16.『守護の証』
以前はぐらかされた質問を、あらためてぶつけてみるが、フェルディナントはまたしてもこたえなかった。
「これから話すことはラルフは知っているが、レオポルトは知らない。もちろん君も一切他言無用だ」
「承知しました。でも、どうしてレオポルト様はご存知ないのですか?」
国内有数の騎士団の次期団長であるレオポルトと、近衛騎士とはいえ将来がなにも決まっていないラルフ。今後、アンティリア王国の重鎮となるのは、レオポルトのほうではないのか。
「精霊の加護の器は、己よりも大きい器がどれほどのものか知ることはできない。だがラルフはあの通り、瞳にふたつの加護が現れている。それだけで、相当の器を持っているとうかがい知れる」
大陸の民は全て、精霊の加護の力を受ける器を持って生まれる。ほとんどの民の器は小さく、ごく限られた魔法しか使えない。
まれに貴族並みの器を持つ者が生まれると、精霊殿に預けられ精霊術士となるよう育てられる。
中でも特に能力を持ち、研鑽を積んだ者は己よりも大きな器でも見極められるようになるという。
少ない精霊術士の内でもそれ程の力を持つ、ごく一部の存在を精霊術師と呼ぶ
貴族の家に生まれた子は、生後一年を目処に精霊術師の検認を受ける。
精霊石を作れる器を持っているか確認し、貴族籍に加えるかどうかを調べるためであるが、もうひとつ別の目的があることは知られていない。
王家の脅威となる大きな器が現れた場合には、速やかに国王のもとへ報告されるのだ。
「マーンリオ王家のウルリーケ王女や、歴代の精霊姫への扱いは非道かもしれないが、アンティリア王家とて清廉潔白ではない。むしろ血の流れたことのない王朝など存在しないだろう」
フェルディナントの冷たい物言いは、決して諦観からではない。事実として連なった過去の上に己が在り、今後それを背負う覚悟がある。
それを理解したわけではないが、シャルロッテは王太子や国王が、想像よりも遥かに巨大な重荷を負っていると知っている。
大きな器を持つ者の処遇は、その時々の国王が判断を下してきた。王家に忠実であれば重用され、そうでなければ精霊殿へ幽閉、あるいは存在を消された者もいただろう。
ラルフは精霊術師に見せるまでもなく、複数の加護が明らかとなったが、幸い王妃の甥であり、クヴァンツ侯爵家は建国以来の寵臣である。
さらに、先代国王に仕えた複数の加護持ちの騎士による助言もあり、ラルフは王家の監視下ではあるが行動の自由を得ている。
「ラルフはあれで己の立場をよくわきまえているし、妙な輩にそそのかされるほど愚かでもない。王家としてはラルフを囲い込むためにも、あえて機密に触れさせている、といったところかな。重臣とはいえ、レオポルトとの扱いが異なる所以だ」
レオポルトは有力であるとはいえ、一貴族家の次男に過ぎない。対して、ラルフはその器のために彼自身が、王家の監視対象となっている。
ラルフにとってはどうでもよい話であるが、実家への影響は避けたい、と思う程度には家族への愛情はある。
だからこそ表面的には面倒だ、という態度を取りながらもラルフはしたがっている。
聞くべきではない、できれば耳に入れたくない話の連続に、シャルロッテは頭が痛くなりそうな思いがする。
だが、本題はこれからだ。
「今回の件、大使を通じてマーンリオ国王には盛大に抗議を入れた。当初は知らぬ存ぜぬを通してきたがな。『精霊姫』の存在をこちらが知っていると明かすと、今度はずっと探していたと言い出した。会わせてほしいと」
非公式の使者が、シュヴァインフルト伯爵が聞かされていたのと同じ説明をしてきた。
拉致されたウルリーケ王女は『精霊姫』であったが、マーンリオの国家機密であるがゆえに公然と捜索はできなかった。
まさかアンティリアにいらっしゃったとは。その血を引く姫君をぜひ、マーンリオ王家にお迎えしたい。
「そこで、すでに王太子と婚約した未来のアンティリア王妃だ、と教えてやったのだが、使者の顔が赤くなったり青くなったり、大変だったな」
他人事のようにフェルディナントは笑うが、シャルロッテも自分のこととして考えられない。ただ、心臓の音が耳の中に大きくこだまして、フェルディナントの声が遠くに聞こえる。
「ヴィルトグラーフ伯爵家に、マーンリオの王女の娘が嫁しているという情報を、その当時から王家は知っていた」
―― シャルロッテもマーンリオ王家の血を引いているのは確かだ。その辺の爵位持ちの当主より、よほど大きな器だ――
フェルディナントが先ほど口にした言葉は、シャルロッテの力が脅威となるかもしれない、少なくともアンティリア王家がそう判断しているということだ。
意識してゆっくりと呼吸を整えながら、フェルディナントの話を聞く。
「ヴィルトグラーフ伯爵は一貫してかばう姿勢でいたし、器は大きいが加護は『大地』のみ。監視はするが王家から介入しない、となっていた。マーンリオの『精霊姫』の存在も承知していたが、ウルリーケ王女が当人だとまではわからなかった」
険しい表情のフェルディナントは、王家の情報網の不備を憂いているのだろう。シャルロッテは、ヴィルトグラーフ伯爵系が守ってきたウルリーケ王女の存在が、とうに知られていた事実におそれを抱いていた。
「わたくしがラルフ様のように、王家への忠誠をお約束すれば、家族は今まで通りでいられますか?」
フェルディナントを見つめて懇願するシャルロッテに、彼は困ったように眉根を寄せる。
「シャルロッテが『精霊姫』ではなく、たた器が大きいだけの存在であればそれでよかった。実際、ルドヴィカ夫人とシャルロッテの器が普通でないことは、王家は承知していた。しかし、マーンリオがからんできて、話はそう単純ではなくなった」
フェルディナントは不快そうに、少し上を向いて息を吐き出した。樹木とドームの間から差し込む陽光に目を細める。
「マーンリオの『精霊姫』は、大地の精霊の『守護の証』だ」
「守護の証?」
フェルディナントは前に向き直ると、長い指を組み合わせて口もとにあてた。
「大陸の各国の王家には、それぞれ異なる精霊の加護がある。王族の持つ瞳の示す加護が、国の守護精霊だとされる。精霊の加護を失った王は倒れ、新たな王が立つが、守護精霊が変わることはない。新たな王の瞳も旧王家と同じ色を持つ。ほかの加護の者が立っても必ず短命に終わる」
「それは」
私が知ってもよいことなのか、と問おうとする口は虹色の瞳にさえぎられた。
「各王家には精霊の『守護の証』が与えられている。マーンリオ王家は『精霊姫』がそれだ」
「失われれば王は倒れる?」
「そう、だからマーンリオはシャルロッテを諦めるわけにはいかない。王家の存亡がかかっているからな」
シャルロッテは袖の中で肌が粟立つのを感じて、ゆっくり手でさする。流れてきた雲の影でフェルディナントの表情が隠される。心配そうにではなく、不安気に見つめていることに、シャルロッテは気づかなかった。
「マーンリオが、シャルロッテを必要としなくなる方法が、ひとつある」
「本当ですか⁈」
「『守護の証』は他国の王家には渡らない。アンティリアの王女が他国の王族に嫁いでも、虹色の瞳の子が生まれたことは未だかつてない」
唯一、建国以来の王朝が続くアンティリア王家と、婚姻によって縁を繋ごうとする国は多い。だが、過去に他国へ嫁いだアンティリア王女がこの瞳を持つ子を産んだことはない。
反対に、他国の王女とアンティリア王族の男子との婚姻によって生まれる子は、アンティリアの精霊の『守護の証』、虹色の瞳を持って生まれてくる。
「……耳にしたことはありますが、それが?」
「つまり、シャルロッテが『予見』を受け継ぐ子を産む可能性がなくなれば、マーンリオの『守護の証』は、アウストラシア家の血統に戻るはずだ。あくまで机上の話だが」
まだ首をかしげるシャルロッテに、フェルディナントは落胆して小さく首を振る。
「シャルロッテが私の妃になれば、生まれる子はアンティリアの『守護の証』を持つ。私たちの間に、マーンリオの『精霊姫』が生まれることはない。少なくとも、これまでの婚姻で『守護の証』が他所へ流出したことはないからな。アンティリアだけではなく、ほかの王家でも同じだ。マーンリオにとっても今回の落とし所としては、悪くないはずだ」
シャルロッテは瞠目して、ようやく理解した。知らない間に王太子の婚約者にされていたのは、シャルロッテの身柄がマーンリオとの外交案件となってしまったからだ。
主犯であるマーンリオ王家を直接断罪することはできない。
しかし、アンティリア国内で犯罪教唆を行ったことには釘を刺さねばならない。そのためにはシャルロッテがただの侯爵令嬢ではなく、王太子の婚約者となる必要があったのだ。
そして婚約者とすることで、マーンリオは今後も手を出せなくなるが、その必要もなくなる。
「マーンリオ王女としての暮らしに興味はない、といったのは本心だろう?」
「……はい」
あのとき口にした言葉に嘘はない。「侯爵家の娘であることさえ荷が重い」と言ったことも、フェルディナントの耳には入っていただろうか。
「私もシャルロッテをマーンリオに渡すつもりはない。そのために策を弄したことはすまなかった。……シャルロッテ?」
ささやかな風が流れて、淡い金の髪がシャルロッテの頬にかかる。風が止んでもその髪が頬から離れない。細い涙が金糸を絡め取っている。
「シャル……」
フェルディナントが手が目の前に迫り、シャルロッテは、慌てて頬を手の甲でぬぐってその手を避けた。
「殿下、お話はわかりました。ですが、気持ちの整理がつきそうにありません。本日は下がらせていただいてもよろしいでしょうか」
「いや、まだ話は」
「どうか、今はもう頭がいっぱいで考えられません」
困惑するフェルディナントをさえぎって、頭を下げる。頭の中がぐちゃぐちゃになっているのは本当だ。顔を見てしまったら、今度こそ涙が止まらなくなる。一刻も早くこの場から去りたい。
深いため息の音がして、わかった、と沈んだ声がかけられた。シャルロッテの視界の外で、フェルディナントがラルフに合図を送った。
いつの間にか黒い包みを手に持っていたラルフが戻ってきて、その包みをテーブルに置く。
「ウルリーケ王女の手記だ。一度読んでおいたほうがいいだろう。これは、ヴィルトグラーフ伯爵家から正式に王家へ献上された。シャルロッテが読み終わったら、禁書庫へ納められる。既に封が施されているが、私の精霊石で開けられる」
シャルロッテは顔を上げることなく、さらに深く頭を下げた。
無言のまま辞したシャルロッテの後姿を、厳しい表情で見つめている主に、ラルフが問いかける。
「振られたんですか?」
「……お前な。まだ話の途中だ。彼女の意思もきいていない」
「シャルロッテ嬢は、ウルリーケ王女の血を引いておられる。マーンリオへ引き渡されるか、殿下との婚姻か。二択しかない、となったらどうなさるのでしょうね」
「シャルロッテの望みは叶えると約束した、お前が証人だろう」
ラルフは無表情のまま、器用に右の眉だけをゆがめた。それが、不愉快なときに無意識に出る癖だとフェルディナントは知っていた。
「殿下にそのつもりがないのは見え見えですよ。シャルロッテ嬢も現実的でないことくらい、おわかりでしょう」
「なにが言いたい?」
「ウルリーケ王女は王城から脱出して、アンティリアまで逃げてこられましたが」
シャルロッテも、侯爵令嬢としては有り得ない行動をとる。しかし、逃げ出すほどに婚約を嫌がってはいない、とフェルディナントは思っている。勝手に婚約が進められていたことに怒りはあるかもしれないが。
「殿下は王太子ですからね。ご存知でしょうが、王族の命令にはしたがわねばならないのですよ。我々は」
「……今日はよく舌がまわるな」
珍しく不機嫌をあらわにしたフェルディナントを見て、ラルフは満足気に肩をすくめた。
「シャルロッテ嬢に殿下のお心を伝えておられないでしょう? おそらく彼女は、この婚約を政略だと思っていますよ」
「は? 私がどれだけの根回しをしたことか。父上に何度も頭を下げてまで」
「ですから、それを彼女は知らないでしょう? 外から見れば、交渉材料にされたとしか思えないですよ。殿下がご自身で懸命に動いておられたわけは、私にはわかりますけれどね」
「だから、まだ話は終わっていないと」
「殿下の話の進め方の問題では?」
ラルフに指摘されたことが腹立たしいのか、指摘されるまで、気づかなかったことが情け無いのか。フェルディナントの眉根が引きつり、目を閉じる。
「だいたい、どうしてそれほど自信があるんですか? はじめからシャルロッテ嬢を手に入れられると疑いもしていませんでしたよね」
「『予見』を得たからな」
「はあ?」
フェルディナントは目を閉じたまま、空に顔をむけた。まだらに落ちる蔓薔薇模様の影が、冠のように短めの金髪に映える。
無言で手を振って、ラルフに下がるように命じる。
ラルフはまた右の眉を上げたが、無言で礼をするとその場を離れた。