18.マーンリオの『精霊姫』、アンティリアの『守護の証』
フェルディナントが言葉を切ったところで、シャルロッテは体を起こしてやっと口を開いた。
「婚約は、マーンリオ王国への牽制のためか、あるいは『予見』を求められてのことかと思っておりました」
うつむくシャルロッテには、フェルディナントの苦々しげな表情は見えていない。
「最初に私が父上にお願いにあがったときには、反対された」
フェルディナントも座り直して、またシャルロッテの手を握る。その手の先に目を向けてシャルロッテは信じられない、という顔を見せる。
フェルディナントが国王に願った。
思う通りに、フェルディナントの意思で。
「ベーヴェルン侯爵は悪人ではないが、ときおり身の程をわきまえない言動がある。ノルトシュヴァルツの管理についても、かなりの部分で父上が手綱を握っている。あとはルドヴィカ夫人の手腕だろうな」
「そうですね。父はわたくしのことも大事にしてくれていると思います。でも、父の考えがわたくしの幸せにつながると信じているので、わたくし自身の意見は、あまりきいてもらえません」
顔を見合わせて互いに苦笑がこぼれる。アントンの人柄がわかりやすいのは、ある意味では美点なのかもしれない。
「シャルロッテが王太子妃となったら、さらに増長するかもしれない、と懸念しておられた。マーンリオとの交渉は、それこそ精霊術士にすればすむ話だろう、とも仰った」
「でも、それでは『精霊姫』が、マーンリオ王家に還る保証がなくなるのではありませんか?」
「ウルリーケ王女の姉君も『精霊姫』だった、ということは唯一の存在ではなく、同時期にふたり以上現れてもおかしくはない。ウルリーケ王女が血を繋いだことで、ヴィルトグラーフに受け継がれてしまったが、本流はアウストラシアのものだ。まだ国が保っているということは、おそらくだが、ウルリーケ王女が娘を産む前に、もうひとりくらいは『精霊姫』が現れていたのではないかと考えられる」
『精霊姫』はマーンリオ王家の機密であるが、『予見』の魔法は秘術というわけではない。多くの魔力をうける『大地の精霊』の加護の器を持つ者が、王族にしか現れないというだけのことだ。
実際、アンティリアにも『予見』の魔法を操る王族は過去に存在した。
王家の『守護の証』とは、結局のところ大きな器を示している。守護精霊の大きな力を必要とする魔法を操る者が王たり得るのだ。
アンティリア王族の虹色の瞳には、全ての精霊の加護が宿る。その中に特に強く現れる加護が必ずひとつ存在する。
フェルディナントは『火』であり、アルトゥール王は『水』である。
過去に『大地』の強い加護を持ったアンティリアの王族は『予見』の魔法を操ることができた。フェルディナントが読んだ書物は、その王族の書き遺したものである。
「それなら、マーンリオ王国は女王が統べる国になるのではないですか?」
シャルロッテの疑問に、フェルディナントは眉根を寄せながらうなずいた。
「それが『精霊姫』を王宮に囲い込んでいた理由だろうな。『守護の証』が国外へ出たなど、はじめは信じられなかったが、女系という条件が可能にしてしまった。『精霊姫』を未婚としたのは、王統を女系に渡したくない国王の画策だろう。『守護の証』を確保しておくなら、『精霊姫』に次代を生ませるのが最も確実な方法だからな」
フェルディナントが唇の端を少し噛む。マーンリオ王家の致し方を、良しとは思っていない。王族としての矜持なのか、個人としての信条か、いずれにせよシャルロッテは、彼らしいと思った。
「シャルロッテが、マーンリオ王家の加護を受け継ぐ子を産まないと判断され、かつ、守護精霊の加護が失われていなければ、アウストラシア家に新たな『精霊姫』が生まれるだろう」
「誰に、いつ、判断されるのでしょう? 『大地の精霊』が本当に存在するのですか?」
「それは我らのあずかり知らぬこと、かな?」
フェルディナントは肩をすくめたが、本当に知らないのか、知っているのに誤魔化したのかはシャルロッテにはわからなかった。
「父上には、シャルロッテが精霊術士になることを望むのなら、私の妃にしてわざわざマーンリオを安心させてやる必要はないと言われた。あちらの加護が失われている可能性もあるしな。万一それが起こったとき、シャルロッテはアウストラシア朝の後継者となり得る」
「そんな!」
「その場合には、やはりシャルロッテが精霊術士であったほうが、アンティリアにとっては都合がいいと」
シャルロッテの身の行く末が、知らないうちに決められようとしていた。あまりにも勝手ではないかと思う。だが、国の存立がかかる事態に、シャルロッテ個人の希望が優先されることはないのだろう。
シャルロッテの心を読んだかのように、フェルディナントは握った手を持ち上げて口づける。
「父上の判断は国王としてのものだ。アンティリアの民を守るためを考えてのことだが、そのためにシャルロッテを犠牲にはさせない。ルドヴィカ夫人にも約束したしな。必ず守ると」
「母にですか?」
熱を持つ手を引き寄せながら、シャルロッテが問うと、フェルディナントは気まずそうに目を逸らした。
「シャルロッテがベーヴェルンへ帰った日に、書簡を受け取った。『殿下のなさりようによっては、母として娘を守ることに躊躇はありません』とかなり強い調子でね。私が本気だとは、信じてもらえなかったらしい」
シャルロッテはルドヴィカがそのように思い、動いてくれていたことに驚き、自然と笑みが浮かんだ。
その横顔に気づいたフェルディナントは、またしてもシャルロッテの手を引く。そのまま一緒に立ち上がると、白い手を掲げて跪いた。
「殿下、なにを。おやめください」
「シャルロッテ・ウルリーケ・ベーヴェルン嬢、私と結婚してほしい」
「殿下……」
「いずれ王妃となる道を、貴女は望んでいないだろう。だが、なにがあろうとも隣で支えていくと誓う。私の妃は貴女がいい」
指先に唇を押しつけて、上目遣いに笑うフェルディナントに、シャルロッテはたじろぐ。
「……狡いです」
シャルロッテの想いに気づいているにもかかわらず、このような、王族がする必要もない正式な求婚をしてくれて。それはきっと、フェルディナントの思う通りになっているのだ。
「なんとでも。それで? 返事は?」
シャルロッテは空いている左手で胸を押さえて息を吸う。
「はい」
勢いよく立ち上がったフェルディナントに抱き締められる。耳もとで、ありがとうと囁かれて、でも声を出せないシャルロッテは返事の代わりに、広い背中に両手をまわした。
胸の鼓動が少し落ち着いて、やっと顔を見られるようになると、シャルロッテははたと、気がついた。
「でも、国王陛下が認めてくださらないのなら」
「ああ、父上は賛成してくださった。我が国に必要な王太子妃はシャルロッテだ、と認めておられる。それにもう書類上は婚約は成っているよ」
そう、シャルロッテがいない間に王家とベーヴェルン侯爵家との間で使者が交わされ、婚約は成立している。
シャルロッテ自身には、なにも知らされないうちに。
「そうでした。ですが、陛下は反対しておられたのですよね?」
シャルロッテの目が細くなり冷ややかな笑みが浮かぶと、フェルディナントはその視線を避けるように彼女を抱き上げて、腰を下ろした。
胡坐をかいた足の間にシャルロッテを座らせると、後ろから抱きしめて、悪かったと声に出した。
「アンティリアもね、実は後継者不足だ。多ければいいというものでもないが」
「殿下は少し回りくどいです」
昼間、ラルフにも似たようなことを言われたフェルディナントは、嫌そうに口をゆがめ、腕に力をこめた。
「順を追って話す必要があるだろう」
「そうですね、申し訳ありません。最後まで聞きますわ」
シャルロッテの拗ねたような口調に頬をゆるめて、フェルディナントは言葉を続ける。
「アンティリアの『守護の証』は虹色の瞳だ。この瞳を持つ者に王位継承権があるが、今それを持つのは私を含めて四人しかいない」
シャルロッテが頭を動かして振り返ろうとするが、フェルディナントは柔らかい金の髪に顎をあてて、やんわり押しとどめる。
「器の順に叔父上、父上、姉上、そして私だ。私の器に懸念があると言っても、比べる対象は三人しかいない。姉上を女王にという話はわからなくはないが、本人にその気がまったくなかった。だから、それを画策していた輩は、姉上の子に期待しているようだ」
可能性は低いがな、とため息交じりにこぼれた声に、シャルロッテは前を向いたままこたえる。
「五分と仰ってましたね」
「そう、本当はそれ以下かな。不思議なことに王女が王家を離れてから産む子に、この瞳が伝わることはあまりない。国王やその兄弟の子は男女にかかわらず皆、この瞳で生まれてくるのにな。ニーベルシュタインは男系なのかもしれない」
現在、フェルディナントの次の王太子候補はいない。シャルロッテはまったく気づいていなかったが、アンティリアの王統はかなり危うい状況にある。
「リューレの叔父上は王位には興味もないし、これから子を儲けることもないだろう。父上も叔父上にそれを求めてはおられない。そういうわけで、私の子が生まれるかどうかには、アンティリアの存亡がかかっている。大陸七か国の内、我が国だけが建国以来の王朝が倒れていない。どういうことかわかるか?」
シャルロッテは腰に回された腕をいつの間にか、強く握っていた。フェルディナントの話は難解で、とても重要だとわかっていても、すぐには理解が及ばない。
アンティリア王国だけは、今までに王朝が交代したことがない。それは大陸に住む者にとっては常識であり、だからこそ大陸の盟主と呼ばれている。なにより、全ての加護を備えた虹色の瞳が。
「ああ! 『守護の証』が受け継がれない?」
頭の上でフェルディナントがうなずいた。
他国では、守護精霊の器を持つ人間は、王族以外にも多く存在する。しかし、虹色の瞳は大陸中を探しても、アンティリアの王族にしか現れない。
「そう、我が王朝が倒れたら、アンティリアの『守護の証』は消滅する。それがどのような事態を引き起こすのか、誰にもわからない」
ふうっとシャルロッテは、詰めていた息を吐き出した。なにか恐ろしい話を聞いてしまった気がする。
「重たい……」
ついこぼれた本音に、フェルディナントが音もなく笑ったのが振動として伝わる。非難の気持ちを込めて、シャルロッテはぐっと顔を下に向ける。
「正直に言うと、私はこれについては知ったことかと思っている。万が一そうなったとしても、私が死んだ後にまで責任は負えない」
その言葉に今度はシャルロッテが笑う。
「そうですね、仰る通りだと思いますわ」
「だが、国王である父上には別のお考えがあるようだ」
あるいは、国王だけが知るなにかがあるのかもしれない、とは口しなかった。
「なら、叔父上を説得するなりしてもよいと思うのに、それはしない。自分の血筋にこだわるような方でもないはずだが。まあそういうわけで、私の婚約者は、かなり慎重に選定されていた。多産であったり、男系の強い家の娘が候補にあがっていた」
「わたくしは、あてはまりませんね」
マーンリオ王国の『守護の証』を受け継いでいるのなら、むしろ女系の血筋と言えるかもしれない。
見えない話に、シャルロッテがさすがにじれはじめる。
ようやく、フェルディナントが核心に触れた。
「はじめて会ったとき、未来と現在が重なって目の前にいる私が王太子だと気づいた、と言ったな。私の戴冠した姿が目の前に見えたということだろう?」
「そうですけれど。それが?」
「ここ数代は継承に問題はなかったから、あまり知られていないかもしれないが、新国王が即位するときには次の王太子も決まっている。そして、その王太子が王の子、あるいは王太子妃の子でない場合は、王太子妃は王妃にはなれない」
「どういうことですか?」
「王太子妃は『守護の証』を受け継ぐ子を産むことで、王妃として認められる。子が生まれなかった場合の王太子妃は王妃ではなく、国王夫人という扱いになる。当然王妃としての戴冠もなく、戴冠式では最前列に座るが王の隣には立たない。戴冠式で王と視線が交わる位置に立てるのは王妃だけだ。ということは、シャルロッテは私の子を産み、王妃になるのだろう」
驚きのあまり言葉を失ったシャルロッテが、振り向いてフェルディナントを仰ぎ見る。フェルディナントももう抵抗しない。
真っ赤な顔で震えるシャルロッテの飴色の瞳が潤む。それを見たフェルディナントは、これまでに見せたことのないほど満面の笑みで、シャルロッテの唇を奪った。