15.精霊姫の処遇
二日後、シャルロッテが王宮を訪れると、応接室ではなく、王太子宮へ直接案内された。
王太子宮の中庭に設えられたガゼボは、天井のドームが金属製の蔓薔薇模様の透かしになっており、降り注ぐ陽光が美しい影を作る。石造りのテーブルの上には、透かしの影と夏の木漏れ日が、そのとき限りの紋様を作り出す。
小花模様が織り込まれた淡い緑のドレスを着たシャルロッテは、絵画に描かれた精霊のように、その風景に溶け込んでいた。
『精霊姫』の憂い顔をながめながら、フェルディナントが近づく。すぐ後ろにはレオポルトではなく、長身にくすんだ銀髪が目立つ青年がしたがっていた。
「来たね」
立ち上がって礼をとろうとするシャルロッテを制して、フェルディナントは椅子に掛けた。
お茶を淹れてメイドが下がると、フェルディナントがパチンと指を鳴らして結界を張った。
今日は、銀髪の青年もその中に留まっていた。
不思議に思ったシャルロッテが、青年に目を向けるとその瞳は『氷の精霊』の加護を表す青が、少し紫がかって見えた。はじめて見るその色合いに驚いて、シャルロッテはその瞳に視線を奪われる。
フェルディナントがほんの少しだけ口もとをゆがめたことに気づいたのは、その青年だけであった。
「あらためて紹介しようか。シャルロッテの婚約者の最有力候補だったラルフ・ジークハルト・クヴァンツだ」
フェルディナントの言いように、銀髪の青年、ラルフはあからさまに不機嫌な態度をとり、シャルロッテをさらに驚かせた。
「なんですかそれは、また面倒なことに巻き込まないでくださいよ」
「ベーヴェルン侯爵は本気だったようだぞ。お前との見合いを進めようとして、大喧嘩になった末にシャルロッテは家出して、そのときに拉致されるはずだった」
「どうしてそのようなことが」
ラルフは怪訝そうに右の眉を持ち上げるが、王太子に対する態度としては、かなり不敬である。シャルロッテは、よくわからない緊張感に包まれて話の行方をうかがった。
「ルドヴィカ夫人が得た『予見』ではそういうことになっていたらしい。それを回避するために、侯を止めて、シャルロッテにも、とりあえず母上の招待を受けるように言った」
シャルロッテは飴色の瞳をぱちぱちと瞬かせて、今度はフェルディナントに視線を向けた。なるほどルドヴィカは全てを話している。が、それとラルフがここに残っていることが、どうかかわるのか。
「ああ、わからないか。カミルという男を覚えているか? これがあの男の正体だ」
「え?」
カミルと呼ばれていた男は、黒髪に濃い青の瞳だった。目の前の青年は銀髪に美しい青紫の瞳である。しかし、よくよく見れば確かに同じ顔立ちをしている。
「ああ! あのときは、ありがとうございました」
「いいえ、私は殿下のご命令通りに動いたまでですので」
「そう、私の指示で仕事をしただけだからな。気にする必要はない」
シャルロッテの顔がほころんだのを見て、ラルフは即座に謙遜する。フェルディナントは大きくうなずいて、鷹揚さを装う。
「今の姿がこれの本来の色だ。ちょっと珍しいだろう?」
「紫の瞳が本来の色なのですか?」
アンティリアの王族以外の人間は、精霊の加護はひとりにひとつ。それが常識であるはずだ。
しかし、ラルフの瞳は『氷の精霊』の加護にしては妙な色合いである。
フェルディナントに促されたラルフが口を開く。
「私の器には『氷』と『火』、ふたつの精霊の加護があります。この色の通り『氷』のほうが強いのですが、『火』の精霊の加護もこの身の内にあります」
目立つ銀髪にこの珍しい色の瞳であれば、人の記憶には残りやすいだろう。
「そのような器の方がいらっしゃるとは、存じませんでした。殿下のお姿を拝見したときにも思いましたけれど、色が変わるだけで、これほど印象が変わってしまうものなのですね」
「あまり印象に残らないように、暗示の魔法も重ねているからな。だからこそ、見破られたことはなかったのだが」
フェルディナントの瞳が柔らかく弧を描く。煌びやかな瞳の光に、包み込まれたかのように錯覚する。
「私の精霊の加護の器が小さい、という話は聞いたことがあるかな。ラルフは逆に、この色のために相当の器を持っていることがわかりやすい。だから、王都にいるとき以外は色を変えて出歩いている。今回は特に身もとが割れては困るからな。潜入させるには、普段から慣れているので適任だった、ということだ」
「わたくしは、社交界の話題には疎いので……」
シャルロッテはフェルディナントの器についての噂を聞いたことがなかったが、貴族の間ではよく知られている。
大陸にはアンティリア王国のほかに六つの国があるが、七か国の中でアンティリアは盟主といえる地位にある。
それはアンティリアの王族だけが、全ての精霊の加護を得る虹色の瞳を持っているからだ。
他国の王族はそれぞれの守護精霊の加護の器を持つ者が多いが、アンティリアのように直系の王族が皆、王家の加護を持って生まれるわけではない。
マーンリオ王国の守護は『大地の精霊』であり、『大地』の加護を持って生まれた王族にのみ王位継承権がある。
アンティリア以外の国では、過去に別の加護を持つ王が立ったこともあるが、どれも短命に終わり、国は乱れたという。
いくつかの国は、婚姻によって庇護、あるいは虹色の瞳を得ようと試みてきたが、嫁いだアンティリアの王女が他国で虹色の瞳の子を産むことはない。
六か国では、ときに王族の魔力が弱まり、王朝の交代が起こった。だが、アンティリア王家だけはその力を失うことなく、連綿と血を繋いでいる。
アンティリア国内ではまれに、王家の血を引く者と王女との婚姻によって、王族の器を持つ子が生まれることがある。フェルディナントの姉の嫁ぎ先は、数代前にも王女が降嫁した国内の有力公爵家である。
フェルディナントの器が今のアンティリア王族の中ではもっとも小さいという事実は、声高に口にする者はいないが誰もが知っている。
現国王アルトゥールの器も王弟より小さいのではという疑惑も、半ば公然の秘密となっている。
フェルディナントの血統には、王族として不足する器しか生まれないのではないか。その不安のために王女を公爵家に嫁がせたのではないか、とアンティリアの貴族社会では噂されている。
一昨年に嫁いだフェルディナントの姉は、現在懐妊しており、年内には出産する予定である。
「私の器は王族の中では小さいが、それでもラルフの数十倍はある。姉上の婚姻が王家にとって都合がよかったのは確かだが、本人たちの意思だ。生まれる子が王家の瞳を持っているかどうかも五分。そもそも王族と、それ以外の器にどれほどの差があるのか、知らぬ者が多すぎるのだな」
フェルディナントの器が小さいこと、さらには国王と王弟の器の差を不安視する貴族は少なくない。だが、王族の器の真の価値を理解している者は少ない。
「私の器が殿下とは比べものにならないことくらい、それなりの貴族ならわかるはずですよ。それに殿下はそれを利用なさっておいででしょう」
フェルディナントはラルフの言葉に、肩をすくめる。フェルディナントを侮っている者は、結局のところ王家に不満を抱いているのだ。
王太子に対して形ばかりの礼すらとらない者は論外だが、慇懃に見せかけて、その実、見下しているような輩をフェルディナントは国王となっても忘れはしないだろう。
「まあ、それはそうとして、ラルフがいつまでもふらふらしているのを王家は容認できない」
「私は目的を持って行動していたのですがね」
「それを納得させられないだろう? ベーヴェルン侯爵のようにお前を婿がねに、と考えている貴族も多い。叔父上、リューレ大公にしても、大きな器を持つというだけで叛意を疑う者もいれば、命知らずに利用しようとする者もいる」
シャルロッテは、フェルディナントとラルフの会話をただ大人しく聞いているが、話の内容は一貴族の娘の耳に入ってよいものではない気がする。背筋に冷たいものが流れ、小さく息を吐き出した。
「シャルロッテもマーンリオ王家の血を引いているのは確かだ。その辺の爵位持ちの当主より、よほど大きな器だ」
びくっと体を震わせてフェルディナントを見ると、彼は笑顔であるが美しい眉は少しばかり下がっている。
「今回の件の始末はきいたか?」
「はい、シュヴァインフルト伯爵は反逆罪だと……、え、あれ?」
ルドヴィカは、シュヴァインフルト伯爵は反逆罪に問われるらしい、と言った。しかし、シャルロッテは侯爵令嬢である。彼女を拉致することは犯罪ではあるが、反逆罪にはあたらない。
「今回、マーンリオの狙いは最初からシャルロッテだった。シュヴァインフルトは利用されただけだ。まあ、マーンリオ国王の勅命だと信じきっていたのは憐れだが、己の愚かさを呪えばいい。あちらがそのような証拠を残すはずもない」
実際にシュヴァインフルト伯爵をそそのかした人物は、事件の前に消えている。シャルロッテを国外へ連れ出した後に落ちあう計画であった。
その人物がマーンリオ国王の側近である、とシュヴァインフルト伯爵は信じていたが、当然マーンリオは否定している。
「シュヴァインフルト伯爵は、確かに王家への不満を口にしていましたけれど、わたくしをマーンリオへ連れ去ることが、反逆罪になるのでしょうか」
「ベーヴェルン侯爵令嬢の拉致だけなら、犯罪ではあるが反逆罪には問われない。だが、王太子の婚約者を他国の王家に引き渡すなら、立派な国家反逆罪だ」
「こんやくしゃ?」
フェルディナントが口もとをゆがめて、言葉を探している間に、シャルロッテが先に口を開いた。
「誰が、誰の?」
こたえたのはラルフであった。
「ベーヴェルン侯爵令嬢と王太子フェルディナント殿下の婚約について、国王陛下の裁可が正式に下りました。貴女がベーヴェルン領へ帰られてからすぐに。ベーヴェルン侯爵も当然ご承知です」
飴色の黄玉の瞳がこれ以上ないほどに見開かれる。驚きとともに沸き起こった感情は、怒りなのか混乱なのか、シャルロッテ自身にもわからない。ぴりぴりと動揺した心がざわめくのを止められない。
社交を全て断って領地へ帰ることを、両親が反対するどころか進んで提案してきたのはこのためだったのか。
シャルロッテの器から、鋭く長い糸のように魔力が漏れ出してくる。フェルディナントがぱちん、と指を鳴らすと紅い蛋白石の光がそれをからめ取った。
抗えない強い力に飴色の魔力が吸い込まれていくと、同時にシャルロッテの緊張もゆるみ、冷静を取り戻した。
「も、申し訳ありません。なにも聞かされておりませんでしたので」
結界の中とはいえ、王太子に魔力を向けるなど許されない。が、フェルディナントは首を横に張った。
「私が図ったことだ。口止めもした。怒るのは当然だが、言い訳をしようと思ってね。だから、証人にラルフを同席させたのだ」
ラルフはいかにも迷惑だ、と言いたげな様子で肩をすくめている。
「まあ、話だけでも聞いて差し上げてください」
シャルロッテは無表情で主従の様子を視界にとらえると、息を吐いてうなずいた。
「お話をうかがえば、わたくしは納得できるのですか?」
「ラルフは証人だと言っただろう。私の話を聞いても納得がいかないようなら、シャルロッテの望む通りにしよう」
「婚約を破棄して、精霊殿に入るなどできないでしょう?」
「言い訳を聞いた後に本気でそう望むのなら、叶えよう。ラルフ、聞いたな?」
「確と」
「よし、では下がってよい」
今度はラルフが大きなため息を吐いたが、フェルディナントは気にする様子もない。
「結局、便利使いされているではないですか」
ラルフは上着の胸もとに手を差し入れると、なにかを握るような仕草をした。手のあたりがふわりと赤く光り、体を薄く覆う。シャルロッテに丁寧な礼をすると、下がって王太子宮への扉の傍に控えて立った。
ぽかんと口を開けたシャルロッテの耳に、くっくっと笑いを噛み殺す音が聞こえた。
「今のは?」
「ラルフには私の通信石を渡してある。通信石は魔力を込めれば、通常の精霊石のようにも使える。結界に干渉しないように私の魔力を使って簡易結界を張り、外に出たのだな」
シャルロッテは聞いたこともない魔法に、居心地の悪さを覚えて身じろぎする。
フェルディナントの瞳の不思議な色はときに温かみを感じ、ときに驚くほど冷たい光を放つ。なにもかも見透かされているかのように。
「母の『予見』もお聞きになったのですね」
「春の夜会の後に、ルドヴィカ夫人から書簡を受け取った。シャルロッテの身に危険が迫っている、と。事情を説明するために謁見を願うものだった」
「わたくしが狙われているという情報は」
「そう、最初はルドヴィカ夫人から聞いた話だ」
「殿下の情報網にかかった、と仰いませんでしたか?」
フェルディナントが決まりの悪そうな顔になる。己の力で得た情報ではなかったのは確かで、それに悔しさも感じていた。
「あのときは、まだシャルロッテに話せる状態ではなかった。そこからの動きは全て私の指示で行ったことだ」
シャルロッテは呆れたが、それをここで追及しても仕方がない。
「殿下はなにをお望みなのですか?」