19.王太子の婚約者
「やっぱりこちらの石のほうが映えると思うわ」
「そうねえ、ならアクセサリーにも同じ色の石を使いたいわね」
濃いクリーム色の絹にあわせる宝石を、王妃とその妹が選んでいる。
仮縫いのドレスを着て、ふたりに挟まれているシャルロッテは、大人しく固まっているしかない。
社交シーズンの終わりとなる王家の夜会が迫っている。その夜会で、王太子フェルディナントの婚約者として、ベーヴェルン侯爵令嬢シャルロッテ・ウルリーケがお披露目される。
衣装合わせのために王宮へ呼び出されたシャルロッテは、王妃とクヴァンツ侯爵夫人によって、着せ替え人形よろしく、あれやこれやと着つけられていた。
「シャルロッテさんはどう? 琥珀でいいかしら? 色の薄いものから濃いものへと並べて、金剛石の小さいものをまわりに散らしたら綺麗だと思うけれど、やっぱり黄玉のほうがいいかしら?」
けして高価な類の宝石ではないが、絹糸のように細く淡い金髪に飴色の瞳のシャルロッテには、青玉や翠玉などよりもよく似合う。王妃の配慮だろう。
なにより、王家に届けられる宝石は、市中で売られているようなものとは質が別格である。
そして、当日シャルロッテが身に着けなければならないメインの石は別にある。
「フェルディナントの精霊石を着けないといけないのがねえ。シャルロッテさんのせっかくのこの淡い綺麗な色に、あの紅はちょっと濃すぎるのよね。少し薄い色にさせようかしら」
「そのようなことができるのですか?」
「できるわよ。全ての加護があるのだから、最初からそれぞれの加護ごとの精霊石にすることもできるけれど、面倒だからわざわざしないそうなの。いっそのこと紅をなくして虹色だけでもいいわね。ドレスを白にして真珠をあしらえば……だめね、デビュタントのときと同じになってしまうわ」
シャルロッテのデビュタントの装いは、『精霊姫』のたたずまいとあわせて、今年の社交界の話題をさらった。
当のシャルロッテが早々に領地へ帰っていたために、噂が噂を呼び、王太子殿下がその美しさゆえに婚約者を隠している、ということになっているらしい。
フェルディナントの目論見通りになってしまった。
「あのときの装いは、ベーヴェルン侯爵がお支度されたのですって? ふふ、シャルロッテさんになにが似合うか、本当によくわかっていらっしゃるのね」
「そうですね、いろいろうるさく言われて大変でしたけれど……」
クヴァンツ侯爵夫人フリーデリケが、金の瞳を輝かせて微笑む。シャルロッテも笑顔を返しながら、アントンがシャルロッテのデビューにかけた熱量を思い出す。
うっとうしいと感じていたが、実際シャルロッテを申し分なく彩ったのは、アントンの愛情であったのだろう。
「皆、あのときの印象が強く残っているでしょうからね。印象を変えて、王太子の婚約者としてちょっと大人っぽくしたいわねえ。シャルロッテさんの意見はどうかしら? なにか希望はないの?」
王妃がフェルディナントによく似た紅い瞳を、シャルロッテに真っ直ぐに向けてきらきらさせる。
「ええと、そうですね」
「遠慮はいらないわ。今度の夜会は本当に貴女が主役なのよ」
ずいっと顔を近づけられて、ひくっと頬が引きつる。この姉妹の熱量もなかなかに多い。
でも、やっぱり愛情も感じられるから、少しくらいわがままを言っても、きっと許してもらえる。
「あの、お衣装はわたくし、あまり詳しくありませんので、王妃様方にお見立ていただければありがたいです。ですが、その」
シャルロッテが可愛らしく頬を染めるので、カタリーナもフリーデリケも心を弾ませて見つめる。
「……殿下の精霊石のお色は、そのままで身に着けたいです……」
「あらまあ! そうね、そうよね!」
「なら、橙色の柘榴石はどうかしら? 先日出入りの宝石商が見本を持ってきていたの。殿下の色とシャルロッテさんの瞳と、どちらにもあうと思うわ! それで、絹の色味ももう少し濃くして」
「いいわね、それなら濃い色でも、落ち着いた雰囲気になりそうね」
ふたりの興奮が一段と高まって、もはやシャルロッテには止められそうにない。
でも、シャルロッテもふわふわと浮かれた気持ちを自覚している。
フェルディナントの婚約者として、夜会に出席する。
――それがこんなに楽しみになるなんて――
そっとシャルロッテの口もとがゆるむのに気がついた姉妹は、顔を見合わせて目と口を同じ形にする。
「いいわねえ。こんなに可愛らしい王太子妃様。結婚式も楽しみですわね」
「本当、フェルディナントのはじめての親孝行だわ」
「……結婚式」
「ふふふ、まだ先の話だけど、準備は時間がかかるから、少しずつ整えていきましょうね」
「はい」
顔を真っ赤にしたシャルロッテが、両手で頬を包む。未来の義母とその妹は、にまにまと口もとをゆるめて嬉しそうにうなずいた。
そこへ、規則正しく扉を叩く音が響いた。
カタリーナが応じる前に開いた扉から、フェルディナントが入ってくる。
衣装合わせをしている部屋であるから、レオポルトはついてこないが、フェルディナントとて許しなく足を踏み入れてはならないはずだ。
「いくら婚約者でも、着つけの部屋にずかずかと入ってくるのは、ありえないわ」
先に衣装合わせを終えて着替えたフェルディナントは、うんざりした表情を母に向ける。
「着替えているわけではないでしょう。それよりもいい加減に、シャルロッテを返していただきたいのですが」
「まだ終わってないわ」
「もう随分待ちましたよ」
親子喧嘩がはじまる気配に、シャルロッテが固くなっていると、慣れた様子のフリーデリケが口を挟んだ。
「まあまあ、お姉様。柘榴石と新しい絹を手配しないといけませんし、日をあらためてもう一度あわせてみましょう。きっと似合いますわ。シャルロッテさんはお着替えしていらっしゃいな。殿下、もう少しだけお待ちくださいね」
「そうね、今日はここまでにしておきましょうか。シャルロッテさん、結婚式の準備はルドヴィカ夫人にも入ってもらうから、よろしく伝えてね」
「はい」
クヴァンツ侯爵夫人のとりなしで、着替えを済ませたシャルロッテは、フェルディナントに手をとられて王太子宮へ向かう。
「無理をしていないか? 全てにつき合う必要はないからな」
「大丈夫です。わたくしも楽しんでおりますから。母も社交や流行については疎いものですから、王妃様方に見ていただけるのを喜んでおります。それに王妃様もフリーデリケ様も、とてもよくしてくださって、もったいないくらいですわ」
「姉上のときもあれこれうるさくして、一度本気の喧嘩になっていた。シャルロッテも好きにしたらいいのだから、遠慮はしなくていい」
喧嘩に巻き込まれたらしいフェルディナントの表情に、シャルロッテは口の端をあげる。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですわ、わたくしのためにおふたりがよく考えてくださって、本当に嬉しいですから」
「シャルロッテがそう言うならいいが」
楽しそうなシャルロッテの顔に、フェルディナントも目を細める。少し歩をゆるめて、シャルロッテの手を握りなおした。
「そういえば、今日はラルフ様はいらっしゃらないのですね」
ふたりについている護衛は、シャルロッテがはじめて王宮にあがった日と同じ顔ぶれである。先頭にはレオポルトがいる。
「ああ、ラルフはもともと王太子宮ではなく、叔父上の護衛に配属されることになっていたのを、今回の件が片づくまで借りていた人員だ。正式に叔父上の護衛になったから、今頃はリューレに挨拶に行っているのではないかな」
「そうだったのですね、わたくし、きちんとお礼ができておりませんのに」
シャルロッテがラルフを気遣うことが、面白くない様子のフェルディナントを見て、レオポルトが口を挟んだ。
「近衛騎士ですから、王家のために働くのは仕事です。シャルロッテ様は殿下の婚約者になられたのですから、貴女の護衛も重要な任務ですよ」
レオポルトの配慮に内心で失笑しながら、フェルディナントは表情をあらためる。
「まあ、リューレに常駐するわけでもないから、また顔を見ることもあるだろう」
レオポルトを振り返ったシャルロッテはうなずいて、また前を向く。
「そうですね。でも、わたくしだけでなく、家の者も助けていただいて本当に感謝しておりますわ。お伝えくださいね」
「ありがとうございます。必ず伝えます」
声を出さずに笑みを見せたレオポルトを、フェルディナントがにらみつけたのは、シャルロッテには見えなかった。
「レオポルト様はフリーデリケ様に似ておられますね。ラルフ様はお父様に似てらっしゃるのかしら」
「我々はもうシャルロッテ様の部下ですから、敬称はおやめください」
レオポルトの口調はとても柔らかいが、きっぱりと主従の線を引いた。
驚いたシャルロッテは思わず口もとに手をやり、はい、とこたえ、フェルディナントは満足そうにうなずいた。
「ラルフはクヴァンツの祖父によく似ておりますね。私は母似で、兄は父に似ておりますので、三人そろってもあまり兄弟らしくは見えないかもしれません」
より穏やかな口調で話すレオポルトの気遣いに、シャルロッテは確かにラルフとは似ていない、と納得した。
「シャルロッテには確か弟がいたな?」
フェルディナントが顔をのぞき込む。
「ええ、まだ十歳ですけれど」
「似ているか?」
「そうですね、わたくしよりも濃い金の巻き毛で、『水の加護』ですけれど、顔のつくりは似ていると言われますわ」
「ほう、それは数年後が楽しみだね」
「どうでしょう?」
ほんの半年前に緊張して、フェルディナントの後ろを歩いていた回廊を、今はこうして打ち解けて、並んで歩いている。
このような未来があることを知らなかった。知らなくてよかった、とシャルロッテは胸の中でそっとつぶやいた。
王宮の庭園には秋の気配が漂うが、その中にも落ち着いた色味の花々がいろどりを添えている。
王太子宮の庭まではまだ少し遠い。ふたりはしばし沈黙してゆっくり足を進めながら、互いの手の温もりを感じていた。