20.精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
「それで、話したいこととは?」
王太子宮のガゼボで結界を張ると、フェルディナントは、少し引き締まった表情で口を開いた。
前もってシャルロッテは、衣装合わせのあとに話したいことがある、と知らせていた。
「ひとつ、気になっていることがあるのです」
「ん?」
「母にも訊いてみたのですが、わたくしと同じでこれまでに得た『予見』は、どれほど先の出来事でも、半年以内だったそうなのです」
フェルディナントは、シャルロッテの表情が曇ってしまったことが気に入らないようで、自身の眉も同じように動かした。
「もし『予見』の魔法に期間の制限があるのなら、はじめて殿下にお会いしたときに見たものは、『予見』ではなかったのかもしれません。だとしたら、国王陛下に偽りを申し上げたことになりませんか?」
フェルディナントは笑みをこぼす。シャルロッテの気掛かりはもっともだが、同時に不要のものだと知っている。
「もし、そうであっても父上に申し上げたのは私だ。シャルロッテが心配する必要はない。それに、私は王冠を冠っていたのだろう? 王太子の冠ではなくて」
「はい。陛下が戴いておられるものと同じでした」
「なら間違いないだろう。シャルロッテはそれ以前に見たことがあったか?」
「いえ、春の夜会で拝謁したときにはじめて目にして、やはり同じ王冠だと思いました。でも、視点が本当にわたくしのものかどうかもわかりませんし……」
あの戴冠式の景色を見たのは、ルドヴィカがシャルロッテの家出を止めるよりも前のことだった。
もしも、『予見』ではないただの白昼夢だったとしたら、シャルロッテがアンティリアの世継ぎを産む、というフェルディナントの主張は通らない。
最初に教えられたように、『予見』の魔法が「術者が直接経験する未来に限らない」のであれば、国王となったフェルディナントが、笑顔を向けた相手は、シャルロッテではないのかもしれない。
考えたくなかったが、その可能性が頭をよぎってしまったときから、心の中に黒い染みが広がっていくように、気持ちが沈んでいくのを止められなくなっている。
ひとりで抱えるには重たくなって、フェルディナントに打ち明けることにしたのだ。
「今度、アルブレヒト王の文書を読むといい」
「アルブレヒト王?」
「私が祖名をいただいた、八代前のアンティリア国王だ。『大地』の加護が強い方で『予見』の魔法を操ることができたそうだ」
目をまるくして驚くシャルロッテに、フェルディナントが笑いかける。
「でき過ぎだと思うだろう?」
「本当ですか?」
「本当だ。祖名をいただいたことだし、と思って以前に文書を読んだことがある。一応名君といわれた方だしな。その名を継いだ私の婚約者が、『予見』の魔法を持っている。なんの因果かな」
シャルロッテの憂いなど、まるで気にしていないフェルディナントは、にこにこと機嫌がよい。
「アルブレヒト王によると、先の『予見』であるほど実現する可能性は高いそうだ。変えられない、と言ったほうがいいかもしれない」
「変えられない……」
「我々、アンティリアの王族の器は、他国の王族のものと比較しても、相当に大きい。マーンリオの『精霊姫』は意図して『予見』を得ることはないのだろうが、アルブレヒト王は己の意思で『予見』の魔法を使って、懸念を前もって払っていたそうだ。名君たる所以だ」
フェルディナントは、にやりと笑う。シャルロッテの『予見』は変えられないものと確信している。
シャルロッテは唖然としていたが、すぐに別の心配が頭をもたげる。
「でもそれならやはり、あれは『予見』ではなかったのでしょう。わたくしは『大地の精霊』の器ですから」
「どうかな? 私の見立てだが、シャルロッテの器はかなり大きい。少なくともラルフよりは上だ。修練によっては、『予見』の魔法を意図して使えるようになるかもしれない。歴代の『精霊姫』の中でも、魔力は強いほうなのではないかな」
「それは必要になりますか?」
意図して『予見』を得るなど、考えたこともなかった。突然あらわれる覚えのない景色が、恐ろしくてたまらなかったのに、それを自ら求めるなんて。
でも、それがフェルディナントの隣に立つために必要なら、フェルディナントが支えてくれるのなら、と考えられるようになった気持ちが確かにある。
不安をあらわに、しかし真っ直ぐ見つめてくるシャルロッテを、フェルディナントはまぶしそうにながめる。
「魅力的な力だということは、否定しないけれどね。私はシャルロッテが『予見』を自在に使えないままで構わない。私が『予見』をもとに動くとしたら、それはシャルロッテの今の安心や、安全のためだ。だから、私やアンティリアのために、などと考える必要はない。どちらにしろ私には見えない『予見』を理由に、政治を行うことはできない。信じないということではなく、私とシャルロッテでは見えるものが違うだろうからね」
アルブレヒト王は相当上手くやったと思う、とフェルディナントは笑った。
アルブレヒト王は自ら『予見』の魔法を操っていた。当然、王自身の目で『予見』の景色を見ている。
シャルロッテが得る『予見』を、どれほど微細にわたって説明したとしても、フェルディナントが見るのとは違う景色になるだろう。
フェルディナントは、シャルロッテの『予見』を必要としない。それは、フェルディナントの矜持であり、シャルロッテへの愛情でもある。
「はい。でしたら、ほかのことでお役に立てるように努めます」
「それも必要ない、と言いたいところだが、母上が張り切っておられるからな。まあ無理しすぎない程度に」
「……はい」
シャルロッテはひと呼吸おいて返事をした。その一瞬あとには笑顔を見せて、フェルディナントも頬をゆるめた。
「アルブレヒト王の遺した文書には、先の未来が見えるのは『精霊の気まぐれ』だと書いてあった。己の意思ではなく突然見える、と」
「『精霊の気まぐれ』?」
「アルブレヒト王自身の未来に、大きくかかわるものに触れたときに、まれに見えたそうだ。それは変えようがないが、先の未来に実現する望ましいことだったらしい。だから『時の守護』たる『大地の精霊』が、加護を与えた者に見せる天啓であろう、と書かれていた」
「天啓……。ウルリーケ王女は望ましい未来は知らなくていい、と書いていましたわ」
「ということは、シャルロッテは望ましいと思っている?」
「もちろんです」
潤む瞳にフェルディナントが長い指を添える。シャルロッテは甘えるように、その指に頬を軽く押しつけた。
「私にとっては、これ以上ないほど望ましい。『予見』のおかげで父上も賛成してくださった。僥倖だと思うし、私は信じている」
「……わたくしもそうなってほしいと、望んでおります」
「今、私とシャルロッテが望む未来が同じである、とわかっただけで私は充分だ」
フェルディナントの指に手を伸ばして握る。濃い紅色が浮かぶ蛋白石の瞳が弧を描く。今よりも皺の刻まれたあの日のフェルディナントの笑顔と同じに。
「わたくしも、それがいいです」
「それにしても、もう少し私を信じてくれてもいいだろう。私が女性に笑いかけるなど、シャルロッテがはじめてのことだと皆が驚いているというのに」
「でも、何年、いえ何十年も先のことですもの」
「なら、試してみるか? 私の魔力を分ければ、もしかしたら見えるかもしれない」
シャルロッテが握っていた手が、虹色の暖かい魔力をうっすらとまとう。
未来に大きくかかわるものに触れたら、あるいは。
シャルロッテは少しの間考えていたが、ふっと肩の力を抜いて首を振った。
「やめておきます」
シャルロッテのこたえに、フェルディナントも満足そうにうなずいて、集めた魔力を散らした。
大切なのは今。それがわかっていれば大丈夫。
だから、アンティリアの精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす。
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