティリアは続くのだろう」


 納得のいかないシャルロッテは、眉根を寄せる。

「だからといって、わたくしが世継ぎを産むという保証にはならないでしょうに」


「まあ、そうだけれどね。父上や母上からすれば、シャルロッテの『予見』を信じる根拠になっている、という話だよ。私はどちらでもよかったのだけれど」


 フェルディナントが、シャルロッテを横抱きにして立ち上がる。驚くシャルロッテに口づけると、そのまま歩き出した。


「シャルロッテが望むなら話は別だ」

「え」

「通常の『予見』であれば半年以内、だったな」


 フェルディナントは寝室へ入ると、シャルロッテを寝台にゆっくりとおろした。


「『予見』の結果は置いても、春になる前に少し遠出をしようか」

 頬を染めて見上げてくるシャルロッテの唇に再びキスを落とすと、フェルディナントはそのまま妻を抱き寄せた。


 その夜、シャルロッテは夢を見ることなく、深い眠りに落ちた。

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