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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
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2.ベーヴェルン侯爵家

 ベーヴェルン侯爵領は、アンティリア王国の東の端に位置する。領内にはからの石を産出するノルトシュヴァルツ鉱山がある。


 精霊石は魔力を使い切ると、空の石に戻る。再び魔力を注げば精霊石となるが、回数が増すと劣化して砕け散る。また、魔力や物理的な力によって壊れることもある。


 ノルトシュヴァルツ鉱山は、国内最大の産出量を誇っており、ベーヴェルン領の空の石がアンティリア王国を支えていると言っても過言ではない。


 ノルトシュヴァルツ山はベーヴェルン領に接する隣国、マーンリオ王国へと連なる山脈の基点であり、マーンリオ側にはより多く空の石を埋蔵する鉱山が存在する。ノルトシュヴァルツ鉱山はこの地理的条件から、潤沢な産出量が得られていると考えられる。


 アンティリア王国の貴族は王家に精霊石を納める義務を負うが、ベーヴェルン侯爵家はノルトシュヴァルツ産の空の石を納めて、国内に供給する役割を担っている。


 空の石は、硬い岩盤の間に層になって埋蔵されているが、単に岩盤を崩して取り出すことはできない。岩盤の中では一枚板のように見える空の石は、取り出された瞬間に細かな小石の集まりに姿を変えてしまうのだ。


 岩盤を削ると同時に空の石も崩れるため、下手をすれば坑道全体が崩落してしまう。したがって採掘の際には、精霊術士か、術士と同等の魔力を持つ貴族が結界を張って、慎重に作業を行わなければならない。


 ベーヴェルン領内にある精霊殿の規模は大きく、精霊術士もほかの貴族領の精霊殿より多く配置されてはいるが、採掘業務が優先されるわけではない。

 そしてベーヴェルン侯爵家に、常に大きな器を持つものが生まれるとも限らない。


 十歳になるテオドールもアントンも、貴族としては平均的な器の持ち主である。ふたりに比べるとシャルロッテの器のほうがよほど大きい。

 現在、採掘作業は領内の貴族や精霊術士が、シャルロッテの精霊石で魔力を補いながら行っている。


 アンティリア王国の貴族社会では、器の大きさは重要な能力である。

 嫡男の器が小さいために、傍系から養子を迎えて跡継ぎとする家は決して少なくない。そうしなければ、最悪は爵位を王家に返上し、家が断絶することになるのだ。


 アントンは父親として、人並みの愛情を子どもたちに持っている。それと同時に模範的な貴族でもある彼は、侯爵家の存続のためにシャルロッテの婚姻を最も有効に利用するつもりでいる。


 シャルロッテの相手は、大きな器を持つ子が生まれる可能性が高く、かつベーヴェルン侯爵家に協力を惜しまない人物が望ましい。また、嫁がせるのではなく、侯爵家の分家として領内に留まってくれるなら申し分ない。


 シャルロッテの類い稀な美しい容姿と大きな器は、条件のよい縁談のために大いに役立つだろう。

 それが貴族の()り方であり、ひいてはシャルロッテの幸せにもつながる、とアントンは信じている。


 アントンの考えをシャルロッテも知っている。もちろん、ベーヴェルン侯爵家が存続していくために、自分も役に立つべきだということもわかっている。


 それでもシャルロッテは、貴族社会で生きていく自信がなかった。否応なく見えてしまう未来を、己の心だけに留めて笑っていられるほど強くはない。

 誰かの不穏な未来を知ってしまうかもしれない。それが、重要な人物であったとしたら。

 考えただけで恐ろしい。


 貴族の枷を逃れて精霊術士となれば、知らぬふりで過ごす必要はなくなるかもしれない。これまで未来視が実現する度に、無力感と孤独に苛まれてきた。


 精霊術士として身を立てられたなら、未来視が役立つこともあるかもしれない。市井の人びとの未来であれば干渉できるかもしれない。


 器の大きさからすれば、充分に素質はあるが、高位貴族の令嬢が精霊術士になるなど、前例がない。

 そして、精霊術士になれたとしても、未来視から逃れられるわけではない。


 ぐるぐると悩み続けていたシャルロッテは、なかば諦めつつも、父にしたがった後の人生を思うと、あがかずにはいられなかった。


 だが実際には、夜会の準備のためにあれこれ指図するアントンにさからって、(やしき)を飛び出すのが精一杯だ。それも行き先は決まって近衛騎士が常駐している丘の上。

 所詮は貴族のお嬢様の甘えなのだ、とよくわかっていた。


 ――結局、わたくしひとりではなにもできないのよね。せめて、地方領の野心のない家に嫁げるなら……。それも、お父様がお許しにならないわね――


「ああ、いたな。よかった」

 数日後、またいつもの丘で芝生に座り込んでいたシャルロッテの背中に、聞き覚えのある声がかかった。


 寝転んだ姿を人に見られたことは、さすがに反省して座っていたのだが、そもそも侯爵家の令嬢がひとりで出歩くものではない。しかし、邸でため息をこぼし続けて息苦しくなると、どうにも逃げ出したくなるのだ。


 今日はふんわりした柔らかい生地のスカートの中に折りたたんだ足を隠して、青空の下に広がる王都の街並みをながめていた。


 シャルロッテが座ったまま振り向くと、そのあるまじき姿を見られてしまった相手が立っていた。

 あっ、とまずは恥ずかしさを覚えたシャルロッテは、そこではたと強烈な違和感に思いあたった。


 彼は近衛騎士の制服を着て、焦茶色の髪に赤い瞳。先日とまったく同じ格好をしている。なにもおかしなところはない。それなのに、シャルロッテの心臓は、ばくばくと大きな音を立てて重大な失態を思い出させた。


 美しい飴色の瞳がまるく見開かれ、白皙(はくせき)の顔から血の気が引いて青白くなる。膝の上に置いた手が、小刻みに震え出し、どうすればよいのか必死に考える。


 たったひと言、しかも去り際の一瞬であったはずだ、気づいていないかもしれない。

 きっとそうよ! シャルロッテは祈るように己に言い聞かせ、訓練された淑女の笑みを顔に貼りつけた。


「……騎士様、先日はお見苦しいことで失礼いたしました。どうか、内密にお願いいたします」

 精霊のようだといわれる美貌を、ここぞとばかりに振りまく。


 騎士は、シャルロッテが必死に取りつくろった美しい微笑に目を細めていたが、くっと口の端を上げるとはっきり言った。

「私が誰なのか、わかっているのだろう? 素直に認めたほうがいい。二度は言わない」


 シャルロッテは優美な笑顔のまま固まった。あのひと言をしっかりと聞かれていた。ごまかしはきかないだろう。首をゆっくり動かして周りに人がいないことを確認してから、そっと口を開いた。


「……申し訳ありません。殿下、どうかご容赦くださいませ」

 焦茶色の髪に赤い瞳の近衛騎士を装っている人――アンティリア王国王太子フェルディナント・アルブレヒト・ニーベルシュタインは眉を上げて満足そうにうなずいた。


「容赦はできないな。だが、ここでどうこうすることもない。ベーヴェルン侯爵家のシャルロッテ・ウルリーケだな?」

 当然素性は調べられている、シャルロッテは驚かなかった。

「はい」

「明日、これがベーヴェルン侯爵邸に届く。書かれている指示にしたがうように」


 フェルディナントは上着の胸もとに手を入れて、白い封筒を取り出して見せた。

「内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「母上の私的な茶会への招待状だ。もちろん、招かれるのは君だ」


 フェルディナントは封筒を裏返す。閉じ口には濃い赤ワイン色の封蝋がなされている。長い指が蝋をかすめると、ふんわりと紅い光をまとって輝いた。


 魔力封が施されている。書簡が宛名の本人にしか開封できなくなる魔法である。無理に開けようとすれば、手紙は消失する。施した者の魔力を帯びるため、差出人の証明にもなる。


 フェルディナントの母、つまり王妃カタリーナ・エリーザベトの封である。シャルロッテはこみ上げる悲鳴をどうにか呑み込んだ。


「社交シーズンがはじまるまでは皆、大規模な茶会などは開かないだろう。王家も同じだ。母上と妹のクヴァンツ侯爵夫人のごく私的な茶会に、今年話題のデビュタントを招きたいと。そういうことだ」


 そういうこととはどういうことなのか、まったくわからない。ほんの少し開いた口からゆっくり息を吸って吐き出す。唇を震わせるがシャルロッテは、なにも言葉にできなかった。


「今、手渡してもかまわないが、それだと説明に困るかと思ってね。明日、王宮の使者が侯爵邸に届ける。中身も侯爵宛の文面になっているしね」


 気が利くだろう? とでもいうようにフェルディナントはにこやかだ。

 あらためてじっくり見ると、確かに姿絵で見た王太子の顔立ちである。髪と瞳の色が違うだけで、これほど印象が変わってしまうものなのか。

 王族の顔を凝視するなど、不敬極まりないが、フェルディナントは気にする様子もなく笑っている。


「私が母上にお願いした。まあ、()()()茶会に招待する、と条件がつけられたけどね。本題は、君が考えている通りだ」


 ただの近衛騎士が、王太子フェルディナントであるとどうしてわかったのか、説明しろということだ。

「……承知しました」



 翌日、書簡を受け取ったアントンが、有頂天になったのは言うまでもない。

「王妃陛下が噂のデビュタントに会いたい、と仰っているのだ。今年のデビューはもう決定事項だ! わかったな、シャルロッテ」

「……わかりました」


 真の招待主が王太子だと知ったら、アントンはなにを言い出すだろうか。シャルロッテは、それ以上考えるのをやめた。


「クヴァンツ侯爵家には、三人息子がいただろう。三男なら持参金にうちの従属爵位をつけて、領内で暮らせばあちらにも利があるのではないか? 王妃陛下と侯爵夫人に、くれぐれも失礼のないようにしなさい。シャルロッテ、お前は黙ってさえいれば、誰もが好ましく思う見た目なのだから」


 アントンの頭の中では、さまざまな妄想が広がりつつある。シャルロッテの相手候補の情報は、広く集めているはずだ。クヴァンツ侯爵家の子息はおそらく、上位の候補者なのだろう。あるいは、シャルロッテが昨年のように強行手段をとる前にまとめてしまおう、と考えているのかもしれない。


 いい加減止めないと、とシャルロッテが思ったところで、隣で話を聞いていた母がゆっくりと口を開いた。

「まあ、でもクヴァンツ侯爵家の御三男は、あまりよい噂を聞きませんことよ。兄君たちは次期侯爵、次期騎士団長として、すでにご立派に務めておられるのに、ふらふらしてお役目にもついていないとか」


 ベーヴェルン侯爵夫人ルドヴィカ・アンゼルミーナは、娘のシャルロッテからみても、つかみどころのない人である。

 シャルロッテの容姿は母親似であるが、楚々とした精霊に例えられる娘と違い、ルドヴィカは淑やかさの中にも(あで)やかな大人の美が現れている。


 侯爵夫人としての社交はそつなくこなしているが、最低限のつき合いに留めている。そして、娘、息子に対する母親としての態度も同様に、溺愛するでも、突き放すでもなく、ほどほどの距離をとっている。少なくともシャルロッテは、そう感じていた。


 その母が、社交界の噂話を披露して父を牽制してくれるとは。意外な展開にシャルロッテは、とても驚いていた。

「その噂は耳にしたことはあるが、特に問題を起こしたという話も聞かない。なにより、器は相当大きいという評判だ」

「評判……、人の口から出たものですから、噂と大差ないでしょう。そのようなものを頼りに大切なことを決めるのは、賛成できませんわ」


 痛いところをつかれたアントンは、わざとらしく咳払いした。

「……、まあそうだな。とにかく、まずは王妃陛下のお招きだ。準備をして、当日はくれぐれも失礼のないように」

 アントンはにらみつけるようにシャルロッテを見ると、娘がうなずくのを確認して、部屋を出て行った。


 シャルロッテは扉が閉まると、ルドヴィカに向き直った。ルドヴィカは困り顔で眉を下げていたが、ほっと安堵したように息を吐いた。


「王妃様のご招待は、きちんとなさいね。夜会のことはまだひと月あるのだから気にしなくていいわ。でも、出席しなくてはだめよ。今年はそれだけでいいから、あまりお父様を困らせないようになさいな」


 もう少し上手くやりなさい、と言外に言われたような気がする。案外母は求めれば助けてくれるのかもしれない、とシャルロッテは思った。それでも、茶会の真の目的について相談することはできなかった。

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