14.アンティリアの『精霊姫』
「王妃様からの招待状が届いた日に、旦那様がクヴァンツ侯爵のご子息の話をはじめたでしょう?」
アントンが浮かれて、シャルロッテがうんざりしていたら、ルドヴィカが珍しく口を挟んできた。意外に思ったのでよく覚えていた。
「はい、お母様がお父様を止めてくださいましたね」
「本来、わたくしはあの場にはいなかったのよ」
ルドヴィカの言葉の意味は正しく理解できるが、なにが起きていたのかまでは、わからない。
「なにをご覧になったのですか?」
「クヴァンツ侯爵家のラルフ様は、もともと貴女のお相手としてお名前はあがっていたのよ。第一候補というわけでは、なかったけれど」
おそらくそうだろう、と予想していた通りだ。ラルフは、アントンが考える条件に適った人物であることは間違いない。うなずくシャルロッテに、ルドヴィカも視線を返す。
「王妃様にクヴァンツ侯爵夫人、おふたりに気に入られたらこの先、社交界では安泰でしょうね。貴女の容姿も強みになる。旦那様のお考えは、貴族としては間違っていないけれど、本人がどう思っているのか、ということを忘れがちなのよね。貴女が求めているものとは、違うのでしょうけれど。だからといって、娘を大切に思っていないわけではないのよ?」
シャルロッテもルドヴィカの言うことがわからないわけではないが、だからといってアントンの思い通りにはなりたくはない。
「大切に思っていないなら、貴女に話すのは全て決まってからになさるでしょう」
口を尖らせる娘に苦笑しながら、ルドヴィカは夢で見たことを語る。
そのときルドヴィカは、テオドールの勉強につき添っていた。歳の割に聞き分けのよいテオドールは、教師が来るといつもは素直に机に向かう。だがこの日は、姉さまと遊びたい、と珍しくわがままを言い出したために、監視役をしていた。
普段より長くなった勉強の時間が終わり、テオドールが勢いよく扉を開けると、階下から使用人たちの騒がしい声が聞こえてきた。
「どうしたの? 騒々しいわね」
「奥様!」
青い顔をしたカイェタン夫人が駆け寄ってきて、まくし立てる。
アントンと大喧嘩になったシャルロッテが、邸を飛び出していった。今日はかなり興奮した様子だったが、エルケは外出していて、すぐに追いかけられなかった。護衛は先回りをして、いつもの丘で待っていたが、いつまで経ってもお嬢様はいらっしゃらない。
そのとき王都の警らの騎士が、シャルロッテらしき令嬢が馬車に押し込まれて、連れ去られたとの通報があったと知らせてきた。
「急いで警備隊に連絡して、捜索してもらったけれど、貴女は見つからなくて、途方に暮れたところまでね。わたくしが見たのは。だからあの日は、貴女の側にいることにしたのよ」
「そう、だったのですね。お母様があのようにお話しになるのは珍しいな、と思ったのです」
眉を下げたルドヴィカは、あの日の出来事を思い返していた。
「とりあえず、貴女を邸から出さないようにしないと、と思ったのよ。さらわれる理由もわからなかったし。金銭目的の計画的な犯罪なのか、侯爵家の娘と知らずに通りすがりにさらわれたのか、いろいろ考えたけれど、まさかマーンリオ王家がからんでいるとは思いもしなかったわ」
「マーンリオ王家は、わたくしが『予見』の力を受け継いでいる、と知っているのでしょうか?」
「それはわからないけれど、ウルリーケ王女の血筋に力が現れているとわかっているなら、それだけで貴女をさらう理由になるでしょう」
ルドヴィカが行動しなかったら、確実に連れ去られていた。
もしそうなっていたら、マーンリオ王国で囚われの身となっていたのかもしれない。
そう考えたとき、シャルロッテはあることに思いいたった。
「……お母様はその『予見』をいつご覧になったのですか?」
「あの日の、一週間前くらいだったかしら」
シャルロッテがフェルディナントに出会ったのは、『予見』よりも後だったが、ルドヴィカが行動するよりも前のことだ。『予見』を得たルドヴィカが行動すると決めたことで、すでに未来は変わっていたのだろうか?
黙り込んだシャルロッテに、ルドヴィカが憂い顔を向ける。
「『予見』で知り得たことだから、お兄様に相談したのよ。そうしたら、マーンリオ王家がからんでいる可能性を考えるべきだ、と言われたの。それで旦那様にもお話ししなければならない、とお兄様も許してくださったのよ」
ルドヴィカの兄、ヴィルトグラーフ伯ニコラウス・フロレンティンは、伯爵家の当主として、ウルリーケ王女の血筋に現れる『予見』の魔法について教えられていた。当然、妹のルドヴィカが、それを受け継いでいることも知っていた。
ルドヴィカとアントンの結婚に、最も反対したのはニコラウスであったが、数奇な力を持って生まれた妹を心配していたからだ。
シャルロッテにも『予見』が受け継がれたかもしれない、と聞いてもニコラウスはアントンに話すことを許さなかった。シャルロッテが力を隠している、あるいは自覚していないのであれば、アントンに秘密を明かして話を複雑にする必要はないと。
だが、今回ルドヴィカの得た『予見』によって、ニコラウスも動いた。マーンリオ王家が裏で糸を引いている可能性があるのなら、予断を許さない状況にある。
話を聞いたアントンは驚き、信じられないと言ったが、十年前の落盤事故の際、ルドヴィカの助言でベーヴェルン領が救われた事実は忘れていなかった。
事態を認識したアントンは、ニコラウスの提案に賛同した。
アンティリア王家に全てを話し、シャルロッテの保護を求める。
シャルロッテを狙っているのが、マーンリオ王家なら、この先も諦めることはない。ヴィルトグラーフ伯爵家とベーヴェルン侯爵家だけで対抗するには、相手が強大すぎる。
王妃の茶会への招待や、夜会での王太子の行動も、アンティリア王家がなにか情報を掴んでいるからとも考えられた。
王妃からシャルロッテについて、問いあわせがあったのは、まさにヴィルトグラーフ家とベーヴェルン家で、話しあいが持たれているさなかであった。
その返信として、ルドヴィカは王太子と王妃に宛てて、面会を求める書簡を送り、シャルロッテをベーヴェルン領へ帰らせた。
人の出入りの多い土地柄ではあるが、王都に比べれば、まだベーヴェルン領のほうが余所者は目立つ。
アンティリア王家、フェルディナント王太子は早急にベーヴェルン領へ近衛騎士を派遣し、シャルロッテの警護を整えると、ヴィルトグラーフ伯爵とベーヴェルン侯爵夫妻を王宮へ招いた。
マーンリオ王家の『精霊姫』という存在を、アンティリア王家はやはり把握していた。だが、国を捨ててアンティリアで暮らした王女が、『精霊姫』その人であることまでは、知り得ていなかった
マーンリオ王家が、当代の『精霊姫』の所在を知れば、取り戻すために動くだろう。アンティリア王家の見解も、ヴィルトグラーフ伯爵と同じだった。
「ここからは王家が対応する、と国王陛下が仰って、お任せすることになったのよ。もちろん、貴方の安全をお約束ください、とお願いはしたけれど。ただ……」
今後、『精霊姫』はアンティリア王家の預かりとなる。マーンリオ王国へ引き渡すことはない、との確約は得たがアンティリア王国において、シャルロッテの処遇がどういったものになるのか、まだわからない。
「これからは、アンティリアのために力を使わなくてはならない、ということですか?」
「『予見』の魔法についてはご説明差し上げたわ。意図して使えるものではないと。でも貴女、王太子殿下には、自分から打ち明けたのでしょう?」
「……それは、お話ししなければならない状況になってしまったからで、すすんでお話ししたわけではありません」
「アンティリア王家が持っている情報もあるはずよ。きっと、わたくしたちも知らないことがあるのでしょう。王太子殿下のご様子で、無下にはなさらないと思ったのだけれど。貴女はどう考えているの?」
ルドヴィカにとっては、シャルロッテがずっと家族にすら明かさなかった秘密を、フェルディナントには話したことが、アンティリア王家に委ねる理由になった。フェルディナントがシャルロッテの心を動かしたのなら、それに賭けてみようと兄と夫に話した。
シャルロッテは、自分自身の気持ちをまだ計りかねている。フェルディナントはシャルロッテを気に入っている、と言ったがそれがなにを意味するのか。
『予見』の魔法が、マーンリオ王家の秘術であると知っていたのなら、シャルロッテの思いとは違った意図があったのかもしれない。
「殿下は、わたくしのことを『必ず守る』と仰いましたけれど、なにを考えていらっしゃるのか、わからなくなりました……」
「今回のことは、公にはならないそうよ。シュヴァインフルト伯爵は反逆罪に問われることになるけれど、秘密裏に罰せられるとか」
シャルロッテが見せた頼りなげな表情に、ルドヴィカは少し首をかしげて微笑む。
「ここから先は、王太子殿下が貴女に直接お話しになるそうよ。落ち着いたら王宮へ上がるように、と。また王妃様のお茶会の招待状が届いているわ」
差し出しされた濃い赤ワイン色の封蝋が落とされた白い封筒を横目に、シャルロッテは眉を下げて口をゆがめる。
「殿下のお話をよくうかがって、自分で考えなさい。家や旦那様のことは、この際気にしなくていいわ。貴女の気持ちを大切にしなさいね」
「お母様、わたくし、『予見』は確実に起こる未来なのだと思っていました」
「そうではないとわかったでしょう? ウルリーケ王女の手記は殿下にお渡ししたけれど、貴女も読めるようにお願いしてあるわ」
必要な導きがあるから、と言ってルドヴィカは穏やかに笑った。
これまでの分にはまだまだ充分ではないかもしれない。それでも、母が娘に愛情を持って、心を砕いてくれていたとわかり、シャルロッテは嬉しく思った。